
左から 西村卓士・西村真純・渡貫洋介・筒井孝善・伊藤敏雄
昨日の記事(地蔵寺河内神社)では舞を披露した女の子たちを紹介しましたが、今回は同じ神祭で”神の使い”として参加した男衆の写真です。
今回の担当は平石地区。平石の男性から4人が参加(毎回4人という決まりだそうです)して、神輿を担いだり、お供物を運んだり。神の使い、または一番左の宮司さん(西村卓士さん)の使いとして神事を円滑に運営する役割です。
毎年一度、神様とつながって祈りを届ける大切な仕事です。
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土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)
注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。
“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。
念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。
土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。 (敬称略・撮れたときに不定期更新)

左から 西村卓士・西村真純・渡貫洋介・筒井孝善・伊藤敏雄
昨日の記事(地蔵寺河内神社)では舞を披露した女の子たちを紹介しましたが、今回は同じ神祭で”神の使い”として参加した男衆の写真です。
今回の担当は平石地区。平石の男性から4人が参加(毎回4人という決まりだそうです)して、神輿を担いだり、お供物を運んだり。神の使い、または一番左の宮司さん(西村卓士さん)の使いとして神事を円滑に運営する役割です。
毎年一度、神様とつながって祈りを届ける大切な仕事です。

左から 西村卓士・伊藤愛浬・・渡貫ほの波・伊藤愛菜・上田英奈・田岡咲香
12月12日に地蔵寺の河内神社で開催された神祭。そこで「浦安の舞」を披露した地元の女の子たちです。一番左は元町長で宮司さんの西村卓士さん。
この神祭に参加するのは、主に上・中・下地蔵寺と平石の4地区の方々(立割も)。その地区に在住する小学校3年生から6年生の女の子たちがこの舞を舞うことになっているそうです。
辞書によると、「浦安の舞」とは、
・1940年の「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせて新たに作られた神楽舞。
・全国神社に伝わる神楽舞を下地に宮内省楽部の楽長が作曲作舞したもの
とのことです。意外にも近代のものなんですね。
浦安の「うら」とは古語で「心」のことで、つまり「うらやす」とは心の平穏という意味があるそうです。千葉にある「浦安市舞浜」の地名は、「浦安の舞」が由来なんですって。

私(石川)は大工さんの世界は素人ですが、多くの大工さんたちが豊さんに対して敬意を持っていることは知っています。
ザ・棟梁とでも言いますか、棟梁・オブ・棟梁とでも言いますか、そんな感じで、豊さんはすごい大工さんなのです(伝わるでしょうか?)。
この日はある役場職員さんの自宅建設の「棟上げ」の日。写真のようなスタイルの棟梁が、材の上を行ったり来たりしながら10人以上集まった大工さんたちに指示を出していきます。
その最中、その瞬間を撮影させていただいた一枚です。

本山町との境目近くに位置する川田石油の皆さん。私(石川)も週一ぐらいお世話になっています。
灯油の必要なこの季節には訪問頻度は多くなりますね。
「皆さんで写真撮りましょうよ」「じゃあみんなが揃ってる時がええ」という会話をしてから一年以上経ち、給油するたびに「どうですか?」と尋ねるものの「全員揃ってない〜」ということが続いていました。
ところが先日訪れた際に「今やったら全員いる!」とのこと。しかしあろうことかカメラを持っていない!
慌ててカメラを取りに戻り、お客さんとお客さんの合間を縫って撮影された一枚です。
左から、川田一仁さん・川田真水さん・川村浪子さん・村田永夏ちゃん・川田崇仁さんです。

10月のポストカードで撮影した相川の田んぼ。真ん中で舞を舞っていたのが西谷和呼ちゃんです。自分よりも大きい背丈のわらぐろが並ぶ晩秋の田んぼは、その目にはどのように写っているのでしょう。
この日はお父さんの紅葉さんとお母さんの怜美さんも一緒に付き添ってくれました。撮影が無事終わった後で、畦道で撮った家族写真です。

先日、「土佐町ポストカードプロジェクト」でご紹介した大渕地区。その撮影には大渕にお住まいの細見家3姉弟が参加してくれたのですが、そのとき一緒にこの家族写真も撮っていました。
ポストカードの記事にも書いたことですが、大渕は長いこと2世帯が暮らす集落でした。数ヶ月前から写真の細見家5人が新たに移り住み、現在では3世帯になっています。
この日は学校帰りの子どもたちを待って、夕暮れ時に撮影スタート。賑やかな子どもたちの声も聞きながら、雄大な大渕の景色の前で撮影しました。

左が、上ノ土居の大工の棟梁、森岡忠賢さん、88歳。そしてそのお隣が孫の拓実さん。
孫の拓実さんは祖父の忠賢さんを師とし、現在では大工さんとして独り立ちしています。
祖父から孫へ、継承される大工の技。忠賢さん曰く、拓実さんが若い頃は敢えてめっぽう厳しく接していたということですが、それもまた師の愛情ということなのでしょう。
そんな関係が少し羨ましくもあります。


「湖畔りんご園」を営む伊藤明導さんと美恵さんのご夫婦です。
湖畔りんご園は土佐町平石地区にあり、様々な種類のりんごを栽培している農家さんです。
以前、高知県西部でケーキ屋さんをやっている知人も、「湖畔りんご園のりんごでケーキを作りたい!」と言ってはるばる仕入れにやってきていました。
三代に渡るりんご園のお話も近々ご紹介したいと考えています。
蛇足になりますが今回伺った理由は、写真の背景にちらっと写り込んでいる家屋、この伊藤さんのご自宅が、ダム建設時に水没地域であった柿ノ木部落から、そっくりそのまま移築したものであったということを聞き及んで、その実物を見せていただこうということで訪問させていただきました。
現在、柿ノ木地区は大半がダムの水の下にあるという事実。そして昔は柿ノ木にあったこの日本家屋が、現在では平石に建っているということに、不思議な巡り合わせを感じます。

相川・中尾地区の上田義和さん。土佐あか牛の畜産農家さんです。
義和さんとの出会いのきっかけは、鹿の角。
とさちょうものがたりが取り組んでいる「鹿の角ガチャ」が高知新聞に取り上げられた際に、記事を読んだ相川の澤田清敏さんから、「鹿の角をきっと持っている猟師さんに頼んであげる」と紹介がありました。
そうして鹿の角をいただいたご縁で、今度はあか牛の出産に立ち会わせてもらえることに。
母牛が赤ちゃんを産むその瞬間の、その模様はまた別の記事でご紹介するつもりでいますが、上田さんはとさちょうものがたりが一方的にお世話になっている「お師匠」の一人です。
ちなみに背景に写る牛舎全体を、義和さんご本人が自作されたそうで、その技術とバイタリティにもびっくりします。