笹のいえ

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休校になって 2

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前回、休校で家に居る子どもと過ごす時間を増やそうなどとちょっとカッコイイことを書いた。それが理想と考えるが、四六時中子どもと遊んでいるわけにもいかない。家事など最低限やっておかなければいけないことがたくさんあるし、田植えや夏野菜の準備もはじめたい。子どもとの時間と自分の時間とバランスをとって、とは思うけれど、現実はなかなか難しい。

町内に住む友人たちとのやりとりから、彼ら家族も同じような状況であるようだった。普段から一緒に遊んでいるメンバーだから、そうか、こんな状況でもいつもと同じように過ごしたらいいのだ。

「午前中はAちゃん家で遊ぼう」

「今日はB君家族とCちゃんがご飯を食べに来る」

お互いの家を訪れ、室内外で遊んで、ご飯を食べる。いつもの親しい友達と慣れた場所だから子どもたちも思いっきり遊べる。子どもを預けた親は、この時間を有効に使うことができる。受け入れる家の負担を少なくするため、一緒にご飯を食べるときは、おかずを持ち寄るなど工夫してる。遠慮せずに助け合える仲間や家族がいる有り難さが身に沁みる。いつもありがとう。

特に休校になってから、お泊まりする機会も増えた。誰かの家に遊びに行って、もっと遊びたいと気持ちが盛り上がり、そのまま泊まってしまうことも少なくない。今日はあの子の家、明日はこの子の家と泊まり渡ることもある。親同士も気心のしれた仲だから、安心して送り出せる。もちろん、うちにも泊まりに来ることもある。一緒に夕食を食べ、お風呂に入り、眠くなるまでトランプやかるたに興じるのは、子どもたちにとって良い経験になるだろうなあ、と自分の記憶を辿って懐かしい気持ちになる。

休校とはいえ(いや、だからこそ)、いそがしくも楽しい日々を過ごす子どもたちだ。

そんな中で、僕はちょっと混乱することがある。

朝一番に起きて、ストーブに火を点ける。湯を沸かし淹れた珈琲で、寝ぼけた頭を起こしながらふと考える。

「はて、今日うちにいるのは誰だっけ?」

毎日のように入れ替わる家族と子どもたちに頭がついていかないのだった。

 

 

休校になって

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休校になって

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政府からの新型肺炎感染拡大防止対策の要請を受け、僕らの住む土佐町では三月四日から小中学校が休校となった。

四人兄弟のうち、小学生のふたりは突然はじまったお休みを喜んだ。保育園は通常通りに開いているが、「ねぇね(姉)とにぃに(兄)が家にいるから、オレ保育園行かない」と次男。果たして、早めの春休みがスタートすることになった。

最初の数日、子どもたちは家で楽しそうに遊んでいたが、そのうち飽きてしまう。出掛けようにも、地域の施設やイベントは閉まったり中止となり、行ける場所が限られている。奥さんも僕も基本的に家で仕事なり作業なりしているので、子どもの相手はできるが、その分自分のやらなければいけないことが後回しになる。これでは子どもも大人もストレスがじわじわと溜まっていく。

予定よりも遅れていく春先の作業に悶々としていた僕。膝の上で次女をあやしながら、心はここにあらず、どうやって計画通りに事を運ばぼうかと頭を捻っていた。ふと娘と目が合い、彼女が笑った。頭の中で忙しく考えていた意識が引き戻され、四月で二歳になる彼女の重さを肌で感じ、大きくなったなあと思う。そして、そうか、こんな時間はこれからもずっとあるわけではないのだ、という気持ちが湧いてくる。自分のことは、日にひとつかふたつできたら上等、できなくてもまあ明日考えよう。

農作業が間に合わなくても、作業が予定通りいかなくても、状況に応じて組み立て直せばいい。季節が巡ればまた種は蒔ける。でも今の彼らと付き合えるのは今しかない。現状に抵抗をせず、いまできることを楽しもう。笑おう。きっと免疫力も上がるだろう。

特別なことをするわけではない。一緒に畑の野菜を収穫して料理したり、近くの川や山で遊んだり。これまでもしてきたことだ。けど、どちらかと言うと、奥さんに任せていた「子どもとの時間」に僕も加わって、この事態を乗り越えてしまおう。

世界が一日も早く落ち着いて、安心して学校に通える日常が戻りますように。

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ウエス

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ウエスなるものをご存知ですか?

