鳥山百合子

土佐町ストーリーズ

夏の朝

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7月に入ったあるとき、朝4時をすぎた頃からひぐらしが鳴き出す。
森の奥の方からこちらの方へだんだんと近づいてくるような、銀色の鈴を響かせているようなこの声が目覚まし時計がわりになって、いつも寝坊助な私も早起きになる。

この声を聞くと「夏がやってきたんだ」と思う。

 

枕の向こうの山から、あちらこちらから、まるで輪唱しているように途切れることがない。

カナカナカナカナ・・・

 

セミたちは朝がやってきたことをどうやって知るのだろう。
セミは6〜7年間、土の中で過ごしてから地上に出てくるそうだから、この鳴いているひぐらしたちは今1年生の子どもたちが生まれた頃に土の中で誕生したんやなあ、とまだぼんやりした頭で考える。

 

しばらく布団の中でごろごろしていると、障子の向こうがほんのりと白く明るくなってくる。

小鳥たちが鳴き始める。

大地が目を覚まし、生きているものが順番に起きてくる。

 

いつのまにかひぐらしの鳴き声は遠ざかり、ジージージーという鳴き声にバトンタッチ。

鶏も鳴いている。

 

いろんないのちの音で満ちる朝。

今日も夏の1日が始まる。

 

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前編

 

母屋の横にある大釜から煙が上がり、火が「ごんごん」燃えていた。

摘んできたお茶の葉を大釜で煎る。

 

「火はよう燃えてなけりゃいかん。荒火でパチパチパチパチッと煎って、それから揉むときれいに青うなる。」

栄己さんはそう言いながら、大きな木べらで上下を返していく。

 

あたりは香ばしいお茶の香りでいっぱいに。

「この茎がしんなりせんとね。葉だけしんなりしたんでは、乾いた時にお茶が青うにきれいな色にならん。」

 

パチパチパチパチ 

 

パチパチパチパチ

 

「焦げたがはね、揉んだら(ざるの)網目の下に落ちるきね。。ほんで、青い葉っぱだけが残る。」

栄己さんは木べらをうちわに持ち替え「ちょうどいい」状態になったお茶の葉をカゴへうつす。それを息子さんの連れ合いさんが干す。

 

 

 

「これは天日で昔からやりよるやり方。昔からこうやってこしらえてたんですよ。こればあ天気がよかったらええ色に仕上がります。」

「私もだいぶベテランさんになったけ(笑)。ここにお嫁に来てから70年ばあになる。毎年毎年、この仕事を続けて今年70回目。まだこればあのことじゃったらお手伝いはできるけ、がんばっちょります。」

栄己さんはそう言って笑うのだった。

 

お茶は2回揉むのだそうだ。

1回目は息子さんが汗をかきかき揉んでいて、私の摘んだお茶もせっせともんでくれた。それを一度干し、まだ水分が残っているという時を見計らってもう一度揉む。

「力入れてもんでね。まろう(丸く)なるように。自分で揉んでこしらえたんですよ、って持っていかんといかんよ。帰る際まで干しちょいたらえいわ。お母さんがこれをこしらえたんじゃ、と子どもたちに持って帰ってあげなさい。」

 

「いい香り!」と言うと、「そうでしょう?霧がさすと、やっぱり匂いも美味しさがちがうのよ。」 

 

 

「これは楽しみにやってみなさいや。」

手渡してくれたのは一掴みほどのお茶の葉。天ぷらにすると美味しいと教えてくれた。その日の夜、天ぷらにしていただくと、じんわりとお茶の味がしてとても美味しかった。

 

 

栄己さんは、今朝沸かしたというお茶を飲ませてくれた。

「山からの清水で冷やしたら色が変わらんの。はように冷えたら黄色うてきれいでね、美味しい。さあ、飲みなさい!」

 

ふと気づくと、山からの水が流れ込んでいるおけに瓶がつけてある。
聞いてみると
「柚子をつけちゃあるぞね。清水は地の底から湧いて来る水でしょう?温度が変わらんのでしょうね、冷蔵庫の代わり。夏は手をつけちょっくと寒いようになるぞね。冬はあったこうてね。こうやってたら腐らない。」

「絞ったゆずの皮の油が持ち上がって固まっちゅうきね。柚子を絞ったら、つっと散るろう?あれが油。一回ガーゼでこして小分けにして冷蔵庫に入れちょいたらえい。」

「水炊きをしてこれをかけて食べても美味しい。あそこに木が見えるろう?柚子もね、昔から実生えで生えた木が美味しい。」

 

