きそきそ
【形容詞】落ち着かない、そわそわした様
(例)そんなにきそきそしなや〜 (訳)そんなにそわそわしないの〜
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2019年1月25日。下田さん滞在最終日。
ガタガタ道に揺られながら目指したのは、標高1013mに位置する陣ヶ森。
深い藍色の山並み、遠く大豊町まで見渡せるこの場所からの風景を下田さんにぜひ見てほしいと思っていました。
下田さんは、しばらくの間、ひとり静かに佇んでいました。
「すごいね…」とつぶやいた下田さん。
この場所に立って、絵本の始まりのイメージも浮かんだようです。
ふきのとうも見つけました。
山をおり、牛のセリを見に行きました。乳牛や年取ったあか牛、子牛が順番に係りの人に引かれてきて、値段がつけられていきます。
お昼ごはんは、土佐町の美味しいうどん屋さん「繁じ」へ。
女将さんが「サインください!」と色紙を持ってきてくれました。
下田さんは外に出て、入り口横にある「繁じ」の布の看板も色紙に描き込みました。
果たしてどんな色紙が出来上がったのかは、ぜひお店で!
5日間の滞在中にお話を聞かせてもらった方、出会った方…、みなさんお忙しい中、本当にありがとうございました。
土佐町の絵本づくり、どんなかたちになっていくでしょうか。
私たちにもまだはっきりとしたものは見えないのですが、手探りでひとつひとつ、これからかたちにしていくことがとても楽しみです。
本日、2019年1月24日も晴天なり。
絵描きの下田昌克さん、土佐町滞在4日目です。
今日は土佐町芥川にある高峯神社へ。
高峯神社は約800年前からこの場所に建ち、明治時代に建て替えをし、今に至っています。
高峯神社の守り人、筒井賀恒さんが案内をしてくれました。賀恒さんは70年間、地域の人たちと共に高峯神社を守り続けています。
賀恒さんには今まで2度、高峯神社を案内してもらったことがあります。賀恒さんは土佐町史を読み込んでいて、この地に伝わる伝説や史実をいくつも話してくれました。今まで知らなかったことを知ると、今まで何度も通ったことがある道や目の前に広がる風景が、昨日とは違ったものに見えるのでした。
一緒に来てくれた89歳の川村武利さんも高峯神社にまつわるお話をしてくれました。
お二人とも80代の人生の大先輩。軽やかな足取りで、岩や太い木の根っこでできた参道をのぼっていきます。(ゼイゼイしていたのは、下田さんと編集部…)
この場所にはいつも気持ちのいい風が吹いています。
昔の人もきっと同じ風を感じていたことでしょう。
川村武利さん(前)、筒井賀恒さんと
「とさちょうものがたり」がシルクスクリーンでタッグを組んでいるどんぐりへ。
下田さんが描いてくれた絵を、これまでポロシャツ、Tシャツ、トートバックへどんぐりのみなさんがプリントしてきました。下田さんは、どんぐりのみなさんのプリント技術のクオリティーがどんどん高くなっていっていることを「すごい!楽しみだね!」と喜んでくれています。
どんぐりのみなさんからパンをいただきました。ありがとうございます!
一昨年、下田さんの展覧会を開いた青木幹勇記念館へ向かいました。
記念館の田岡三代さんが美味しいコーヒーいれて迎えてくれました。
田岡三代さん(左)
夕方、シルクスクリーンの作業場で下田さんが絵を描いていると、隣の家に住む山中さん、娘さんの結花さん、結花さんのお子さんが3人で作業場を訪ねてきてくれました。
「下田さんにサインしてほしくて…」と結花さんは下田さんの著書「PRIVATE WORLD」を小脇に抱えていました。
里帰り出産のためにただいま土佐町に帰省中の結花さん。この本は結花さんが学生時代に購入したもので、土佐町の実家に置いておいたのだそうです。
下田さんのこの本は17年前に出版されたもので、この本が下田さんのデビュー作。
17年後、高知県の土佐町という町で、自分の本を手にした人が会いにやって来ることを下田さんは想像できなかったでしょう。
でも、きっとこうなるようになっていたのだと思えます。
下田さんがその本に結花さんと結花さんのお子さんの絵を描きました!
