ひがちになる
【動】一生懸命になる
例「ひがちになって掘った落とし穴に自分が落ちた。」(いっしょうけんめい掘った落とし穴に自分が落ちた。)
著者名
記事タイトル
掲載開始日
「翻訳できない世界のことば」 エラ・フランシス・サンダース著,前田まゆみ訳 創元社
可愛らしい絵と一緒に、世界のことばが書かれています。
ペルシア語「TIÁM /ティアム」 ”初めてその人に出会った時の自分の目の輝き”
…特別な誰かに出会った、とっても幸せでキラキラとした、そんな瞬間を表すロマンチックなこ とばです。
私が留学したフィンランドのことばも、もちろん載っています。
「Poronkusema/ポロンクセマ」”トナカイが休憩なしで、疲れず移動できる距離”
…だいたい7.5km。トナカイと暮らす雪国らしい単位です。 しかし、現代のフィンランド語では、”トナカイのうんち/おしっこ”を意味します。北極圏の方で は、本来の単位としての意味も残っているかもしれません。
世界中をまわって、さらなる翻訳できないことばを見つけてみたいものです。
佐藤碧衣
「サリーのこけももつみ」 ロバート・マックロスキー 著/ 絵, 石井桃子訳 岩波書店
冬の間に食べるジャムを作るためにサリーとお母さんが「こけもも」を摘みに行ったら、クマの親子もこけももを食べにきていました。
サリーがバケツに摘んだこけももを入れる時の音、原書では “
石井さんは2008年に亡くなっていますが、ぜひお会いしてみたかったです。
サリーとクマのお母さんが出会った時の顔!(2枚目の写真)決まってこの場面でこどもたちは大笑いするのです。
クマのお母さんの「グフッ」というセリフをどう言うかが腕の見せ所。
今日はうまくいった!という日は、こどもたちも私もお互い満足して眠れます(笑)。
鳥山百合子
「はたらくことは生きること」 石田 榮 羽鳥書店
「働くことは生きること、いっしょうけんめい生きること。」
これは名著です。
現在90代のアマチュア写真家・石田榮さんの写真集。昭和30年代の高知県、主に第一次産業で働く市井の人々の姿が生き生きと残されています。
石田さんは、満州からの引き揚げ者から「徳国(とっこく)」という名のカメラを譲り受け、仕事が休みの日曜日に撮影していました。
高知の農村や漁村、石灰鉱山などに通い、そこで働く人々に優しい眼差しを向けています。
時は戦後の復興期。「もはや戦後ではない」という言葉が象徴するようなこの時代(庶民にそんな感覚はなかったようですが)の、豊かではないけれど沸々と湧き上がるようなエネルギーを、見事にフィルムに定着させた一冊です。
石川拓也
「人生逆戻りツアー」 泉ウタマロ プレジデント社
第1章の副題が『ついうっかり死んでしまったその後の私』。その通り、64才の平凡なおじさんの死後の話です。魂の領域へ行くと3人の守護天使と会い、一緒にそのおじさんの人生を回想していきます。人生の岐路で天使から色々とメッセージが送られていたんです!気付くか、気付かぬか…。
自分の人生、生かされている「今」「今まで」「これから」にも起こる出来事にもメッセージがあるのかな?と思うと、物事の深さが増し、色合いが変わったように思いました。
後編に出てくる「創造主」が意外な風貌(笑)!
なのに言っていることは「おー」と思わせます。最後はほっと穏やかな気持ちになれます。この筆者、実は女性なんですって!
上土井恵子
「しゃぼんだま」 林明子 福音館書店
大人になってから「昔、きれいなしゃぼんだまの絵の本をよく読んでいた気がするけど題名はなんやったかな?」とふと思い出した時がありました。絵の感じはぼんやりと浮かぶのですがはっきりとわからない。「確か子どもが下を向いて、ふーってしてる絵だった気がする…。あの絵の感じは林明子さんなんやないかな…」。そう思ってネットで調べると、やっぱり!林明子さん作のこの本でした。残念ながらもう絶版になっていて図書館にもなかったし、どこの本屋さんでも売っていませんでした。
でも不思議なことはあるもので、ある時どこかの町の古本屋さんに行った時に見覚えのある表紙が。
もしかして!
「しゃぼんだまや!やっと見つけた!」ドキドキしながら本を開くと『子どもが下を向いて、ふーってしてる絵』が、確かにあったのです。
なつかしいこの色、この感じ。昔からの友達に会えたような気持ちでした。
そのページが2枚目の写真です。
鳥山百合子
「土佐桃色話 発汗たらたらの巻」
また連続して梅原真さん関連。すみません、それぐらいこの人の作るものが刺さっているのです。
土佐に伝わる桃色話、ちょっと色っぽくて笑ってしまう落語を収録したこの本。
1985年発刊。イラストと、おそらく装丁が梅原さんの仕事。よく見てみるとその後の「紀州の変なみかん じゃばら」に繋がっていくような福顔が表紙に載っています。
和紙のザラっとした手触りと、糸綴じ、それも和綴じで糸が見えるように気を配った造りが素敵です。
なんだろう?梅原さんの作る本やモノは、土からそのまま生えてきたような、素朴で人の手の温度を感じるものばかり。とさちょうものがたりでもZineを作っている手前、お手本というか憧れのような存在です。でも真似してもおんなじものは作れないんですよね。
2枚目と3枚目の写真のように、巻末に配置された仕掛けもクスッとしてしまいます。
発刊から33年後にこうして手元に届いたことに、しかもかなり状態の良い状態に、代々の持ち主の愛情を感じました。
石川拓也
「にちよういち」 西村 繁男 童心社
高知県に引っ越してくる前に住んでいた町の図書館にはリサイクル本コーナーがあって、そこで手に取った一冊です。
作者である西村繁男さんの鮮やかな色使いにまず目を奪われ、中を開いてみると「市」の様子や行き交う人たちの表情が生き生きと描かれていて大好きな一冊になりました。
市場好きな私は「日曜市いいなあ。行ってみたい」と思っていました。
まさかそのあとすぐに、高知県に引っ越すことになろうとはこの時は夢にも思っていませんでした。
初めて高知を訪れた時にはもちろん日曜市へ。絵ではなく「本物」の中に入った嬉しさは言うまでもなく、本物の匂いや空気の感じはまるでベトナムの朝市。匂いはいろんなことを思い出させるものやなあと思ったことを覚えています。
リサイクル本コーナーに行った時から、高知で暮らすようになることはもしかしたら決まっていたのかなあと思ったりします。ご縁はどこで繋がっているかわからないものですね。
西村繁男さんは高知県ご出身。ご縁があって土佐町に来てくださり講演をしてくださった時は本当にうれしかったです。
西村さんを育てた高知県が、あの優しく芯のあるお人柄やこの色使いを生み出しているんやないかなと思います。