 

この場所で身につけてきた知恵や日々重ねてきた思い…。栄己さんの「70年間」が、栄己さん自身の深い深い引き出しにしまわれている。
栄己さんは、話したいことをその手に握りしめている。
栄己さんは次々と溢れ出してくるなにかを私の前に差し出しているようだった。

 

「タケノコ食べるかね?ちょうどタケノコを茹でたががここにあるのよね。ここへさらしゆうのがあるけ、おかずに持って行きなさいや。」

 

 

「このタケノコは四時間と言わんと炊いてあるよ。あの大きな釜でコトコトコトコト煮て、朝まで煮込んでおいちょいたりするんじゃけ。お鍋で炊いちょいて朝晩温めないかんし、めんどいけど炊いちょいたら結構おかずになる。味噌和えにしたりタケノコご飯にしたりね。」

そう話しながらせっせと袋につめてくれる。もう十分です、と伝えても、もう少しもう少しと入れ続けてくれるのだった。

 

 

「なんちゃあおかずもないけんど、ご飯を食べて帰りなさいや。」
もうすっかりお昼ごはんの時間だった。けれどもこの日はもう帰らないといけなかった。そう伝えると一瞬残念そうな顔をし、でもすぐに気を取り直したように言った。

「まあまた上がって来なさいや。もう少ししたらアイリスがいっぱい咲いちゅう。春は花見ができるばあ順々に桜が咲いてね。思い出したら上がって来てください。」

 

お茶や柚子酢、タケノコ、下の畑から採ったウド…。抱えきれないほどのお土産をいただいた。
帰る時、栄己さんは下の道路まで一緒におりてきてくれた。

車にお土産をつみ、挨拶しようとすると栄己さんが口を開いた。

「あの息子の他にもお姉ちゃんがいてね。あともう一人、私には3人子どもがいたんやけど…。長い人生には色々あるもんね…。」

私はただ頷きながら、栄己さんの話に耳を傾けることしかできなかった。

 

山からの風がすぐそばの森の木々を静かに揺らした。
私はその場所に栄己さんとふたり、立っていた。
栄己さんと出会い、今一緒にここにいる、という当たりまえのような事実をその時はじめて自覚した。

 

「また上がってきなさいや!」
栄己さんは私の目を見ながら笑って言った。

 

 

車が見えなくなるまで手を振ってくれた栄己さん。

あの山の、あの場所で、今日も栄己さんの暮らしを重ねている。

 

「また上がってきますね。」
私はそう約束した。

私はまた栄己さんに会いに行く。

 

 

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土佐町の人々

上津川での約束(前編)

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土佐町の上津川地区は、現在、3世帯6人が暮らしている。

早明浦ダムができた頃(1978年)は、約30世帯120人ほどの人がいたそうだ。

5月のある日、上津川地区の川村栄己(えいみ)さんを訪ねた。

同じく上津川の高橋通世さんが「うちんくの上の家の人が、大きな釜でお茶を煎るよ。」と紹介してくれたのだ。

 

この日は五月晴れ、絶好のお茶摘み日和。

上津川地区に入ると山の中をくぐり抜けていくように道が続く。右へ、左へ、上へ、上へ進んでいくと道の脇に一本のすももの木があって、そのすももの木の横の細い道を上がっていくと栄己さんの家がある。日当たりのいい庭にはエビラがいくつも並び、たけのこや、お茶が干してあった。

 

「まあまあ、こんにちは。」と家の中から出てきて迎えてくれた。

川村栄己さん、90歳。

 

玄関のそばには山からの水が流れ、その水が流れ込む池にはアメゴが泳ぎ、さっき採ってきたばかりというイタドリがぷかぷかと浮いている。

「イタドリの皮はぐ間もないもんじゃけ、水につけちょいたらあぎん。」

標高1000メートルの地点から水を引いてきているそうだ。

 

「ゆたかな場所ですねえ。」と言うと「猿も来る、たぬきもイノシシも、鹿も来る。家のヤジまで来るぞね。」と栄己さん。
「まあ、まず行ってみようかねえ。」と家の下にあるお茶畑に案内してくれた。

細い土の坂道を下っていく途中には鶏小屋があって中からコケコケコケッと鳴き声が聞こえる。
最初の曲がり角の先にある畑にはじゃがいもや夏野菜の苗が植えられていて、丁寧に支柱が立ててある。

