鳥山百合子

土佐町ストーリーズ

きのこ雲の記憶

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澤田千恵野さん(昭和2年生まれ。91歳)に、戦争中のお話を伺いました。

 

まあけんどね、人生というものはね、いろいろありましたぞね。わたしたちの人生は。

18歳の時から2年間、挺身隊で、長崎の川棚(かわたな)海軍工廠へ行っとったが。

大川村から6名呼び出されて、6人一緒に行った。男の人は徴用で、女は挺身隊。

 

私は、魚雷よね、後方魚雷を組み立てたりね。魚雷のいろいろな部品を組み立てる。

その工場で組み立てて仕上がったものは、試験場で試験しよりました。

大きな建物の中からその航空魚雷を飛行機に積んでいって、落とすがですよね。

試験に行ったこともあります。

敵の軍艦を目指して落とすような兵器でした。

仕上げ工場の最後のはしの方で、航空魚雷の心臓部を私は受け持ってね。それが私の仕事。

航空魚雷の心臓部の「しんどき」という、人間でいうと心臓のところ。

 

原子爆弾も見たしね、この目で。

私がいたのは長崎の市内でなかったですけどね、長崎の原爆が落ちた時は、この目ではっきり見てね。

 

「空襲警報ーー!総員退避ーー!!」と言ってね、みんな防空壕に入ったの。

私がおった工場は海岸ぶちで、離れたところに防空壕があったき、防空壕へ入ることができなくって、原子爆弾が見えた。

 

まっ黄色い、黄色い、黄色い玉が一番はじめですわね、火の玉。

そして黄色からね、赤い、赤い火の玉になる。

それからきのこ雲、もくもくもく…。
音がしました。むろんね。

一瞬。
一瞬のこと。

 

 

空襲にもおうたぞね、毎日、ほんとね。

爆弾が落ちたところをあくる日に見に行ったりしました。すごい穴になってました。

あっちもこっちも、馬がいっぱい死んでました。馬がおりましたね、あの時。

川棚はちょっと山でしたきね、兵隊さんが馬を飼ってたんじゃないでしょうかね。

馬が何頭も爆弾の破片でやられてね。

 

(地元に)帰ってくるのは帰ってきたんですけど、原爆症ではないと思うけど、みんな年がいってほとんどの人たちが亡くなってね。残っているのは私ぐらい。

 

魚雷をつくっている時、もうそれこそ18歳、19歳くらいの娘ですきね、まだほんとね、こどものように思ったけどね。

いろいろあったんです。今考えてみたらね。

 

 

澤田千恵野 (高須)

 

 

 

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土佐町の人々

お山のお母さん 3

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計美さんのお家に行くと、すがすがしいような、晴れやかな気持ちになるのはなぜなんだろう。

それは多分、「1年間」という時間のなかにあるめぐりめぐっていく季節が計美さんの心の中に描かれていて、目の前のこと、少し先のこと、さらに先のやるべきことをいつも考えているからかもしれない。いってみればいつも目の前のことに真摯に向き合いながら、同時に未来も見ているのだ。

季節のしごとは、その季節のその時にしかできない。そのしごとを始める前の見通しと準備と心構えがとても重要だ。目の前のことだけをみているのでは、いつも遅れをとってしまう。
種をまく前には畑に畝を作っておかなければならないし、畝を作る前には草を刈ったり畑の土作りも必要。土に種をおろすための準備はずいぶん前から行わなければならない。
育てる作物の1年間の見通しを持ち、時にはお天気とにらめっこしながら、こつこつと着実に準備をしていくのだ。計美さんの頭の中には多分、1年間用、春夏秋冬用、ここ1ヶ月用、ここ1週間用などの「期間別段取り表」が描かれているにちがいない。

 

5年前に初めて出会ってから、計美さんの存在に何度も助けてもらってきた。
一緒にしごとをしながらたわいない話をするなかで、何だかもやもやしていた気持ちがいつのまにか晴れ、また違った目でものごとを見つめることができるようになったことは1回や2回じゃない。

