(前編)
化学物質過敏症とひとくちに言っても、その症状には個人差がある。ある物質に対して近づけない人がいれば、全然大丈夫な人もいる。そのときの体調によっても許容範囲が変化するらしい。いままで平気だったのに、突然症状が出ることもある。実際に自分がどう感じるか、その場になってみないとわからないことも多い。
ある飲食店に出掛けたとき、彼女だけ建物に入ることができず、ひとり外で食べたことがあった。誘った僕らは申し訳ない気持ちだったが、彼女は慣れた様子で、家族旅行するときも屋外で食べさせてもらうことや自炊、車中泊は珍しくないと話してくれた。
日を追うごとに地域での知り合いが増え、笹ファミリーの一員として周りに認知され、溶け込んでいった。くんくんの症状を知った友人たちは、彼女を理解し、有難いことに、そのままを受け入れてくれた。日々の生活で任せられることも多くなり、家事はもちろん、その合間に長女の宿題をみたり、泣いている末っ子のご機嫌を取ったり、頼もしいお姉ちゃんといった感じだった。
滞在中16歳になった彼女は、原付免許の取得したいと考えた。試験センターに下見に行ったところ、試験会場となる建物内に長時間いるのは難しかった。職員に理由を話し、普段使っていない小さな部屋で窓を開けっ放しにして、扇風機を回す対策を取ってくれることになった。マニュアル通りが当たり前の公的な施設のとしては、人間味のある対応ではないだろうか。同行したご両親の粘り強い交渉も功を奏したのだろう、その行動力も素晴らしい。その後無事免許を取得し、原付バイクに乗れるようになった彼女。さらに行動範囲を広げ、毎日の暮らしを楽しんでいた。
そしてあっという間に11ヶ月が過ぎた。予定より早い期間だったが、里帰り出産するうちの奥さんに合わせた形となった。笹を離れる前日に友人たちを招いて、お別れ会を開いた。たくさんのひとがやって来て、彼女と時間を共有し、別れを惜しんでいた。その様子をみていて、彼女を受け入れて本当に良かったと思った。
彼女のことをよく知らない人は、症状を聞いて「可哀想に」と言う。正直、僕も最初はそう思っていた。でも、彼女と一緒に暮らし、日々を淡々と、そして楽しみながら過ごしている様子を身近に見ているうちに、そんな感情はもうどこかへ行ってしまった。もちろん症状が治ったり軽減することを望む。しかし、自分の在る状態を受け入れ、そのときできることをやる。それは、僕らとなんら変わりない。
くんくんは今後、自分に合った環境や場所、家を探す旅に出るそうだ。
たくさんの可能性を持った若い彼女にエールを送りたい。