バッサリいた
【動】がっかりした
例:前髪をバッサリ切られてバッサリいた〜
(前髪をバッサリ切られてがっかりした〜)
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土佐山村中切から東石原に越す峠に弘法石というところがありますが …
昔、弘法大師が南の土佐山村の方から北の方へ上がって来られ、山のいただきの休石に腰をかけて北方を一望なさると、それは美しい静かな内海で、あちらこちらに緑の島がいくつとなく浮かんでいる景色でございました。
大師は思いがけないところで海景色をご覧になったので心からよろこばれ、これから先がずっと海つづきなれば麓にまで下って行ってもしかたがない、とあきらめて、やがてもと来た方へ下って行かれました。
けれども、大師が内海とご覧になったのは朝霧で、その霧の下には西部嶺北地方の谷間の村々が静かな朝の支度にいそしんでいたのでございます。
昔からこの地方は春から夏にかけて霧のたちこめることで有名で「森(土佐町土居)の朝霧」の名もあるほどですから、他国の旅行者が朝早くこの山路に来て瀬戸内海と見あやまることがあると言うことでございます。
弘法大師もこの伝説の中では、やっぱりその一人であったわけです。
そこで、師が休まれてこの村々をご覧になったところを今に弘法石と言うようになったと言うのでございます。
桂井和雄「土佐の伝説」第二巻より(町史)
むかしむかし、樫山の竹馬さん言う人が年の暮れの二十七日に、馬を引いてもどって来よったと。
じきに家の上までもどった時、何やらわからんもんが、竹馬さんどこやら行こうじゃないか言うたそうな。
竹馬さんは忙しい時に行きけにならん言うたけんど、目をつぶれ言うもんじゃき目をつぶったと。
そんならすうーと足が浮いて、目をあけてみたら瀬戸川の奥の一の谷の空じゃったと言う話じゃ。
馬は先にもどって来たのに竹馬さんがもどらん言うことで大騒ぎになって、
太夫さんを七人か八人雇うて七日七晩の祈祷(おいのり)をして、やっと松の木の枝に下ろしてもろうたそうな。
一の谷は樫山から見える高い山で石鎚山に続いております。そんで暮れにはナマグサ(魚類)を弁当に入れとらにゃいかん、
ナマグサを弁当に入れて山や畑に行かにゃならん言うていました。天狗が人をさらう言うてよく言うてました。
町史
窪内隆起さんは、元サンケイ新聞記者。司馬遼太郎さんが「竜馬がゆく」「坂の上の雲」を連載していた際の担当編集者です。
その窪内さんの出身は土佐町石原。中学校にあがる十二歳までを西石原の家で過ごされたそうで、その頃の思い出をとても大切にされていることが、ご本人とお話ししているとじんわりと伝わってきます。
現在は高知市にお住まいですが、ご自宅に伺うと、少年時代に自作した金突鉄砲や草履などが、今でも(驚くほど)大切に保管されています。
「山峡のおぼろ」は窪内さんが故郷である土佐町の日々を描いた連載です。
とさちょうものがたり編集部
記念すべき初回は「彼岸花団子」。必見です!!
「たて糸よこ糸」 窪内隆起 短歌芸術社
著者の窪内隆起さんは、土佐町石原の育ち。12歳までを西石原のお家で過ごし、現在は高知市にお住まいです。
長年、サンケイ新聞社に在籍し、文化部で司馬遼太郎さんなど数多くの作家を担当しました。
司馬さんが「竜馬がゆく」「坂の上の雲」をサンケイ紙上で連載していた、まさにその時に司馬さんを裏から支えていたのが窪内さんなのです。
この本「たて糸よこ糸」は窪内さんが司馬さんや土佐町、新聞記者時代の思い出、釣りや狩猟について書いたエッセイをまとめたもの。
写真にある「司馬さんの情」というお話は、窪内さんがどれほど司馬さんに信頼され、かわいがられていたのかが伝わってきます。作家と担当編集者というより師弟関係のような温かいものが流れています。
今回とさちょうものがたりで始まった新連載「山峡のおぼろ」は、その窪内さんが土佐町の思い出を描いた書き下ろしエッセイ集。必見です。
石川拓也
2018年11月11日、美しい青空のもと、さめうらの郷湖畔マラソン大会が開催されました。
第34回目となるこの大会は「今までで一番いい天気に恵まれた」とのこと。
向かいの鎌滝山のふもとに広がる赤や黄色の木々が早明浦湖畔に映り、本当に美しかったです。
シルクスクリーンで制作したTシャツを着ている方がたくさんいて、思わず話しかけてしまったくらい、とてもとてもうれしく思いました。
購入してくださったみなさま、本当にありがとうございました!