12月のある日、麹づくりを手伝いに行った。

計美さんは昔ながらの麹づくりをしている。麹づくりでは温度管理が重要だ。
土佐町では、電気を使い自動で温度管理をする「麹室」と呼ばれる機械を各地域の集会所で持っているところも多い。その時期が来ると地域ごとにその機械で麹を作り味噌を作る。

計美さんは綿の布団とホットカーペット、ストーブで温度管理をする。自分の感覚と経験が頼り。機械に頼らないで「自分の感覚」を身につけたいとずっと思ってきたから、この日を楽しみにしていた。

 

かまどの焚き口には杉の枝が長いままくべられている。杉の木は豊喜さんが山から切ってきたものだ。

 

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、

ぱんっ、ぱんっ、

木がはぜる音がする。

お米を蒸している木のせいろからは湯気があがり続けていて、その周りだけ霧がたちこめているように見える。その間も計美さんはせっせと体を動かして、あっちの仕事、こっちの仕事をしている。

お米を蒸している間、お昼ごはんのおかずのぜんまいをごま油で炒めて味付けし、弱火でことこと炒め煮している。その間にかまどの火の様子を見に来たと思ったら、次はおもちつき機の手入れを始めた。それが終わったら次は白菜の漬物を作り始めた。計美さんのお漬物は絶品。私はこれだけでごはんを何杯でもおかわりできる。

そして時間をちらりと見て「次は何分後に蒸しあがるきね」と教えてくれる。
立ち止まったり、座ってぼんやりなんてしていない。

「鳥山さーん!ちょっと来て」と呼ばれて、かまどへ急ぐ。計美さんはせいろの蓋を開けて、湯気があがっているお米を手にのせて見せてくれた。

「お米が蒸しがった時は、人差し指と親指でこうやってお米がつぶれだした頃が目安なんよ。ひねりもちっていうんよ。」

 

手に取ると、お米一粒一粒がぴかぴかしていて、指と指の間でむちっとつぶれる。これが目安。心にその感覚を刻む。
計美さんは「ちょうどいい」感覚を私に伝えようとしてくれている。

以前から計美さんは、自分が身につけてきた技術と知恵を若い人に伝えたいと思っていると言っていた。今この瞬間がその時なんだと思うと、背筋がぴんと伸びるような気持ちがする。

 

「うん、そろそろえいね」。 

いよいよ蒸しあがりだ。

よいしょ!とかまどからせいろを持ち上げると、せいろの下のお湯から勢いよく湯気があがる。せいろはずっしりと重い。
友人がせいろを持ち上げて運び、私もそのあとに続いた。お米が通った廊下は、お米からあがる湯気でくもり、思わず深呼吸するくらいほかほかしたよい香りがする。

麹をつくる畳の部屋にはじゅうたんがひかれ、その上にビニールがぴんと一面にはられている。さらにその上に、計美さんが縫った麹づくり用の白い布を6畳の部屋いっぱいに広げ、せいろをゆっくり、そっと、置く。

そしてせいろを斜めにし、蒸したお米を慎重にひっくり返し、布の上におろす。

よいしょ!

その湯気で部屋中が一気に白くなる。

 

もわもわもわもわもわもわ…。

うっとりするくらいいい香り。

蒸し布にくっついているお米を、一粒ひとつぶ丁寧に取る。蒸しあがったお米からあがる湯気はもわんもわんとしていて、向かい合う計美さんの顔がぼんやりと見える。

ああ、こういう風景を私はずっと見たかったんだ。

 

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土佐町の人々

お山のお母さん 2

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計美さんは、とにかく朝から晩までフル回転で体を動かし、てきぱきと働く。そばで見ているだけでいそがしい。
忙しいという字は「心をうしなう」と書くけれど、計美さんのいそがしさはそのような忙しさではない。自分のやるべきことに愛情をもった「いそがしさ」。 

