上津川
石川拓也
図らずもTPP。あっちのTPPではありません。
土佐町在住の写真家、石川拓也がひと月に1枚のポストカードを作るプロジェクト。
2016年11月から始まり、たまに遅れたりもしながら、いちおう、今のところ、毎月1枚発表しています。
各ポストカードは土佐町役場の玄関と道の駅さめうらにて無料で配布しています。
Nov. 2017
[CD発売!!] 西村ユウキ Live in 土佐町
↓この記事でも紹介しましたが、
10/21に平石小学校で開催された「西村ユウキ 土佐町LIVE」のライブCDが完成しました。
ライブで演奏した12曲全てが収録されています。
内容は以下の通り。
1 デート
2 One day in the morning
3 サンダーロード
4 初秋の日
5 秋桜
6 そら
7 春風〜Clap your hands〜
8 誕生日
9 釧路本線
10 Bright Light
11 100年公園
12 土佐町のうた
手の出演:谷泰久
1,000円で販売中です!
現在、とさちょうものがたりは店舗を持っていませんので、購入していただける方は町中で石川または鳥山を捕まえていただくか、もしくはお手数ですがinfo@tosacho.comまでご連絡ください!
澤田誠一郎 (伊勢川)
こうほう とさちょう 479号

名高山 | 山下いろは

上地蔵寺 | 上田英奈
年に5回発行される土佐町の広報。
年末の一号ができました。もうみなさんの手元には届いている頃かもしれません。
写真は表紙・裏表紙とも「土佐町ポストカードプロジェクト」で撮影したものです。
名高山は土佐町の真ん中あたりにそびえる山。山頂付近まで棚田があることに驚きました。
上地蔵寺は土佐町の南にある集落。すごい風景を見ながら稲を育ててますね。
撮影に付き合ってくれたいろはちゃん、英奈ちゃん、ありがとうございました^^
[創刊号] とさちょうものがたり ZINE 01
別の記事でも触れましたが、土佐町のフリーペーパー
とさちょうものがたり ZINE
を創刊しました。創刊号は「下田昌克、土佐町を描く。」です。
去る10月、土佐町を訪れた絵描きの下田昌克さんが描いた、土佐町の人々と風景の絵をふんだんに掲載しています。
下田昌克さんの独特な視点から描かれた土佐町の魅力を、濃縮されたそのままの形で町内外に広くお届けしたいと思っています。
ZINE(ジン)
「magazine」(雑誌)が語源とされる。リトルプレスとも呼ばれる少部数オリジナル出版。流通や企業規模などに左右されず表現できる手段として1960年代に米国で生まれ、90年代に西海岸を中心に広まる。国内でもZINEを発表・販売するイベントやZINE専門の書店などが出現し、関心を持つ人が広がっている。
今回、このように雑誌という形態で発行することは「とさちょうものがたり」にとってとても大切な意味があります。
ひとつは、ウェブが届きにくい人や地域にも、価値ある(と思える)ことがらを伝えていきたいということ。
土佐町という場所では、過疎化、特に山間部や小さな集落での過疎化と高年齢化が著しい。これは統計やデータではなく、ここに暮らす多くの人が身体で受け止めている実感です。
現時点において、高年齢化が進むということはすなわちウェブへのアクセスを持たない人がたくさんいるということと同義語なのです。とさちょうものがたりは、そういった方々にも、(私たちが今立っている)土佐町の新しい魅力を届けていきたいと考えています。(ということをウェブで書いているという矛盾はひとまず置いておいて)
もうひとつは、町で起こった素敵なできごとを、形にして残しておきたいということ。
ともすれば膨大な情報の大波に飲み込まれがちなこの時代において、形にしておかなければたやすく流れていってしまうものごとを、できるだけ丁寧に心を尽くして残しておきたいと考えています。
今回の下田昌克さんの1週間に関しては、みつば保育園や土佐町小学校のたくさんの子どもたちが関わってくれました。たとえば10年後20年後、彼らが大きくなった時に、本棚からこの本を手に取って、2017年10月のあの瞬間に戻れるポイントを作っておきたい。またそれがこういったイベントを開催する大きな意味でもあると思っています。
そしてこれまた大切なことですが、これは「とさちょうものがたり ZINE」の創刊号です。
現在のところは不定期発行とさせていただいていますが、2号、3号と続いていきます。
こちらもお楽しみに!
