コロナ禍で世の中の流れが大きく変わる中、僕もまた生業について考え直す機会を得た。宿業は思うように集客できず、また「ステイホーム」という世の中の雰囲気の中、誰かに泊まってもらうことに少し抵抗を感じていた。以前から考えていたもうひとつの新しい生業を真剣に考える時期だった。そんな中でふと浮かんできたのが「ポン菓子」だった。
思い返せば、数年前からJAの駐車場に定期的にやってきていたポン菓子屋さんのご夫婦がいた。軽トラの荷台に載せたポン菓子機でお米を「ポン」してくれる。僕は自分で育てた玄米を持ち込み、何度か作ってもらっていた。顔なじみになるうちに、作業を見せてもらい、質問したり、教わったりするようになった。でもそのころは、まさか自分がポン菓子屋になるなんて思ってもいなかった。
そんなある日、その奥さんが何気なく言った一言「あなた、ポン菓子屋をやりそうな顔してるわ」。なんでこんな会話になったのかは覚えていないし、彼女は冗談半分だったのかもしれない。でも、その言葉は僕の心のどこかにずっと残っていた。そしてコロナを機に、次の仕事を考え始めたとき、その言葉が心の中でじわじわと大きくなっていった。
まずはリサーチを重ね、ご夫婦にも相談した。すると、驚くほど親身になって助言をくれた。背中を押された僕は、ついにヤフオクで中古のポン菓子製造機を購入。価格ウン十万円。決して安い買い物ではなかったが、不思議と後悔はなかった。自分の米でポン菓子がつくれる、というワクワクが勝っていた。
実際にやってみると、見ていたのとやるのとでは大違いということがわかる。釜を温めるタイミング、火加減、圧力の調整、水飴の煮詰め方——どれも一筋縄ではいかない。湿度や気温にも左右され、少しの違いで仕上がりが変わる。機械にはシンプルながら安全装置が幾重にも施されているが、モタモタしていると焦げたり、内部圧が異常に上がりすぎれば最悪爆発の危険すらある。熟練のご夫婦が簡単そうにやっていたことが、実は高度な技術と経験の賜物だったと痛感した。
でも、この仕事には楽しさもあった。「暮らしのなか」にあるという点が、僕にとっては理想的だった。自分で作った米や大豆が家族で食べきれないほど収穫できたらポン菓子にして販売できるし、子どもたちのおやつにもなる。なにより、美味しい。試行錯誤を重ね、失敗を繰り返しながら、ようやく人様に提供できるポン菓子が作れるようになった。
現在の主な販売先は、高知市の池公園で開催されているオーガニックマーケットや嶺北地域のイベント。不定期出店ではあるが、続けているうちに常連さんも増えた。「自家製無農薬の米や大豆を使っている」と話すと、興味を持ってくれる人も多い。市販のポン菓子と比べるとどうしても値段は高くなるが、それでも「美味しい」「安心」「子どもにも食べさせたい」と買ってくれる人がいる。本当にありがたいことだ。
イベントでは、実演販売もしている。釜の中で米が膨らみ、ドン!と大きな音を立てて弾けると、子どもも大人も思わず足を止める。そして、広がる香ばしい匂い。できたてのポン菓子を試食してもらうと、「懐かしい」「昔はよく見かけた」「初めて食べたけど美味しい!」と、そこから会話が生まれる。お客さんと顔を合わせる「手売り販売」の醍醐味は、彼らとのおしゃべりだ。この交流が楽しい。ポン菓子が単なる商品ではなく、人と人をつなぐきっかけにもなっている気がする。
ポン菓子屋は決して大儲けできる仕事ではない。でも、生業のひとつとして成り立ち、そこそこの売上も出せるようになった。もっと改善すべき点はあるし、まだまだ学ぶことも多い。それでも、「美味しい」と言ってくれるお客さんがいる限り、この仕事を続けていこうと思う。
前述の先輩ポン菓子屋のご夫婦は、奥さんの体調のこともあり、出店の回数が減り、いつの間にか姿を見かけなくなった。でも、地元の香美市で今もポン菓子を作り続けていると聞いた。もしまた会うことができたら、「奥さんのあの一言で、僕はポン菓子屋を始めたんですよ。ありがとうございました」と伝えたい。
写真:薪棚の前でシネマにモデルになってもらった。午後遅くの日差しがやわらかく、彼女の笑顔をより優しく見せてくれる。少しはにかんだ表情が美しい。