土佐町ストーリーズ

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玄関先の一升瓶

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家に帰ったら玄関先に一升瓶が置いてあった。
それが何なのか、誰からなのか、すぐにわかった。
わざわざ家に来てくれたんやなあ、と思いながら玄関の戸を開けて一升瓶をそっと家へ入れる。
一升瓶の口は和紙のような紙で覆われていて麻ひもでリボン結びになっている。ひもをほどいて和紙を取ってみると、古い服をちょきちょき小さく切ったものをきゅ、とねじって栓にしている。これは毎年一緒やなあとなんだか安心する。

この前、我が家のもち米をおすそ分けしたから、醤油の一升瓶と物々交換、ということだ。

 

こんな風に「玄関先になにか届いている」ことが、今まで一体何回あっただろうか。
ちょっと思い返すだけでも、冬は大根や白菜、干しいも。春は山菜、じゃがいも、たらの芽。夏は梅、トマトやカラーピーマン、米ナス、きゅうり、すいか。秋は柿や栗、柚子、さつまいも、しいたけ、なめこ…。季節を問わず、卵やもち米、こんにゃくや味噌、お米、カステラ、梅干し…。
玄関先じゃなくて庭の真ん中に、きゅうりの入った袋とおせんべいがどさっと置かれていた時はびっくりした。
「鶏にやって」と二番米が入った30㎏の米袋2袋や、食べ物じゃないけれど庭にどっさり薪が届いていたこともあった。おさがりの服も。

玄関を開けたらダンボールが置いてあって、手紙とその人が作った野菜と味噌が入っていた時もあった。
(大きな声では言えないが家に鍵をかけてないのだ!)

多分こういうことは私だけじゃなく、土佐町の人たちの間で日常的にあることだと思うのだが、一体どれだけのものがお金のやりとりなしに行き交っているのかなと思う。

都会ではもののやりとりが行われる時にはお金を介在するし、それが当たり前だと思っていた。でも、土佐町に来てからそうじゃないあり方もあるのだということを初めて知った。いただくばかりで何もお返しができていないのだけれど…。

ちょっと多めに作ったから、ちょっとたくさんもらったから、ちょっとたくさん採れたから、あの人に持っていこう。

あの人に持って行こうと思った時に、顔を思い浮かべてもらったんやなあということが何よりうれしい。

 

 

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そして、編入合併へ・・・

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「大渕・古味・井尻・下川・上津川」という地区があります。

今では、20数名しか居住者がいませんが、昭和の中期には700名を超える住民がいました。

今回は、この5地区で、かつて起こった熱い闘いの物語です。

 

 

森村・地蔵寺村・田井村の3村が合併して土佐村となったのが昭和30年のこと。

当時、嶺西地域には森村・地蔵寺村・田井村・吉野村の4村あり、その4村が合併について協議していました。

 

吉野村では「本山町と合併せよ!」という8地区と「田井地区と合併せよ!」という5地区が対立。

この5地区が「大渕・古味・井尻・下川・上津川」です。

結局、決着がつかないまま、吉野村は多数決により本山町と合併しました。

 

それから約5年間、この5地区が本山町から分町をして、新土佐村へ編入合併する闘いが始まります。

 

土佐村に編入合併することについて、住民の直接投票に持ち込むための運動が約3年間にわたって展開されました。

 

その後、運動が実を結び、住民投票が行われます。

住民投票については、時間制限なし(夜間の運動可)、個別訪問自由ということで7日間、昼夜兼行で激烈な運動が展開されました。

その当時、5地区を合わせると754名もの住民がいたため、住民投票の当日はその警備のため100名もの警察官が派遣されたといいます。

 

住民投票の結果、0.66票の差で、分町反対地区民が勝利する形となりました。

この結果を不服とした分町希望者は、本山町選挙管理委員会、さらには高知県選挙管理委員会に対し再審査を要求。

しかし共に受け入れられず、法廷闘争へと突入します。

 

