前回と同じく、こちらも澤田裕彦さんのお家のアルバムから。
土佐町には何世代も続けて住んでいる方が多いので、お祖父さんやひいお祖父さんのアルバムがこうして大切に残っています。
昔の女性の暮らしぶりが垣間見える一枚です。
国旗を持っているのは、戦時中ということでしょうか?
右上にカメラを覗き見ている子供が一人。この方、どこかにいらっしゃいませんかね?
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前回と同じく、こちらも澤田裕彦さんのお家のアルバムから。
土佐町には何世代も続けて住んでいる方が多いので、お祖父さんやひいお祖父さんのアルバムがこうして大切に残っています。
昔の女性の暮らしぶりが垣間見える一枚です。
国旗を持っているのは、戦時中ということでしょうか?
右上にカメラを覗き見ている子供が一人。この方、どこかにいらっしゃいませんかね?
輪ゴムを二重にして長くつなぎ、両端を二人で持ってそれを飛ぶゴム跳びの事。なんで「いっすん」と言うたろう??
記憶もさだかじゃないけれど、持ったゴムを膝こぞう、腰、胸、肩、頭と上げていく。頭の上にひろげた片手を「いっかち」というのもあったと友達は言う。
最後は腕をまっすぐ伸ばして両端を持ったゴムを飛び越えたら終わり。途中でひっかかると休みとなったのか、ゴム持ちになったのかは忘れた。
飛び方もいろいろ。腰までは飛ぶ時に触ったらアウト。うしろ跳び、よこ跳び、それから助走をつけ足をあげて跳ぶ。逆立ちをして跳ぶ、側転で跳ぶ。
他の跳びかたもあったかもわからんけどねえ。ゴムやき失敗しても痛くないし。
小学生の時はパンツのゴムにスカートをはさんで跳んだ。中学生になっても私らあの学年は男女仲がよかったけ校庭でやった。
制服はスカートやったき・・・、まさか逆立ちはないでねえ。体育の前のブルマやったかも・・・・、上も下もゴムのはいったブルマやった。
テレビゲームも携帯も無い時代で外での遊びがほとんど。いろんな事を思いだす。
遊びの中で結構鍛えられよったと思うねえ。それにしてはリズム感も運動能力もいまいち・・・・、やけど。
これでこの話しは終わりの予定やった。ところがその夜、久しぶりの同級生と食事会。なつかしいねえと「いっすん」の話しをした。
「えっ いっすんと違うでー いちだんと言うたでー」
「えっ?えっ?そういえばそんな気がする」
「確か頭が10段」
「そうそう」みんな納得。
それから足首、すね、気をつけ、腰、胸、肩、耳、頭、何と考えても足らん。
「地べたは?」
「そりゃないろう」
「へそもあった?」
「いやー腰とかわらんろう」
なんぼ考えても考えても思い出せん。三人よれば何とかと言うけれど四人よっても無理やった。
布団の中でもずーっと思い出してはみたけど、いつの間にか、ねいっちょった。
母親の誕生日と同じ日に、四人目が誕生した。
「無事に生まれてくれれば、性別はどちらでもいい」と言っていたものの、男子がふたり続いた後なので、実は待ってた女の子。名は「月詠(つきよみ)」です。どうぞ宜しくお願いします。
名づけ親はお義父さんで、日本神話に出てくる神様・月読尊(ツキヨミノミコト)が由来だ。
神様の名前だなんて、どうしたって名前負けするしかないけど、「月をよむ子になってほしい」という願いが込められている。
「最近の子の名前は難しくて、よう覚えん(とても覚えられない)」
と言われる昨今。そう言えばうちの子たちの名もその部類に入るかもしれない。
長女・ほの波(わ)の誕生のときは、初めての子と言うこともあり、名付けに気合が入っていた。出産予定だった9月は、田んぼに稲穂が実る季節。風が吹くと波のように揺れる穂波をイメージ、やわらかい印象にしたくて一部をひらがなにした。
次に生まれてきた長男の名前は、玄人(げんと)。僕は玄米好きなので、この文字を使いたかった。音が男らしくて好きだ。「玄」は全ての源と言う意味があると後から知った。彼から名前の由来を聞かれたら、さも知っていた風に教えてやろう。一般にはクロウトと読むってこと、人から指摘されるまで気づかなかった。
ここまでは親としての想いというか、イメージ先行というか、字画による右往左往はあったけど、比較的スムースに命名していた。しかし、三人目が生まれるときは、すでにネタが切れていた。
三人目、次男がやって来た日は、皆既月蝕でしかも満月だった。だから、月に因んだ名前にしようかと考えたが、これが難航した。新生児の名前は出生後14日以内に届け出ないといけない。刻々と迫るタイムリミットに段々焦ることになる。
提出期限まで待ったなしというある晩、集中的に考えた。奥さんのお祖母さんが字画に詳しい方なので、候補を挙げては伺いを立て、却下されては、また考え、の繰り返し。結局その日は決まらずにいつの間にか寝落ち。翌朝、改めてノートを見て笑ってしまった。央丸(まんまる)とか蒔人(まきと)とか、個性的な名前が書き殴られていた。
結局、20ほどの候補の中から、親類友人たちと投票をし、「耕丸(たがまる)」と名が決まった。これで一安心と思っていたが、里帰りしていた千葉から高知に戻って、土佐弁に「ちゃがまる」という言葉があることを知ることになる。「壊れる」という意味だが、地元の知り合いは親しみを込めて「ちゃがまったらいかんぞね〜」と冗談を言われ、しばらく「ちゃがまるくん」と呼んでいた。命名するときは、その字や音が国内外の言葉や言語でどういう意味になるのかリサーチする必要がありそうだ。
変わった名前と言えば、うちの奥さんの名は「子嶺麻」と書いて、シネマと読む。あだ名のような名前だが、本名だ。ご察しの通り、彼女の御両親は映画鑑賞が好き。一度聞いたら忘れないだろうし、海外の方にも覚えやすい名前だ。
会期は30日までですので、お時間のある方はぜひ、土佐町役場から徒歩1分の青木幹勇記念館にお越しくださいませ!
