鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「しりとり」 安野光雅 作・絵 福音館書店

すもも、ものほしざお、おかめ、めかくし、しらさぎ、ぎょうじ、じんちょうげ、げた、たいこ…。

一番最初のページで選んだ絵としりとりができる絵を次のページから選んでいきます。

その絵はどこにあるかな…?と探しながらページをめくり、なんて優しい美しい絵だろうと、ほおっとため息がもれます。

こどもの生活のなかにあるものと「ことば」がつながる瞬間。

それはきっと、世界がちょっとずつ広がっていくようなことなんじゃないかなと思います。

こどもたちと世界の出会いが、どうかよきものでありますように。

安野さんの願いが伝わってくるようです。

鳥山百合子

 

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ある日、土佐町のスーパーの産直市で大根のお漬物を買いました。
半分に切られた真っ白な大根、柚子の皮、昆布が入っていて、その美味しかったこと!

誰が作っているものなのかな?と名前を見てみると(産直市で売られているものはシールに生産者さんのお名前が書かれています)「沢田智恵」。
いつもお世話になっている智恵さんが作ったものでした!

すぐに連絡し「智恵さんが作ったお漬物がとっても美味しかったので、ぜひ作り方を教えてください」とお願いすると、「まあまあ、私のでよかったら!」と言ってくださいました。

1月28日と2月1日の2日間、智恵さんのお家にうかがって作り方を教えていただきました。

「大根を抜くところからやりましょう」と話していたのですが、約束していた日の前日は、なんと、雪。智恵さんは天気予報をみて、事前に大根を畑から収穫しておいてくれました。

 

 

 

 

この日、1月28日はまだ雪が残る冷やい日でした。塩漬けした大根は外の軒下に置いておきます。「寒かったらね、味が狂わない。(外は)冷蔵庫みたいになるから」と智恵さん。

そして「塩漬けしてだいたい4~5日おいてから、本漬けするのよ」とのこと。

 

智恵さんが話していた通り、この日の夕方には大根はほぼ水につかっていました。

カレンダーを見ながら「本漬け」する日を決め、この日は帰りました。

 

「本漬け」の様子は「沢田智恵さんの酢漬け大根づくり 2日目(本漬け)」でお伝えします!

 

 

*智恵さんはご主人の健次さんと共に、あか牛を育てています。

沢田健次・智恵(高須)

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「ドミニック」 ウィリアム・スタイグ 評論社

大好きなウィリアム・スタイグの一冊。
「ドミニック」はいつも何かやりたくてムズムズしている一匹の犬。ある日、気持ちを抑えきれなくなって冒険に出かけます。最初の分かれ道に立っていたワニの魔女に「自分の運命を知りたいとは思わないかえ?」と聞かれます。この魔女は『現在とおんなじくらいはっきり、未来も見える』ワニなのです。

ドミニックは「もちろん、ぼく、自分がどうなるんだろうと思いますよ。でもなにが起こるのか、それがいつ起きるのか、自分で見つけだすほうが、ずっとすてきだと思うんです。ぼく、びっくりするほうが好きなんです」と言い、冒険の道を選びます。

自分はひとりしかいないので、分かれ道に立った時にどちらかひとつの道を選ぶことしかできません。選んだ後に、もうひとつの道を選んだら今どうなっていたかなと考えることもあるでしょう。でも、どちらを選んでも自分自身の選択であることに変わりがないのです。前を向いて自分の選んだ道を歩いていくドミニックの姿は、何度読んでもグッときます。

鳥山百合子

 

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これは高峯神社の守り人、筒井賀恒さんと一緒に、高峯神社への道しるべを辿った記録です。
今日は「地図上3」の場所にある石碑についてのお話です。

 

(「高峯神社への道 その2」はこちら

 

2つ目の石碑を後にし、国道439号線から県道6号線へ入る。「瀬戸渓谷へ」と書かれた看板の方へと曲がり、くねくねとした一本道をとにかくまっすぐ進んでいくと、道の右側に3つ目の道しるべがある。

 

「従是 三宝山 四十丁」

 