訴状をもって高松高等裁判所に提訴すること10数回、審理の末、分町派の5地区はついに勝訴の判決を得ます。

高松高裁は『再審査の結果投票で無効とされたものの中に有効票があり、分町賛成票が1.33票強であった』と判断しました。

これに対し、県選管が最高裁判所に上告しましたが、最高裁が高松高裁の判決を支持し、分町派勝訴の判定が確定しました。

 

そして、昭和36年、本山町のうち吉野地区西部5地区が土佐村に編入合併することになったのです。

 

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土佐町が生まれた日

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土佐町はかつて、土佐村でした。

昭和41年頃から、町制の実施の希望が村民の間で高まり、昭和44年に町制施行が決定しました。

さて、ここで「新しい町名をどうするでよ?」問題が勃発します。

 

町制を施行するにあたっては、町制調査研究特別委員会という会が立ち上げられたそうで、新町名もその委員会で検討されました。

その当時、すでに「土佐市、中土佐町、西土佐村、土佐山村、土佐山田町」など、土佐という名称のつく市町村が多かったので、間違わんように他の名称にしたほうがえいんじゃない?という意見が多く、各委員が新町名を提案しました。

 

「嶺北町」

「水都(みと)町」

「吉田(よしだ)町」

「土北(どほく)町」

「奥土佐(おくとさ)町」

「早明浦町」

「昭和(しょうわ)町」

「登佐(とさ)町」

「美都(みと)町」

「大海(おおうみ)町」

 

さらにこの中から、「2つだけ選ぶとしたらどれがえい?」と選ばれたのが「嶺北町」と「水都町」。

委員会では決定的な名称は選定せず、この2つの中から住民投票で町名を選ぶことに。

 

その際、「候補の中にない町名を自由記載してよいか」という意見が出ます。

「えいろう。」「それも住民の意見じゃ。」

そうして行われた住民投票。

 

蓋を開けてみれば、自由記載の「土佐町」が一番多かったのです。

 

その結果に、すったもんだ てんやわんや あれやこれや あったという話も聞きますが、やはり住民の大多数が支持した土佐町、ファイナルアンサー。

 

そして、昭和45年2月20日に『土佐町』が誕生しました。

今となっては「土佐町」以外考えられませんが、もしかしたら全然違う町名になっていたのかもしれませんね。

 

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万次郎だけどジョンじゃない

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「万次郎カボチャを土佐町で作り始めたのは、うちの母やと思うがよー」

とおっしゃったのは土佐町役場に勤務している藤原美穂さん。

 

お母さんは川田慶子さん。

地蔵寺に住んでいる。

 

息子さんのお嫁さんは熊本出身で、お嫁さんのお父さんは種苗業を営んでいる。

25年程前、息子さんが結婚する時、お嫁さんのお父さんが、作っていた万次郎カボチャの苗を譲ってくれたそう。

最初の年は40数個も収穫があって、それがまた美味しい、収穫時期が遅い(霜が降りるまで大丈夫)ということで評判になって『作ってみたい』という人が増えたらしい。

インターネットで検索してみたら、日本では苗を売っているところが高知に一軒しかないんですって。

種間交雑種のせいか雌花しかつかず、種での販売はされていない。高知県の苗物屋さん(片山種苗)で苗が販売されているとのことで、その苗物店が生みの親だそう。

と、いうことは、熊本で作られていた万次郎カボチャも、高知出身ってこと???

 

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編んでる?

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「最近編んでる?」「まぁ、編んでるよ」

 

ふと耳に入ってきた言葉。

この時期編むといったらマフラーかな?セーターかな?

