土佐町ストーリーズ

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家の主

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彼女は大抵、雨上がりにひょっこり現れる。

去年亡くなった姑が、生前よく彼女についてこう言っていた。

「私がここへお嫁に来た頃からずーっとおるがやき」

「草を引きよったら、じーっと横で見よったがね」

「この家の主よ」

 

 

大先輩なのだが、彼女が現れるたびに私は挨拶するどころか

悲鳴をあげてしまう。

 

そんな彼女はヒキガエル。

 

デカい。

15cmくらいある。

私は“超デカい!!”と思っているのだが、この辺ではこれくらい普通なのだろうか。

 

その図体の割に動きは素早い。

一瞬目を離すと、遠くへ移動している。

あれがジャンプして飛び掛かってきたら・・・と思うと背筋がゾンゾンする。

なので、いつも刺激しないように気配を殺して通り過ぎる。

 

私と子ども達はこのヒキガエルが現れるたびに

『おばあちゃんの友達が出たー!!』

と大騒ぎする。

 

私がおばあちゃんになってもいるだろうか。

 

 

 

 

 

 

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芥川岡林家

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芥川、黒丸の岡林家は、藩主山内家の一族で、山内家の裏紋の白一黒一が家紋だという。

山内家は武家でおれんようになるので早く山奥に行った方がいい、ゆうて、吾川郡吾北村(現在のいの町)の清水に来て、
それから芥川に居を構えた。

芥川には”芥川の三軒家”ゆうて、筒井姓二つと岡林姓一つがあったが、岡林しげおさんの家が本家じゃった。

今は面影の無うなったその家には,

女人禁制の”武士の間”、万一の切腹の時の”入らずの間”などがあった。

本家の主人の健在なうちは先祖祭りもしていたが、岡林家の名刀一振は神社に納めているという。

土佐町史p883

 

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12モンキーズ (土居)

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十二所権現

 

入蔵にある小祠で、今はその所在を知る者も数少ない。

その昔、十二匹の猿が出没し、人畜喰い尽くしてあと一家を残すのみとなった時、
通りかかった猟師が連れていた十二の猟犬でこれを喰い殺した。

その猿の死体を川に流した。

それは吉野川を流れ、その漂着したところ十二所権現として祀ったというのである。

それよりこの村では猿を見ると忌むのであるが、この十二所権現もその一つである。

現在は十二所神社とよばれており、
古老の中には土居地区の産土神は宮古野の白髪神社であるが、本来の産土神はこの十二所神社であると伝える者もある。

地区の人たちだけでなく、怪我のせぬように守護し給う神様ということで
大工や杣など林業に従事する人々の信仰にも篤いものがあった。

もち米の粉で作った団子十二個と灯明十二本を供え祀るしきたりがある。

 

土佐町史p906(一部略)

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白髪神社

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白髪神社は土佐町宮古野地区にあり、周りが田んぼの中、その場所だけ木に囲まれるようにして静かに建っています。
その白髪神社のお話です。

 

白髪神社信仰は、高知県下でも吉野川上流にのみみられるものである。

土佐町宮古野、大川村大藪、本川村(現在いの町)桑瀬、いの町長沢、いの町越裏門、いの町寺川、本山町沢柿内で
「産土神」として鎮座している。

越裏門、寺川あたりでは「本川女に森男」という俚諺がある。

これは本川郷1)かつて本川村から東隣の大川村を含む一帯を本川郷と呼んだの美女、森郷2)現在の土佐町の美男子という意である。

本川郷にまだ白髪神社を勧請3)神仏の分霊を他の場所に移しまつることしていないころの話である。

土佐町宮古野白髪神社の祭りには、老若男女の氏子たちが本川郷からもはるばる何時間も歩いて出掛けていた。

ところが本川女は祭りの準備やら、籠り人の食事の煮炊きなどばかりさせられ、
森の男たちは上座に威儀を正していい格好で座ってばかりいる。

そこで本川女も「時にはわしらも上座に座らせよ」と言うと、
森男は「そんな伊賀ばき(昔の田舎びた服装)の者を座らせるわけにはいかぬ」という。

さすがの本川美女もこれには腹を立て、
竃(かまど)の石を取って「氏神様もついてごさっしゃれ」と言って越裏門、寺川に帰ってしまった。

その竃の石を祀り始めたのがこのあたりの白髪神社であるという。

ところが持ってきた石に、森の白髪神社の御神霊が本当に憑いてきていて、
森の方では神様がお留守になったと大騒ぎになった。

そこで森男から本川女に詫び状が入って、本川から神霊がお帰りになったという。

森から石を奪ってきた日が戌亥(いぬい)(=乾(いぬい))であったから、越裏門は十一月戌、寺川は亥の日を祭日としたとか、
白髪様の祭りを乾祭りというのだと言い伝えて、戌亥信仰4)戌亥は北西の方位を指す。怨霊や魑魅魍魎などの災いが出入りする方角であるとして忌むべき方角としている。この方位を鎮めると、家運が永久に栄え、子孫が繁昌するとされ、神棚や神社を設けて信仰されていたが見られる。