小さくなってしまった子供服、穴の空いた靴下、洗っても汚れの落ちなくなった作業着や布おむつなど。これらは普通捨てられてしまうが、その前にリユースしてもう一度役立てようという、貧乏臭い、もとい、もったいない精神から生まれたアイデアだ。うちではこれらをハサミで適当な大きさに切っておいて、いろんな場面で活用している。

上下水道のない我が家では、お皿に残ったソースなどの汚れを洗い流してしまうと排水管を詰まらせたり、川や土壌を汚す原因になる。ウエスでさっと拭くだけで、汚れのほとんどを取り去ることができる(一番大切なのは食べ残しをしないことだけど)。

肌が敏感な人が鼻をかむときティッシュを多用すると、鼻の周りが擦れて赤くなってしまうことがある。そんなときは、柔らかめのウエスを代用するといい。

本棚などの上に溜まった埃や台所周りの油汚れの掃除にもウエスを使う。真っ黒になったウエスは洗う必要もなく、そのままゴミ箱にポイする。

ティッシュや雑巾の代わりになり、汚れたら捨てる手軽さがいい。もともと処分する服や布だから、罪悪感なく気楽に使える。

ウエスを切るのは奥さん担当。冒頭の理由から使わなくなった布類は、「ウエス用」としてストックされ、時間のあるときに切っておく。しかし供給量より消費量多い日々が続くと、ウエスが足りなくなる。そんなとき奥さんは目を光らせて、僕ら家族の着ている服をチェックする。もう古いから、少し穴が空いたから、とウエスになってしまうことがある。奥さんは切る前に持ち主に確認をしてくれる。が、たまに忘れることがあって、以前鼻をかんだウエスが、実は僕のお気に入りの服だったことがあって、ちょっと悲しかった思い出がある。

何かと便利なウエスを使い出すと、ティッシュを使う機会が減ってくる。うちの物置部屋には景品などでいただいたボックスティッシュが使われず、そのままになってる。

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僕のベッド

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長男に頼まれていたベッドを作った。

友人宅に泊まりに行ったとき、そこの家の子が使っているベッドに一目惚れしたらしい。それは、縁側の長押(なげし)を利用して板を渡し、布団が敷いてあった。いつも猫が気持ち良さそうに寝ていた。小さな空間は「わたしだけの場所」という感じで、いかにも子どもが好きそうだった。「うちにもあれ作って」と息子に言われたとき、これは父ちゃんの腕の見せ所と「よしやったるか!」と約束した。しかし、家に帰ってくると毎日の暮らしで、無くとも困らないベッド作りの優先順位は低く、気になりつつも時間が過ぎて行った。最初は毎日のように「ベッド作ろうよー」と言っていた長男も、そんなことはもう忘れてしまったかのようだった。このままではずっと作らなくなってしまう、約束をしたのにそれはいかんな、と時間を見つけては寸法を計ったり、材を切ったりして少しずつ作業を進めていった。

部屋の天井下についに完成したベッド(というより、寝床という言葉が似合う)は、忍者の隠し部屋のような、ドラえもんが寝る押入れのような感じになった。廃材を使って作ったので、板の厚さがまちまちだったり、見た目ボロかったりするが、気づいてないようなので触れないことにしよう。一畳程度の広さで、寝ている間に落ちないようにつっかえ棒を取り付けた。子どもたちに見せると、早速梯子を上って、遊びはじめた。畳に座布団を重ねクッションにして、ベッドから飛び降りるという、本来の目的とは違った使われ方だったが、楽しそうなのでまあいいか。

そのうち、息子は布団を敷き、好きなおもちゃを運び入れ、着々と自分の寝室化させていった。そして、ある晩「ボク、ベッドで寝るから」と宣言し、その日からベッドにひとりで寝るようになった。これまでずっと家族一緒に寝ていたから、寂しくなってすぐ戻ってくるだろう。高を括っていた僕の予想を裏切って、今のところ、問題なく毎晩ぐっすりと寝てる。