以下の記事も合わせてご覧ください。
石川拓也
「熊楠の星の時間」 中沢新一 講談社
明治期の大天才と呼ばれ、未だにその思考の深さの底が見えないと言われる孤高の博学者・南方熊楠の思考の一端を中沢新一が解説した本です。
中沢新一は熊楠関連の本を多数著していますが、これはその中でもとても読みやすい一冊。
日本全体が西洋文化をより優れたものとして吸収しようと躍起になっていた時代にあって、その博識を認められ大英博物館に自由に出入りできた熊楠が、晩年言い続けていたこと。それは、
「西洋的・科学的思考ではこの世界の仕組みを十全に説明することができない」
ということ。
それは熊楠がメインの研究対象としていた粘菌の生態が、生と死を分離して考える西洋科学の枠外にあるようなものだったのが大きな理由なのだそうです。つまり粘菌の世界の当たり前は「生きているのに死んでいる」「死んでいながら生きている」といったような摩訶不思議な状態。
そこで熊楠は西洋科学ではなく、仏教の華厳経に答えを見出します。その過程で生み出された南方マンダラは今でも多くの謎を含んでいると言われ、たくさんの人々を魅了し続けています。
うわ、長くなっちゃったし理屈っぽくなっちゃった。
最後にちょっとだけ付け加えたいことは、熊楠の面白いところは生涯一貫してアウトローの気風があるところ。日本人である熊楠に差別的な言動をしてきたイギリス人職員をぶっとばした(2度も)ことが原因で大英博物館にいられなくなるし、帰国しても出世や地位にはとんと興味がなく、在野の研究者としての生涯を全うする、そういったところも含めてとても面白い本です。
興味ある方はぜひ!
土佐町ヘビ祭り!
勝手にやります!土佐町ヘビ祭り!
「土佐町ストーリーズ」では、これまで土佐町のちょっとした日常の話から戦争のような昔の話、それからこの地での神話や民話をごちゃまぜに紹介してきました。
「戦争の話」とか「民話」とか、ひとつひとつジャンル分けしないでご紹介してきたのは、そういったここで起こる全てのお話が、ひと続きの「土佐町」を現すものだと考えたからです。
昨日もらった果物も、戦争の体験も、人を化かすタヌキも、それぞれが違う角度から土佐町を照らす小さなロウソクの光のような気がします。
さて話は若干変わりますが、土佐町に伝わる民話や神話を読んでいると、ヘビの話がとても多いことに気がつきます。
人に(特に若い娘に)化けるヘビ、人から畏れられ崇められるヘビ、水を支配する(すなわち五穀豊穣を司る)蛇神さま。ちなみに「蛇神」は「じゃがみ」と読むことが多いみたい。
思いつくままに思いだしてみれば、世界のあちこちの神話で、ヘビって意外と特別な位置にいます。
アペプ(エジプト)、ヴィシュヌの蛇(インド)、ヨルムンガンド(北欧)、ケツァルコアトル(南米)、虹の蛇(オーストラリア)、そして我らがヤマタノオロチ。
アダムとイブに智慧のりんごを食べさせたのもヘビでしたね。
数多ある神話の中でも他の動物と違って、ヘビはなんとなく妖しく艶っぽく、セクシャルな雰囲気を漂わせています。ヘビはタヌキのようにポンポコおなかを叩いて踊ったりしない(まず叩く手がない)し、キツネのように手袋を買いにいったりもしない(手袋つけられない)。
中途半端なジョークはあんまり通じないようなシリアスさがあるのもヘビの特徴。見つめられたら動けなくなるカエルの気持ちも少しはわかります。蛇の目=邪眼という説も昔からありますね。
その上、世界のヘビ神話はこの世の成り立ちに直結している話が多い。大きなヘビがいるからこの世があるんだ(水を支配しているので)、またはこの大地は巨大なヘビの上に載ってるんだって感じの話です。
興味ある方はぜひ「虹の蛇」や「ヴィシュヌの蛇」を調べてみてください。
そんな、ちょっと特異な役割を果たしているヘビの話。今回、土佐町バージョンを集めてみました。明日28日から7日連続でご紹介したいと思います。
私たちより遥か昔にこの地に住んでいた人々にとって、ヘビがどれほど恐ろしく頼りがいのある存在だったのか。少しだけお仕事の手を止めて想像してみるのも、たまにはいいと思いませんか?
あ、大事なこと忘れてた、、、。
苦手な人、ごめんなさい!