審判長である“NPOさめうらプロジェクト”辻村幸生さんの挨拶。辻村さんはどんぐりさんとのシルクスクリーンの取り組みを応援したいと「このTシャツを着て挨拶するから!」と言い、メンバーで着たいとTシャツを購入してくださいました。辻村さんのお気持ちがありがたくうれしかったです。本当にありがとうございます。
BlueLake ブレイクのみなさんがこのTシャツを着て自転車に乗り、ランナーさんの安全を守ってくれました。頼もしくかっこいい!中学生、高校生、大学生…、ブレイクの活動はとても素晴らしいなと思います。
Tシャツやトートバック、どんぐりさんのクッキーをブースで販売しました。「このTシャツがほしかったので」とわざわざ来てくれた方もいました。「娘がマラソンに出てるから応援に来た」というお父さんは以前土佐町で仕事をしていたそうで「土佐町はとてもいいところ。人の気持ちが温かい。いつ来ても懐かしいねえ。」と目を細めながら話してくれました。
Tシャツは、ランナーさんが大会への申し込みをする時に注文できるようにしていました。200人のランナーさんにご注文いただき、どんぐりのメンバーさんが一枚一枚印刷しました。
マラソン大会当日も、ブースで販売しました!
「柴田元幸ベスト・エッセイ」 柴田元幸 ちくま文庫
柴田元幸さんは日本を代表する英米文学翻訳家。僕が柴田さんのことをあれこれ書くのが憚られるくらい、個人的に尊敬する人です。
驚くほどに多産な仕事ぶりで、ざっと翻訳した作家を挙げてみても、ポール・オースター、チャールズ・ブコウスキー、スティーヴ・エリクソン、スティーヴン・ミルハウザー、リチャード・パワーズ‥‥これ以上は書ききれませんが、もちろんここに挙げた名前はほんの一部です。
その柴田さんが、翻訳ではなくご自身のエッセイで本を出されました。80年代から、様々な媒体で発表されたエッセイを一冊にまとめた「柴田元幸ベスト・エッセイ」。これが面白くないわけはない。そこに柴田さんがいるかのような錯覚に陥りました。
ちょっとだけ自慢(←抑えきれない)をさせてもらうと、僕は柴田さんにはちょっとだけ仲良くしていただいていて、この一冊は「献本」として送っていただいたものでした。柴田先生、ありがとうございます。
石川拓也
2016年に高知県立美術館で開催された「マリメッコ展」で購入した一冊です。
フィンランドのブランド「マリメッコ」のデザイナー、マイヤ・イソラの物語。ウニッコと呼ばれるポピーの花のデザインを、きっとどこかで目にしたことがあるのでは。
『マリメッコは、伝統的な家庭環境と変化し続けるこの世界の新しい生活環境とを結ぶ架け橋』。
これはマリメッコ展の入り口に掲げられていた言葉です。持っていたチケットの裏にメモし、今も持っています。
架け橋、という言葉がとてもいいと思ったのです。
仕事への情熱を持ち自由と自立を求め続けたイソラ。花や木々、果物など自然をモチーフにしたデザインを多く残しています。
専門的なことはよくわかりませんが、ひとつひとつのデザインは、その時にイソラが見つめていた世界そのものなのかもしれないなと思います。デザインの奥にイソラの生き方が感じられるような気がして、時々この本を開きたくなります。
鳥山百合子
下田昌克さんが描いてくれた「土佐町の夏」の絵が、大きなトートバックになりました!
どんぐりの皆さんががシルクスクリーンで印刷した土佐町オリジナルのトートバッグです。
以前作ったものは縦に長いタイプのものでしたが、今回はマチ付き・横に長いバッグです。
色も変え、今回は思い切って赤(朱色)にしてみました。
版の枠にマスキングテープを貼り、マジックで線を入れています。バックのマチの部分とこの線を合わせ、版を置きます。そうすることで、いつも一定の場所に印刷ができるのです。
「ちょうどいいインクの量が生地の種類によって違うね。」とどんぐりのみなさんが言っていました。
このバッグのように厚い帆布に印刷するとき、力の入れ具合やインクをのせる回数や量が、Tシャツに印刷する時とまた変わります。そのTシャツにも綿やポリエステルなど生地の種類が色々あるので、それによってもまた変化します。
うーん、奥が深い!
毎回新しい発見があります。だからおもしろい!
そして、できたのはこちら!!
赤(朱色)、とってもいいと思いませんか?
マチ付きの大きなバック、特に女性にはうれしいのではないでしょうか?マチ付きは荷物がたくさん入ります!
このバックは11月11日(日)のさめうらの郷湖畔マラソン大会、11月23日(金・祝)の土佐町産業文化祭にて販売します。
どうぞお楽しみに!
*トートバックが購入できるネットショップはこちら!