土佐町ストーリーズ

土佐町ストーリーズ

土佐町ヘビ祭り!

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

勝手にやります!土佐町ヘビ祭り!

 

「土佐町ストーリーズ」では、これまで土佐町のちょっとした日常の話から戦争のような昔の話、それからこの地での神話や民話をごちゃまぜに紹介してきました。

「戦争の話」とか「民話」とか、ひとつひとつジャンル分けしないでご紹介してきたのは、そういったここで起こる全てのお話が、ひと続きの「土佐町」を現すものだと考えたからです。

昨日もらった果物も、戦争の体験も、人を化かすタヌキも、それぞれが違う角度から土佐町を照らす小さなロウソクの光のような気がします。

さて話は若干変わりますが、土佐町に伝わる民話や神話を読んでいると、ヘビの話がとても多いことに気がつきます。

人に(特に若い娘に)化けるヘビ、人から畏れられ崇められるヘビ、水を支配する(すなわち五穀豊穣を司る)蛇神さま。ちなみに「蛇神」は「じゃがみ」と読むことが多いみたい。

思いつくままに思いだしてみれば、世界のあちこちの神話で、ヘビって意外と特別な位置にいます。

アペプ(エジプト)、ヴィシュヌの蛇(インド)、ヨルムンガンド(北欧)、ケツァルコアトル(南米)、虹の蛇(オーストラリア)、そして我らがヤマタノオロチ。

アダムとイブに智慧のりんごを食べさせたのもヘビでしたね。

数多ある神話の中でも他の動物と違って、ヘビはなんとなく妖しく艶っぽく、セクシャルな雰囲気を漂わせています。ヘビはタヌキのようにポンポコおなかを叩いて踊ったりしない(まず叩く手がない)し、キツネのように手袋を買いにいったりもしない(手袋つけられない)。

中途半端なジョークはあんまり通じないようなシリアスさがあるのもヘビの特徴。見つめられたら動けなくなるカエルの気持ちも少しはわかります。蛇の目=邪眼という説も昔からありますね。

その上、世界のヘビ神話はこの世の成り立ちに直結している話が多い。大きなヘビがいるからこの世があるんだ(水を支配しているので)、またはこの大地は巨大なヘビの上に載ってるんだって感じの話です。

興味ある方はぜひ「虹の蛇」や「ヴィシュヌの蛇」を調べてみてください。

そんな、ちょっと特異な役割を果たしているヘビの話。今回、土佐町バージョンを集めてみました。明日28日から7日連続でご紹介したいと思います。

私たちより遥か昔にこの地に住んでいた人々にとって、ヘビがどれほど恐ろしく頼りがいのある存在だったのか。少しだけお仕事の手を止めて想像してみるのも、たまにはいいと思いませんか?

あ、大事なこと忘れてた、、、。

苦手な人、ごめんなさい!

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

ポッポ広場

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

土佐町には子育て支援センター『ポッポ広場』があります。

平成18年に開設され、ちょうどその頃長男を出産した私は、ポッポ広場へほぼ毎日のように遊びに来ていました。

今でこそ4人の子どもの親をやっている私ですが、
当時は我が子にも、他の子どもにも、そして他のお母さん達にもどう接したらいいかわからず、
ただただ家で長男と二人きりでこもるストレスから逃れるためにポッポ広場を利用していました。

 

そんなポッポ広場で、私を変える出会いがありました。

 

次男を出産してから、ポッポ広場を訪れた時のことです。
人のお母さんがニコニコと話しかけてきたのです。

『もしかして、上にお兄ちゃんがいます?多分同級生なんですよ~』

彼女の名前は加藤さん。
転勤族で、土佐町に引っ越してきたとのことでした。
人見知りだった私は、こうやって初対面の人が話しかけてくれるということが衝撃的でした。

 

