お坊さんだけあって、仁海さんは神社仏閣の造りや歴史に関してとても博覧強記です。髙峯神社をとても特別な場所と思っているとさちょうものがたり編集部にとって、仁海さんのその視点からのお話はとても勉強になりました。
仁海さんがお帰りになられたその後、改めて編集部から仁海さんにある依頼をしました。「もう一度取材のために現地を訪れてほしい」「その経験を文章にして町内外に伝えてほしい」‥‥快諾してくれた仁海さんは6月末に土佐町を再訪してくれました。
これは、仁海さん2度に渡る髙峯神社訪問の手記であります。
土佐町の大神様 髙峯神社
文:渡部仁海
私が髙峯神社を初めて知ったのは、移住相談のために土佐町役場を訪れた時でした。
私は生まれも育ちも愛媛なのですが、進学した大学が和歌山の高野山大学という坊さん大学だったこともあり、卒業後は四国遍路を巡ったりしていました。高知巡錫の砌、嶺北地域の豊かな自然と魅力的な産物とに感動し、いずれはこういった自然豊かな土地に住みたいと強く思うようになり、以後10数年に渡ってバイクや車で嶺北地域周辺に足繁く通っていたものです。
ただ当時は今ほど移住に関する情報は無く、ほとんど観光や買い物をするだけでしたが、近年はインターネットで移住や地域の情報もたくさん得られるようになり、そんな御縁で役場の移住担当の鳥山さんとお会いすることとなりました。
移住に関するお話を伺っている中、ふと鳥山さんから山中の神社の参道を子供が歩いている、どこか郷愁を誘う写真を渡され、「近くの山の上にこの神社があるので行ってみませんか?」と誘われ、行ってみることに。
※巡錫の砌(じゅんしゃくのみぎり)・・・ (錫杖を持った)僧侶が各地をめぐり、
車で山道を登り始めたものの、途中からは少し不安を感じるような荒れた道になり、正直この時までは『こんな山奥の人も来ないような場所の神社なんてきっと小さなしょんぼりしたようなお社がある程度なんだろうなぁ・・・』などと不届きな事を思っていたものです。
荒れた道で激しく揺れる車の中で数十分。
やがて「着きましたよ。」と言われ車を降りると、写真にあったあの風情のある苔むした参道。
ま、せっかく来たんだし見てみるか・・・くらいの気持ちで参道を進み、やがて石段にさしかかり登り始めた私の目に飛び込んできたのは、下から見ても相当にデカいとわかる堂々とした権現造りの唐破風の屋根。
※権現造り(ごんげんづくり)・・・日光東照宮に代表される建築様式。一般に豪華・華美なもので手間も費用もかかるので、あまり見られない。
※唐破風(からはふ)・・・拝殿正面に突き出した弓なりのカーブを描いた屋根の部分。
この時は本当に心の中で「ええっ!?」と叫んだものです。(もしかしたら声に出てたかもしれない)
見えている破風の部分だけでざっと4,5メートル・・・いやもっとある。一体どんな社殿がこの上に?・・とやや興奮気味に石段を上がると、そこには何段もの肘木類と凝った彫刻が施された、想像を遥かに上回る豪華な社殿がありました。
屋根の部分の肘木類はよく観光地の寺社などでも見られますが、髙峯神社の場合は人が歩く廊下の部分にまで肘木が組まれ、さらにはそれらの間に鶯の彫刻まで施されているという凝った造りであります。
実際に現地を歩いていただくと一番わかりやすいのですが、社殿以外にも鷹の石塔などほぼ全ての部分が入念に吟味され、意匠を凝らした非常に稀有な神社であります。
私は若い頃高野山で修行し沢山の古い社寺を見てきましたが、正直地方の山中でここまで凝った造りの神社に出会ったのはこれが初めてです。
これまで建物の豪華さばかりを述べて参りましたが、重要なのはそこに込められた人々の信仰心であるとか、熱い想いであると私は考えるのです。
道も険しく、現代のような重機も無い時代に山奥にこれだけの建築物を拵えるというのは、現代人の我々の考えが及びもしないような、地域の善男善女の人々の並々ならぬ想いがあってこそ成しえた事業であると言えるでしょう。
一体ここにはどのような大神様がどのような経緯でお祀りされるようになったのか、そして今日までどのように信仰されてきたのか、この日は中に入れませんでしたので、外から興味津々と眺めるばかりでした。
正面の扁額を読むと「土佐國本宮 髙峯神社 三寶山鎮座」とあります。
本宮というのは、「宮」を「店」と読み替えればわかりやすいかと思いますが、ここが神社の中でも重要な存在であることがわかります。
最近は京都や奈良などに代表される有名な観光地の寺院や神社をパワースポットと呼んで有り難がる風潮がありますが、本来は自分達を見守り育んでくれる地元の氏神様(産土神:うぶすながみ、と呼ぶところもあります)こそが、私たちに心身の力を与えてくれる存在なのであります。
現代社会は資本主義に傾き、お金や物にばかり価値を求める傾向にありますが、髙峯神社の佇まいを見ているとカネよりもっと大事なものがあるぞ、という神様の息遣いや建立に携わった地域の御先祖様達の情熱を感じられるのではないでしょうか。
さてすっかり髙峯神社の迫力に魅了されてしまったのですが、生憎とこの日は日帰りでありましたので、地域の方々のお許しを頂けるのならば後日改めて訪問したいと鳥山さんにお伝えして帰りました。
帰宅後「いや待てよ、冷静に考えればあれだけの社殿だ。他所の土地から来た見ず知らずの人間が立ち入ることを許してもらえるものだろうか?」と不安の混じった気持ちでありましたが、後日宮司さんや世話人さん達が立ち会っていただけると聞き、少し興奮を抑えきれなかったことを覚えています。
後編に続く!
書いた人 渡部仁海 わたなべじんかい
1974年 愛媛県生まれ。地元公立高校卒業後、高野山大学密教学科へ入学。家はお寺ではないものの、在学中に加行(修行)を受けて僧侶となる。会社員生活を経た後、現在お寺を持たず僧侶として活動している。
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