インプレッションズ・オブ・土佐町
高知県を舞台に撮影された「はりまや橋」という映画がありました。
監督はアメリカ人のアーロン・ウルフォーク(Aaron Woolfolk)。
彼は高知に長く住み、3本の映画を高知を舞台に作りました。「はりまや橋」は彼の3本目の作品です。
実は私、石川は当時(2008年)、この映画の撮影にスチールカメラマンとして参加していました。スチールカメラマンというのは、映画そのものではなく、ポスターなどの広告宣伝のための撮影をするカメラマンです。
そのアーロン監督、現在でも毎年のように日本そして高知を訪れています。今年も9月に高知に来訪、「はりまや橋」の縁もあって、土佐町の石川を訪ねて来てくれました。
そしてその2ヶ月後。こんなエッセイがアーロン監督から届いたのです。
インプレッションズ・オブ・土佐町
アーロン・ウルフォーク
あたたかな想いに包まれていた。
2017年9月、あるうららかな土曜日、土佐町を巡ったときのこと。美しい風景、心あたたかい人々、田舎のコミュニティ、都市からだいたい1時間。まさしく私の好きなタイプの地域だと感じた。
町の様々な場所 ー中心の商店街、アメガエリの滝、瀬戸渓谷、さめうらダムー を巡りながら思ったこと。この町は、過去25年の大半を過ごしたこの国の、私の好みの部分を集約したような場所だということ。
しかしまたそれは、土佐町それから高知県全体として、解決してほしい問題を私に思い出させる時間でもあった。

アメガエリの滝
私が高知を初めて訪れたのは1992年のこと。
日本政府が企画した英語教育と文化交流プログラムであるジャパン・エクスチェンジとティーチング・プログラム(JET)のためだった。大学時代の後半、このプログラムに申し込んだ時点で私が日本に関して知っていた場所は、わずかに東京と大阪、そして(戦争の記憶として)広島と長崎だけだった。「日本のどこに行きたいか」と質問のある申請用紙に、私は「東京または大阪」と書いた。しかし他のほとんどの申請者たちも、私と似たりよったりな知識しか持ち合わせていなかったはずで、つまり彼らもまた「東京または大阪」と書いていたはずだ。
それはまたつまり、ほとんど全員が希望の場所には赴任できなかったということであり、みな希望外の場所へと送られて行ったのだ。私の場合、それが高知県だった。
私はサンフランシスコのベイエリアで生まれ育ち、大学まで通った。ベイエリアの人口は800万人以上、アメリカでも最も人口の密集している地域のひとつだ。小さなころは、ときおり田舎に住む親戚を訪れたり、たまにキャンプに行ったりしたこともあったが、それまでの人生の大半は都会で過ごしていた。
だから私が初めて高知空港に降り立ち、即座に須崎市に連れてこられた時のカルチャーショックをあなたにも想像してほしいと思う。それはその時点までずっと慣れ親しんできたライフスタイルからの突然の別れであって、順応するにもちょっとした時間が必要だったのだ。
だが結局のところ、私は慣れたのだ。いやそれ以上に、大いに気に入ったのだ。私はこういった小さな町の暖かな暮らしを愛し、特にこの親切な人々を愛した。そして大都市に比べて静かでゆったりとした生活を愛した。それは須崎だけに限った話ではない。私は文科省に任命された英語教育助手だったから、高岡郡全体の、海沿いの寂れた町や山の上の小さな村の中学校も周った。田舎の暮らしを満喫し、それをとても心地よく感じた。
やがてアメリカに戻り、大学院に進み、映画監督になった。
そしてその後も高知には1年に1度のペースで訪れていた。
結果として、3本の映画を高知で撮ることになったのは、私のなかで高知の印象が鮮烈すぎたということだろう。短編の「駅」と「黒い羊」、そして「はりまや橋」。
日本の田舎の美、特に高知の美しさを、世界の観衆に観せることができるということは、これ以上ないくらいエキサイティングなできごとだった。
この9月に、年に一度の日本訪問の準備をしていたとき、友人の石川拓也に連絡し、高知も訪れる予定があることを伝えた。すると彼は私を土佐町に招いた。彼は写真を撮りながら世界を旅した後、東京から土佐町に移り住んでいた。
私は土佐町は初めてだったこともあり、彼の招きを快く受け入れた。その日は高知市の友人である久子と3人で土佐町の様々な場所を巡ることとなった。
拓也と初めて会ったのは、彼が映画「はりまや橋」のスチールカメラマンとして仕事していた時のことだ。その後、SNSを通じて、彼が世界を旅し撮影をしている様を私は見てきた。
