11月になるといろいろな店舗で、クリスマスケーキの予約受付が始まる。
私が、小学生の頃(昭和30年後半から40年始め)には、ケーキの予約は、森地区にあった栗生(くりお)商店で注文していた。私は誕生日が1月初めなので、母は毎年、ケーキを2個予約してくれていた。
現在と違ってケーキは生クリームではなくバタークリームで、バラの花や、ふきで作ったアンゼリカ、赤い玉のゼリーや銀のアラザンなどで飾り付け、長持ちするように作られていた。
もちろん一個はクリスマスに家族7人で分けて食べて、もう一個は、水屋(食器などを入れる棚)の、上の段に置かれて年を越すのだった。
上の棚には父親以外、背が届かないのでケーキは安泰のはずだ、と大人たちは思っていたに違いない。
ところが、子供達は「あのケーキのクリームを、ひと口食べたい」。そう思っていた。どうしたら、あそこに手が届くだろう…。
冬は、ご飯を炊いたら「おひつ」にご飯を入れ、ワラで作った「ふご」の中で保温するのだった。「おひつ」は桧で出来ていて、二升くらい入って、高さが50センチ位ぃの頑丈な入れ物だった。「ふご」の中に入れたら踏み台の様になり、子供ひとり上がってもびくともしない物だった。
ある日、私たち3姉妹は、ケーキのクリームをひと口食べたくて、「ふご」の上にあがりケーキの箱を降ろし、3人でひと口ずつ食べた。隠れて食べると、すごく美味しい!
ある日、ひとりで留守番をしている時に「ふご」に上がろうとした。が、中に「おひつ」が入ってなかった。私は「ふご」のフタを踏みぬいて穴をあけてしまった。私は「ふご」を壊してしまった。
それからは、ケーキのつまみ食いは、陶器で作った大きな火鉢の上にまたがってやっていた。わらで作った「ふご」の代わりには、花柄の電気ジャーを買ってもらった。
その上に乗った事はない。