「あ、ここ、ここ!」

道しるべは石垣に寄りかかるようにして建っている。道しるべの横は石段になっていて、山の上へと続く道の入口だけが見える。先は草だらけで見えない。2つめの道しるべからここへ道がつながっているのだそうだ。

 

「従是(これより)三宝山 四十丁 相川谷中」

 

「相川」とは、土佐町の米どころ。ここから車で30分はかかる。賀恒さんによると、相川の人たちがお金を出し合ってこの石碑を建てたのだそうだ。相川の人たちも高峯神社を大事に思っていたのだ。
丁は約109mなので、ここから高峯神社まであと4㎞ほどということか。

 

 

 

石碑の向かいには、こんな風景が望める。昔の人もきっと同じ山々を見つめていたにちがいない。

高峯神社はまだまだ遠い。

 

(「高峯神社への道 その4」へ続く)

 

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これは高峯神社の守り人、筒井賀恒さんと一緒に、高峯神社への道しるべを辿った記録です。
今日は「地図上2」の場所にある石碑についてのお話です。

 

(高峯神社への道 その1はこちら

 

「石原郵便局の向こうにも、高峯神社への道しるべがあるよ」

!!!

郵便局の近くの道を今まで何度も歩いていたのに気づかなかった。ああ、見ているようで見ていないのだなあ、とあらためて思う。案外そういったことは多いのかもしれない。

「さとのみせ」に車を停め、かつて旅館だった「くらや」の前を通り、郵便局を過ぎると道が3つに分かれている。真ん中の細い道を、賀恒さんは迷いなく歩いて行く。

この道は通ったことがなかった。

 

それは人が一人やっと通れるくらいの道だった。はやる気持ちを抑えながらついていくと、少し先に大人の背丈くらいの石碑が見えた。

「右 三宝山 従是一里」

 

賀恒さんはそばに立ち、言った。
「ここです。この石碑が道しるべ。これが大昔からの、高峯神社への本道なのよ。」

石碑には「文政11年 子(ね)の年 右 三宝山 従是(これより)一里」と刻んである。「文政11年」とは、今から200年ほど前のこと、そして「一里」とは、約3.9㎞のことである。

 

 

その道しるべの先には、細い土の道が上へ上へと続いている。

石碑の上の方には手を押し付けた跡があった。親指以外の4本指が、高峯神社へ向かう道への方向を示しているそうだ。

「これが本道、ここが入り口。ここをずっと行ったら高峰神社よね。昔から歩いていくもんは全部ここを通りよった。昔の人がどれだけの努力したかようわかる、これ見たら。これが高峯神社への西石原からの入り口よ」

 

「時間はどれくらいかかるんですか?」と聞いてみた。賀恒さんは少し考えて「高峯までは、元気な足じゃったら一時間!」と言った。

この細い道が、本当にあの高峯神社まで続いているのだろうか?想像しようとしても、いつも途中で道が途切れてしまう。

でも賀恒さんには、この先に続く道が見えているのだ。

 

(「高峯神社への道 その3」へ続く)

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「食べ物記」 森枝卓二 福音館書店

私はこの写真集が大好きです。

世界中の食…、米、麦、野菜、肉、魚、保存食、市場…、世界中の人たちが料理したり食べたりといった食卓の風景が収められています。

子どもの頃から「美味しそうやなあ」と思いながらこの本を眺めては、世界はとても広いのだということをどこかで感じていたように思います。「行こうと思ったらどこへだって行けるんだ!」というワクワクが飛び出していくような感覚は今でも心の中にちゃんとあります。

この本をつくった写真家の森枝さんは、以前は戦争の写真を撮っていたそうですが、その仕事をするなかで最も印象に残ったことは「戦争という特殊な状況にあっても、人には日常の暮らしがある」ということだったそうです。
国境近くのゲリラ兵たちが畑で野菜を育て、難民の人たちは着の身着のままであっても多くの人が鍋だけは持っていた…。
食べることは、生きることと切り離すことができないのです。

また、食べることは楽しみでもあります。
今日の食事は何にしようか?どんな風に作ろうか?それとも食べにいこうか?誰と食べようか?