計美さんがどんな人なのかを伝えるには、まず、大根を間引きをする時の話をしたい。
大根の種をまき、芽が出てきて少し大きくなってきたら間引きをする。私は間引きが苦手だ。かわいそうな気がするし、これを間引いちゃったら大根にならないじゃないか、と思うともったいないと思ってしまう。だから躊躇してかなり遠慮気味に間引きをする。でも計美さんはちがう。
「え?そんなに間引いちゃうんですか?」と思わず聞いてしまうくらい、さっさっとどんどん間引く。計美さんが間引いた後は畑がすっきり見える。
「これくらいせんと大根が太らんきね。思い切りが必要!」と笑って計美さんは言う。その潔さがかっこいいし、気持ちがいい。

 

次は「季節の宅急便」の話を。
毎年のお中元やお歳暮の時期、計美さんは豊喜さんに「ちょうどいい大きさ」の段ボールをスーパーからたくさんもらってきてもらう。季節の品々いろいろと手紙を入れて送るために。
中に入れるものは送る人によって違っていて、切り干し大根、味噌、こんにゃく、おもち、干し芋、漬物、野菜がある時は野菜…など、全部計美さんがつくったもの。冬には水菜やほうれん草を入れたり、大根を育てていない人には大根を入れたり、送る本人に「何を入れてほしいか?」と聞いたりもするそうだ。
何人にも送るので、キャベツを箱に入れたと思ったのに入っていなかったとか、お礼の電話があって「この瓶に入っているものはなに?」と聞かれるけど「何人も送ったき、わからん。あけてみや!」と言ったりする、と笑いながら教えてくれた。ひとつひとつを新聞紙で包んで箱につめるから「何が入っちゅうか楽しみに開ける」という人もいるのだそうだ。

箱を開ける前の楽しみ。開けた時の驚き。中に入っている手紙を読む時間。そのあとの気持ちのやりとり。時間がたってからも心に思い浮かぶ思い出。

こんなにたくさんのよろこびを生み出す宅急便、他にあるだろうか。

「送った人からは、この山にないものを送ってもらうのよ、物々交換!」とたくましく笑う計美さんが私は大好きだ。本当にいきいきとそのことを話す計美さんの表情を見ていると、宅急便が届いて「わあ!」と歓声をあげている人たちの顔が見えるような気持ちがする。

「喜んでくれるからそれがうれしくて毎年送る。私の唯一の楽しみよ」

ずっと前から、そう思っているのだろうということはわかっていたはずだった。でもその言葉を聞いた時、そうだったのか、と初めてそのことを知ったような気持ちがした。計美さんが少し前かがみになりながら私のことをまっすぐ見ながら話す表情やその時の声の感じで、それが心からの言葉であることが実感として伝わってきた。計美さんはずっとずっとその思いで、大切な人たちに宅急便を送り続けてきたのだ。

そして次に手紙の話を。
お家に行ったあと、お礼の手紙を書くといつもお返事をくれる。ある日、計美さんから届いたはがきには、家の周りに咲き始めた紫陽花のことや私のこどもたちを気遣うことばが並び、文章の最後はこう結ばれていた。

「いつでもあがっていらっしゃい。お山のお母さんより」。

お山のお母さん。
この言葉がほんとうにうれしくて何度も何度も読み返した。

それからはこう思うようになった。「私にはお母さんがふたりいる」。
私を生んでくれたお母さんと、お山のお母さん。
そのはがきは私の大切な宝物。いつも手帳にはさんである。

 

 

最後にご主人の豊喜さんとのことを。
豊喜さんも働きもので、早朝から高知市内へ野菜の配達に行ったり、帰ってきたら田畑の手入れや機械の修理、木を切り出し、その木で大きな作業小屋まで作ってしまう。私は豊喜さんの笑顔が大好きで豊喜さんが笑ってくれると何だか嬉しくなってしまうのだが、それは計美さんも一緒のようで、笑いながら話している豊喜さんを好ましそうに見ている。そして絶妙なタイミングで計美さんが合いの手を入れて、みんなが笑顔になるのだ。

