「おーい!」
まだ朝もやが立ちのぼっている中を近所のおじいちゃんが手招きしている。
車を道の脇にとめて窓を開けるとおじいちゃんは近くに来て言った。
「昨日、しし(猪肉)をもらったんよ。今日炊くから、仕事の帰り、来れたらいらっしゃいよ。」
私の息子には「昨日来た時、もう伝えてある。」と言う。
息子は学校帰り、毎日のようにおじいちゃんの家に寄っては、テレビで『はぐれ刑事純情編』を見せてもらうことを楽しみにしている。
昨日の夕方も寄っていたらしい。
「じゃあ、息子と一緒に行きますね。」
息子は昨日、おじいちゃんの家にしし汁(猪肉との野菜の味噌汁のこと)を食べに行く約束をしていたのだ。
私も今日、おじいちゃんと同じ約束をした。
それぞれでしていた約束がこんな風につながったりする。
この日は一日中「約束」のことを何度か思い出しては温かい気持ちになった。
でもこの日の夕方、思ったよりも帰りがずっと遅くなってしまった。
申し訳ないと思いながらおじいちゃんの家を訪ねると、おじいちゃんがいつもいる小屋の薪ストーブの上には大きな鍋が置いてあって、その中にはしし汁がたっぷり入っていた。
小屋の中の温かさや鍋のふたの隙間からゆっくりとたちのぼって行く湯気の感じから、ずっと待っていてくれたことが伝わってきて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「遅くなってごめんなさい。」と言うと、おばあちゃんは笑って違うお鍋にしし汁をたっぷり入れてくれた。
「晩ごはんに食べなさいよ。」と言って。
息子が来たのかどうかを聞くと「来んかった」。
そして「このままだとまけるけ(こぼれるから)、トラックで運んじゃお」と言う。
そこまでしてもらっては申し訳ないと言うと「かまわんかまわん。」と軽トラックに乗り込んでしまった。
おばあちゃんは私の家までお鍋を運んでくれた。
受け取った鍋はホカホカと温かく、帰ろうとするおばあちゃんの軽トラックのライトがとてもまぶしかった。
私が鍋を抱えて家に入ると、息子が「それ、なあに?」と聞く。
「おばあちゃんがしし汁をくれたよ。」と言うと
「あ、僕、約束忘れてた…。」
しまった、という顔をしていた。
「約束忘れちゃってごめんなさい、って言わんといかんね。」と話すとうなずいていた。
その夜、息子は何杯もしし汁をおかわりした。
次の日の朝、「今日学校の帰りおじいちゃんち行ってくる」と行って息子は学校へ出かけ、夕方遅くに帰ってきた。
「おじいちゃんがね、今度柿とりにおいで、って。」
次は柿を取りに行く約束ができた。
家の窓から見えるおじいちゃんとおばあちゃんの家。
いつもおじいちゃんとおばあちゃんがあの場所にいてくれて「約束」を楽しみにしてくれていることを本当にありがたいなあと思う。
おふたりに何を返せるのかな…といつも思う。