今、こうしている間にも世界中のどこかで、食べるものを育て、食事を作り、食べている人たちがいます。
頭の片隅にそのことを置いておいたら、毎日の食卓がいつもと少し違った風に見えてきます。

鳥山百合子

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「灯をともす言葉」 花森安治 河出書房新社

「暮しの手帖」初代編集長の花森安治さんの言葉を集めた「灯をともす言葉」。

本の冒頭にはこんな言葉が書かれています。

「この中のどれか一つ二つは すぐ今日 あなたの暮しに役立ち

せめてどれかもう一つ二つは すぐには役に立たないように見えても

やがて こころの底ふかく沈んで いつか あなたの暮し方を変えてしまう」

本を読むときは、まだ見ぬ新しい世界と、今の自分自身の居場所を探しながら、言葉を追いかけているような気がします。

はっとさせられる言葉、じんわりとしみこんでくるような言葉、書き留めておきたい言葉。

今まで出会った言葉たちが「こころの底ふかく沈んで」、今の自分のこころあり方をつくっているんだろうなと思います。

鳥山百合子

 

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読んでほしい

高峯神社への道 その1

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これは高峯神社の守り人、筒井賀恒さんと一緒に、高峯神社への道しるべを辿った記録。

今日は「地図上1」の場所にある石碑についてのお話です。

 

(「高峯神社への道 はじめに」はこちら

 

もう数え切れないほどこの場所の前の道を通ったことがあった。何度もこの場所を見てきたはずだった。

でも私は何も見ていなかった。

この場所に、高峯神社への道しるべが建っていたなんて今の今まで全く気づかなかった。

 

「三宝山道」

ここは土佐町地蔵寺地区、相生橋のたもと。

これは高峯神社への最初の道しるべ。
これから先の道々にあるいくつかの石碑を順番に辿っていくと、あの高峯神社へ着くという。

石碑が作られたのは今から200年以上前のこと。

 

石碑の右側にはこう書いてある。「従是 右 平石通 一里三十丁    左 石原通 二里八丁」

この石碑がある場所は、右の道を行ったら平石地区方面、左の道を行ったら石原地区方面へ向かう道の分岐点。

石碑の上には石の階段が何段かあり、山の中の道へとつながっているようだ。しかし、草や木に覆われていて道が続いているのかいないのか、全く先が見えない。

昔は今のような舗装された道路はないので、昔の人は山の中の道を歩いて高峯神社へ向かったそうだ。歩く人がいなくなって今は草だらけになっているけれど、その道はまだ存在しているのだと賀恒さんは教えてくれた。

「昔の人が歩いた道を見たら、まあ感心するろうと思う」
賀恒さんはそう言った。

 

この場所からは、まだまだ遠い高峯神社。

ここから高峯神社への道が始まる。

 

(「高峯神社への道 その2」へ続く)

 

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あなたは高峯神社に行ったことがあるだろうか。
まだ行ったことがないのなら、ぜひ行ってみてほしい。

 

風渡る高峯神社。
向こうの谷の間から、遠くの山々の嶺から吹いてくる、凛とした風。

本殿へと続く苔け蒸した参道の前に立つと、枝々の間を通り抜けた木漏れ日がちらちらと揺れ、朝露を含んだ苔が静かに自ら光を放つ。

 

鳥居をくぐり、一段、一段を登る。
木々のどこかに隠れているのか、遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。遠く向こうから聞こえるような、それでいて耳元でささやくような音は、木の葉たちが揺れる音。

境内へ向かう階段の両脇に立つ石灯篭には、かつてこの神社へ寄付をした人の名前が刻まれている。

はるか遠い昔にこの石段を登ってきた人たちも、きっとこの風を感じながらここに立っていたのではないだろうか。

その人たちの気配をそばに感じる。

歴史は繰り返されている。

 

本殿を見上げながら、靴を脱ぎ、ぎし、ぎし、ぎし、ときしむ音を聞きながら木の階段を登る。
青銅色の冷たい床の上に正座し、呼吸を整える。

ここには神様がいると思う。

 

