江の口昭和町へ引越し
一学期の終わり頃だったと思う。両親の都合で、昭和町19番地髙知駅の北へ引越しました。江ノ口小学校の近くの周囲には、大きな二階建ての家ばかりでした。学校へは少し遠くなったが20分位で行けるので、今年度が終るまでは通う事にしたのでした。
昭和12年には南国博覧会が開かれていて、ゴム靴を笑われながら、破れたらズックが履けるのにと思いながら、四年生全員で見物に行ったのです。
場所は、当時、柳原の「市のグラウンド」といっていた現在の高知球場でした。初めて渡る沈下橋入口には、大きな高い門が、見た事もないように色々と飾られていて、それだけで胸がワクワクして、入るとすぐ左側に小さな家がありました。
顔も体も真黒、目の玉と歯だけ白い、身長は私位の人が立って居て、恐ろしくて、身震いした記憶があります。
広い会場には、世界中の見た事も聞いた事もない物ばかり、夢の世界の様だった事、84年も昔の事、自分にも信じられません。
そして大好きな兄が居なくなった事。将来のため手に職をと、大阪の散髪屋へ四年契約で行った事。淋しくて涙した事。一人前の職人になり髙知で働いていたが、戦争故の徴用で病死。19才の命でした。きっと兄の寿命を妹達にくれたのかも知れません。やがては天国で会えるでしょう。