ここでこの柴刈り唄のモデルとなった話を一つしてみようかのう。
江戸時代の終わりの頃、高須の台という所に常右衛門と言う、部落の世話をようやっておいでた人がおった。
ある日、笹山を越えて高知へ行く途中、土佐山村の菖蒲と言う所でお兼と言うべっぴんさん(美人)に出合おたそうな。
それからというもの常右衛門は、“寝ては夢、起きてじゃうつつの幻の”だったかどうか定かではないが、とにかく一目惚れをしたそうじゃ。そんで、どうしても自分の女房にしとうなって、口説きに行ったと。
そしたらお兼が答えて、「百晩ここまで通うて来たらおまさんの言うとおりにしちゃる。」言うたそうな。
そんで常右衛門は、次の日から笹山を越えてお兼の所へ通うことにしたそうじゃ。
今でこそ車があるが、当時のこと頼りになるのは自分の足だけで、それも険しい坂道で、片道約三時間はかかったであろうから、並大抵のことではなかった。
家族にも内緒で、仕事が終わるとすぐに出掛けて、朝方には誰にも気付かれぬように帰って来る毎日が続いた。
家族のもん(人)も、えらいぞうりがちびるがおかしいと思いよったと言うことじゃ。
ある日には、途中で子連れの猪に出合い、それを次の日おおかた言いかけて、ばれたらいかんので
「笹山には子連れの猪が………おりゃせんやろうかねえ。」
言うてごまかしたと言う話もあるそうな。
やがて九十九日通った晩のこと、お兼が「おまんさんは九十九日も通うて来たんで明日は来んでも来ることはわかっちゅう。」言うて常右衛門の熱心さに打たれて、めでたく結婚し、仲良く暮らしたいうことじゃ。
「土佐町の民話」より 池添好幸
土佐柴刈唄
無形民俗文化財 昭和四十一年五月十七日 町指定
《歌詞》
♪
田肥ノー よしよやれ
よしよやれ た肥
ヨイショー ヨイショー
田肥よしよやりや ユホー
実がやどる
ハア ヤレショー ヤレショー (以上繰り返し)
♪
来いとノー 誰が言うた
笹山こえて
ヨイショー ヨイショー
露に御袢の ユホー
紐ぬれた
♪
来いでノー 来いでと
待つ夜は 来いで
ヨイショー ヨイショー
待たぬ夜に来て ユホー
門に立つ
♪
鮎はノー 瀬に住む
鳥や 木にとまる
ヨイショー ヨイショー
人は情の ユホー
蔭に住む
♪
朝のノー 露草に
刈り込められて
ヨイショー ヨイショー
鳴いて上るは ユホー
きりぎりす
♪
柴刈れノー 草刈れ
やれ はげめ
ヨイショー ヨイショー
今年や米取ろ ユホー
嫁も娶ろ
♪
俺がノー 土佐の
柴刈り男
ヨイショー ヨイショー
鎌の光でユホー
山へ行く
♪
行きはノー 朝星
帰りは夜星
ヨイショー ヨイショー
昼は利鎌の ユホー
星が飛ぶ
♪
土佐はノー よい国
南をうけて
ヨイショー ヨイショー
年にお米が ユホー
二度とれる
♪
今年やノー 豊年
穂に 穂が咲いて
ヨイショー ヨイショー
道の小草も ユホー
米がなる