おふたりにはお子さんが4人いて、こどもたちが育ち盛りの時は豊喜さんは他の仕事もしながら、ずっと二人三脚で仕事も子育てもしてきたのだそうだ。二人で乗り越えてきただろうたくさんの苦労や、積み重ねてきたお互いへの信頼が豊喜さんと計美さんのやりとりからにじみでていて、それはきっとこれからも決して揺るがないのだろう。

計美さんと豊喜さんは、農業高校の学生や農業インターンの受け入れもしている。たくさんある仕事を手伝ってもらうためというよりも「若い人たちと話していると面白いし、自分たちの刺激になる」とおふたりは言う。いくつになっても人から学び続ける姿勢が本当に素敵だなと思う。

 

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土佐町の人々

お山のお母さん 1

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うっすらと霧がかった湿った空気の中、計美さんの家に向かうぬかるんだ道を歩いていくと道の脇にあるかや(すすき)の穂の先にちいさな水滴が光っていた。夜に雨が降ったのだ。

しばらく歩いていくと畑が見えてきた。りゅうきゅうの株に籾殻がかけられている。こうやって寒い冬の間は株を守り、来年の春、守られた株の間からりゅうきゅうは茎をのばす。

畑には大根を埋めた土の山もあり、その上に藁を傘のようにかぶせている。雨がしみこまないようにそうするのだ。一度抜いた大根をそのように土に埋めておくと、冬の間、大根がしびる(腐る)ことなく食べられる。

庭に置かれたドラム缶の上に、切り干し大根を乗せた干し網がいくつも置かれていた。干し柿も軒下にずらりと干されていて、雨に濡れないようにシートがかかっている。

全部、計美さんがしたしごと。

計美さんと初めて会ったのは5年前。
友人が「溜井(ぬるい)地区に行ったら、計美さんと豊喜さんに会いに行ったらいいよ」と紹介してくれたことがきっかけだった。

地図で調べてみると計美さんの家へつながる道は2つあった。地図にはこちらは「山道」、あちらは「舗装された道」なんてことは書かれていない。
いちばん初めに訪れた時、地図を見ながらなんとなく私が選んだ道は「山道」の方だった。その山道はうっそうと茂った杉林の向こうへとつながっていた。一本の細い山道をおそるおそる進んでいくと、道の途中に車一台渡れるか渡れないかという幅の小さな橋があり、その橋の向こうは急に上り坂になっていて先が見通せない。橋の下の川は昨日雨でも降ったのか、ごうごうと音を立てて水が流れていた。これ以上車では行けないと思ったが、戻ろうにも来た道をバックで戻る技術が私にはなかった。

前へ行くしかない。
ええい!と半ばやけくそでその橋を渡り、アクセルを思い切り踏んでじゃりじゃりした山道を一気に登り、カーブを曲がりきったところで急に視界が開け、ハウスが見えた。
よかった、建物があった!助かった!と思ったことを今でもよく覚えている。

地図の通り、そこが計美さんの家だった。
私はそれから一度もその山道を通っていない。

 

はじめて会った計美さんは、連絡もせずに突然来た私を温かく迎えてくれた。「溜井に行ったら計美さんに会ったらいいよ、と言われて来ました」と確か言ったと思う。そうかねそうかね、と笑って、ハウスで育てている野菜を見せてくれたり、計美さんが漬けたらっきょうや干しかをどっさりお土産に持たせてくれた。はじめて会ったのに構えることなく、嫌な顔をすることもなくにこやかに迎えてくれたことが本当にうれしく、計美さんの人柄に惹かれてそれからずっとお付き合いさせていただいている。

計美さんは「和田農園」という屋号のトマト農家であり、ご主人の豊喜さんと共にお米、野菜、加工品などを作っている。和田農園のトマトのような、あんなに甘くて「トマトの味」がぎゅっと詰まったトマトはそれまで食べたことがなかった。夏の食卓にトマトがあがると、こどもたちは「これは計美さんのトマトやね」とちゃんとわかる。

 