絵を描く姿を見つめながら山中さんが「涙が出そう…」とつぶやきました。その気持ち、何だかわかるような気がします。
一冊の本がこの世の中に生まれるということは、きっと未来をつくるようなこと。まだ見ぬ誰かとこれから出会うきっかけや、誰かに喜びを届けるものにもなるのです。
明日はいよいよ最終日!
どんな1日になるでしょうか。楽しみです!
2019年1月23日。絵描きの下田昌克さん、土佐町滞在3日目。
春のようにぽかぽかと暖かいこの日、早明浦ダムのほとり、上津川地区に住む高橋通世さんに会いに行きました。
家に着くと通世さんは、仕事で使う刃物を研いでいるところでした。料理用、猟用、動物をさばく用…。10種類は並んでいたでしょうか。
そして山仕事に使うワイヤーやペンチ、石臼や鉄釜など、山の暮らしに必要な道具があるべきところに置いてあります。
通世さんは猟師であり、山の達人。
山のイノシシや鹿の通り道に罠を仕掛けて捕らえ、さばいて肉にします。
鳥や植物にもとても詳しく、竹に穴を開けてヤマガラの家を作り、ひながかえったときには本当に嬉しそうに教えてくれました。
お米、野菜、漬物、こんにゃくを作り、お茶やはちみつの収穫、そしてたぬき油も…。
猟のこと、山のこと、いのちのこと…。通世さんの話は尽きません。
やりたいことはやってみる。実際の行動にうつす。時には失敗もしながら、繰り返し繰り返し行動することで、通世さんは山で生きる知恵を身につけて来たのだと感じます。
通世さんが、昨日から準備していてくれたしし汁をいただきました!もちろん通世さんが捕らえたイノシシの肉です。臭みがなく、とても美味しかったです!
高橋通世さんと
「土佐町にフクロウはいるの?一度本物を見てみたい」と言っていた下田さん。
土佐町にフクロウはいます!
今まで何度か森の中から聞こえてくる声を聞いたことがあります。
どこかでフクロウと会えたらいいなと思っていたら、なんと通世さんの家で出会えました!なんという偶然!
きっとそうなるようになっていたのでしょう。
さて、そのフクロウで、下田さんは何をしたでしょうか?
その答えは春に!
そして、今日の宿泊先である瀬戸コミュニティーセンターへ。
この場所に一昨年の秋にも宿泊させてもらいました。
懐かしい黒丸地区の人たち、お母さんに再会。下田さんもとても嬉しそうでした。
通世さんからいただいたしし肉のすき焼き、お母さんが作ってくれたサラダやイタドリ炒め、亮一郎さんが作ってくれた香茸のお吸い物、そして色々な珍味…。
土佐町の美味しいものをたくさんいただきました。
ありがとうございます!
あか牛のすき焼きも!
明日は4日目。一体どんなことが待っているのでしょうか?
楽しみです!
2019年1月22日。下田さん滞在2日目の今日は、土佐町芥川へ。
山師の筒井順一郎さんに会いに行きました。
まだ霜柱が立つ山道を登り、順一郎さんは普段仕事をしている山を案内してくれました。
木を見上げ「生活のために植えた木が、切ってくれ、と言いゆう。木を見ちょったらわかる。木を切ると、残った切り株の栄養が周りの木に行き渡り、木が育つ。切り株はスポンジ状になって雨水をゆっくりと吸い込み、山の保水力を高める」と話してくれました。
順一郎さんはさながら山の哲学者のよう。
「仕事がないないと言う人もいるけんど、そうじゃない。自分で仕事はかまえるもんや」
合鴨農法でお米を育て、アメゴを飼い、山の木を切り、製材もする。しきびを育て、こどもたちに木工を教える。昔から山の人は、いくつもの仕事を組み合わせて生活を作ってきたのです。
下田さんは「順一郎さんの話だけで、一冊の本が作れそう」と話していました。
筒井順一郎さんと
山道を進み、上ノ越へ向かいました。標高600mのこの場所からは、それは見事な山々と雲海が見えるのです。
上ノ越の最後の住人だった川村英子さんの家を訪れました。英子さんは2年前に亡くなりましたが、家はまだこの場所で静かに立ち続けています。
上ノ越にて
山をおり、地蔵寺地区の長野商店を訪れました。店主の長野静代さんにさば寿司の作り方を教えてもらいました。
長野さんは前日からさばをさばき、柚子酢につけておいてくれました。
寿司飯を詰めたさばは、ぷりぷりとピカピカと光ってなんとも美味しそう!