寝相の悪い彼がいない分、家族の布団は広々してる。僕らの寝床を巣立った息子に頼もしさを感じつつ、僕の胸にはなんとも言えない寂しさが残るのだった。

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軒先に掛かるもの

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うちの軒先にはいろんなものが干される。

日替わりで掛かるのは洗濯物だが、季節によって変化する干物(ほしもの)がある。
特に雨が少なく、空気が乾燥する晩秋から冬の間は、天日干しのベストシーズンだ。

11月。大豆を株ごと収穫してきて、ある程度まとめてから竹竿に吊るす。乾燥してくると、さやがパチパチと音を立て、丸々とした大豆が弾け出る。足元に転がる豆を見て、そろそろだなと脱穀作業をはじめる。

雨の降った次の日、立て掛けてある原木から顔を出す椎茸。
採りたてを調理してももちろん美味しいが、乾燥させたら旨みがギュッとなって、驚くほど美味しくなる。天日である程度乾燥させてから、薪ストーブの近くで仕上げする。どんこは保存が効くし、出汁としても欠かせない食材。食卓には一年中無くてはならない存在だ。

干柿は子どもたちのおやつや料理の甘みとして大活躍する。冷たく乾燥した冬の風にさらして柿を美味しくするのだが、今冬は例年に比べて暖かい日が多く、待てど暮らせど寒くならずに難儀した。気温や湿度が高いと吊るした柿にカビが来たり、虫がたかったりして、傷んでしまう。かと言って、いつまでも木に生らせておくと、鳥や獣たちに食べられたり、実が熟れすぎて干し柿には不向きだ。ギリギリまで待って、少し寒くなってきた時期にそれっと収穫し、皮を剥いて干した。
その後しばらく寒い日が続き美味しい干柿まであと少し、というところで、また暖かくなってしまった。結局途中で干すのを断念し、冷凍庫に保存した。

大根が大量にあるときは、自家製沢庵を作る。二本ひと組になるように葉っぱを縛って、軒先に干す。適度に水分が抜けて全体がしんなりとしてきたら、樽に並べる。塩とぬかを入れ、重石をして、一二ヶ月待つのが一般的な作り方。うちの場合は、自家製の柿酢と砂糖を追加して、「なんちゃってたくあん」にする。これなら一日二日で水が上がり、食べられる。

木で柚子が黄色く熟すころ、収穫したものを使って「ゆべし」を作る。
ゆべしと聞くとクルミなどを使った餅菓子をイメージする方が多いが、うちで作るのは別のもの。
柚子の中身を取り出し、味噌とナッツや胡麻などを混ぜたものを詰めて蒸し、冷めたら和紙などで包んで干す(写真)。二週間後くらいから食べられ、最初は柔らかく柚子の香りもフレッシュな味わいが楽しめる。数ヶ月経つとさらに水分が抜け滋味深い風味になる。スライスすれば、ご飯や日本酒と良く合う珍味だ。

それから、茹でた(蒸した)サツマイモを薄く切って乾燥させた、ほしかも作りたい。寒い間にあれも干したい、これも軒先に、と欲が出る。

今シーズンは、いつ冬が来たの?というくらい暖かい日が続き、そのまま春が来たという印象だ。例年なら一番寒さの厳しい2月になっても気温が高く、過ごしやすい日が多い。それはそれでとてもありがたいことだが、寒い季節には寒いからこそ美味しくなるもの、うまくいくことがある。

 

*子嶺麻流「なんちゃってたくあん」作り方

今日の保存食

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水が止まる

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醤油搾り旅最終日の朝、家で留守番中の奥さんから、僕の携帯にメッセージが届いた。

「水が止まってる」

止まっているのは、母屋横にある、オーバーフローした水が流れ込む水槽のホースから出る水だ。そのホースの元には山水を貯める水瓶がある。蛇口からまだ水は出る。しかし、いま水瓶にどのくらい水が残っているのか分からないし、止まっている原因も不明。水瓶は水圧をあげるために少し高いところにあり、ちょっとした崖を登らないといけないので、行き慣れてない奥さんが確認に行くのは難しい。僕は今日中に家に帰るから、それまでなるべく節水をしてと返信した。

