台風のたびに、一つの風景を思い出す。
猛烈な風が吹く山村の家の門か庭で、一本の竹竿が立てられていた。その竿の先に結び付けられているのは鎌である。
私の子どもの頃は、今のように観測技術が進んでいない時代だから、風と雨が強くなって「時化じゃ」と慌てて、防衛に走り回ったものであった。
色んな対策の中で、鮮明に覚えていることが一つ。鎌を結びつけた竹竿が門先に立てられたことである。
父は出征で居なかったので、祖父が立てたり、叔父が立てたりした。叔父は分家して近くに居たので、主に叔父が立てた。
どうしてこんなことをするのだろう、ということは、民話的な発想から子ども心にも推察できた。台風の風を切り裂いて、やっつけようということだろうと。
叔父に聞くと、
「放っちょいたら風が大悪さをするきに、鎌で切り刻んでやって、弱らそうとするがよね。いつ頃からこんなことをしよるか知らんが」
という答えであった。やっぱりそうか、と思った。
山の村の台風は、山を真っ白にする。
木の葉の多くが裏を返して、白い塊となる。それが風の通過と共に、山を走り過ぎる。
それと共に、雨が何本もの柱となって、連なって吹き流されてゆく。
この雨の柱を「槍担ぎ(やりかたぎ)」と呼んでいた。たしかに槍を担いだ兵の集団が、無数に駆けているようであった。
そんな中で、鎌を付けた竹竿は滅茶苦茶に揺れた。鎌は踊り狂うようにして、風を切りまくっているようだと子ども心に思った。
しかし、竹竿が折れることもあった。そんな時は叔父を手伝って、強風によろめき、ずぶ濡れになって、竿を立て替えた。
時には雷を伴っていたこともあった。そんな中での作業だった。
今思うと、雷鳴と稲光りの中でずぶ濡れで動いていたことは、ぞっとするほどの無謀な行為である。しかし叔父も怖がる様子はなく、必死に竿を立て替えた。鎌が風を切り裂くように、雷をも切ってくれると見ていたのかもしれない。
あとでは、「よく雷に打たれざったよ」と、叔父と話したことだった。
鎌を立てる風習は時代と共に減り、いつのまにか消えた。
しかし今でも、山の家の門先で、台風を切り裂く鎌が立っていたことは、よく似合う風景だったという思いが残っている。