お住いは相川の上田隆俊さん。嶺北観光のバスのドライバーをされています。
この写真を撮影したのは、朝6時55分、黒丸からバスが出発する間際の時間です。
このバスは毎朝黒丸を出発し、南川などを通りながら乗客を載せ、田井、そして本山町まで走ります。
嶺北観光のドライバーさんは前日の夕方に黒丸に到着し、宿泊所で一泊、そして翌朝こうして黒丸の乗客を迎えます。
町の人の大切な移動を支えている方々の一人が上田隆俊さんです。
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土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)
注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。
“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。
念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。
土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。 (敬称略・撮れたときに不定期更新)
地蔵寺出身の西村郁也さん。この日は、郁也さんのお父さんである福蔵さんのお話を伺いに地蔵寺にて会っていただきました。
郁也さん自身も大工さんですが、福蔵さんは地蔵寺の宮大工を勤められていた方。
とさちょうものがたりがどんぐりやファーストと一緒に作っている土佐町オリジナルポロシャツ、今年の背中の絵のモチーフになったものが、福蔵さんが作った地蔵堂の阿吽の大龍です。
福蔵さんが長年住まい、郁也さんも育った地蔵寺のお家の前で撮影させていただきました。
土佐町オリジナルポロシャツは以下の記事から。販売中です!
田井の旅館「冨士見館」の高橋信子さんと英理子さん。
とさちょうものがたりの企画のゲストが来町した際には毎回のようにお世話になっています。
今回この撮影を機に、冨士見館の歴史を教えていただきました。
冨士見館は大正5年(!)開業。信子さんはその4代目女将。
車のなかった昔は、行商人や馬車曳きの人々が、大川村や本川村の行き帰りに宿泊していったそうです。
その時代はお風呂屋さんも兼ね、お風呂を焚く(もちろん薪風呂でしょう)専門の人も雇っていたという面白いお話も聞かせていただきました。
「冨士見館」という名前の由来は2通りあって、
①初代女将の名前が「婦地(ふじ)」さんだったという説
②石鎚連峰の伊予富士が遠くに見える場所だった説
どのお話もその長い歴史を感じさせるものばかりで、数え切れないぐらいたくさんの人々の想いが詰まった場所なのでしょうね。
先日ご紹介した7人の職人さんにはベンチを40個製作していただいたのですが、その大元となるモデルをひとつ作ってもらったのが左端の川田康富さん。
そのモデルとして完成したひとつが、この写真でご家族が腰かけているベンチです。
2018年の夏あたりからこのベンチのプロジェクトはスタートし、康富さんがモデルを完成したのが2019年3月。
そして2019年12月に前述の7人の職人さんが40個を製作、2020年1月現在は町のあちこちに設置中という段階です。
そのベンチにご家族4人で座って撮影させていただきました。
そういえば数年前に、佳宗くんと真靖くんの兄弟には、ポストカードの撮影で稲叢山に一緒に行ってもらったこともありました。