『 道 』
鈴木 愛音
初めて歩く道。そっと、遠慮するかのように踏みしめたアスファルト。 前も、左も、右も、後ろも、見えるのは迫ってきそうな大きな山だけ。果てしなく続く一本道を、私はとぼとぼ歩いた。いつまでも目的地にたどり着かず、不安は小さな私を押し潰そうとしていた。そんな時、私の目的地が 現れた。私の新しい学校。
これが、私の転校初日の記憶。私はアメリカのニューヨークから高知県の山間部へ移住してきた。日本はどんな所がいい?とたずねられると、私は一人で学校へ通えること、と言う。 アメリカでは毎朝、地下鉄で通学していた。必ず、両親のどちらかと一緒に。それに対して私は不満を持ったことがなかった。素直に従っていたというより、それが当たり前だったのだ。そんな私は、日本で一人で学校へ通う楽しさを知った。
同じ通学路の友達と競争して学校へ行ったり、ジャンケンで交互にランドセルを背負ったり、石を蹴って家の近くまで連れて帰ったり、自分を追い越すバスを追いかけたり、通学路の木々をさわったり、梅雨の時期に雨で靴も靴下もぬらしてしまったり、下校途中に友達とけんかして別の道で帰ったり、積もった雪をすくってランドセルにぶつけ合ったり、放課がはやい時は途中で帰る約束をしたり、背後でいきなり鳴らされる自転車のベルにおどろいたり、五時のベルになぜだか疲れたり。私の初めての体験や、今も鮮やかに残る記憶はこの一本道の通学路が中心になっているし、この町での暮らしのスタートラインがこの一本道の通学路である。
私の住む町は自然が豊かだ。山や川がありアメリカでは絶対感じることのないのどかさを毎日感じている。時間の流れ方がこの町の川のように ゆったり、おだやかである。この町での暮らしは不変で、通学路は永遠に続くように感じられる。
通学路を歩く時はつまらないと思っていても、今その瞬間を振り返ればそれが幸せな時間だったと確信できるのは不思議だ。日常が幸せだということに気づけたのは何回も何回も同じ道を繰り返して歩き、だんだん周りが見られるようになったからだと思う。周りは山しかない。それが私にとって普通になる前はビルがあるのが当たり前だったと思い出したのだ。そのことに気づいた時から、私は本当に通学路の一本道を好きになった。
中学校に入り私は自転車通学になった。小学生の時は三十分かけて歩いていたのが自転車により十分弱で通えるようになった。初めはそれが楽で嬉しいと喜んでいた。しかし、だんだん通学時間が短くなったことがつまらないと感じるようになった。しかし、部活帰りに風に当たりながら帰れること、休日は部活後にそのまま川に行って遊ぶことなど新しい思い出ができたことも事実だ。やはり通学路は変わらず大切な思い出をつくってくれるんだなと思うと嬉しくなる。私にとって通学路の一本道は新しいものを与えてくれ、変わらない幸せをもたらしてくれるものだ。
初めてこの通学路を歩いた小さな私は、この一本道が自分の中で大きな存在になると思っていなかっただろう。ただの一本道がこれほど大切になったのはこの町に住めたからであって、アメリカでは知ることのなかったこともこの道を通してたくさん学べた。同じ通学路で学校へ通う友達がこの道の良さを知っているかどうか分からない。この道の良さが分からず「ただの道」であったなら、それはとても悲しいことだと思う。「ただの「道」だとしても、「つまらない通学路」だとしても、この道も、どんな道も自分の人生をつくるものだと分かってほしい。
何回も歩いた道。力強く踏みしめるアスファルト。今日も明日も、私はこの道を歩いていく。




