土佐町ストーリーズ

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高峯神社の手洗石 後編

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また古老によるとこの手洗石を運び始めたのは、明治10年のこと、地蔵寺の岡田勝次なる者で、神社まで6kmの坂道を運ぶ計画をたてた。

「石は大きな木のまた枝でつくった木馬にのせ、しばりつけて、おん綱めん綱をかけた。おん綱には赤ハチマキの男衆。めん綱には赤手拭い赤だすきの女衆が、声をそろえ力を合わせた。

石の上には高知から来た歌い手が乗り、赤手拭いでほうかむりし、手に紅白のざいを持ってこれをかつぎ、

高峯神社の石引きは、忠臣蔵のお芝居か、お石はおかるぢやヤレコケヤサアノウウン

など木遣節のはやしを合わせ数百人、人海戦術で山坂をずるずる引き上げたものだそうな。

引き手を引き子といい、若い元気な男女は遠くの者も聞き伝え、嶺北地方の各村、群の中部、南部、高知や遠く高岡郡南部、東は岸本あたりからも参加し、毎日数百名が奉仕したらしい。

当時は酒も土地酒をつくり、毎日40ℓから50ℓもあけることがあったというし、直径1メートルものひきなべ3杯の汁を炊き、大釜で20kgから、時によると30kgの飯を炊いたので、米が食えるという魅力で参加する者も増したという。

農閑期を利用し年中行事のようになり、明治15年、5年目、安吉部落の入り口、通称「境」というところで中止となった。

当時経済上の問題や宗教上の問題やで四国で讃岐の琴平と並び称され信仰の篤かった三宝山高峯神社の神仏合祀の大権現に紛争が生じたりして中止になったものと思われる。

爾来、歳月は流れて1928年、石が座ってから43年目、昭和の御大典記念事業にと昭和3年3月、時の地蔵寺村村長・西村繁太郎さんの肝入りで石引きが再開された。

当時の青年が中心になって奉仕したが、今度は知恵と工夫、機械器具の進歩がモノを言って人海戦術に頼らず、ぞうさなく引きつけた、とも言われている。

町史

 

高峯神社の倉庫には、その時に使用した綱が現在も保存されています。

 

以下も併せてお読みください

土佐町の大神様 髙峯神社 前編

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高峯神社の手洗石 前編

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ここなあたりをまだ森郷と言うたころ、高峯神社は讃岐の金毘羅さんと並んで四国ではえらい神様であちこちは沢山お詣りにきょった。

神社の下から段々になって平い(ならい)宅地があるが、あこには宿や料理店が並んでいたそうな。

そんな頃の話よね。

三宝山(=稲叢山)の八合目ぐらいの所に土俵の大きさ位の石で、中の窪んで四・五斗ばかりの水が入る石がある。

あれは手洗石よ。

石原から平石に行く途中の、有馬林道入口のあたりの川原にあったそうなが、それをあこまで担いあげたそうな。

沢山の信者が何十人何百人となく縁日には来よったから、その信者たちが毎年毎年少しずつ引き上げて、あんな高い所まで運び上げたというから偉いもんよ。

明治になって神仏混淆はいかん言うて、三宝山も信仰が薄らいで、引き上げる人も無うて、ああやって八合目で止まっているそうな。

それが昭和三年御大典記念として村がとりあげて現在のような位置格好になった。

 

高峯神社の手洗石

後編に続く!

以下も併せてお読みください!

土佐町の大神様 髙峯神社 前編

 

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山猫退治

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昔、土佐郡土佐町の山中に大きな山猫が居ったそうな。

山から出て来て人を化かしたり、家畜を取って喰うたりして、村人を困らせた。

何んとかして山猫を退治せにゃいかんと村人達は相談したが、山猫は仲々人目に見付からない。

そこで土佐町伊勢川の猟の名人次郎スと太郎スと云う仲の良い猟師二人に頼んで退治して貰うことにしたと。

次郎スと太郎スは毎晩毎晩山へ行き山猫の出て来るのを待ったが、いくら待っても待っても山猫は出て来ざったそうな。

とうとう節分の晩になったと。

次郎スと太郎スは今夜こそは退治しようと話合って山へ行って少し待っていたら、大木の倒れた上へ大きな山猫が二匹上がって、

今夜は節分、大年の夜ぢゃ。伊勢川次郎スも来まい、太郎スも来まいもん

と云うて踊り始めた所を二人はすかさず射止めて見事退治したそうな。

それで村人達も安心して暮せるように成ったと云う事じゃがのーし。

昔はそんな事もあっつろーかのーし。

 