ガランガラン、ガランガラン。

静寂の中に鈴の音が鳴り響く。

この音は私にとって特別だった。
ここは初心に帰る場所。

 


 

 

これは、土佐町の地図。

この地図の左下に「芥川」という地域があります。土佐町の中心地である田井から、車で約50分。

「高峯神社」はこの芥川にあります。

とさちょうものがたりでは、今まで高峯神社についての記事をいくつか掲載してきました。

 

 

この高峯神社をずっと守り続けてきた人がいます。

筒井賀恒さん。昭和8年生まれ、85歳。

 

高峯神社のことについて知りたかったら賀恒さんに聞いたらいい、と黒丸地区の仁井田亮一郎さんが教えてくれました。賀恒さんは、70年間ずっと高峯神社のお世話をしてきた人だから、と。

初めて賀恒さんを訪ねた日、賀恒さんは家の前で待っていてくれました。約束の時間のずい分前から、今か今かと家の前の道を行ったり来たりしながら待っていてくれたようでした。笑うと目尻が下がる、話したいことをたくさん持っている人だということがわかりました。

 

会ってすぐ挨拶もそこそこに「道案内からしようか?」と賀恒さんは言いました。
賀恒さんは、最初から高峯神社を案内するつもりでいてくれたのです。

「高峯神社までの道しるべがあるよ」

賀恒さんはそう言いました。

 

道しるべ!!

まさかそんなものがあるとは夢にも思っていなかった編集部。その場で「ぜひ教えてください!」と賀恒さんにお願いしたのでした。

 

そして、賀恒さんとの高峯神社への旅がスタートしたのです。
それは、とさちょうものがたり編集部が、高峯神社へのまなざしを深く持ち直すための旅でもありました。

 

 

高峯神社への地図

 

この地図は高峯神社までの道を描いています。土佐町の地蔵寺からスタートし、芥川の高峯神社まで。地図上の数字は、今から200年ほど前に作られた高峯神社までの道しるべ(石碑)のある場所です。

賀恒さんは、地図上の1〜7の石碑と高峯神社を案内してくれました。

石碑のひとつずつ、そして高峯神社を順番に紹介していきたいと思います。

 

(「高峯神社への道 その1」へ続く)

*道しるべの存在を教えてくれた筒井賀恒さんの記事はこちらです。

筒井賀恒 (東石原)

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私の一冊

鳥山百合子

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「くろて団は名探偵」 ハンス・ユルゲン・プレス著, 大社 玲子訳 岩波少年文庫

確か4年ほど前だったでしょうか。この本と出会った時の驚きを何と言い表したらいいのでしょう。
本屋さんの児童文学コーナーをうろうろしていた時、目に入ったこの表紙。

「あ!」

思わず出た自分の声に驚きながら、この本を開きました。

「やっぱり!」

確かに見覚えがありました。何度も何度も読んだ、私が大好きだった本でした。

「くろて団は名探偵」との初めての出会いは小学生の頃。学校の図書室にあったこの本が、図書室の本棚のどこにあったかまでも覚えています。図書室にあったものはハードカバーで、これよりもふた回りほど大きな本でした。

今でいう「ゲームブック」のようなものと言ったらいいでしょうか。

お話を読み進めて行くと、いつも最後に質問があって、その質問の答えを隣のページの絵から探すのです。
2枚目の写真の絵、「さいころ形のもの」を持っているのは「かもしか薬局」の「薬剤師のハーン氏」。

ああ、懐かしい絵。
確か、秘密はハーン氏の持っている本にあったはず!!!

私はそんなことまで覚えていました。

小さい頃に夢中になったものごとは思っているよりもずっと長く、ずっと深く、その人の心の中に残っていくのだと思います。

こどもたちは幼ければ幼いほど、自らの環境をつくることはできません。そう思うと、子どもの周りにいる大人たちがどんなことを大切に思っているのかが問われるように思います。
見た目や流行、そういうことではなく、人として「本当に」大切なことは何か。

懐かしいこの本が、色々な思いを運んできてくれました。

鳥山百合子

 

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