踏みしめられた道。人の気配のする道。
栄己さんが毎日ここを歩き、その日の仕事を重ねていることが伝わってくる。

 

さらに下がるとぱっと視界が開かれ、そこがお茶畑。
美しい黄緑色のお茶畑の中で、すでに息子さんご夫婦がお茶の葉を摘んでいた。

 

私もいざお茶畑へ。
「一芯三葉」といって、一本の芯に3枚の葉が付いているところを摘んでいく。この摘み方はとても贅沢な摘み方のようだ。

(量を増やすために、今年の新芽の部分を手のひらでむしり取るように摘む人もいます。人それぞれです。)

栄己さんはこの時期に1年分のお茶を作る。

 

あたりはとても静かで、聞こえてくるのはお茶の葉を摘む音、すぐそばを通り抜ける風の音。時おり、うぐいすやヒヨドリ、トンビの鳴き声も聞こえてくる。

ぷちん、ぷちん、ぷちん。

ぷちん、ぷちん、ぷちん。

 

「そこら辺に、うぐいすの巣があるろう?」と遠くから息子さんの声がした。近くを探してみるとお茶の木の茂みの中に隠れるように、こんもりとした柔らかそうな小枝と葉で作られた丸い巣があった。これがうぐいすの巣!
うぐいすは丁寧な仕事をするなあと感心していると「中におらんろう?卵がかやるには早すぎるき、蛇かなんかが飲んだんかもしれん」。

 

栄己さんもそばへやってきた。

「朝霧がかかって来るようなところはお茶が美味しい。ここは標高が600メートル。日当たりがえいからね、雲海がでる。山が全部島みたいになってね、霧がずうっと上津川の川から上がってくる。雲海で海みたいになる。それがお茶を美味しくする。ここのお茶は美味しいと、出ていった人たちもお茶を採りに帰って来る。」

 

栄己さんはそう言うと「まあ、帰ってお茶でも沸かしよります。」と、母屋への道を登っていった。

 

その間、息子さん夫婦と私はせっせとお茶を摘み、袋に入れたお茶の葉の重さを肩に感じるようになった頃、母屋の方へ戻った。

つづく

 

 

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とさちょうものづくり

土佐町のハッピ、作りました!

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土佐町のハッピを作りました!

土佐町役場産業振興課が土佐町在住のデザイナー、中山一利さんにハッピの製作を依頼したことからこの話は始まりました。

中山さんは、自身がデザインしたハッピを「シルクスクリーンでプリントしてほしい」と私たちに仕事を依頼してくれたのです。

以前、「とさちょうものがたり」は中山さんとマリンバ教室の方から頼まれたTシャツを一緒に作りました。
その時、中山さんは私たちがシルクスクリーンを始めたことを知り、今まで外の業者さんに頼んでいたプリントをやってほしいと声をかけてくれたのです。
その時に「一枚一枚人の手で作っていくこと、とても共感できるよ。すごくいいよね。」と話してくれたこと、今でも心に残っています。

 

 

ハッピのプリント箇所は背中、胸2か所、黒の帯の部分2か所の計5か所。

今まで製作してきたポロシャツは2か所。プリント箇所が一気に倍以上になります。どこかひとつでも失敗したらハッピを再注文して作る必要があるので、始める前はどうなることか…と思っていました。

でも、どんぐりシルクスクリーンチームの石川寿光さんは言いました。

「いや!めっちゃやりがいありますよ!」

その言葉、どんなに頼もしかったことか!

 

ダンボールを切ったものをハッピに合わせ、プリント位置を確認します。

 

一枚の版にいくつものデザインが載っているでしょう?(こうやって版代を節約しているのです)
胸にプリントするあかうしはそれぞれ向いている方向が違うので、間違えないように一枚ずつプリントしていきます。

 

 

土佐町の大切な宝、土佐あかうし。

 

 

中山さんは、「すごくきれいにできてる。」と喜んでくれました。

その言葉を聞いてその場にいたみんなもとてもうれしそうでした。

目の前で人が喜んでくれることはとても励みになります。

 

このハッピは土佐町のイベントなどで使われます。
土佐町のFacebookでも紹介していただきました。

シルクスクリーンは、今まで誰かに頼んでいたことを、自分たちの手に取り戻すような感覚があります。

「とさちょうものがたり」でシルクスクリーンに取り組み始めた頃は、まさかこのハッピにつながるなんて想像さえしていませんでした。きっとこのハッピも、まだ私たちが知らない何かにつながっていくのだと思うととてもワクワクします。

自分たちの手でできること、自分たちで生み出せることは、意外と私たちの近くにあるのかもしれません。

 

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土佐町には「トキワ苑」という特別養護老人ホームがあります。

トキワ苑の職員さんの仕事着として、土佐町オリジナルポロシャツを購入していただきました。

その数62枚!