下田さんもさば寿司づくりに挑戦!
このお店で40年作り続けてきた長野さんが「こんな風に下田さんが来てくれて、本当にうれしいねえ」としみじみと話してくれました。
名人・長野静代さんに教わりさば寿司に挑戦
この日の最後は土佐町小学校へ!
一輪車に乗っていた女の子が「下田さんや!」と遠くから走り寄って来ました。一昨年の秋に下田さんと一緒に絵を描いた子です。その時よりも大きくなっているけれど、下田さんのことをしっかりと覚えているのです。
あっという間にこどもたちに取り囲まれる下田さん。黒板に絵を描きながら、「サインして!」「絵を描いて!」のリクエストに応えます。
自分のノートに絵を描いてもらって大事そうにノートを抱えるこどもたちでした。
みんなで黒板にも描きました
「土佐町の絵本づくり」。
さて、どんなかたちになっていくのでしょうか。まだまだこれからですが、ちょっとずつ、ちょっとずつ、道ができている。そんな気持ちがしています。
2017年秋、土佐町にやって来て一陣の旋風を巻き起こした絵描きの下田昌克さん。
土佐町の方はご記憶の方も多いと思います。10月の1週間土佐町に滞在し、たくさんの町の人々の絵を描いてくれました。
その1週間の記録は、とさちょうものがたりZINEの創刊号にまとめられました。
昨年とさちょうものがたりが障がい者就労支援事業所「どんぐり」とタッグを組んで製作販売したポロシャツも下田昌克さんの協力に寄るところが大きいのです。
土佐町の春の産物を絵にしてくれたのも下田さん。春から秋にかけてこのポロシャツを来てる人をたくさん町で目にすることができました。(注:現在は販売しておりません)
その下田さんが2019年1月21日、再び土佐町を訪問してくれています。
和田守也町長と
今回の訪問の目的、それは
10年20年と長く読み継がれる絵本。子どもも大人も楽しめるような内容でありながら、深く大事なものを伝えるような絵本。土佐町の方々が「これは自分たちの絵本だ」と心から感じられる絵本。そういったものを目標にしています。
現在、この計画はやっとスタート地点に立ったと言ったところ。まだ誰しもが完成形を把握していません。五里霧中。霧の中。
土佐町役場でアイデア出し
それでも、先が見えないからこその「良いものになる予感」がひしひしとしています。これから3日間は絵本の題材になりそうな場所や人を訪ねる毎日になります。
今週のとさちょうものがたりは、速報的にその模様をお伝えしていきます。
※リンクは2017年10月、下田さんが来町した際の模様です。
とさちょうものがたりZINE03、ただいま絶賛発送作業中です。
ポストカードプロジェクトで毎月作っているポストカードにメッセージを書いて一緒に箱へ入れています。
県内外のお店や本屋さん、お世話になっている方たち、お問い合わせいただいた方たちの元へと送らせていただいています。
今までZINE01とZINE02を送らせていただいたことがある場所へはあらためて電話をしZINE03を送っているのですが、この電話がひとつの楽しみでもあるのです。
「ZINE03ができたので送りたい」と言うと、前号を送ったことをちゃんと覚えていてくださっていて「もちろん!楽しみにしています!」とか「前号もとてもよかったです」と何かしら感想を伝えてくださいます。ありがたいなあと思います。
なんだか懐かしい人のことを思い出して電話しているような気持ちになってきます。
まだまだ発送作業は続きます!自分たちで届けられる場所や、新しくお願いしたい場所へはできるだけ足を運び、直接お会いして届けられたらと考えています。それが一番気持ちが伝わると思うからです。
先日、ZINE03を送らせていただいた方からこんな感想をいただきました。
そして、土佐町森郵便局のみなさま、たくさんのダンボールや封筒を運び込むのをいつも手伝ってくださって本当にありがとうございます!
