「木を植えた人」 ジャン・ジオノ こぐま社
曽祖母がなくなって30年以上になる。物心ついた時から身近な存在だった。同じ敷地内の小さな家に一人で住んで独立した生活をしていた。夕飯のおかずのおすそ分けに行くと、薄暗い台所のかまどの前に座ってお茶を飲んでいたりした。
いつも静かな人だった。年齢のわりに背が高く痩せていて、姿も表情も落ち着いた人だった。大きな声を聞いたことはなく、他の家族に文句を言ったり助言したりせず、何の迷惑もかけずに暮らしていた。毎日ブリキのバケツと手鍬をさげて、必ずトランジスタラジオを聞きながら畑や庭の草引きをしていた。
母は「ひ婆さんは政治のことにも詳しいで。なかなか何でも知っちゅう。ずっとラジオを聞きゆうき」と言っていた。
じゃれついて甘えた記憶はないけれど、あれこれかまいすぎずに私たちを見守ってくれていた。話しかけると穏やかに笑い、少し会話した。
ニワトリにやる葉っぱを刻んでいた
生んだ卵を取り出してくれた
山菜の下ごしらえをしていた
うさぎに餌をやっていた
さといもできんとんを作ってくれた
石うすで粉をひいていた
餅つきの餅を一緒に丸めた
うすく切った大根にワラを一緒に通した
ワラでむしろを編んでいた
幼い私はひ婆さんの手元を興味深々で見つめ、手伝うのがうれしかった。そんな曽祖母が亡くなり横たわっていた。この人の寝顔を見たことがなかった…と思った。額に手を当てると冷たくて。とたんに涙が込み上げた。
『木を植えた人』は人の高潔さについて考えさせてくれる。私は読みながら、田舎の人で地味で、子どもの頃から苦労をいっぱいしてきた、でも自分の苦労など何も語らなかった曽祖母のことをたくさん思い出していました。
藤田純子