一箇所からこんなに多くの数を注文いただいたのは初めてのことでした。ありがとうございます!

 

  完成したトキワ苑さんのポロシャツたち。各部署で色を揃えたとのこと。(全12色が揃っています!) 

 

新しい作業場に移ってからの初めての仕事が、トキワ苑さんのポロシャツでした。
発注したポロシャツが山のように届いた時「こんなに!」とその数に驚きました。

どんぐりのシルクスクリーンチームはいつものように1枚1枚を丁寧にプリント、着実にその山は小さくなっていきました。

1枚、1枚を積み重ねていくと、62枚になるのです。

そんな当たり前のようなことにあらためて気づきました。

どんぐりのシルクスクリーンチームみんなで、完成したポロシャツをトキワ苑さんへ届けに行きました。

 

トキワ苑の古谷さんがお忙しい中、玄関まで馳けてきて「待ってましたよ〜!」と受け取ってくださいました。

 

シャツの上から、早速着てくださいました。

「どんぐりが作っているということで応援したかった。」と話してくださいました。

お気持ちがとってもうれしかったです。ありがとうございます。

 

お金と物の交換だけではない互いの顔が見えるようなやりとりを、私たちはとても大切なことだと考えています。

 

土佐町の人たちが、それぞれの場所で、このポロシャツを着ることを楽しんでくれたらとてもうれしいです。

 

 

*土佐町オリジナルポロシャツは7月31日(火)をもちまして受注を終了します。ご興味ある方はお早めにどうぞ!(注文はこちら
「とさちょうものがたり」と「どんぐり」は今、お祭りのハッピや11月に土佐町で行われる湖畔マラソンのTシャツなどの新たな制作を始めています。
こちらについても、またご報告したいと思います!

 

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土佐町ストーリーズ

ねむの花

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「いや~、百合子さん。そろそろだよ。」

これは、笹のいえの洋介さんとのある日の会話。

 

そうそう、洋介さん、私もそう思っていた。
6月、私たちはそわそわし始める。国道439号線を走りながら「あの木」のある去年の風景を思い出し、確かあの木がそうやったと見定める。

そこから毎日の観察が始まる。

あの木、緑の葉をあんなに茂らせている。
そろそろかもしれない…。

そんなことを思いながら同じ道を通る日々が何日が続く。

 

ある日、はっとする。

咲いてる!

 

今年も咲いた。小さな線香花火のような、桃色と白のふわっとした軽やかな花。
それは、ねむの花。

「ねむの花が咲いたら、大豆の蒔きどきだよ。」

 

土佐町で暮らし始めたばかりの頃、近所のおばあちゃんが教えてくれた。

ああ、大豆を蒔かなくては!大豆で味噌や麹を作るのだ。

 

その言葉を知ってから、この花の咲く頃はそわそわして仕方がない。
そして咲いている間、ずっと私は落ち着かない。(早く種をまけばいい話だが。)

 

この季節にそわそわしているのはきっと私や洋介さんだけではないはずで、私にその言葉を教えてくれたおばあちゃんも、あの人も、あの人も、きっとねむの木を見上げ、独り言をいっているに違いない。

「大豆を撒かなくては!」

 

カレンダーや手帳に書かれた予定ではなく、この地に育つ花や木が「この季節がやってきましたよ」とそっと耳元で内緒話をするように教えてくれる。

それはコンクリートの上からは聞こえてこない声。気づこうとしないと気づけない声。

それは大地からの手紙のようなものなのかもしれない。

 

この地で繰り返されてきた営みを支えるその声に耳を澄まし、心に置き直す。

さあ、大豆の種をまこう!

 

 

*大豆だけではなく、小豆など豆類の種はこの時期に蒔くと良いそうです。

 

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土佐町ストーリーズ

すももの季節

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どんぐりさんとの打ち合わせが終わって外へ出ると、ワイワイとなにやら人だかりができている。

「あ!ちょっとこっち来や!よかったら持っていきや~。」

こちらを振り向いた笑顔のその人が指差した先にあったのは、かごいっぱいのすもも!

なんて美しい色なんやろう!