 

これは、集落支援員さんの会話。

下瀬戸・黒丸と南川には、土佐町の中心部から車で1時間かかるのだが、それぞれ集落支援員さんがいる。

集落支援員さんは、地域に入って活動し、地域の現状や課題を把握して、どう対応していくかを役場と一緒に考えてくれる頼もしい存在。

 

そんな集落支援員さんは何を編むのか。

 

「背蓑(せみの)」だ。

 

農作業の時に、日よけや雨よけのために背中に背負う「蓑」。

 

下瀬戸・黒丸、南川地区では以前は背蓑の作り手がたくさんいたけれど、今ではたった一人しか作っていない。

そこで「背みのづくり保存会」というのを作って、その技術を教えてもらっているのだそう。

 

背蓑の原料は「菅(すげ)」という植物。

「良質な菅は寒い高地で霜が降りたやつなんやけど、最近あんまり取れんでね。低地のでも作れるけど、そういうのは何年かしたら萎れる」

とのこと。

 

「最近編んでる?」「編んでる編んでるー」

編んでいるのは、まさかの背蓑。

なんだかちょっぴり かっこいい。

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エンコウ渕(峰石原・東石原)

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峰石原の谷の渕の一つに、昔エンコウが棲んでいたと言われる渕がある。

土地の老婆おりえと言うものの年若い頃生んだ子どもは、生まれるとすぐに立って走りまわり、頭のいただきに皿のようなものがあったので、エンコウ渕のエンコウにみいられたものであろうと評判になって、家族の者が恐れて頭の皿に釘を打ちこんで殺したということじゃ。

また、東石原の惣川(そうかわ)のフクチビというところの渕にもエンコウが、棲んでいて、そこの近くの農家のおさとと言う娘が、そのエンコウにみいられてみごもったので、近所の猟師が鉄砲を持って渕をねらったと。

するとそれだけでエンコウはねらわれたところに弾に打たれた孔(あな)のようなものができて死んでいたと言われ、その後この猟師の一家には不幸がつづき、御祈祷でみてもらうとエンコウをねろうたたたりだと言い伝えられているそうじゃ。

 

町史(桂井和雄 「土佐の伝説」第二巻より)

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遠い日の記憶

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町内にあった保育園が統合して1園となり『みつば保育園』が誕生したのが平成18年のこと。

それまでは土佐町には『田井保育所』『はと保育所』『石原保育所』の3園ありました。

私は『はと保育所』に通っていたのですが、当時は子どもも多く、送迎バスがありました。

相川方面と土居地区方面の2便あったと記憶しています。

 

私が通っていたのはもう30年以上も前。

昭和50年代が終わろうとしている頃です。

 

土居地区方面への帰りのバスは、上ノ土居→土居→大谷と、順番に子どもを降ろしていきます。

私は土居で下車しているのですが、その日は上ノ土居のお友達に「一緒に下りよう」と誘われました。

上ノ土居は1つ手前のバス停で、上ノ土居で下りても、私の家まで徒歩1分程度でしたので、軽い気持ちで下車しました。

 

そして家に向かって歩いていると、向こうから怒りの形相の祖母の姿が・・・。

いつもバス停まで迎えに来ていた祖母は、私がバスから降りてこないので、
運転手さんに「これこれこういう子が乗ってなかったか」と聞いたところ
「上ノ土居で降りましたよ」と言われたらしく、探しにきたのです。

 

「勝手に他の所で降りたらいかん!!」と叱られました。

 

その当時は「別にえいやんか~」と思っていましたが、今思うと、心配しただろうなぁ・・・。

あの時の道の向こうからやってくる祖母の姿は、今でもありありと思い出せます。

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しし汁の約束

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「おーい!」

まだ朝もやが立ちのぼっている中を近所のおじいちゃんが手招きしている。

車を道の脇にとめて窓を開けるとおじいちゃんは近くに来て言った。

「昨日、しし(猪肉)をもらったんよ。今日炊くから、仕事の帰り、来れたらいらっしゃいよ。」

私の息子には「昨日来た時、もう伝えてある。」と言う。

息子は学校帰り、毎日のようにおじいちゃんの家に寄っては、テレビで『はぐれ刑事純情編』を見せてもらうことを楽しみにしている。
昨日の夕方も寄っていたらしい。

「じゃあ、息子と一緒に行きますね。」

 