今回、写真展には48枚の写真を布に印刷して掲示しました。
風にひらひらたなびく様はちょっと気持ちよかったです。
この写真たち、会場でもお知らせさせていただきましたが、写真展終了後には土佐町の方々に貸し出しします。
たとえば物産展。たとえば大事なプレゼン。たとえば人がたくさん集まる場。
3,4枚でも設営したら土佐町のイメージを伝える一助になるかと思います。
会期が終わる頃には自立式スタンドも作成して、壁に貼らなくてもその場に自立するような仕組みにします。
○対象: 土佐町に関連する方ならどなたでも
○費用: 無料
○期限: 特に決めていませんが、使用後は速やかに返却していただければ
○お問合せ: 0887-82-0480 土佐町役場総務企画課(担当:和田亜美)
ちょっと見ない間にパクチーの葉はとりごろを逃し、花が咲き、種になりかけていました。
そんなパクチーを茎ごとザクザク切って、硬い茎を取り除いてパクチーペーストにしました。
美味しいオリーブオイル、塩、くるみ、うちで採れたにんにくを一緒にフードプロセッサーに入れて混ぜるだけ。わたしは去年のパクチーフェスでこのペーストの虜になって、今ではバジルペーストよりもずっと好きです。バジルをペーストにするモチベーションがなくなってしまって、困ってるくらい。
使い方はバジルペーストと同じで、パンに塗ったり、パスタを和えたり。サラダに混ぜたり、伸ばしてドレッシングを作ったりしても最高です。パクチーの匂いが苦手じゃなかったら(このハードルが意外と高いですよね)今からでも遅くないので是非。
当日はたくさんの方々にご来場いただき、誠にありがとうございました。楽しかった〜!!
写真展は6月30日まで開催されています。まだご覧になられていない方はぜひ青木幹勇記念館へお越しくださいませ!
「石川拓也とさちょう写真展」は6月30日までの開催です。ぜひ足を運んでみてください。
○日程 2018年6月2日(土) 〜 6月30日(土) 期間中毎日13:00~17:00の開場です。
○オープニングイベント 6月2日(土) 13:00~17:00
○会場 青木幹勇記念館(旧森小学校) 高知県土佐郡土佐町土居437 0887-82-1600
○主催 知の循環型生涯学習研究会 後援 土佐町教育委員会 協賛 HappyFabric.me
○参加費 全て無料 どなたでも参加できます。お子様連れも大歓迎です。
○お問合せ 0887-82-0480 土佐町役場総務企画課(担当:和田亜美)
2018年5月28日、高知新聞にとさちょうものがたりの取り組みが掲載されました。
高知新聞嶺北支局の森本敦士さんが書いてくれました。ありがとうございます。
この記事は高知県だけではなく愛媛・香川・徳島、四国4県の新聞にも掲載されました。
どんぐりとの取り組みが多くの人に伝わっていくといいなと思っています。
この記事を読んで、どんぐりのメンバーさんもとても喜んでいたとのこと。
これからも小さな一歩を積み重ねていきたいと思います。
【地域を創る 四国を拓く 四社連載企画】
町の魅力を再発見 とさちょうものがたり(土佐町)
「あなたの町はどんな所?」と問われたらなんと答えますかー。
豊かな自然、人のぬくもり…。土佐郡土佐町のプロジェクト「とさちょうものがたり」が伝えようとするのは、一言では言い表せない町の魅力だ。それを映像や文章、デザインなどあらゆる手法を用いて、町内外に発信している。
仕掛け人は、まちが2016年に地域おこし協力隊として雇用した写真家の石川拓也さん(43)=千葉県出身。世界を旅し、雑誌や広告の世界で活躍していたが、「自分の見たい世界がここにある」と、人口約4千人の土佐町に移住した。
石川さんは「田舎には何もないと住民は言う。だけど、東京都は違う価値観があり、それからそれが大事になってくる。まず住民に自分の町を再発見してもらいたい」とし、「とさちょうものがたり」を始めた。自身や住民が書いた様々な町の記事をウェブサイトで発信する。