 

さっき採ってきたばかりというだけあって、つやつや、ピカピカ紅色に光っている。

「うちで採れたもんやき、好きなだけ持っていきや!」

カゴの前にしゃがんですももを袋に詰め、立ち上がると「え?それだけでいいが?もっと持っていきや!」と、次々と何本もの手が袋にころころと入れてくれる。

すももの入った袋をそれぞれの人が手にしながらにこにこと笑い、みんなはまたおしゃべりを始めた。

 

 

土佐町の人たちはもしかしたら気づいていないかもしれない。

すももをカゴにいっぱい採って好きなだけ持っていきやと言えること、季節の食べ物が手の届くところにあるということ、この風景が日常であることが、どんなにゆたかであるか。

こういったやりとりに、私がどんなに励まされているか。

 

私たちの毎日の中には当たり前のようでいて実は当たり前ではないことが、あちらこちらにちりばめられている。

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山の手しごと

畦をつける その3

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「今日、みっちゃんが畦付けるらしいき。アラカシの坂らへんにみっちゃんくの田んぼがあるき、11時ごろ行ってみて!白い車がとまっちゅうき、わかると思う。」
土佐町社会福祉協議会の上田大さんから電話がかかって来ました。

大さんに「手で畦をつけている人、誰か知ってる?」と相談したら、美津子さんの娘さんへ連絡、娘さんを通じて美津子さんを紹介してくれたのです。

 

美津子さんはこの田んぼにいました。

 

川井美津子さん、77歳。お米や野菜を作り、あか牛も飼っています。ひ孫さんが11人いるそうです。

 

 

畦つけ機で畦をつけた後、機械が入らなかった部分は人が手で畦をつけます。

「田んぼを叩く時トラクターが入ってこなすでしょ、その時に同時に(畦に土を)あげるんです。上げとかんと水がもれるきね、こうして上げといて代掻きの前に仕上げをするんです。

すぐには全部仕上げができないのでね、ドロドロ柔らかいから、ある程度時間が経ってから。

昔はこれが当たり前やったけどね。今は楽になったのよね。

さ、仕上げ、やってみろうかね!」

 

美津子さんは平鍬をかついで田んぼに入っていきました。

 

 

なんという早技!
そして美しい!

 

「やっぱりね、違うでしょ!しっかりと水もれがなくなるわけよね。仕上げをしたら綺麗でもあるし。
昔の人はよく考えたもんやねえ!と思うてね!」

 

美津子さんは19歳の時に嫁いで来て、20歳から毎年毎年、この作業を続けて来たのだそうです。

 

「嫁いできて、田んぼのシーズンが来たらおじいちゃんおばあちゃんが元気やったき、教えてもらって。当たり前というか、こうせんことには田んぼができんきね。今は機械化されて楽になりましたわ。」

 

  あ!ごめんね!ちった!(泥がはねた!)

 

 

「若い時は畦を走ってやりよった!
ちゃっちゃっちゃー、たったったー、って。小走りでするばあにやりよった。

おじいちゃんが仕事師でね、仕事を早くせないかん、はかどらせないかん、そのことを叩き込まれてね。

自分でようせんかったことがだんだんと若い時でき出してね。嬉しかったがね!

やっぱりね、どう言ったらえいろ?
仕事がなんでも楽しくなるようにせないかん、って思ってね。いやいやと思ってやったら自分がしんどくなるきね。

作業は特に重労働やきね、自分の体を考えながら休みながら、楽しくできるようにやったら。
要領を覚えたらすごく、面白い!」

 

美津子さんが軽やかに、歌うように、畦を走る姿が見えるようでした。

 

 

「主人が30年前に亡くなったきね、私は今、お手伝い。畑で野菜を作って孫たちに配ったり、できることをする、ということでね。みんなに喜んでもらうのが一番嬉しいです。

長い間には辛いことも悲しいこともいっぱいあったけどね、でも、いつもそんなこと思ったら自分がしんどいきね、辛いきね、前向きに、楽しいことを見つめて。」

 

美津子さんはそう言って笑うのでした。

 

美津子さんは「仕事も大事やけど、趣味も大事!」と話してくれました。
詩吟、ダンス、カラオケを仲間の方たちと楽しんでいるそうです。

「仲間がね、同世代、同級生が3人おる。同年代同士が励ましあいながら、絶対できんと言いながら、頑張らないかんで!と励ましあいながら、やってたら知らず知らず体で覚えてくる。」

 

美津子さんに「お会いできてよかった!」と言うと、「あら〜、私も!」と言ってくださったのがうれしかったです。

 

 

畦は「田んぼの神さまが歩く道」なのだと聞きました。

畦をつけることは、ずっと昔から神さまが歩いて来た道と、これから足跡をつける道を結ぶ仕事。

田んぼの神さまはきっと、土佐町の人たちが汗をかいて作った道を歩き、稲の育ちを見守ってくれるんやないかなと思います。

 

・『畦をつける その1

・『畦をつける その2

美津子さんと出会えたのは、地域の人のことをよく知り、つないでくださっている土佐町社会福祉協議会の大さんや皆さんのおかげです。ありがとうございます!