山下忠文 「土佐の民話 156号 土佐民話の会」

今回の「山猫退治」は、土佐民話の会が月一回発行していた雑誌「土佐の民話」156号(昭和59年12月1日発行)より転載しています。発行人である市原鱗一郎氏に快く許諾をいただいたことで実現しました。現在の私たちが多くの民話に触れることができるのも、各地に伝わっている民話を収集し出版するという、このような先人の仕事に負うところが多いことと実感します。改めて感謝を伝えたく思います。

 

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地福寺のまないた坊主 (石原)

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地福寺は、東西両石原の境界の小高いところにあって、非常に清楚なところで、寺としては申し分のないところにあります。

この寺の初代住職に、古川という人がおりました。

この古川氏は、大変偉い坊さんだったそうです。古川氏は一人の弟子をつれていました。この弟子は、大変心の悪いやつで、主人を殺して金を取って逃げようという恐ろしい考えを起こし、常にすきをうかがってました。

そうとも知らず古川氏は、ある日用事があって、夜のうちに寺を出て東にむかって旅に出ました。その後をつけて来た弟子坊主が、筋川の前の橋の上で急に古川氏に向かって切りかかりました。

一大格闘が演ぜられましたが、何しろ一方は刃物を持っているからたまりません。弟子坊主は、この橋で切り殺し、川に投げこんで逃げるつもりをしていました。

古川氏も決死の抵抗をし、「助けてくれ」という救いを求めたところ、近所の人々に聞こえ、人が来て、ようやく助かりました。

すぐに医者を迎え、手当をしましたが、傷の全長が5尺(1尺=約30cm)にも及んだということですから、いかに格闘が激しかったかが想像できます。

幸い、あまり深傷でなかったのか、養生の結果、元の体になって、再び勤めができるようになったそうです。

これより、誰言うとなく、俎板坊主(まないたぼうず)というあだ名がついたと言うことです。

岩崎吉正(館報)

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台風がきた!

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「台風がきた!」

そう言いながら、ベランダにいた私のところへ飛び込んで来た5歳の娘。

ゴォォォォォー。ゴォォォォォーー。

横なぐりの雨が何百本ものまっ白い線となって、上からも横からもしぶきをあげる。

風に押されて横へ、横へ、横へ。

白い幕をゆっくりと引いていくようにあたりの風景を隠していく。

 

目の前の山の栗の木も柿の木も、杉も桜も竹もなんだかわからない木も、ぼさぼさになりながら枝をわっさわっさと揺らし、葉も草もあっちを向いたりこっちを向いたりひっくり返ったりしながら、なんとかみんな地面とくっついている。

「台風がきた!」

娘が顔を隠す。

ゴォォォォォー。ゴォォォォォー。

風が地面を這うようにうなり声をあげながら、山の向こうから追いかけてくる。

 

 

あの山のあの人たちは、みんなどうしているだろう。

 

 

あとからやって来た息子が外を眺めながら言った。
「明日は栗がいっぱい落ちてそうやな。」

 

息子はこの時期、毎朝、バケツと火ばさみを持って山へ栗を拾いにいく。

「今日は23個やった。」とか「いくつあったと思う?67個!」といつも嬉しそうにバケツの中身を見せてくれる。
明日はもしかして100個以上になるんじゃないだろうか。

 

屋根に叩きつける雨音で長女が「すごい雨やね。」と目を覚ます。
「明日早起きして、栗、拾おう。」そう言いながら眠った息子。
「台風が来た!」と走って来た娘。

子どもたちは、こんな台風の日の風も雨も音も、風に揺れていた栗の木のことも、きっと心のどこかに住まわせながら大きくなっていくのだろう。

 

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翠ヶ滝 (能地)

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翠ヶ滝(みどりがたき)

 

能地にあって、滝の半ばに弘法大師の観音像があったと伝えられていた。

緑ヶ滝ともいう。

昔、弘法大師が四国霊場を開くためにこの谷筋にやってきた。

お大師さんが

八十八谷ないと霊場を開くわけにはいかんが、婆さん、あんたの一谷を譲ってくれまいか

と言うたそうな。すると婆さんは

この谷は昔から作(さく)をしてきた所(く)で、これをやったら食べるに苦労する

言うて譲らなんだそうな。そんで一谷足らんで霊場はできなんだそうな。

町史

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秘薬ユグリ (黒丸)

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黒丸にカキチさん言うて家伝の薬をこしらえていた。

破傷風、梅毒、ハメ(蛇)にかまれた時に、その薬を湯にとかして、たらいの中に座らすときれいに毒を吸うた。

医者で治らんのがすぐによくなった。

九州や青森の方からも欲しい言うて来とった。

カキチさんはまたその人の生年月日と歳を聞くと、大きな古い暦をめくって、

あんたはどこそこの病気じゃ

言うて当てていた。

それがまた当たってよく見てもらいに来よったと言う。

 