帰宅するのは夜になるから、チェックするのは翌日だ。いつ水瓶の水を使い切るか分からないので、今晩お風呂は無し、朝の洗濯もスキップ。いつもは水を流しっぱなしの食器洗いもタライに溜め水をしながらとなる。水が止まると、暮らしも止まるんだな。当たり前のことを再確認する。

家までの帰り道、車を運転しながら、頭の中で原因を考える。

確かにここ数日は雨が少なくて、沢からの水量が少なくなっていた。水圧が足りず水が止まったのだろうか?落ち葉が溜まって取水口が詰まってしまったか?それとも全く別の理由だろうか。

原因が特定できなければ、解決まで水が使えない状態となる。水が無ければ生活できない。きっと大丈夫だろう、いやもしかしたら、もうここには住めなくなるのかも。と楽観と心配が頭を行ったり来たりする。

翌朝。数日間留守だったために、やらねばいけないこともいくつかあったが、まずは水を取り戻すのが最優先事項だ。

オーバーフロー用のホースからは、やっぱり水が出ていない。普段絶え間なく聞こえる水音が無いと、不安な気持ちになる。崖を登り、水瓶の屋根をどかして見ると、中にはまだ半分くらい水があった。

山に入るいつもの服に着替えて、ホース沿いに歩き出す。

ホースは、隣を流れる沢に沿って上流の取水口まで繋がっている。何度も行き来しているのでなんとなく道ができているが、獣道に毛の生えた程度で、考え事をしていると道を外れてしまうこともある。枝をかき分けながら、滑ったり転んだりしないよう、注意して歩く。

原因は、途中のホースが外れているだけだった。水が流れる振動で外れてしまったのかもしれない。ホースをしっかり繋げると、水の勢いは小さかったが、いつも通り、水瓶に水が注がれるようになった。水瓶がいっぱいになると、溢れた水が下の水槽も満たしていった。

さあ陽のあるうちに、と急いで洗濯をはじめ、溜まっていた食器などを洗った。

今回は僕の不在の時に起こったので不安が大きかったが、大雨の後などは取水口に落ち葉が詰まったりして水が止まることはよくある。その度に山に入るが、実際に行ってみないと原因が分からない。今回も大したことないだろうと思いつつ、例えば崖が崩れて沢が埋まってしまったなど自分で解決できないアクシデントが起こったらもうお手上げだろうな、と心のどこかで覚悟してる。

 

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茅刈り

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先日、ススキ刈りに出掛けた。

ススキが屋根を葺く資材になったり、積んで醗酵させると良い肥料になると言うことは以前から知っていたけれど、わざわざ集めて利用するところまで考えることはなかった。しかし以前左官屋のケンちゃんと稲藁で葺いた小さな屋根が予想よりも早く傷んでしまったため、今度はより耐久性のあるススキを使おうとなった。夏の間ぐんぐん背を伸ばし、冬に立ち枯れするこの植物を刈り取るのにちょうど良い季節だ。

その昔、ススキをまとめて生やしておく「茅場(かやば)」という場所が、どの地域にもあったらしいが、近年見かけることは少なくなった。今ではススキなどイネ科の茅は、田畑の法面や道の横などにあちらこちらに生えているが、刈払機で刈られ、利用されることはほとんどない。放っておくと背が高くなって処理しにくく、どちらかと言うと邪魔者なイメージだ。

刈って持って帰っても文句言う人はいないだろうが、人様の土地に勝手に入るわけにもいかないので、あらかじめ地主の方に確認して了解を得た場所に行った。

柄の長い鎌を手に田んぼの斜面を一歩ずつ足元を確かめながら、ススキが密集している場所を目指す。根元から刈ると、ざくざくという音が気持ちいい。鎌の届く範囲を刈りながら腕の中でまとめ、また次の場所に移動する。

ちょうど遊びに来ていた友人の手も借りて、一日ススキを刈っては束にしていった。

集めたススキを縛り直して、長さを揃えるために株元を地面へ叩く度、穂についた綿毛がふわりと舞う。午後三時、空には雲ひとつなく暖かい春のような陽気だったが、僕たちとススキの長く伸びた影が、冬を感じさせていた。