町内の美しい景観を撮影し、ポストカードや動画「キネマ土佐町」として公開。全町民の写真を載せようという「4001プロジェクト」も継続中だ。
住民が寄せた記事も味がある。1950年代生まれの執筆者によるリレーコラム、母が受け継いで来た料理の作り方、古い写真にまつわる人の記憶、好きな本の紹介ーなど、読み進めると土佐町民の暮らしの息遣いが感じ取れる。
活動はウェブサイト上にとどまらない。国内外で活躍する画家や歌手を招いたイベントを開催。町の魅力が彼らを通してロゴや絵、歌などに形を変え、町に残っている。谷川俊太郎さんの絵本の挿絵などを担当した下田昌克さん(50)=東京都=の来町は、新たな事業創出につながった。
下田さんの絵をプリントした服などをイベントで販売したところ好評で事業化することに。今年4月から町内の障がい者就労支援事業所「れいほくの里どんぐり」にプリント業務を委託し、絵と町のロゴが入った衣類の受注生産を始めた。
作業する利用者の反応も上々で、事業所管理者の上田浩子さん(40)は「(利用者の)工賃アップになり、職員以外の人とも関わることができる。協力して事業を大きくしていけたら」と期待を寄せる。
石川さんは「自分たちが面白がって、町の人が喜んでもらえることをやりたい。(町の魅力のような)輪郭のないものは、小さな話を集めると見えてくる」と話す。土佐町の物語を紡いでいくプロジェクト。今後、ストーリーがどう展開していくか、まだ誰も知らない。
(嶺北支局・森本敦士)
メモ:
「とさちょうものがたり」は2017年6月にウェブサイト(https://tosacho.com/)を開設。記事をほぼ毎日掲載している。今年4月から編集部の母体として任意団体「風」を立ち上げ、土佐町から委託を受けている。衣類プリントの注文はウェブサイトか、町役場総務企画課(0887-82-0480)へ。
土佐町役場の建設課長・澤田裕彦さんのお家にあった古いアルバムからの一枚。
お侍が写っていますね。キリッとしてかっこいい!
おそらく昭和20年代?かな?
ところでこれは情報が全くない写真です。
どなたか写っている方や場所に見覚えがあったらご一報ください。(難しいと思いますが‥)
お一人、あからさまにそっぽを向いている人物がいます。
魂が抜かれるからといった理由なんでしょうか?
出張中の車内、昭和生まれの職員が3人集まるとこんな話になりました。
「そういえばたぬきの油とかあったよね」
「何にでも効くゆーてね」
「うち、今でも冷蔵庫に入ってますよ」
「ホンマに効くがやろうかねぇ」
「でもたぬきの油、刺さったトゲを抜くのにはえいで!ちょこっと塗って一晩置いちょったら、トゲが抜けちゅうがって」
「ええー!何の成分なんやろう?」
「火傷にはよくアロエ塗りましたよね」
「フキとかも使いよった気がする」
「え?フキの葉?茎??」
「茎。消毒になるとかゆーて」
「ぼく、小さい頃、車酔い予防にゆーて、車に乗る前にセンブリ飲まされよったがよ。でもあれ苦いやん?そんなもん飲んで乗ったら余計酔うわね」
「センブリって腹痛用なんじゃ・・・」
「腹痛といえば、梅肉エキスとか、昔作りよった気がします」
「梅肉エキスって何?」
「梅の実を、黒うなるまで煮詰めたやつです」
「ええー、そんなん見たことない!」
「(インターネットで検索して)青い梅の実をすりおろして、汁をしぼったやつをアクをとりながら煮詰めるがやと」
「昔は薬とかなかったき、そんなんやったんでしょうかねー」
「いや、うちらぁ、薬箱に置き薬あったがで!それやのに・・・」
他にも、ヨモギの葉は止血ができる、とか色々ありますね。
私は小さい頃、よく蕁麻疹が出る子だったのですが、蕁麻疹には山椒がえい!と言われて蕁麻疹が出るたび庭に生えている山椒の葉っぱをかじらされていました。
良薬口に苦し?