『「日本史」や「フランス史」などという歴史は存在しない。あるのは「人類史」というものだけだ。』これは出口治明さんの持論です。
現代の僕たちが想像するよりも遥かに、古代から世界は密に繋がっていて、お互いがお互いを影響しあって一つの歴史を織りなしている。「日本」や「フランス」などと区切って理解できるものではない。というのがその理由であり、その通りだと思います。
そのひとつしかない「人類史」を、ひとつの大きな流れとして理解するための著作です。数百年ごとに区切って一冊ずつ出してきたシリーズも4冊目。僕にとっては”発売されたら即買う”シリーズになっています。
ところで、学生時代は「歴史」というものは、暗記の教科だと思っていたんですが、違うんですね。
歴史は、語学と一緒で「積み上げていくもの」。語学というのは、地味な積み上げの果てに、ある時突然「喋れるようになる」「聞き取れるようになる」という限界突破ラインを迎えるものであると経験上言えるのですが、実は歴史も同様です。
専門的に勉強してきたわけではないですが、年を経て様々な知識が積み重なったその先に、何かしらの限界突破ラインを迎え、知識の断片の積み上げでしかなかったものが、そのあとは全てが繋がって見えるようになる。そんな感じなんだと思います。
そして歴史の様々な要素が繋がって見えるようになると、歴史というものが「過去を学ぶもの」であると同時に、「より良い未来を作るための道具」でもあるということがよくわかるようになる。
少し話が逸れましたが、こうして人類史を蓄積させていくと、人類が如何に血みどろの歴史を編んできたのかがよくわかる。なんせこの直近80年間以前は、「力による現状変更」が当たり前の世界。「強いもんの勝ち、腕力の弱い奴は奴隷」という世界であり価値観。
その価値観の行き着く先には2度の世界的規模の戦争があり、その経験がもたらした苦い反省とともに、「もう不毛な争いは繰り返さない」とコツコツ世の中を作ってきたのがこの80年くらいだった、大雑把に言えばそんなふうに理解していました。
ですが、実はその価値観はあまりにも脆かった。プーチンのような指導者ひとりの判断によって1週間ほどで壊れてしまうようなものでした。積み上げてきた80年間を一気に逆行するような、積み上げてきた積み木のお城を一気に崩してしまうような、そんな行為がロシアという大国によって行われている。
この価値観の逆行が、「やったもん勝ち」という強引な手腕で成立されてしまうのか?
それとも「逆行させようとしたら総スカンで痛い目を見た」という結果に終わるのか?
おそらく今後の人類史100年200年という単位の方向性が決まるような、非常に大きなターニングポイントになるのは間違いなく、そのために小さないち個人としても何ができるのだろうと自問することの多い日々を過ごしています。