計美さんは「もしもし、計美ですー」とよく電話をかけてきてくれる。
「玉ねぎの苗、いるかえ?いるんやったらあがっておいで」。
「かぼちゃがあるけ、取りにあがっておいで。」
いつもその言葉に甘えて私は「あがっていく」。

 

計美さんのお家は標高600メートルのところにあって、車一台やっと通れるようなくねくねした山道をのぼっていく。道の途中で、山水が流れる上にかかる小さな橋をいくつか渡る。
春は田んぼの畔にゼンマイやワラビがたくさん生え、きんぽうげやれんげが咲く。
梅雨の時期には、緑一色だった山に水色や淡いピンク色の紫陽花がふわりと色を添える。
秋には棚田の黄金色の稲穂が風に揺れ、金色のじゅうたんが何枚も広がっているように見える。
冬は雪化粧した遠くの山々からほおを刺すような風が冷たい風が向かってくるけれど、その風が運んでくる空気はここにずっと立っていたいと思わせる。
計美さんの家へ向かう道のりは季節ごとの顔をのぞかせ、通るたびに美しいと思えることは素晴らしいことだと思う。

家のそばまで来ると見下ろすように棚田が広がり、そこには気持ちの良い風が吹いている。いつも腕を広げて深呼吸がしたくなるような場所。

計美さんの家にあがっていったら手伝いをする。
草ひきや野菜の袋詰め、6月に行うらっきょうのひげ根を取る作業は毎年の楽しみ。畑で収穫したらっきょうのひげ根を包丁で切り取り、山水で洗ってから塩漬けし、さらに甘酢で漬けるのだ。このらっきょう漬けが最高に美味しい。娘は「母さんが漬けたのよりも、計美さんのらっきょうの方がおいしい」と言う。ちょっと悔しいけれど、それは事実なので仕方ない。

 

午前中から手伝いに行った時は、計美さんが作ったお昼ごはんが待っている。
山菜炊き込み御飯、季節の野菜のかきあげ、ぜんまいの煮物、こんにゃくのおさしみ、漬物…。全て和田農園でつくっているものでできていて、とても美味しいからつい食べ過ぎてしまう。豊喜さんが入れてくれる食後のコーヒーも楽しみ。おなかも心もいっぱいになるのだ。

計美さんは季節の保存食づくりの名人でもあり、味噌、漬物、干し大根、東山(干し芋)、干したけのこ、山菜、干し柿、にんにく味噌、こんにゃく、ブルーベリージャム…作れるものは何でもつくる。そしてどれもこれも絶品。
春には太陽の下ぜんまいやたけのこを干し、夏にはハネのトマトで作ったトマトジュース、秋には干し柿がつるされ、冬には切り干し大根を乗せた網が並ぶ。
教えてほしいことを尋ねると計美さんはなんでも教えてくれるし、その時の庭先の風景も大きな学び。
計美さんのところへ行くたびに、この時期にはこのしごとをするんだよということを教えてもらってきた。

計美さんは私にとって、季節のしごとの師匠でもある。

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土佐町ストーリーズ

かくれんぼ

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子どもたちとかくれんぼをした。

じゃんけんですえっこが負けて鬼になった。さあ、どこへかくれよう?

 

「いーちー、にーい、しゃーん、しーい、ごーー・・・。」

遠くから数を数える声が聞こえ始める。

「もーいーかーーい?」。

 

 

私は薪ストーブのある部屋の窓を開けた。開けるとそこはもう外で、足元には薪棚がある。薪棚の上には割った竹を並べて屋根のようにしてあるからその上に乗れるのだ。

うん、ここがいい。

私はそこにそっと乗って、しゃがんで隠れた。ちょっとぎしぎしいっているけど、まあ大丈夫だろう。
窓を閉めると、すえっこの声は聞こえなくなった。

いい場所を見つけた。

 