息子は昨日、おじいちゃんの家にしし汁(猪肉との野菜の味噌汁のこと)を食べに行く約束をしていたのだ。
私も今日、おじいちゃんと同じ約束をした。
それぞれでしていた約束がこんな風につながったりする。
この日は一日中「約束」のことを何度か思い出しては温かい気持ちになった。

でもこの日の夕方、思ったよりも帰りがずっと遅くなってしまった。
申し訳ないと思いながらおじいちゃんの家を訪ねると、おじいちゃんがいつもいる小屋の薪ストーブの上には大きな鍋が置いてあって、その中にはしし汁がたっぷり入っていた。

小屋の中の温かさや鍋のふたの隙間からゆっくりとたちのぼって行く湯気の感じから、ずっと待っていてくれたことが伝わってきて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「遅くなってごめんなさい。」と言うと、おばあちゃんは笑って違うお鍋にしし汁をたっぷり入れてくれた。
「晩ごはんに食べなさいよ。」と言って。

息子が来たのかどうかを聞くと「来んかった」。

そして「このままだとまけるけ(こぼれるから)、トラックで運んじゃお」と言う。
そこまでしてもらっては申し訳ないと言うと「かまわんかまわん。」と軽トラックに乗り込んでしまった。

 

おばあちゃんは私の家までお鍋を運んでくれた。
受け取った鍋はホカホカと温かく、帰ろうとするおばあちゃんの軽トラックのライトがとてもまぶしかった。

私が鍋を抱えて家に入ると、息子が「それ、なあに?」と聞く。
「おばあちゃんがしし汁をくれたよ。」と言うと

「あ、僕、約束忘れてた…。」
しまった、という顔をしていた。
「約束忘れちゃってごめんなさい、って言わんといかんね。」と話すとうなずいていた。
その夜、息子は何杯もしし汁をおかわりした。

次の日の朝、「今日学校の帰りおじいちゃんち行ってくる」と行って息子は学校へ出かけ、夕方遅くに帰ってきた。

 

「おじいちゃんがね、今度柿とりにおいで、って。」

次は柿を取りに行く約束ができた。

 

家の窓から見えるおじいちゃんとおばあちゃんの家。
いつもおじいちゃんとおばあちゃんがあの場所にいてくれて「約束」を楽しみにしてくれていることを本当にありがたいなあと思う。
おふたりに何を返せるのかな…といつも思う。

 

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げに、まっこと

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これぞ土佐弁!という土佐弁を使うことが減ったと思う今日この頃ですが、最近耳にした土佐弁を紹介します。

 

「へらこい」・・・ズルい

「しのべる」・・・しまう、片付ける

「めっそう」・・・さほど、それほど

 

使い方としては「あいつはへらこい」「これ、タンスにしのべちょって」「めっそう残ってない」とか、こんな感じ。

自分より若いおねーちゃんの口から「めっそう」なんていう言葉が飛び出すと面食らいます(笑)

 

 

あと初耳だったのが「てんくろう」。

「あいつは『てんくろう』やき」

使った人にどういう意味か聞いたら「俺の親父みたいなやつのことよ!」とのこと。

全然わからなかったので調べてみたら「知恵が回る、頭の回転が速い」という意味だけれど
どちらかというと「悪知恵が働く」という意味合いが強いみたい。

 

それから、他県の人に説明しづらいけど、使い勝手がいいのが『のうが悪い』。

よく『脳が悪い=頭が悪い』っていうこと?と誤解されるのですが、そうではない。

 

洋服の着心地が悪かったら『のうが悪い』

物の使い勝手が悪かったら『のうが悪い』

 

 

他にも色々面白い土佐弁があるぜよ~。

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娘のおみやげ

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「かーさん、おみやげ!」

保育園にお迎えに行ったら手渡された一枚の葉っぱ。

お庭で見つけたとのこと。

落ちているのを見つけて手にとって、じっと眺めたのだろう。

その姿が目に浮かぶ。

この葉を「おみやげにしよう」と思った娘を、とてもいいなと思う。

春、夏、秋、冬。この町のめぐりめぐってゆく季節が娘の感性を育ててくれている。

 

 

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