賀恒(よしつね)さんは、高峯神社の守り人。職業という意味ではなく、地元に住む人として自然なこととして、長年のこと高峯神社のお世話を続けている。
参道の整備や神祭の運営など、賀恒さんのお仕事は多岐に渡る。代々の守り人のこうした努力によって、高峯神社のような場所が現代のこの時まで引き継がれている。
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土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)
注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。
“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。
念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。
土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。 (敬称略・撮れたときに不定期更新)
今回は和田さんファミリー。お兄ちゃんの澪くんは、昨秋絵描きの下田昌克さんが土佐町を訪れた際に、みつば保育園で絵を描いてもらいました。
あれから半年、背もだいぶ大きくなってこの春からは小学生です。
下田さんとのことはよく覚えているそうで、また再会するのが楽しみです。
今回は、田井に住む石川さんファミリー。
撮影場所は高峯神社のてっぺんです。
ある晴れた日の午後、登山道のような高峯神社の山道を一家でヨイショヨイショと登ったところで撮ったのがこの一枚。
ポストカードにはお兄ちゃんふたりの駆け回る後ろ姿が写っていますが、その後ろで見守っているこの3人もいてくれて初めて撮れた写真です。
地蔵寺の筒井さんご夫妻。
川沿いの日当たりの良いお家に住む、とても穏やかで仲の良いご夫婦です。
夫の政利さんは、15才で志願して海軍の海兵となり、軍艦の乗組員でした。
3度目の航海。フィリピン沖で米軍の爆撃を受け、負傷し意識を失い、気がついたらマニラの病院のベッドに横たわっていたそうです。
右頬に重傷を受け、命からがら日本に搬送された後も長い入院生活。
高知に帰ってきても手術を繰り返し、なにかとご苦労が絶えなかったそうです。すれ違いざまに顔の傷を笑われたこともあったとか。
この撮影の日は、春の訪れを告げるようなぽかぽかと暖かい日差し。
おやつにミカン、まんじゅう、熱いお茶。夫婦仲良く2ショット。
あのとき軍艦の甲板で燃えさかる爆撃に怯えていた少年に、今日のこの穏やかな日常を伝えてあげたくなりました。
西峯千枝さんは、とさちょうものがたりの新連載「ほのぼのと」でも素敵な文章を書いてくれました。
「ほのぼのと」、同世代の女性5人がリレーで書いているエッセイです。その時代にこの土佐町で生まれ育った人にしか書けないような話ばかり。千枝さんのお話に限らず、こういったこの町ならではのストーリーを、ゆっくり丁寧に残していくことが大切だと考えています。