 

土佐町史839p

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References   [ + ]

1. かつて本川村から東隣の大川村を含む一帯を本川郷と呼んだ
2. 現在の土佐町
3. 神仏の分霊を他の場所に移しまつること
4. 戌亥は北西の方位を指す。怨霊や魑魅魍魎などの災いが出入りする方角であるとして忌むべき方角としている。この方位を鎮めると、家運が永久に栄え、子孫が繁昌するとされ、神棚や神社を設けて信仰されていた
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晴天の霹靂

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私が住んでいる地区では4月と6月と9月に『道つくり』があります。

地区の人達が協力して、草刈りや側溝の掃除をするのです。

 

9月の道つくりの前日、小学校6年生の息子が急に

「明日の道つくり、手伝いたい」

と言ったのです。

 

私が何回も何回もお願いして、やっと重い腰をあげて洗濯物を取り込むあの息子が!

皿洗いを頼むと舌打ちをしながらしぶしぶ皿を洗うあの息子が!

手伝いをしないとゲームさせないよ!!といつも怒られるあの息子(以下略)

 

一時の気の迷いかとも思ったけれど、当日息子は早起きをして父ちゃんと道つくりへ。

草刈り機を扱えるわけでもないので、集会所の草引きをまかされたのだけれど

やり遂げて、地区の人達と一緒に昼ご飯を食べて帰ってきた息子を見て

誇らしい気持ちになりました。

 

少子高齢化で、道つくりの人員がいないという声がチラホラ各所で聞かれる今日この頃。

まだまだ幼いと思っていた息子も、頼れるようになる日が・・・来るのかな?

文:和田亜美 絵:川原将太

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ラバウル

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澤田千恵野さん(昭和2年生まれ。91歳)の話

私は6人兄弟で兄がひとりおって、兄は海軍に志願をして入ったがですよ。

戦争終わっても行方不明でわからんきね、生きているとは思われんとみんなで思ってました。

もう戦死したつもりでおったのがね、

終戦になって2年くらいしてから、兄がぽっかり帰ってきてね。

突然ふらっと帰ってきて、夢のようだった。

もうびっくりして。父と母も喜んで。

まあ、みんなでほんと、うれし泣き。

 

兄はラバウルへ行っていてね。

海軍でしたき、船に乗っておって、やられてね、敵に。

そして一昼夜泳いだいうて。

泳いでラバウルの島へついて、そしてあちこちしてるうちに帰ってきたがですわ。

ラバウルでマラリアになって、こちらに帰ってきた時、うんと熱が高かって、元気に仕事するようにはならんと言ってね。

熱が高いとビクンッ、ビクンッ、って震えるがですよ。それを私や妹で体を抑えてね。

最後は元気になって、女の子が5人生まれて、孫もそれぞれたくさんできてね。

 

戦争が終わって、ラバウルから帰ってくるまでに2年かかったのよ。

つくりごとではない本当にあったこと。

もっといろいろ話しておかんといけないことがあると思うんですけどね。

 

 

話:澤田千恵野 文:鳥山百合子 絵:川原将太

 

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ミッキィとテイジ

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土佐町で、カラオケボックスといえば田井の上村商店の横にある『すたあふるうつ』。

でも私が子どもの頃は、同じく田井にあるスーパー、末広ショッピングセンターの隣にサンライズというレストランがあって、

その横にもカラオケボックスがありました。

今ではレストランとカラオケボックスはなくなってオンベリーコというイタリアンレストランになっています。

 

 

小学校の頃、同級生とその保護者で、よく一緒にカラオケに行きました。

 

同級生のお父さんに “ミッキィ” と “テイジくん” がいます。

この ”ミッキィ” のイントネーションは、千葉県にある某ネズミの国のネズミの呼び方とは

また違ったイントネーションなのですが、それはそれとして。

 

この “ミッキィ” 、良く言えば個性的な歌声。

悪く言うと音痴でした。

ごめんねミッキィ。

 

その “ミッキィ” と “テイジくん” が2人で歌う定番の曲がありました。

 

山本コウタローとウイークエンドの『岬めぐり』。

 

