
土佐町栗木地区に近藤潔さん(98歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。
(2025年7月23日追記:潔さんは現在98歳。この連載を開始したのが95歳の時だったので、題名はそのままとしています。)
扁桃腺
私はカカヤンに似て背が低かったので、学校では前から二番目でしたが、元気で子守やお使いと走り回っていました。
でも学校に行くようになってから、時々喉が痛くなって、左の耳の後が少し腫れて痛くなり、カカヤンに「アンマコウ」を、貼ってもらいました。
学校では皆におこつられ(からかわれ)たが、三日位で治って、「アンマコウ」は、はいだ跡が黒く残って又々笑われました。
服む薬があったら笑われんのにと思っていたら、オトッチャンが石山の粘土で小さな壺を作ってきて、梅干しを五つ位入れて、囲炉裏の隅で焼いて、梅を黒焦げにして粉にして「服んだら、治る。扁桃腺ぢゃけ」。
その通りにしたら本当に良くなりました。誰かに聞いたんだと思いました。
それからも時々痛くて、黒い苦い薬を飲んで治りました。「アンマコウ」もいらなくなりました。
昔の人の知恵ですネ。現在と違って、知恵と経験だと思います。現在もセンブリ、オオバコ、切り傷にはヨモギの汁とか、お世話になりました。
この記事を書いた人
大正15年9月27日、土佐郡森村相川麦山生まれ。3歳上の兄、3歳下の妹、赤ん坊の弟がいた。父の生家は米作りの農家だったが、どういう訳か分家して「石屋さん」をしていた。お米のご飯は食べられず、年中麦ご飯で育ち、小学4年の時、高知市に移住。10年後、あの空襲で被災。不治の病で入院中の母共家族7人、着の身着のまま故郷土佐町の山奥の生活。故郷の皆さまの温かいお情けに助けられ、幼い妹の母代わり、病母の看病。3年後、気がついたら母と妹は天国へ。悲しみの中でも生まれ育った故郷に住んでいることが何よりもの心の支えになり95歳。天国の肉親との思い出に涙することも供養になろうかと、まだまだ元気でガンバローと思っています。
絵を描いた人
武蔵野美術大学日本画学科卒。
嶺北地域の美しい景色と昔ながらの営みが続く人々の暮らしぶりに魅せられて2012年より土佐町へ夫と娘とともに移り住みました。
絵の中に住んでいるような毎日に幸せを感じて暮らしています。