恩師の涙永久に
昭和13年、6年生の1学期、毎年行われているマラソンがあった。
男女別、5,6年合同コースも決まっていた。正門を出て、左へ、日赤通りを東へ、相生町を北へ、比島橋を渡り、久万川の堤を西へ、秦泉寺通りを南へ、元の日赤通りに出て、正門まででした。
スタ-トする時は、仲良し組7人で、「最後まで一緒ゾネ」と約束したのでしたが、何時の間にか気が付いたら一人になり、少し前をノッポの人が一人走っていた。「ヨシ、あの人に付いて行こう」と頑張ったが、追い付げずゴール。ビリだと思ったがそうではなかった、二着だったのです。
5,6人の先生がいて、担任の中島先生が真先に駆け寄って来て「エラカッタ、エラカッタ、よく頑張った」と、両肩に手をかけてくれました。先生の顔が私の目の前にあって、両目に涙がいっぱいたまって、今にも流れ落ちそうでした。外の先生も拍手を送ってくれました。
一着の人は、組違いの背の高い、走るのが早いと評判の人でした。
その後85年余り、戦争ゆえの苦労を体験しました。
人生の中で、あの時涙と「エラカッタネ」の一言が、胸の奥深くこびりついて、人生を諦らめず頑張ってこれたのです。「エラカッタネ」の一言と目一杯の涙が、教え子の人生をまもってくれたのです。
(当時の私の服装は体操服とは程遠い、ヨレヨレの上着に、ヒダの無いスカ-ト、すり切れたズックでした。思い出というよりも、思い出さずに忘れずに、が正解かも知れません。いつ天国よりお迎えがあるかも知れませんので、書きました。)