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峯石原
峯石原、晩冬の星空。
撮影時間は1時間ほど。星は1時間でこのぐらいの距離を移動します。
4本見える破線は飛行機?または人工衛星?
何も動いていないようにも見える夜空も、実は様々なものが動いています。
著者名
記事タイトル
掲載開始日
図らずもTPP。あっちのTPPではありません。
土佐町在住の写真家、石川拓也がひと月に1枚のポストカードを作るプロジェクト。
2016年11月から始まり、たまに遅れたりもしながら、いちおう、今のところ、毎月1枚発表しています。
各ポストカードは土佐町役場の玄関と道の駅さめうらにて無料で配布しています。
「このままではカメラマンとして死ぬと思うほど、撮ることへのモチベーションが 下がっていました。どうせなら、撮りたい物がある場所へ行ってみようと、縁があった土佐町に来ました」と話す石川拓也さん。現在、「とさちょうものがたり」編集長としてWEBマガジンや フリーペーパーで土佐町の情報を発信している。
千葉県出身の石川さんは、カメラマンとしてニューヨークで活動後、2002(平成14)年に帰国し、東京で数々の有名人などを撮影した経歴を持つ。しかし、芸能界という華やかな業界で働くうちに、本当に撮りたい物とのギャップを感じるように。今後を模 索する中で訪れた高知が 石川さんの心を動かした。
「東京とは真逆で、高知は自然と近く、撮りたい物の匂いがしました」。
土佐町役場が広報担当者を募集 していると聞き、すぐに手を挙げて移り住んだ。16 (同28)年から3年間、地域おこし協力隊を務め、今は嘱託職員として働く。
最初に取り組んだのは、 町のPR用のポストカードと動画制作だった。その撮影をしながら町内を巡る間に、撮ることへの自信は復活していたと話す。「自然の摂理の中で暮らす人の姿や、先祖の代から続いてきた地域文化が目の前にあって。それは撮りたいと思っていた“本質的な物”でした」と石川さん。
「とさちょうものがたり」 は、石川さんが考える“本質的な物”に焦点を当てる。自治体の広報メディアだが、観光情報などは載せていない。記事は、人のインタビューや郷土料理などの紹介から、町の暮らしの根本に触れられるような内容で、その読者は全国に広がる。「人がいるから町ができます。土地の歴史と、住人のストーリーを一人一人伝えることが町を伝えることだ考えているので、それを記録して伝えていきたい」
現在、編集スタッフの鳥山百合子さんと2人で活動する。広報メディアの運営の他に、障がいのある人と作るシルクプリントT シャツや、カレンダーの製作事業なども行う。コロナ禍で、なじみの事業者が苦労していると聞き、その商品をWEB上で販売する取り組みも始めた。出会った人との関係を大切にしているというように、事業のアイデアは、町の人と接する中で生まれている。
幅広く活動する石川さんだが、写真はやはり本人の中心。高知に来て揺るがないものが持てたそうだ。撮影では、日常を少し違った視点で切り取 ろうと意識を向ける。
「写真を撮ることは人を肯定する作業だと考えています。写真に写ることでポジティブになってもらいたいし、そんな写真を撮り続けたいです」
掲載された日から早速、土佐町の方をはじめ、多くの人から「記事、読んだよ〜」とお声がけいただきました。「K+」や高知新聞をはじめとする紙媒体の強さを感じます。
インタビューを通し、とさちょうものがたりの土台となる思いが届きますように。
土佐町の隣には、離島を除き、日本一人口が少ない村があります。その村の名は大川村。
土佐町から大川村の中心部へは車で約30分。横にさめうらダムを見ながら、険しい山々の間を縫うように続く道の先に、大川村はあります。
村内に流れる四国三郎と呼ばれる吉野川のもと、村の人たちは山の斜面を切り開き、家や田畑を作って暮らしています。現在の村の人口は372人(2021年2月末)。人口は少なくとも、20~30代の若手議員が活躍、最近は子育て世代の移住者も増えているといいます。
その大川村の社会福祉協議会から、「大川村の民生委員さんが着るジャケットを作りたい」とご注文をいただきました。
初めての大川村からの注文です。
早速製作に入りました!