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息子と旅に出る

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前シーズンの搾りでは長女を連れて行ったので、今回は長男に声を掛けた。一度誘ったときは、その期間中に友達の誕生日会があるので「行かない」宣言したが、なんとその友達が彼のために日程を変更してくれたので、めでたく同行することになった(ナナちゃん、ありがとう!)。

子どもを連れて行くのは、普段の生活とは違う経験をしてほしいからだ。自分たちとは異なる暮らしをする人たちと出会い、交流し、遊び、食べ、寝る。それらのイベントを通して、「この世には、いろんな人が生きている」ということを彼らの世界観に加えてもらえたらと思っている。今回は土日を含めて五日間の旅だったので、学校は三日休んだ。

片道10時間、狭い軽トラの車中でどう時間を過ごすかと少し心配していたが、彼が持ち込んだナゾナゾ本の問題を解いたり、サービスエリアのお土産コーナーを回ったりした。トキさん宅では、11歳の末っ子娘さんとよく遊んでいた。ボール遊びをしたり、駆け回ったり、料理したり。ときおりお兄さんたちにも相手してもらったりして、終始嬉しそうにしていた。

後から聞いたのだが、あるとき息子が、ホームスクーリングしている末っ子さんに、「学校行かなくて、(勉強が)溜まらないの?」と尋ねた。聞かれた彼女の方はキョトンとしていたらしい。きっとお互いの頭の中はハテナでいっぱいだっただろう。息子が新しい価値観に触れた貴重な会話だったに違いない。

当初、別の場所で行われる搾りにも一緒に付いていく予定だったが、ここでの時間がよっぽど楽しかったのか、彼はトキさんの家に残ると決めた。夜はひとりで寝たらしい。家では家族で寝ているので、そんなこともできるのかと嬉しい驚きだった。

自分の家では他の兄弟がいるので、二人きりでじっくり時間を過ごすことはなかなかないが、旅の間、二人で風呂に入ったり、道中普段食べないものを食べてみたり、彼が考えていること、僕が思っていることなど話をした。往復20時間の移動時間は、あっという間だった。

 

写真:滞在先の敷地内で醤油を搾った。大きな羽釜でお湯を沸かし、醪(もろみ)を溶かしたり、洗い物に使う。また、搾った醤油の不純物を取り除くために火入れをするのもかまどで行う。ここは山間なのに空が広く、この時期少し冷たいが、気持ちの良い風が吹く。

 

この旅の目的はこちら↓

醤油搾り

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帰省旅

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記事の順番の都合でご挨拶が遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
年が明けても相変わらずの拙い文章と写真ではありますが、今年もぽつぽつ更新していきたいと思いますので、お付き合い頂ければ幸いです。

昨年末も家族で帰省した。
この機会でないと会えない人たちがいるので、事前にある程度行動スケジュールを決めておく。あちらこちらに顔を出そうとすると、慌ただしい日程となる。話し逃し、聞き逃しがないように、最近は「この人に会ったらこの話をしよう」「あの人にこれを聞きたい」とスマホにメモを残している。メールやメッセージ経由より、直接顔を見て話をした方が良い話題があるからだ。

奥さんと僕の実家には必ず行くようにしてる。

奥さんの実家は千葉県いすみ市にあり、ブラウンズフィールドという、知る人ぞ知るオーガニックスペースだ。敷地内に古民家と田畑とカフェと宿泊施設があり、週末ごとにイベントが開催されるようなオープンな場所だ。周辺はいわゆる里山で、人の手入れが行き届いた自然が心地よい環境だ。さらに、東京へも近いので、都会と田舎の良いところがバランス良く取り入れられている。
立ち上げから15年以上を経て、「ブラウンズフィールド流」とも言えるライフスタイルに共感する人たちが増え、さらなるコミュニティをつくりだし、地域の魅力のひとつとなっている。訪れたことがきっかけで、移住してくる人もいると聞く。ここ過ごした数年間の経験が、いまの僕らの暮らしのベースとなっている。