きっとなかなか見つけられないだろうなと思いながらしゃがんでいると、風が吹いてきた。
思わず顔をあげると、目の前には今年の新しい葉をつけたイチョウの木が枝を揺らしていた。
鶏小屋の隣に植えたイチジクの木は、いつのまにか大きくなっていた葉がわさわさと揺れ、今年の実までつけていた。
目の前には雑草がぐんと伸びている。草刈りをしないといけない。

新緑の季節を迎え、半袖でもいい日が増えてきたなあと思ってはいたけれど、もうこんなに季節が移り変わっていたのか、としばらくぼんやりと目の前の風景を眺めていた。

すると遠くに見える山々の向こうから、むん、としたにおいが運ばれてきた。
あ、これはどんぐりの木の花のにおい。

土佐町のカフェ「かのん」のお父さんがこの前教えてくれた。この風のことを「薫風(くんぷう)」というんだよ、と。

「五月の風は季節のかおりを運んで来るんだ」。
その言葉はとても心に残っていた。

現実の世界と言葉が結びつくというのは、きっとこういうことをいうのだろう。

 

「どこにいるのーー?!」

すえっこの声が家の中から聞こえてきて我に返った。近くにいる。
そうやった、かくれんぼをしてたんやった。

そろそろ姿を現してあげようかなと、ドンドンドン!と外から窓をたたくと、「え?どこ?どこ?」と驚いている声がして笑ってしまう。

「え?ここ?こんなとこ?」と息子の声もする。
きっと長い間私が見つからないのを見て、一緒に探し始めたのだろう。ふたりが窓の方を見ている感じが伝わって来る。

私も外からガラス越しに中をのぞき込む。ふたりと目が合った。
ふたりの顔が何だか引きつっている。

ガラガラと窓を開けてあらためてふたりを見ると、ぱああっと笑顔になった。

「なんだ!母さんか!どっかのおっさんかと思ったよ!!」と息子。

窓ガラスの向こうに見えた私の顔は「おっさん」だったらしい。

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お母さんの台所

皿鉢料理 その3 なます

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土佐町ストーリーズ

レモンとさくらんぼとびわ

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「宅急便ですー。」

職場に小包が届いた。今まで職場に届いたことがなかったから、誰からやろう?と思いながら受け取った。
先日愛媛県に引越しをした友人からだった。

開けてみると、箱いっぱいのレモン!大きいのも小さいのもごろごろとたくさん。

わあ!これで何を作ろうか?
まずレモンピール。塩レモン。レモンチーズケーキもレモンのマフィンもいいな。
その場にいた友人たちにおすそ分けした。

 

しばらくすると、土佐町の友人から電話がかかってきた。「川田ストアにさくらんぼが届いているはずだから、寄って分けてもらってね。」
そのさくらんぼは、この前土佐町に来た山形県出身の人から送られてきたのだという。

今度はさくらんぼ!

 

川田ストアに行くとお母さんが、冷蔵庫からさくらんぼの箱を出してくれて分けてくれた。お礼にレモンをいくつかおすそ分け。

お母さんが言った。

「レモン!ちょうど買いに行こうかと思ってたところ。びわがたくさんあるから、ジャムを作ろうと思ってたの。」

びわのジャム!
私の家にも近所のおじいちゃんからいただいたびわがたくさんある。私もジャムを作ろう。

お母さんに作り方を聞いた。
「皮をむいて、中の種をとって、小さく切って、砂糖とレモンを入れる。」

 

夕ごはんの片付けの合間にジャムを作った。
レモンを半分に切って絞ると、本当にいい香り。

何度もくんくん鼻を近づけたら鼻にくっついちゃって、それからしばらくずっとレモンの香りが近くにあって何だかうれしかった。

 

ホーローの鍋にびわと砂糖とレモン汁を入れコトコト煮始めると甘ずっぱい香りでいっぱいに。

子どもたちが「いい匂いやね〜。ちょっと食べさせて」と味見。

ビンに4つ分できた。

近所のおじいちゃんにおすそ分けしよう。お友達にもあげよう。

 

なんだか全部つながっている。
めぐりめぐるおもしろさ。どの出来事も愛おしい。

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