私は少年時代、渓流で楽しむことが多かったが、父も渓流が好きであった。
夏には潜ってアメゴ突きもしていたが、50歳頃以降はもっぱらウナギのひご釣りであった。
竹を割って2メートル近い細ひごにし、その先端に釣針を付け、太いみみずを餌にして釣るのである。
ウナギの潜んでいそうな岩の下にひごを差し入れ、食いつくとひごをたぐり寄せ、岩から出てきたウナギを水中でつかむ。右手にひご、左手にウナギをつかんで、釣針がはずれないように引っぱり合う。
その恰好で父は、河原に置いてある魚籠の方へ、笑顔で何度もうなずきながら、小走りで行っていた。
私も何回となくひご釣りをやったが、どうしても成果が上がらず、結局諦めた。
私が中学生の頃、父が投網を買った。そして何日も庭で練習をして、渓流に行った。
私も網を投げる練習をしたが、なかなかうまく拡がらなかった。時には網の裾に付いている鉛のおもりが額に当って血を出したりして、諦めた。
父が投網を打ちに行くのは昼間だったが、私が高校生の時の夏休みに、夜打ちに行ってみたいと言いはじめた。明かりを持つ人が必要なので、私がついて行った。
まだ戦後の物資不足の頃だったので、懐中電灯は手に入らなかった。ちょうちんか石油ランプしかなかった。
しかし、ちょうちんのろうそくは明かりが弱く、石油ランプでは硝子カバーを岩に当てて、割れてしまうおそれがある。
迷っている時、夜打ちの経験者が、
「カーバイドがええ」
と教えてくれた。カーバイドは炭化カルシウムで、これに水を加えるとアセチレンガスが発生し、火をつけると燃えて明かりになる、と聞いた。
幸いその照明用器具も手に入り、それを持って、何度も渓流に行った。
夕食を終えてから行くので、帰りは真夜中になる。しかし楽しく、面白かった。
カーバイドの灯はランプより明るい。私がそれを差し出して水面を照らし、そこへ父が網を打つ。
明かりが届く僅かの範囲外は真っ暗である。網が水面に落ちる音と、瀬の流れと、水が渕に落ちる音以外は静かである。カーバイドの燃える匂いが2人を包んでいた。
両岸は森林で、その枝が渓流に覆いかぶさって、時々風でざわつく。その中で網を打つ父の動きが、大岩に影絵となって映る。まるで巨大な怪物が踊っているようであった。
そんな幻想的な雰囲気の中で、私は父のたぐり寄せる網から、アメゴやイダなど、時にはウナギまで拾い集めた。アメゴもウナギも岩から出て、夜遊びをしていたのか、とも思った。
暗闇の中だっただけに、思い出も遠い夢のようだ。