下の子も同級生ということもあって、加藤さんとよくポッポ広場で話をするようになりました。
いつでも穏やかに笑っている加藤さんの周りには自然と輪ができて、私もみんなと喋るようになりました。
あっという間に何でも喋れるようになって、子育ての悩みや家庭の愚痴、どこそこのスーパーであれが安かった、
これがおいしかった・・・こないだ教えてもらったアレ、やってみたでー!など、情報交換も盛んになりました。

今までは子ども同士の玩具や遊具の取り合いなどのトラブルがあるとすぐに介入していたのですが、
みんなが『えいえい、ケガがなかったら放っちょって~』という雰囲気だったので、
ちょっとしたことでオタオタすることもなくなりました。

消しゴムハンコの作り方やパンの焼き方を習ったり、簡単なレシピを教えてもらったり、
誰かの家に集まって、わいわいお茶をしたり。
私は勝手に『ポッポ広場の黄金期』と呼んでいます(笑)

転勤族だった加藤さんとは、数年後にお別れすることになってしまうのですが、
あの時加藤さんが話しかけてくれなかったら、子育てを楽しむという気持ちは生まれていなかったと思います。

今でもポッポ広場には色んなお母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃんがやってきます。
転勤族の人、里帰り出産の人、他町村からの人、ポッポ広場は誰でも利用できます。
お弁当を持って、子どもと一緒に食べてから帰ることもできるようになりました。

初めての子育ては何もかもが手探りで、不安でいっぱいで孤独を感じるものです。
仕事をしていると、他の保護者の方と話す機会も少ないのでなおさらです。

そんな保護者の方達に、ぜひポッポ広場に足を運んでもらいたいです。
いつでも開いていますよ。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

本当にあった怖い話

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

 

南越(みなごし)トンネルは、土佐町役場方面から、早明浦ダム湖周辺に向けて抜けているトンネルです。

トンネルといえば、怖いイメージがつきものですが、南越トンネルも例にもれず「あのトンネルは怖い」という噂があります。

祖母も「私が若い頃は、一人であそこをよう歩かんかった。一人で歩きよったら何かがついてくるんじゃ」と言っていました。

 

そんな南越トンネル付近の怖い話を、最近聞きました。

それは、私の書いた「家の主」という記事を読んだ町長が話してくれたものです。

 

「何年か前ににゃあ、『オンビキ(ヒキガエル)がようけおるき、何とかしてくれんか』ゆうて言われて、南越トンネルの辺に行ったらにゃあ」

 

「オンビキが100匹ばぁ、ゴゾゴゾ這いよってにゃあ」

 

「側溝にもみっしり詰まっちょった」

 

「何とかしてくれと言われても何ともできなぁー、殺すのも気持ち悪いし!!」

 

 

ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

今後、南越トンネル付近を通るたびに、背筋がゾクゾクしそうです。

 

 

 

 

 

・『家の主』の記事はこちら!

家の主

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

千体流し

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

 

みなさんは、千体流しを知っていますか?

8月15日のお盆の日、お寺で法要があり、お地蔵さまの絵像の描かれた千枚の紙をいただきます。

それを川に持って行き、『おんかかかびさんまえいそわか』と唱えながら一枚一枚川に流すのです。

この『おんかかかびさんまえいそわか』というのはお地蔵さまの真言だそうです。

千体流しは、子どもの頃からずっと、お盆の我が家の恒例行事でした。

JA土佐れいほくの前に『フタマタ』という川へ下りる細い道があって、そこから川へ下りて千体流しをします。

私が最後に千体流しをしたのは、もう10年以上も前ですが、千体流しに行くたびに祖母や母が『お盆の日には、地獄の釜の蓋が開くき川で絶対に泳いだらいかん』と言っていたのをよく覚えています。

裸足で川に入って千体流しをしていたので、川の水の冷たさと、地獄の釜の蓋が開いて引きずり込まれるイメージとで背中がゾクゾクしたものです。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

