つえる
【動詞】つぶれる
例:倒木で道がつえた。
意味:倒木で道がつぶれた。
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僕らは夫婦と子ども五人の七人家族。親は東京や千葉県在住。
そんな環境で暮らしていると、時々「家族」について考えることがある。
僕は常々、家族は「三世代」がベストなのではないかと考えてる。
都市部では核家族が当たり前だけど、田舎では二世代三世代が同居したり、近くに住んでいたりすることも珍しくない。「味噌汁の冷めない距離」を地でいく家庭は少なくない。
同じ集落に住むある方は、町内に息子さん家族が住んでいて、お孫さんが数名いる。行き来も頻繁にあって、孫の世話もよくするそうだ。 「今週末も孫が泊まりにきてて、朝からてんやわんやで仕事にならん」 と全然困っていない表情で、目を細めて語る彼の話を聞くと、気持ちがほっこりすると同時に羨ましく思う。
一方、都内に住む僕の両親。今年82歳の父親と三つ下の母親とのふたり暮らし。
年老いていく彼らのこれからを考え、「高知に引っ越してみない?」と何度か誘ったこともある。でも、住み慣れた土地や病院、友人たちを離れ、新しい環境で老後を過ごすのは酷だとも思う。結局申し入れは断られ続け、遠距離家族のままだ。
三世代家族には良いところがたくさんありそうだ。おじいちゃんおばあちゃんの存在意義が高まるし、孫たちも多世代と交流を持つことで生きていく知恵を学べるだろう。薪割りを教えてもらったり、川で釣りを楽しんだり、昔の遊びを体験したり。
地域外からこの地にやって来た僕らの場合、個人的に年配者と関わる機会は多くはない。それでも、子どもたちが地域のイベントで竹鉄砲やベーゴマなどの遊びを教えてもらったり、集落で見守ってもらったりと、まるで自分たちのおじいちゃんやおばあちゃん的な関わりを持ってくれる方々がいる。本当にありがたいことだと思う。
地域のご高齢者たちは、子どもたちを地域の宝として大事にしてくれる。地域の神事では踊りやしきたりを教えてくれる。そういった関わりを通じて、子どもたちはこの地域により親しみを感じ、自分の故郷だと強く意識できるようになるのだろう。
大先輩たちにとっても、下の世代と関わることで自分の居場所や役目を持ち続けられる。地域や他人の役に立っていると実感できるんだと思う。
しかし、このような恵まれた環境や風土にあっても、血のつながっている実の祖父祖母とは違うのだ。
三世代家族のような状況であったら、どんなに素晴らしいことだろうと妄想する。
うちは三世代家族じゃないけど、たくさんのおじいちゃんおばあちゃんがいる。そのことが、子どもたちの人生により豊かな多様な時間を与えていると感じる。多世代の地域で育つことで、いろいろな価値観を学び、中立な立場から物事を判断する機会に恵まれるだろう。
もちろん、高齢者たちの考えは彼らの時代の常識であって、それが子どもたちの時代に合っているとは限らない。むしろ時代遅れかもしれない。でも、そんな時代もあったんだと知ることは大切だ。
理想的な「三世代家族」や「多世代コミュニティ」って何だろう。僕は、どんな考えも切り捨てたり無視したりしないコミュニティが理想だと思う。でも、何かを決めるときは選択しないといけない。全ての意見を認識したあとで判断することが大事だろう。
核家族が当たり前の現代は、親類による繋がりに加えて、友人家族や近所仲間との横のつながり、同じような背景を持つ人たちとの縁を大切にすることで、次世代へ残せることが多くなると確信している。
僕が、次の世代に伝えたいことは、、、実はない。
子どもたちは彼らの時代を彼らの価値観で生きればいい。それより、前の世代は子どもたち世代の邪魔をしないことが重要だ。彼らに選択肢を与え、彼らの考えや行動を尊重し、行く手を遮らないこと。親身になり寄り添って、影に日向に次世代の応援をすることが大切だと思う。
とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。
このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。
鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。
私が暮らす土佐町と青森県十和田市は姉妹都市で、1987年から、夏は土佐町を、冬は十和田市を子どもたちが交互に訪れ、交流を続けている。
この夏、十和田市の小学6年生の女の子が3泊4日の日程でわが家にホームステイをした。同学年の娘は到着の日を指折り数え、楽しみにしていた。
滞在中は、早明浦ダムでSUP(スタンドアップパドルボード)体験や川遊び、酒蔵桂月館を見学。夜は棚田を臨む道の上に寝転んで、天の川も見える星空を眺めた。
3日目は受け入れ家庭ごとに任されていて、相談して決めたのは吉野川でのラフティング!川で遊んだことがないという十和田市の子は、かなり高い岩の上から迷いなく飛び込んで「めっちゃ気持ちいい!」と笑顔。それまでの少しぎこちなかった感じが一気にほどけて、はじけた。
吉野川の流れに乗って泳ぎ、潜って急流を行き交うアユの姿を追いかけた。子どもたちが「もう一回!」と何度も潜る様子がほほえましい。
浅瀬に座って食べるお弁当とビスコッティ。冷たく清らかな水。頭上のトンビの声。きらりと輝くリバーグラス。「来てよかった」、その言葉がうれしい。
冬には娘が十和田市へ行く。ご縁は続く。
(風)
2024年8月29日、高知新聞に掲載されたコラム閑人調です。
土佐町と青森県十和田市は姉妹都市。1987年から、夏は十和田市から土佐町へ、冬は土佐町から十和田市へ子どもたちが交流親善使節団として訪れ、交流を続けています。
今回で第36回目とのこと、今年は5人の子どもたちが土佐町に来てくれました。
我が家には小学6年生の女の子が滞在。川で泳いだことがない子が岩から飛び込み、棚田の見える場所で寝転んで星を眺め「めっちゃきれい〜」と喜んでくれました。
一緒に過ごしながら、私自身も毎日過ごしている場所をあらためて眺める時間になりました。
受け入れにあたり、土佐町教育委員会の皆さんに大変お世話になりました。十和田市と土佐町の子どもたちや家族への連絡やサポート、本当に大変なことだと思います。36年間交流が続けられているのも支えてくださる方たちがいるからこそ。ありがとうございます。
冬には土佐町の子どもたちが十和田市へ訪れます。
再会できることはありがたく、素晴らしいことです。
笹のいえの暮らしを体験する宿泊イベント「笹の夏休み」が無事終了した。コロナで休んでいた年もあったが、それ以外は毎年続けてきた。今年は二回、四泊と三泊の回を催行し、計14名プラスうちの子たちの参加となった。
笹に来てくれた子どもたち、サポートしてくださった保護者の皆様にたくさんの感謝を申し上げます。
イベントの核となる「自分たちで決める」という約束は、子どもたちの自主性を育む大切な要素だ。スケジュールや食事メニューを自分たちで決め行動することで、自主性や協調性が育つと考えている。
かまどでの調理や五右衛門風呂の準備など、普段の生活では体験できない「むかし暮らし」は、子どもたちにとって新鮮な刺激となったと思う。
食を通じて「身土不二」や「一物全体」「もったいない」の考え方に触れ、自然に寄り添う暮らしを体験する。これらの経験は、食の大切さや環境への意識を育むきっかけとなるだろう。
僕自身、このイベントを通じて多くのことを学んできた。当初は参加した全ての子どもへ均等に体験をさせようとしていたが、今では個々の個性や興味を尊重し、得意不得意を見定めて見守ることの大切さを実感している。
さて今夏、特に印象的だったのは長女の成長だった。これまで参加者のひとりとして経験を重ねてきた彼女が、今年は初めてスタッフとして関わりたいと希望した。箸つくりのときに木工ナイフの使い方を教えたり、釜戸や薪風呂の火をつける手伝いをしたりなど、参加者の子どもたちをサポートする姿を見て、親としての喜びと共に、彼女自身の新たな学びの機会になったことと思う。
2015年から毎年のように開催してきたが、振り返ると、これまでの歳月は様々な変化ももたらした。うちの子どもたちの成長に伴い、笹のいえが手狭になってきたことや、毎年同じアクティビティを繰り返すための慣れなど、新たな課題も見えている。
来年の春には千葉への引っ越しが決まり、このイベントも新たなステージを迎えることになりそうだ。古巣であるブラウンズフィールドでの再開を予定しているが、新しい環境での開催に向けて、これまでの経験を活かしつつ、新たな挑戦も考えている。
新しい仲間を募り、リスクを分散させながら、長期的に継続可能な形を模索したい。イベントの本質的な価値は変えずに、関わる人々の個性を活かした新しい展開を期待している。
「笹の夏休み」は、単なる子どものイベントではない。食の大切さ、家族の重要性、遊びの楽しさ、そして何より自主性を育む場だと自負してる。これらの価値を大切にしながら、さらに楽しい時間を共有したい。
新しい環境での再開には乗り越えるべき課題もたくさんあると想像するが、このイベントの主旨に賛同してくれる親御さんと子どもたちと共に、新たな「笹の夏休み」(名称は変更すると思います)を創り上げていきたい。世の中には様々な生き方、暮らし方がある。その中のひとつの選択肢として、自然と調和した暮らしや食の大切さを伝え続けていきたい。
引越しは半年先のことだし、予定変更も十分あり得る話だ。はじまってもいないことをあれこれ言うのは好きじゃないだれけど、ここで文字にすることで頭の中を整理させてもらった。
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土佐町溜井の道路を歩いていて藪の中にふと目が留まりました。ふつうの草花なら目につかないようなヒノキの造林木と雑草に覆われた薄暗い場所です。
ツチアケビです。
70㎝ほどの高さの茎に真っ赤な実がびっしりついています。
ラン科ツチアケビ属の腐生植物(菌従属栄養植物)で、葉がなく、葉緑素を持たないため光合成を行わず、ナラタケの菌類から養分をとって育つそうです。
多年草ですが毎年同じ場所で開花するわけではありません。
環境が良ければ数年に1度ぐらいの頻度で出現するそうですが、私が見掛ける場所はいつも違っています。
土の中から出てアケビのようだということで「ツチアケビ」の名が付いていますが、アケビというよりもウィンナーソーセージの方に似ています。
別名をヤマノカミノシャクジョウ(山ノ神の錫杖)といい、実をつけた姿が山伏の持つ錫杖(魔除けの杖)に似ているというものです。確かに振ったらシャン、シャン鳴りそう気配があります。
毒々しい赤い実がぶら下がる姿は奇妙ですが、古くから疲労倦怠に効く薬草として用いられてきたそうです。果実を天日乾燥させたものは土通草(どつうそう)と呼ばれる生薬で、ネット検索してみると、なんと「100グラム2,500円の予約販売」の広告にヒットしました。
花期(6~7月)のツチアケビは全体が黄褐色です。果実同様に花の咲く姿も風変りです。
写真は2022年6月に別の場所で撮影したツチアケビです。
花を拡大してみるとツチアケビがランの一種であることがよく分かります。
ラン科の花は左右相称で6枚の花被片を持ち、外側の3枚をがく片、内側の3枚を花弁といいます。花弁のうちの1枚は他の被片と色も形も異なり、唇弁(しんべん)と呼ばれて昆虫を誘引するのに役立っています。
ツチアケビの唇弁は黄色くなります。縁にはフリルがつき、虫媒花らしい美しさが備わっています。
これを見ると、「なるほどランだ」と思えるのではないでしょうか。