シルクスクリーンの印刷は、土佐町にある障がい者支援施設 「れいほくの里どんぐり」の石川寿光さんと川合希保さん。お二人は、もう3年ほど作業してくださっています。いつも丁寧なお二人の仕事があってこそ、とさちょうものがたりのシルクスクリーン事業が成り立っています。
背中
胸部分
大川村の社会福祉協議会の方のお話では、以前からとさちょうものがたり編集部が作ってきたポロシャツの存在を知っていて、いつか頼みたいと思ってくれていたそうです。
なんと!
とてもうれしい言葉でした。
土佐町の隣、大川村でこのジャケットを着る人たちがいると思うと、大川村へ向かう道のりの風景が一味も二味も違って見えます。
大川村の民生委員みなさま、ご注文ありがとうございます!楽しんで着てくださいますように。
とさちょうものがたり編集部が取り組むシルクスクリーン事業。
2018年3月から土佐町にある障がい者就労支援事業所どんぐりのメンバーさんが、そして、2019年7月から大豊町ファーストのメンバーさんが作業に来てくれています。
シルクスクリーン作業だけではなく、昨年秋に製作した「2021年カレンダーTOKUBETUHEN」では、カレンダーの数字や文字を描いてもらいました。
先日ファーストに伺った時、施設長の三谷さんがファーストの広報誌を手渡してくれました。そこには「カレンダー作り」と題し、カレンダーの文字を描いた時や販売の様子が書かれていました。
「ファースト広報誌 第15号 Step!」(令和3年2月10日発行)
日頃シルクスクリーンの作業でお世話になっている「とさちょうものがたり」の方が、嶺北にある、土佐町どんぐりさん、本山町しゃくなげさん、大豊町のファーストに声をかけてくださり、カレンダー作りを行いました。
この活動は、とさちょうものがたりのスタッフの方が、コロナで3事業所の売り上げが減ったと聞いて、何か少しでも協力できればと取り組んでくれた活動です。各事業所でも販売を行い、売り上げの一部は手数料として還元してくれる仕組みとなっています。
ファーストは利用者様も率先して知り合いの方に声かけ販売し、1番多く地域の皆様等の手に渡せることができました。
ファーストさん、ありがとうございます!
編集部は、数字を描いてくれた施設にカレンダーの販売もお願いし、ファーストのメンバーさんとは大豊町役場へ出張販売に行きました。メンバーさんは友人や知人に積極的に声をかけ、多くのカレンダーを販売。「○部売れました!」と伝えてくれる姿はとても生き生きとしていて、こちらも頑張らないと!と大きなエネルギーをもらいました。
町を超えて協力し、ひとつのものを作り上げられたことは、編集部にとって、とても良い経験でした。
これからも共に、今暮らしている場所を少しでも楽しくするような取り組みをしていけたらと思っています。
「2021年カレンダーTOKUBETUHEN」は、昨年秋、高知県嶺北地域の3つの障がい者施設(土佐町どんぐり・本山町しゃくなげ・大豊町ファースト)と、とさちょうものがたり編集部が一緒に製作したカレンダーです。
編集部が取り組むシルクスクリーン事業でご縁のできた3施設のメンバーさんに、カレンダーの数字や文字を描いてもらいました。(制作風景は上のリンクからご覧ください)
カレンダーは1部1500円、そのうち200円を3施設に分配。それに加え、カレンダーを1部販売したら1割(130円)がその施設に入る仕組みとしました。ちょっとわかりづらいかもしれませんが、後ほど図解します。
カレンダー完成後、各施設のメンバーさんが友人知人に声をかけて販売したり。とさちょうものがたりZINEを販売していただいている県内外の様々な店舗にも置いていただきました。そうそう、とさちょうものがたりのネットショップでも多くの皆さまにご購入いただきました。
結果、全部で283部販売することができました。
これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれ。商売としては小さいですね。ただ少なくとも、3施設に原稿料や寄付をお渡しして、印刷費を(印刷会社さんに)お支払いして、なおかつ来年度の制作費に(少額ですが)回せる、という結果です。
購入してくださった皆さま、販売をしてくださった店舗の皆さま、ありがとうございました!