早明浦と言う地名について(早明浦)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

日本歴史の中でも、源氏と平家の勢力争いは、最も有名で深刻なものでありました。

屋島の戦い、壇の浦の決戦などは、皆様のよくご承知のことであります。

それ以来、全国至る所で、両勢力の闘争がくり返されたものでありました。

 

ある平家の残党(生き残った仲間)が、源氏の兵どもに追われて、吉野川をさかのぼりつつ、この地まで落ちのびて来た時の話であります。

源氏の兵どもは、それを追って、鳥越峠(現在のさめうら荘の近く)を越えて逃げて行く平家の残党を、今夜中に、ここで一気に全滅させようと、勇みに勇んで、この峠に立ちましたが、幸か不幸か夜は白々と明け始めていました。

この時、峠に立って、西の方を眺めると、あたりは一面の雲海で海を思わせる風景であったのでしょう。そこで、源氏の大将は峠に立ちはだかり、

「えれ、残念、早や夜が明けたか。」

と地だんだふんで残念がったということであります。

平家の残党は、夜明けを幸い、落ちのびることができました。

こういう伝説が、いつか早や明けの浦となり、早明浦となったということであります。

 

澤田南海男(館報)ー「土佐町の民話」より

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

家の主

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

彼女は大抵、雨上がりにひょっこり現れる。

去年亡くなった姑が、生前よく彼女についてこう言っていた。

「私がここへお嫁に来た頃からずーっとおるがやき」

「草を引きよったら、じーっと横で見よったがね」

「この家の主よ」

 

 

大先輩なのだが、彼女が現れるたびに私は挨拶するどころか

悲鳴をあげてしまう。

 

そんな彼女はヒキガエル。

 

デカい。

15cmくらいある。

私は“超デカい!!”と思っているのだが、この辺ではこれくらい普通なのだろうか。

 

その図体の割に動きは素早い。

一瞬目を離すと、遠くへ移動している。

あれがジャンプして飛び掛かってきたら・・・と思うと背筋がゾンゾンする。

なので、いつも刺激しないように気配を殺して通り過ぎる。

 

私と子ども達はこのヒキガエルが現れるたびに

『おばあちゃんの友達が出たー!!』

と大騒ぎする。

 

私がおばあちゃんになってもいるだろうか。

 

 

 

 

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

芥川岡林家

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

芥川、黒丸の岡林家は、藩主山内家の一族で、山内家の裏紋の白一黒一が家紋だという。

山内家は武家でおれんようになるので早く山奥に行った方がいい、ゆうて、吾川郡吾北村(現在のいの町)の清水に来て、
それから芥川に居を構えた。

芥川には”芥川の三軒家”ゆうて、筒井姓二つと岡林姓一つがあったが、岡林しげおさんの家が本家じゃった。

今は面影の無うなったその家には,

女人禁制の”武士の間”、万一の切腹の時の”入らずの間”などがあった。

本家の主人の健在なうちは先祖祭りもしていたが、岡林家の名刀一振は神社に納めているという。

土佐町史p883

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

12モンキーズ (土居)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

十二所権現

 

入蔵にある小祠で、今はその所在を知る者も数少ない。

その昔、十二匹の猿が出没し、人畜喰い尽くしてあと一家を残すのみとなった時、
通りかかった猟師が連れていた十二の猟犬でこれを喰い殺した。

その猿の死体を川に流した。

それは吉野川を流れ、その漂着したところ十二所権現として祀ったというのである。

それよりこの村では猿を見ると忌むのであるが、この十二所権現もその一つである。

現在は十二所神社とよばれており、
古老の中には土居地区の産土神は宮古野の白髪神社であるが、本来の産土神はこの十二所神社であると伝える者もある。

地区の人たちだけでなく、怪我のせぬように守護し給う神様ということで
大工や杣など林業に従事する人々の信仰にも篤いものがあった。

もち米の粉で作った団子十二個と灯明十二本を供え祀るしきたりがある。

 