高知での映画製作を通しての経験が、明らかに彼に深い影響を与えていることを知って、私はうれしく思った。確かに、そういったたくさんの経験を私は映画製作を通じてしてきたのだ。
高知で映画を作るといつだって、東京からのスタッフが高知と恋に落ちてしまう。人生を変えるような衝撃を受けるのだ。高知で出会った人と結婚したスタッフもいる。休暇のたびに高知を訪れるようになったスタッフもいる。そして今、実際にそこに移住したスタッフがいるということだ。
土佐町を一緒に周りながら、私は拓也が移住した理由を深く理解した。この日は、私が日本の魅力だと感じていることをたくさん経験したのだから。
美しい風景、親切な人々、気さくで心地よい感じのコミュニティ。
日本の伝統文化は、田舎の山あいの町と村に最も色濃く残っている。25年前に私が高知県に恋した理由と同じことを、土佐町を周りながらいくつも見つけたのだった。
いつか活用してみたいと感じる、パーフェクトな場所も発見した。瀬戸小学校だ。2001年に閉校して以来、地元の人たちの手によってとてもよく整備された素晴らしい施設だ。現在はコミュニティセンターになっているが、ふだんは空っぽだという。芸術家が引きこもるには最適の場所だ。作家や画家、作曲家がここに来て、しばらく一人静かに時を過ごし、創作に集中できるだろう。周囲の環境には芸術家をインスパイアする美が溢れている。数週間くらい生活しながら仕事するために必要なものは全て整っている。

旧瀬戸小学校
土佐町は愛すべき町だ。しかし問題がないわけではないことも、町を周りながら思ったりする。近年は町外に出て行く人も多いと聞いて少し残念に思った。運動会の日の土佐町小中学校を訪れた際には、学生の数が往年に比べ減少しているということも聞いた。瀬戸小学校を歩きながら、この建物が16年前に最後の卒業生を見送った時のことを想像した。

土佐町小中学校
ここ数年よく耳にする、地方での人口の減少を気にかけている。日本の全国的な課題だが、高知のような場所にいると実感がある。村や町が近隣の自治体に吸収合併されたという話を聞くこともある。人口流出と出生率低下の結果として子どもが減ったことを受けて学校が閉校されるのも、住民が減っているので地域の伝統が維持しづらくなっていることも耳にしたことがある。
人口流出には様々な複雑な原因があるはずだ。理論武装したたくさんの学術的・政治的分野の専門家がいるだろうから、アウトサイダーの映画監督であり作家である私が言えることはあまり多くない。
だが私にはとても強い想いがある。
それは、小さな農村が、今後生き残っていくだけではなく、成長し繁栄するコミュニティになっていく様を見たいということ。
たとえば農村のコミュニティに企業が投資し、もうこれ以上人々が仕事のために引っ越しを考えないで済むようになる様が見たいということ。
このような地方に暮らすことの魅力を、もっとたくさんの人が理解する様を見たいということ。
土佐町のような場所に、政府がきちんと関わり合いを持って進んでいく様を見たいということ。
9月のあるうららかな土曜日に、私が土佐町で出会ったものは、個人的にも職業的にも、この25年間私を日本に魅了し続けたものと同じもの。
私はこれからも、映画監督として作家として、このような場所を照らすための作品を作り続けるだろう。
私は、こういったコミュニティの素晴らしい魅力を日本のたくさんの人々が(世界中の人々も)再発見し、そして再活性化に取り組む姿を夢に見ている。

アーロン・ウルフォーク(Aaron Woolfolk) アメリカ・カリフォルニア生まれ。1992年から1年間、文部省(現在の文科省)により、高知県に外国語指導助手(ALT)として派遣される。1993年、コロンビア大学大学院芸術学科映画専攻に入学。1997年、全米監督協会最優秀学生映画作家賞短篇部門を受賞。1999年、高知県内で撮影した『黒い羊』で再び同賞を受賞。2004年、ウォルト・ディズニー・スタジオ/ABCエンタテインメントの脚本家フェローとなる。竹内まりやのファン。
アーロン・ウルフォーク監督作品「はりまや橋」は高知を舞台に、高岡早紀、清水美砂、ハリウッドからベン・ギロリ、ダニー・グローヴァーが出演する映画です。
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