2人は普通に歌っているつもりです。

でも、見事にハモるのです(笑)

奇跡のコラボレーション。

子ども達はもう大爆笑。

 

今では一緒にカラオケに行くことなんてなくなってしまったけれど、

また久々に聞きたい、2人の『岬めぐり』。

 

 

文:和田亜美 絵:川原将太

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化粧地蔵(土居)

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「ワシらぁが子どもの頃にはもうあった。誰が置いたのか、どうして置いたのか・・・」

 

土佐町役場の駐車場の片隅にひっそりと佇むお堂があります。

その中には一体のお地蔵さん。

そのお地蔵さんは、顔と手が白く、体は全体的に緑色で袴の部分が黄色。

白い顔には、黒いラインで目と瞼と口が描かれています。

そのお地蔵さんは化粧地蔵と呼ばれています。

最初に「化粧地蔵っちゅうのがあるんじゃ」と聞いた時は、いわゆる女性がするお化粧を想像したけれど

そうではなく、全体的に色が塗られている、そんなお地蔵さん。

 

「お四国巡拝みたいなことをして回りよった人、といういわれがあるけんど定かじゃないねぇ」

そう教えてくれたのは和田富雄さん。土居に住む80歳。

両サイドにも石像があり、こちらは欠けたり頭がなかったり。

 

「ワシらぁが子どもの頃にはもうあった。誰が置いたのか、どうして置いたのか・・・」

「お正月とお彼岸にはお大師様と一緒にお祭りするねぇ。お膳とお茶を用意して」

「地域を守ってくれゆうお礼にね」

お大師様と阿弥陀如来が、化粧地蔵が祀られているお堂の裏側に置かれています。

 

そのお堂の中には、昭和62年にこの化粧地蔵のことを取材した高知新聞の記事が

切り抜かれてクリアファイルに入った状態で置かれていました。

その記事は、喫茶「みなみ」の主人である和田裕吉さん(当時43歳)に聞いた話でした。

この化粧地蔵は、九州の山伏がここへ来て行き倒れになったものをお祀りしたものだと言われているとのこと。

もとは濡れ仏だったものを裕吉さんのお母さんが小さなお堂を作って安置されたとのことです。

 

この記事が書かれる数年前、裕吉さんが夜中にふっと目を覚ますと、

お風呂場に煙がもうもうと立ち込めているのを発見。

朝まで寝ていたら火事になるところだったけれど、目が覚めたのはお地蔵さまが助けてくれたのだ。

そう思ってそれ以来毎月十日と二十日にはお菓子を供えてお参りしていたそうです。

 

今でも、工事などでここを通る、という時などは建設会社の社長さんがお供えをしてお参りし、

「ちょっと通らせてください」とお願いするとのこと。

 

 

文:和田亜美 絵:川原将太

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疫病院の足切れだぬき(上野)

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上野の前の保育所のあった所はむかしは、疫病院と言うて伝染病にかかった人を隔離する病院があった。

そこに足切だぬきと言うて片足の切れた大きいたぬきがおった。

そのたぬきはとにかく人を困らす悪さが好きで、人にとりついては目まいをさせたり、熱をださせたり、命をとったりはせざったけんど人を困らしよった。

そこの近くの道は歩くとカラーン、カラーンと下が空洞になっちゅうような音がしよった。

またそこの近くを夜歩きよったら、ガサガサ言うんでこりゃおかしいと気がつくと、いつの間にか藪を歩きゆう、そんでまたちょっと行くと、ザブザブ言うんでおかしいと思えば、川を歩きゆうと言うようにようだまされるもんよ。

こんなたぬきは、樺のたつ瀬や駒野の上のもちが渕にもおったと言うことじゃ。

 

川村岩亀(「土佐町の民話」より)

絵:川原将太

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いいだこ売り(土居)

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昔、伊予(現在の愛媛県)の寒川から猿田峠を越して、瀬戸内からたこ売りが来ていました。

 

あるいいだこ売りが、森のかまち(水路)のふち(近く)を通りかかった時、草刈鎌をごしごしとぎゆう豊年さんに、

「兄さん地蔵寺へは何どき(時間がどれくらい)かかろかいの」と聞きました。

豊年さんは、ジロリッと見ただけで物を言わんと。

アリャこの人おかしいと思ったたこ売りは

「これはしたり」

と言うと、かまちぶちをかみへだいぶ歩いたと。

そしたらその足を見て豊年さんが草刈鎌をとぐのをやめて大声で

「たこ売りのおんちゃん!その足なら一とき半ッ(三時間)」

と言うたそうな。

和田久勝(館報)ー「土佐町の民話」より

絵:川原将太

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