下瀬戸の北の方にコケの土と言う畝続きの薮がある。
そこへ木樵りの親子が木を伐りに行ったと。
昼飯を食べるにお茶を沸かしよったら、子どもが「鉄びんがころぶ」と言うと、親が「鉄びんが上にころぶのは不思議じゃが、下へころぶのは当たり前じゃ、上へころぶと言えばこそ」と言うと、その鉄びんが上にころび上がったと。
そして火をたいた後に、菜葉(なっぱ)がぐっと生えたと。
また、竹が奈路と言う所に一軒家があった。そこへ毎晩「餅くれえ、餅くれえ」言うて来るもんがおった。
餅を毎晩やるのはたまらんから、ある日餅のように丸い石を拾って来て、それを焼いて餅の代わりにやると、焼けたのを食べたもんじゃき、
「こりゃたまらん、水をくれ」と言ったと。それで水の代わりに油をやったと。そうしたら化けの皮がはげて一つ目になって「餅くれとはいつまでも言うが、俺は餅くろうて焼けて死ぬ。」
と大きな声で叫んだと。
すると、ねづきやぶ、えんづがうな、東角屋と言う三つの山で「ほうい」と返事をしたと。
その三ヶ所には天狗がいると言うことになって、その山を作ると祟ると言うて誰も山を作らんようになったと。
町史(「土佐町の民話」より)
相川小学校にあった、古いアルバムからの1枚です。
みなさん、キリッとしたやや緊張の面持ちですね。
映写機をのせた台に、「紀元二千六百年記念 寄贈映冩機 付属品一式 式地利吉」の文字が見えます。
一瞬、紀元二千六百年??と頭の中が「?」になってしまいますが、、、
紀元二千六百年記念とは、1940年(昭和15年)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝ったもので、全国各地でさまざまな記念行事が催されたそうです。
これはその翌年に配給された記念映画、『天業奉頌』を鑑賞したときのものだろうと思われます。当時、日本の視聴系メディアといえば、国営放送のNHKラジオ第一しかなかった時代。映像を観ることは特別に価値あることだったのでしょうね。
ちなみに、『天業奉頌』は、youtubeでアップされていました。ご興味のある方は当時を思いながらご覧になってはいかがでしょうか。
それから、「式地利吉さん」をご存知のかたがいらっしゃいましたら、ぜひご一報くださいませ!
2018年11月9日、絵本作家である西村繁男さんといまきみちさんが土佐町に来てくれました。お二人ともたくさんの絵本を執筆されている経験豊富な作家さんです。
西村さんは3年前にも土佐町を訪れてくれたことがあり、その時の縁で今回もご連絡くださり、みつば保育園でのおはなし会が実現することとなりました。
当日は、土佐町立図書館やとさちょうものがたりのシルクスクリーン作業場を訪れました。みつば保育園でのおはなし会では子どもたちから大歓声があがるほどの盛り上がり。その後の笹のいえでの夜の時間…。編集部も西村さんといまきさんのお二人とご一緒させていただいて、とてもゆたかな時間をすごすことができました。
今回の訪問前に、とさちょうものがたり編集部は、西村さんにひとつのお願いをしていました。それは「今回の土佐町での経験を文章にして伝えてもらえませんか?」ということ。
それからしばらく経った先日、編集部宛に西村さんから一本のエッセイが届きました。
土佐町で過ごした時間を、おふたりはとても楽しんでくれたようです。
土佐町と若い人たち
西村繁男
我が家のシンちゃんが亡くなった。シンちゃんは阪神淡路大震災のとき保護され、縁あってわが家にやってきた猫である。23歳の大往生であった。家に生き物がいると、夫婦そろっての長旅は無理だったのができるようになった。
墓参りを兼ねて夫婦で旅に出た。お墓は土佐町地蔵寺に在る。私は2年ぶり、妻のいまきみちは10年ぶりの土佐町である。
私は3年前、土佐町を訪れたとき鳥山さんに会った。
私も妻も絵本を作っている。絵本を作って有難いと思うのは、私の作った絵本を見たことのある人が各地にいることだ。鳥山さんも私の絵本をよく知ってくれていた。その縁でそのときは土佐町立図書館で絵本についての小さな集まりを開いてもらった。
鳥山さんは東日本大震災の後、神奈川県から移住してこられそうだが、子育てしながら土佐町での生活を生き生きと楽しんでいる様子がうかがえた。
そして鳥山さんの他にも移住してきた若い人たちが面白いことを始めているらしいことも分かった。