町史

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風が見える

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ムクムクした入道雲、セミの鳴き声。

山の神さまが洗濯したての緑のじゅうたんを大地の上に思いっきり広げたみたいな夏の田んぼ。

その田んぼに稲穂がつき花が咲き始め、表面がうっすらと黄金色になってきた。

じゅうたんの上を太陽の光を浴びて羽をキラキラさせながら、とんぼたちが飛んでいる。

 

この季節、土佐町には気持ちの良い風が吹く。

頰に感じるのはからりとした、顔を洗ったあとのような気持ち良さ。

 

この風は一体どこから生まれているのかなといつも思う。

山からか、谷からか、川からか。

 

並んだじゅうたんの上を風が通り抜ける。

まるで誰かと追いかけっこをしているみたいに稲穂を揺らしながら、重なるように、もつれるように、ぶつかりあいながら、あっちからもこっちからも走り抜けていく。

稲の波。きみどり色の海。

 

「風が見える!」

棚田が広がる風景を目の前にそう言った人がいた。

風は自分の足跡を残しては消え、残しては消え、また現れる。

 

この地の先人たちもこの風を感じていただろうか。

田んぼの畦に座り風の足跡を見つめながら、そろそろ収穫の準備を始めようか、と思いを巡らせていたのかもしれない。

 

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ワダアミ昆虫記

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夜、暑いので網戸にして寝ていると、虫が入り込んでくる。

 

眠っているのに、太ももを何かが這う気配を感じると不思議なものでサッと覚醒する。

とっさに手で虫をつかむ。

何故つかむかというと、逃がして子ども達が刺されたり噛まれたりしてはたまらないから。

 

 

ある時はカミキリムシ。

ある時はカナブン。

とりあえず、勝手口からそっと逃がす。

 

 

今朝もまた太ももにモゾモゾとした気配を感じたので、とっさに握りこむ。

硬くてギザギザしたものが右手に収まってビクッとする。

 

ヒエッ。

これ何!?

 

暗闇で目をこらすと、ゲジゲジだった。

 

足が4~5本落ちて、布団の上で「ギギ・・・ギギ・・・」という音をたてながら動いている。

うへぇ。

 

何か、つぶしても動きそうだったので、ビニール袋に入れてゴミ箱に投入する。

 

もっとえいもん入ってこんかな。

クワガタとかカブトムシとか。

昆虫採集できそうやん。

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夏休みがやってきた

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私が住んでいる相川地区には、「二本杉子ども会」という子ども会があり、毎年夏休みに入ってすぐにキャンプをする。

 

釜でご飯を炊いて、カレーを作って、花火をして、子ども達は校庭にテントを張って寝る。

大人はその辺で寝る。

夕食後、子ども達はそれぞれに遊びはじめ、大人たちは慰労会へと突入する。

 

辺りが暗くなってきた頃、運動場の隅で子ども達が騒ぎ出した。

 

「セミの幼虫や!」

「脱皮しゆ!」

それは羽化というのだよ。

 

いそいそと見に行った私は、テンションが上がって写真を撮りまくる。

 

また大人の輪に戻り話をしていると、また遠くから子ども達が

「亜美ちゃん亜美ちゃん亜美ちゃん!!!!」と呼ぶ。

 

「セミが完全に出てきた!!」

「写真撮りや!」

さかさまに出てきていたセミがいつの間にかぶら下がり、しわしわだった羽が美しく伸びている。

 

「こっちにも幼虫いっぱいおるで!」

そう言いながらプラコップに3~4匹入った幼虫を見せてくれる。

「写真撮りや!」

「セミになったやつもおるで!」

「写真撮りや!」

 

いや、セミはいつでも撮れるきえいわ!と言いながらも撮る。

どうやら、すごいセミ好きのおばちゃんと認識されてしまったようだ。

 

 

今年は川原でキャンプファイヤーもした。

本格的に木を組んで火を点けると、結構な勢いで炎が燃え上がる。

暗闇の中で炎が幻想的に揺らめく。

何かあった時は、消防団の保護者もいっぱいおるき大丈夫大丈夫、と言いながら。

「まぁホース持ってきてないけど」

しかもみんな酔っ払ってるし・・・。

 

 

キャンプの最後はみんなで花火。

広々とした運動場で、みんなが思い思いに花火に火を点ける。

小さい子達にお姉さんが「やる?」と花火をわけてくれる。

「打ち上げ花火やるで」と大人が順番に火を点けると、子ども達が歓声を上げる。

並んだみんなの後ろ姿が可愛かった。

 

夏休みのはじまりだ。

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