僕の実家は都内で(といっても、すぐ隣は埼玉県という立地だけど)しがない飲食業を営んでいて、帰省のタイミングで店舗の大掃除の一部を手伝っている。親にとって息子は何歳になっても息子らしい、掃除が終わると、おこずかいをもらえる。この歳で気恥ずかしくもあるのだが、お年玉だと思って有り難く頂戴している。両親は近所の公園に子どもたちを連れて行くのが楽しみだが、彼らの体力についていけるワケもなく、はしゃいで帰ってくる孫と後ろからとぼとぼ歩いているじいじとばあばの姿が対照的で、そんな光景もあと何回見られるのかと胸がザワザワしたりする。

移動が多く慌ただしい帰省旅だが、子どもたちはいつもと違う環境を楽しんでいる様子。
彼らに「君たちの家はどこだろう?」と尋ねると、笹のいえとブラウンズフィールドとメンメンのお店(僕の実家はラーメン屋なのです)と、と指を折る。ばあばとじいじが住んでいる家は、自分たちの家でもあるという認識は面白い。これも僕らを毎回温かく迎えてくれる人たちのお陰だ。

帰省中、笹のいえを留守にするので、地域の年末夜警への参加や新年の挨拶などできないことも多い。旅に掛かる時間やコストも気になるところだが、子どもたちが年に一度のこの家族旅に付いてきてくれるうちは、なんとかやりくりしようと思う。

毎年留守番をお願いしている、T一家にも大感謝!

 

写真:元旦に初詣をする神社に続く石段。去年まで抱っこだった次男が、今年は自力で階段を登り切った。

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笹のいえ

醤油搾り

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季節は冬本番。今シーズンも長野県に住む搾り師・トキさん宅にお邪魔して、自分の醤油を搾りに行ってきた。

軽トラの荷台に醪や樽などの道具、お土産などを積み込んで、信州方面に向け出発。前回から約10ヶ月ぶり、今回はどんな醤油が搾れるだろう、向こうの天気はどうかな、搾り作業の流れを覚えているかな、などと道中考えながら運転、休み休みしながら10時間ほど掛けて到着した。

トキさんとその家族は、相変わらず元気に暮らしていた。手づくりのかまどが新調されていたり、五右衛門風呂小屋が完成していたりと、変化もあった。農を暮らしの中心とした彼らの暮らしは学びが多く、毎回行くのを楽しみにしている。お互いの近況を報告しつつ、翌日の搾りの打ち合わせをする。

出来上がった醪は、年ごと、場所ごとに様子が異なる。その状態を読み取り、美味しさを可能な限り引き出し、保存性も高く保つには、熟練した技術と知識や想像力が欠かせない。醪に加える水の量を加減し、何度も味見をしてから搾りはじめる。櫂(ふね)と呼ばれる搾り器から出てきた醤油に濃度を測るボーメ計を浮かべて数値を確認、稀ではあるが、必要な場合は塩を足す。僕ひとりの判断では難しい場面もあったが、要所要所で彼に的確なアドバイスしてもらって、搾りを進めた。

ひと樽搾るのに半日以上掛かり、その間はずっと集中。作業が終了すると、緊張が切れるのか、ドッと疲れる。多いときは日に三回搾るというから、搾り師はいやはや大変な職業だと実感する。

どんな醤油になるかと心配したが、トキさんから「うん、美味しくできたね」と言ってもらってホッとした。

数日間の滞在の間に、他グループの搾りを見せていただいたり、子育てや暮らしのことなど話ししたりして、良い時間を過ごすことができた。一緒に連れてきた長男も、一家に温かく迎えられて、いろんな経験をしたようだった。冬は搾りのシーズンで忙しい時期なのに、毎年日程を空けてくれる井上さんとその家族に感謝。

最終日、今度は搾りたての醤油とその搾りかすを載せて、高知方面に向かってコトコトと車を走らせた。

 

写真:お湯で溶いた醪を袋に入れ、圧を掛けると、搾り器の口から醤油が出てくる。火入れする前の生醤油だ。周りに醤油の良い匂いが漂う。

 

醤油と暮らし

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