土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。
高知の生活の始まり
高知で最初に住んだ家は、相生町という高知駅の少し東でした。学校は、家から十分位の所の第二小学校でした。校門の前に堀川があって、川向うには、山田八幡宮がありました。運動場も広くプ-ルもあるし、生徒の多いのにびっくり。一学年が三級にA、B、Cと別れていて、私はB組女子ばかりで、先生は百田先生。中年の優しそうな先生でした。
チビなので一番前、岡村輝子さんと並びました。学級毎にスピーカ-があり、給食も注文で食べられて、相川の学校とは何もかも違っていました。
馴れるまで一番困った事は、言葉使いでした。何か喋ると皆に笑われるのです。その点、一年生の妹は、平気で相川弁で喋っていました。
一番先に仲良しになったのは、村上さん、西澤さんでした。二人共、色々と教えてくれて助かりました。今でも目を瞑ると浮んで来ます。
父は当時「土陽新聞」の仕事で郡部を廻っていたらしく何日も帰らず、母は牛乳屋の壜洗いに一生懸命働いていました。
今から八十四年も昔々の思い出です。