今回の土佐町ではそんな若い人たちの活動を見てみたかったのである。
私の家は神奈川県の最北部の山間部にある。相模原市に合併される前は藤野町といった。ここに住んで38年になる。子育て中の若い人たちも増え面白い所となっている。
東京にも近いので空き家を求めて彫刻家や陶芸家や絵描きなどが自然と移り住んできていたところに、県が藤野町をふるさと芸術村に指定した。藤野に住み始めて10年ほどは何処に誰が住んでいるのかも分からない状態だったが、それを契機に藤野町在住の芸術家同士の交流が始まり、展覧会や催しがたびたび開かれる様になった。
その後、パーマカルチャーの農業講習に来た若者や、廃校になった小学校に移ってきたシュタイナー学園関係の人たちが環境問題や地域通貨など新しいことを始め、層が広がり多様になった。
藤野では、自らやりたいことを持った人がこの指とまれと手を上げると賛同した仲間が輪を作り、そんな輪があちらこちらに在って、それが少しずつ重なりあい、人と人がゆるく自然に繋がっている。
土佐町では若い人たちがどんな形で自分たちの町作りをしているのだろうか。
高知から車で地蔵寺に向かった。途中で道を違えて偶然目にした相川の棚田に並ぶ三角形の稲わらの黄色がとてもきれいだった。
午前中に墓参りを済ませ、午後に土佐町立図書館で鳥山百合子さんと会った。この日のスケジュールは鳥山さんにお願いしていた。
紹介してもらった図書館の瀬戸彬子さんと杉尾奈緒子さんは、2人とも移住してきた若い方たちだった。笑顔の応対を見れば、図書の仕事を楽しんでいるのがよく分かる。
土佐町立図書館に寄贈してくれた絵本『あからん』。「あからん」とは、ひらがな50音の文字『“あ”から、“ん”まで』という意味なのだそうです。
次に案内してもらったのは「とさちょうシルクスクリーン工房」であった。とさちょうものがたり編集長でカメラマンの石川拓也さんと会い、工房の説明をしてもらった。石川さんも移住してきた若い人だった。
シルクスクリーンを通して人と人が繋がっていくのはとても良いアイデアだと思った。町にいい風が吹くためにアートは欠かせない。
子どもの頃に西村さんが遊んだ地蔵寺川のこと、絵本のこと、今暮らしている藤野町のこと…。お茶を飲みながら色々なお話をしました。
この後みつば保育園に向かった。西村繁男といまきみちの絵本を音楽に合わせて動かすスライドショーをするためだ。挨拶もそこそこに上映を始めた。
私はまず『おばけでんしゃ』をやったのだが、子どもたちは絵本ですでに見覚えのあるものが音に乗って展開することに興奮して大歓声で答えてくれた。
こんなにも元気な子どもたちの反応は初めてのことだった。
質問のとき「すきなくだものはなんですか」と同じことを2人の子に聞かれた。子どもは素晴らしい。子どもたちに元気をもらった。
子どもたちは聞きたいことがたくさん!西村さんの好きな果物は「高知出身だし、文旦!」と「ブルーベリー」なのだそうです。
この日の宿は「笹のいえ」である。宿の主は渡貫洋介さんと中島子嶺麻さんと4人の子どもたちである。
彼らも3・11の後千葉から移住してきたそうだ。3・11は原発の問題も大きく、生き方そのものを見つめ直した若い人たちがいて、こうして地についた生き方を始めていたのだ。夜は鳥山太郎さんと3人の子どもとアーティストの川原将太さんも参加してくれた。
子嶺麻さんの作ってくれたマクロビ料理がたくさん並びみんなで美味しくいただいた。
五右衛門風呂とコンポストトイレも貴重な体験だった。
笹のいえの子嶺麻さんから、コンポストトイレの使い方を教えてもらうおふたり。
祖父や父が地蔵寺の出ということで小学生のころは姉弟、従妹たちと夏休みは地蔵寺と北川村の大北川に行くのが恒例であった。
60年も昔の話で、その後は土佐町も過疎化が進んでいると思っていたけれど、今度の旅では若い人たちが身の丈の自分を大切にして活動している姿を見ることができて嬉しかった。そして若い人たちが土佐町の先人たちが営んできた生活を大切に思い、掘り起こし学ぼうとする姿に、藤野と違った優しさを感じた。
おまけ:途中で寄った室戸廃校水族館は学校プールにシュモクザメが泳いでいてとてもよかった。
「新しい絵本ができました」と、この原稿と共にサイン入りの絵本を送ってくれました。
*西村さんが来てくれた日の記事はこちらです。