カレンダー製作当初からお伝えしていた通り、3施設へ、以下のような形でお支払いをしました。
そして実際に販売した結果が以下の通り
・カレンダー販売数 283部
売上金額:¥424,500-
【①について】
¥18,866-が各施設に支払われました。
283部×¥200(寄付分)=¥56,600-
¥56,600÷3施設=¥18,866-
【②について】
3施設が販売したカレンダーは、合計131部。
「販売部数×130円」が各施設に支払われました。
*①②とは別に、原稿料として20,000円を各施設にお支払いしています。
【③について】
印刷費や店舗・ネットショプでの販売手数料を除き、残った金額は約61,471円。
こちらは2022年のカレンダーの制作費にしたいと思います。
このカレンダーが、少しでも3施設にとっての一助になればと思います。そして、手にしてくれた皆さまの暮らしを少しでも彩れるようなものであれたらと願っています。
2022年のカレンダーも、どうぞお楽しみに!
・高知新聞に掲載された記事です
・朝日新聞(高知版)に掲載された記事です
昔から土佐町と土佐山村境になる赤羅木峠やその峰続きの山々には、シバテンとヒダルが、相川、地蔵寺川の渕には、エンコウが棲んでいた。
シバテンは、天狗の子どもみたいな生き物で相撲好き。
ヒダルは、山道の傍に隠れちょって、上から垂れ下がった葛の輪ざしに、「これにちょっこり首を突っ込んでみたや」と言うて、目の前にぶらさげる。げに心地の悪い隠者(世の中と縁を切って暮らす人)である。ヒダルの姿を見た者は、まだおらんようじゃが、シバテンは高知の往復、赤羅木峠、樫山峠かその並びの天道の山一帯に棲んでおって、天狗はだいたい工石の山が本拠だったらしい。
シバテンは、通りがかりの旅人に、「オンチャン、相撲をとろう」と、難題を吹きかける。まっこと手に負えん、こびんす(小さい子ども)じゃ。
私のお婆さんは、縁側でこの話を始めた。
『相川から山を二つ越えた向こうが、高知のお街じゃ。村の若い衆が高知へ行って、朝から色々の買い物をし、用事をすまして、廿代の宿を出て、愛宕八丁を通り抜け、椎名坂を上り、高川から城を通ってこの峠にさしかかる頃には、六里(一里は約四キロメートル)の山道はとっぷりと暮れて、真っ暗な夜道になるのが常じゃ。
この辺一帯は官山(国有林)でのう、昼でも暗いぜよ。シーンと静まり返っちょって、妙な鳥が啼きよった。
「銘酒か焼酎か、酒、酒、酒…」
きいたこともない啼き声ぜよ。
一日のこと、下のベンスぢんま(おじいさん)がそこを通りかかったところ、あの山から、
「ベンス、ベンス、ベンス、ベンス…」
と呼びすてに、わしを嘲るように啼いたと言うて、こないだもベンスぢんまが、たいてえ機嫌が悪かったぜよ。
夜道は鼻をつままれても判らんばあの暗い道が、一里近う続いちょる。ここなくを通り抜けるにゃ、たいていのもんが往生したが、こういう風に手を伸ばいて、山手の岸をさすりもって歩かにゃ、谷へぶち転がる心配がある恐いくよ。
おまけに足元から、「ガサガサガサ」何やら走り抜ける音もする。木の枝から枝へ、天狗かモマ(ムササビ)か知らんが、「バサ、バサ、バサ」と飛ぶ音がして、めっそう心地のええ山越しじゃない。まっこと、何ぞ出てこにゃ嘘と思われるんばあ、啼くよ』
(シバテン その2 に続く)