僕はどちらかと言うと、子どもたちが遊んでいるのを見守ることが多い。一緒に遊ぶより、全体を俯瞰的に観察して、安全面や流れを観察している。だから特に長女と長男は、僕のことを「遊びの外側にいる人」として認識してるようにみえる。誘われることもあまりないし、「子どもたちだけでどうぞ」と断ることもある。やるべき仕事や予定があって時間が取れないことが言い訳リストの第一位だけれど、一緒に遊んだら遊んだで、やれ、それは危ないとか、それはルールと違うとか、「正しい」大人目線で場を仕切ってしまい、途端につまらなくなってしまう。だから僕が中途半端に参加するより、彼らで自由に楽しむのが一番だと考えてる。
しかしこの日のように、彼らの世界に全身で飛び込んでみると、僕は「仲間」として歓迎されることになった。ともに走り、飛び跳ね、疲れて動けなくなるまで遊ぶ。もうすっかり忘れてしまったピュアな感覚や遊びの外からでは分からない風景がそこにあった。子どもたちのエネルギーが溢れ、笑顔が輝かしい。きっと僕もめちゃ笑ってたと思う。そこには帰らなきゃいけない時間やこの後の予定なんて存在すらしていないように思える。毎回は無理っぽいけど、また仲間に入れてもらおうかな。
翌日から数日、僕は筋肉痛に悩まされることになったけれど。
写真:例えば、このシャボン玉遊び。部屋が汚れるから外でやりなさい、こぼれるから容器をちゃんと持ちなさい、もったいないから大事に使いなさい、終わったら手を洗いなさい、風邪を引くから服を着なさい、足が汚れるから靴を履きなさい、等々。前後の予定(ご飯やお風呂の時間など)を合わせればこの倍くらいの小言を言いたくなるので、ま、楽しそうだからいっか、とシャッターを押すだけにした。