 

 

 

 

 

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読んでほしい

ポロシャツ300枚!

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ポロシャツ300枚!

2018年土佐町オリジナルポロシャツ、制作・販売が300枚に達しました。

販売を開始する前は200枚を目標に置いていましたから、予想を大きく上回る結果になりました。

どんぐりを応援する町内外のみなさまの気持ちが、このような形となって現れたのだと思います。

注文してくださったみなさま、本当にありがとうございます!

 

町のいろいろな場所で、道ゆく人たちがポロシャツを着ている姿を見かけるようになりました。

思わず声をかけたくなります笑

 

                        

皆さんに注文をいただいてから、どんぐりの石川さん、高橋さん、川井さん、筒井さんが中心になって1枚1枚丁寧に制作してきました。
最初はインクの量が多かったり少なかったり、シャツにインクがついてしまったり色々なことがあったけれど、今思えばそんな失敗もとても大事なことでした。

今、どんぐりのシルクスクリーンチームは職人さんのようです。

 

 

そうそう、6月から作業場を引っ越ししました。

思い返せば役場前倉庫のこの作業場から、はじめの一歩を踏み出しました。

みんなテキパキ、せっせと荷物を軽トラに載せていきます。

え?そんなにあっさり?

ちょっとしんみりしていたのは私だけやったかもしれません笑。

 

新しい場所はこんなところです。

みんなで掃除をして、この場所にあったものも使わせていただいています。

 

窓が両側にあって、窓から見える緑の山と木々がとてもきれいで、気持ちの良い風が通ります。

これからちょっとずつ、もっと気持ちの良い場所にしていきたいと思います。

新しい作業場は土佐町役場のうしろにある建物の2階です。以前図書館やったのよ、とさっそく訪れてくれた近所の方が話してくれました。

 

このポロシャツを着る人が、ちょっと楽しく、ちょっとうれしい気持ちで、その日を過ごすことができたらいいなあと思っています。

 

そんな思いで、土佐町オリジナルポロシャツ、今日も制作しています。

 

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土佐町ストーリーズ

蛍の飛ぶ夜

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夕方に雨があがってむんむんする夜。

そんな夜は「蛍、探しに行こうよ。」とこどもたちが言う。

 

ホタルを探しに散歩に出かけた。

こどもたちが小さな懐中電灯で足元を照らす。

 

水の入った田んぼに、ピンク色のおぼろげなお月さまがゆらゆらと映る。
空を見上げると、お月さまは雲の隙間から現れたり、隠れたり。

すぐそばからも向こうの山の中からも、カエルの鳴き声がする。
腹の底から鳴いているような声、喉元で鳴いている声…。カエルの鳴き声にも色々ある。

小さな橋の下を流れる水の音、歩く自分の足音が聞こえる。
なぜこんなにもいろんな音たちが耳元に聞こえてくるのかなと思う。
夜はそんな時間なのかもしれない。

 

「あ、いたいた!」

 

雨でぬれた竹の葉の先に、ちかり、ちかり、と光る小さな灯り。
両手でその灯りを包んだ息子がそうっとそうっと、手の中をのぞき込む。

手のひらの上で黄緑色のひかりが何度か行ったり来たりして、指の先からふっと飛んでいく。

あたりをひとまわりして今度は息子のおなかにとまった。

 

ちかり。

ちかり。

ちかり。

 

「蛍は一週間しか生きられないんやって。」

そう言った息子のおなかから、ふわり。

顔をあげるとすぐそばの栗の木や、あっちにもこっちにも、山の中にぼんやりとしたあかりが灯っている。

 

「もう帰ろうか。」

「蛍さんおやすみー。」

そう言いながら、もと来た道を歩く。

 

 

玄関の明かりのまぶしさに目を細めた時、ふと気がついた。

こどもたちは「こんな日」に蛍が出ると知っている。

その感覚をいつのまにか身につけていたのだ。

 

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