「ミッコと呼んで!」
小学校5年生の時に転校してきた「ミッコ」は、開口一番、こう言いました。
出会いは、この一言から。
以来60年。ずっと同級生のまんまです。(当然のことですが…。)
二人とも、同じ中学校に進学、部活はバレーボール部でした。おもいっきりがよく、はっきりとしている「ミッコ」はエースアタッカー。どちらかと言えば、調整型の私はセッター。
当時は、体育館など無く、外での練習や試合でした。上は白いジャージに、下は黒の提灯型のブルーマーで、日に焼け、真っ黒になりながらの練習。それに加え、当時の先生が、あろうことか、日本が考案した「回転レシーブ」などをとり入れたものだから、背中も土で真っ黒。私は、真っ黒になりながら、「ミッコ~!」と呼び続けていました。
しかし、中学校を卒業すると、進路が分かれ、二人はしばらく遠ざかることとなりました。
…が…
再び、私は「ミッコ~!」と呼び続けることに…。
二人とも、地元で結婚し、同じ「ママさんバレー」を楽しむこととなったのです。「ミッコ」がエースアタッカー、私はセッターという構図は、中学生の時と同じです。いろんな大会に出場し、勝ったり、負けたり、多くの楽しい時を過ごしました。
その後、ミッコは、JAでの仕事。私は、自営業で、子育てと、仕事に没頭する毎日を経て30年。今はもう孫がいる年代になって、身体を思う存分使っての趣味が難しくなってきた今、「青木幹勇記念館」でのいくつかの教室、アップリケ教室や、ソロバン教室にカゴ作り教室などで、今度は静かに、「ミッコ」と呼び続けています。