土佐町史p906(一部略)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

白髪神社

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

白髪神社は土佐町宮古野地区にあり、周りが田んぼの中、その場所だけ木に囲まれるようにして静かに建っています。
その白髪神社のお話です。

 

白髪神社信仰は、高知県下でも吉野川上流にのみみられるものである。

土佐町宮古野、大川村大藪、本川村(現在いの町)桑瀬、いの町長沢、いの町越裏門、いの町寺川、本山町沢柿内で
「産土神」として鎮座している。

越裏門、寺川あたりでは「本川女に森男」という俚諺がある。

これは本川郷1)かつて本川村から東隣の大川村を含む一帯を本川郷と呼んだの美女、森郷2)現在の土佐町の美男子という意である。

本川郷にまだ白髪神社を勧請3)神仏の分霊を他の場所に移しまつることしていないころの話である。

土佐町宮古野白髪神社の祭りには、老若男女の氏子たちが本川郷からもはるばる何時間も歩いて出掛けていた。

ところが本川女は祭りの準備やら、籠り人の食事の煮炊きなどばかりさせられ、
森の男たちは上座に威儀を正していい格好で座ってばかりいる。

そこで本川女も「時にはわしらも上座に座らせよ」と言うと、
森男は「そんな伊賀ばき(昔の田舎びた服装)の者を座らせるわけにはいかぬ」という。

さすがの本川美女もこれには腹を立て、
竃(かまど)の石を取って「氏神様もついてごさっしゃれ」と言って越裏門、寺川に帰ってしまった。

その竃の石を祀り始めたのがこのあたりの白髪神社であるという。

ところが持ってきた石に、森の白髪神社の御神霊が本当に憑いてきていて、
森の方では神様がお留守になったと大騒ぎになった。

そこで森男から本川女に詫び状が入って、本川から神霊がお帰りになったという。

森から石を奪ってきた日が戌亥(いぬい)(=乾(いぬい))であったから、越裏門は十一月戌、寺川は亥の日を祭日としたとか、
白髪様の祭りを乾祭りというのだと言い伝えて、戌亥信仰4)戌亥は北西の方位を指す。怨霊や魑魅魍魎などの災いが出入りする方角であるとして忌むべき方角としている。この方位を鎮めると、家運が永久に栄え、子孫が繁昌するとされ、神棚や神社を設けて信仰されていたが見られる。

 

土佐町史839p

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

References   [ + ]

1. かつて本川村から東隣の大川村を含む一帯を本川郷と呼んだ
2. 現在の土佐町
3. 神仏の分霊を他の場所に移しまつること
4. 戌亥は北西の方位を指す。怨霊や魑魅魍魎などの災いが出入りする方角であるとして忌むべき方角としている。この方位を鎮めると、家運が永久に栄え、子孫が繁昌するとされ、神棚や神社を設けて信仰されていた
土佐町ストーリーズ

晴天の霹靂

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

私が住んでいる地区では4月と6月と9月に『道つくり』があります。

地区の人達が協力して、草刈りや側溝の掃除をするのです。

 

9月の道つくりの前日、小学校6年生の息子が急に

「明日の道つくり、手伝いたい」

と言ったのです。

 

私が何回も何回もお願いして、やっと重い腰をあげて洗濯物を取り込むあの息子が!

皿洗いを頼むと舌打ちをしながらしぶしぶ皿を洗うあの息子が!

手伝いをしないとゲームさせないよ!!といつも怒られるあの息子(以下略)

 

一時の気の迷いかとも思ったけれど、当日息子は早起きをして父ちゃんと道つくりへ。

草刈り機を扱えるわけでもないので、集会所の草引きをまかされたのだけれど

やり遂げて、地区の人達と一緒に昼ご飯を食べて帰ってきた息子を見て

誇らしい気持ちになりました。

 

少子高齢化で、道つくりの人員がいないという声がチラホラ各所で聞かれる今日この頃。

まだまだ幼いと思っていた息子も、頼れるようになる日が・・・来るのかな?

文:和田亜美 絵:川原将太

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone