2019年10月

“4,001”

土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)

注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。

“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。

念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。

土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。  (敬称略・撮れたときに不定期更新)

4001プロジェクト

筒井博太郎・苗子 (立割)

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立割地区の筒井博太郎さんと苗子さんご夫妻。

お二人ともとても明るく、いつお会いしてもどことなく楽しそう。

この写真を撮影した場所は、お二人のお家の裏手にある山の斜面。ご夫婦はここで長年あか牛を放牧しています。

実はシャッターを押す少し前までは一頭のあか牛が近くにいて、写真に一緒に写ってほしかったのですが、僕の声に驚いて牛とは思えないスピードで走り去ってしまったという、あまりいばれない逸話を残してしまいました。

 

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私の一冊

石川拓也

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 「ほどよい量をつくる」 甲斐かおり インプレス

「大きいことはいいことか? 売り上げは無理をしてあげるべきものだろうか? 国内の技術を捨てて安いほうを選び続けていいのか? そうした問いに、彼らは仕事を通して答えようとしている。」

大量生産・大量消費が良いものとされていた時代が、本当にものすごい勢いで変わろうとしているのを肌で感じる今日この頃。

この本はフリーライターの甲斐かおりさんが出会った、「既存のしくみから外れた場所でやりたいことを小さくスタートさせ、創意工夫でほどよい量の仕事を成立させている人や企業」のお話。

興味深い例が、現在進行形で次から次へと登場します。

売り上げを右肩上がりで維持するために無駄にされるモノ、捨てることを前提に作られる大量生産品、などなど従来のビジネスのやり方に疑問を持ち、本質的な問いを繰り返しながら仕事をする人々が、簡潔で飾らない文章で紹介されていきます。

作りすぎないこと。売り上げよりも周りの人を少し幸せにすることを目的にすること。

お客さんとつながり直す、物語とつながり直す。

この本の登場人物の方々には個人的にもとても大きな共感を感じますし、とさちょうものがたりの基本的な考え方、シルクスクリーン事業の成立の仕方なども同じ地平線上にあると思いつつ、心躍らせながら読みました。

 

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私は山の奥にある、山の中心にある土地を訪れ、そこであらゆる神道の出来事に使われるしきみを育てていらっしゃるAさん(*仮名)に会いに行きました。そこではお米作りを手伝う鴨がいて、アメゴも自由に泳いでいました。都会に住んでいる人が 街の道や、ビルの間を通り抜ける様に、彼は山の道や木の間を歩いていました。学校の生徒も 自然を学びにこの土地に来ることがあり、自然と一緒に生きていく大切さを学びます。

一度切られた木材に新しい命を子供達が吹き込み、工作を作ったり、薬草のことを学んだり、様々な角度から自然を生活に取り込んでいます。山の中を歩いていると、ふとAさんが立ち止まり、道の隅に生えている植物を積んで教えてくれました — ここに生えている植物は、同じ場所に根を置いていた他の植物と戦い、強く勝ち抜いたものだから、食べたらその素晴らしい力を分けてもらえるよ、と。

研究助手の佐々木理世さんとお友達2人で一緒に山の中を歩きながら 、幸せであることや、人生でやりがいを見つける大切さ、生きがいのことを話し合いました。私にとって、生きがいは新しい言葉で、具体的な意味が理解できなかったのですが、Aさんは彼の独特な例えや彼を囲んでいる自然を通して説明をしてくれました。

 

(Aさんの言葉)
「結局、人間の幸せって何?自分が聞いてるのは健康、でもその次にはね、自分の人生を賭ける仕事に出会えるかっていうことだね。自分は、色々なことをして来たけんど、焼畑もしたし、炭焼きもしたし、ミツマタも作ったし、山の植林もしたし…加工もするし、なんでもできるけんど、結局は自分が人生をかけてもしたい仕事に出会えた…後に残っていく。自分が生きて来た歴史が山に残っていく。会社勤めて、それなりのポストをあたえられても、自分が退職して、おってもおらなくても、また違う人が維持していくからね。けんど、この田舎では、代が変わったとしても、そのうえた木が後にのこっちゅうし、全部が始末ができんきね。自分の植えた木を切ってまた植えて。その、循環していく。

で、必ずその年に、1年に(木の丸太を見せてくれる)これだけの成長しかせんけんど …だけどもう、さっき見たろ?(昭和)48年に植えた木だってもうあれだけになる。あれもまた、切らないで30年置いといたら、まだまだ太るし。でも切られても、誰かの家になって生きていくわね。パルプにもなるけんど、紙にもなるけんど、家にもなる。そしたら、1回はこの山で生きて、まあ酸素を供給しながら、育てた人の生活を支えるけんど、2回目はみんなに安らぎを与える家になって生きていくんだ。

そして、目に見えんけんど、二酸化炭素を50年間ためた。それで切られて家になって50年間使ってくれたら、二酸化炭素を100年間備蓄したことになる。」

 

Aさんは、人間は木と一緒で自然な生き物であるから、育ちに強い根が張っていれば、しっかり社会で道が開けると教えてくれました。18歳になると人間は社会でどのような人間になるのか、将来を決めなければなりません。木も同じです。18歳になると、Aさんにどのような木になるのか、教えてくれるとおっしゃっていました。

私は今まで様々な人と生きがいについて話してきました。そこで強く共通する点は、自分の行動により周りの人の笑顔が見られることや、社会に貢献することで自分に返って来る幸福がある、という考えでした。美味しい大福を作って近所の人に分けてあげる喜びから、より良い学校の先生になるためにワークショップに参加するなど、色々な形がありますが、生きがいは自分の周りの人の喜びのため、自分に何ができるのか、という思いが強くあることを感じました。

皆、それぞれの生きがいの意味を考え、様々な生きがいを持っている。自分の夢や野望 — 美術のスキル極めたい人や英語を学んだり、中には人生でなくては生きていけない、例えば自分の子供、などを生きがいにあげる人。 人生の楽しみを追求する人、様々な義務を達成する人、そして両方が少し混ざっている人。生きがいは人生そのものを感じるということで、嬉しいことも辛いことも全て含まれているのかなと感じます。

生きがいを英語に訳すと「人生の目的」になりますが、これは日本における生きがいの深い意味には不適切だと思います。イギリスでは個人的に導きたいゴールや人生の目的などを表します。でも、日本人は生きがいをもっと繊細な、控えめな意味だと理解し、日常にある毎日の行動を丁寧に生きることを表すのでないかと思い始めました。Aさんも、未来の幸せを追っかけていく人生ではなく、今を生きることの大切さを教えてくれました。これは、都会に住んで、生活の自然なリズムや循環に逆らって生きていく人々に、とても大切なことなのではないかと感じます。私たちは毎日の仕事・やらなければならないリストや不安に溺れ、人間としての自然な生活の流れや自分の持つ情熱に結ばれないことが多いのかもしれません。

 

「 多かれ少なかれ、みんな不安はもっちゅう。でも、自分も不安はあるけんど、それ以上にやりたいことが勝ったら生きていける。不安が多くなれば生きていかんけんど、不安よりやりたいことがちょっと混ざったら生きていけるのよ。人生は紙一重だしね、生と死というのはね、紙一重。生きることがこれほどあって、死ぬことがこれしかないと思うけど、そんなことはない。交通事故でいつ死ぬかわからないし、ほんとね、紙一重。こっち転ぶか、こっち転ぶか。で、不安はあるけんど、やりたいことがちょっとオーバーしたら大丈夫だ。」

 

お時間、知恵、そして自然に対する情熱を教えてくださったAさんに感謝致します。

 

*Aさんのリクエストにより、個人情報を守るため仮名を使っております。

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I went to meet A san (not his real name*) on his land in the heart of the mountains of Tosa-cho, where he grows the plant Shikimi, common in Shinto ceremonies and used to decorate altars. He keeps ducks who help him to take care of his rice by eating weeds and harmful insects, and by fertilising the rice crop. He knows the paths and trees in his forest as well as a city person would know the streets and buildings of their neighbourhood. School children often come here to learn about nature and see how we can work with it, such as by making beautiful things out of wood, or healing ourselves with plant remedies. He told us that the plants that are able to grow and thrive here in the mountains, growing up through other vegetation, have the strength to survive and therefore when you eat them you too gain some of that vitality. Along with my research assistant Lise Sasaki and two friends, we spent several hours walking and talking together about happiness and the things in life that give a sense of purpose, in Japanese termed ikigai. While this is quite an abstract term, A san was able to explain his ideas through vivid analogies to the landscape that surrounds him.

 

“What is happiness? Human being’s happiness… It’s health – to keep healthy. But after that, its whether or not you find the job you want to devote your life to. I have lived through many jobs and have picked up skills throughout. Now I use those skills to do what I do, my passion. My life story, my life history is written in the mountains, and is remembered by the mountains. Working in an office, once you retire someone else will take on your job. But in this rural area the trees I have planted will grow and remain here, and the trees will be cut down and I will plant them again. It will be a cycle. Not only that cycle, but here – (shows us the rings of a cut tree) you can see how much it has grown, how much it has lived. The trees, even if they are chopped, they will live on as someone else’s house or in another form. It reincarnates as several things. Trees live once in the mountains, giving us oxygen and giving to us our life. And it lives that way. But in its second life, it is transformed into our homes, giving us comfort. We can’t see the oxygen, but it produces it – let’s say it was living in the mountains for 50 years and then it was chopped down and lived as a house for 50 years. Then it has lived for 100 years.”

 

A san explained that trees, like humans, are naturally wild, but that with the right kind of nurture they can find their way in the world. He said that when we are becoming an adult we have to choose our path in life and our role in society – trees are the same. For many people I have spoken to the idea of ikigai is linked to the satisfaction you gain by fulfilling your role in society, especially when you see your positive impact on others. Whether through making delicious bean paste sweets and sharing them with people, or in taking workshops to become a better teacher for your students, people agreed that one element of ikigai is about trying your best in serving others.

 

Everyone has a different definition of ikigai. For some people it refers to dreams and ambitions, such as pursuing a career as an artist, for others it is about doing daily activities which align with one’s interests such as learning English, or for others it is more about the thing in life that you could not live without, such as your children. For some people it is about enjoyment of life, for others it is about the fulfilment of obligations, and some people are in between – a sense of ikigai can come in both difficult and joyous moments and it is more about an underlying feeling of immersion in life.

 

The English translation of “purpose in life”, it seems, is completely inadequate for understanding the broad range of meanings that ikigai can have in Japan. In England we often talk about life dreams, or working towards goals that we want to achieve. But it seems that people here think about life purpose in a more subtle way, through trying your best day-to-day and being fully present in whatever you are doing. A san explained that we must live in the now, rather than waiting for happiness in the future. I think this is an important lesson for us all, especially for people living hectic city lives far removed from the cycles and rhythms of nature. We can often get caught up in our to-do lists and anxieties rather than being fully aligned with our passions and the flow of life.

 

Human beings are always worried, human being all have anxiety. If your passion wins over, you’re okay. If anxiety takes you over, you can’t take a step. You think life and death are far apart? They’re next to each other. You can die anytime you know? It’s up to you whether you stay anxious or to live the fullest, with passion.” 

 

Thank you to A san for sharing your time, wisdom, and inspiring passion for nature with us.

 

*A san is a pseudonym because this man preferred to remain anonymous.

 

Japanese version from here. | 日本語はこちら

 

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笹のいえ

廃材

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以前「」という記事で紹介したが、笹のいえでは、三度の料理にはかまどを、お風呂は五右衛門、冬になれば毎日薪ストーブに火が入る。

燃料となる薪はいくらあっても足りないくらいだ。

間伐した杉の木や、剪定した枝などをもらうことがあるが、改修や解体したときに出る廃材も連絡を受けて取りに行くことがある。

廃材はすでに乾燥しているから、すぐに使うことができて重宝する。

柱などの太い材は長めに切って、風呂やストーブ用に。

細い材は30cmほどに切り揃えて、かまど用薪コンテナに保管しておく。

また、腐りなどなくまだ材として使えそうなものは倉庫へ。

廃材には釘などの金具がついている。だから、燃やした灰は冷えたあと集めておき、その中に磁石を潜らせて、鉄くずを回収する。灰は必要に応じて、畑などに撒いている。

この日は改修工事で出た廃材をいただいてきた。電動丸ノコで、一本ずつ、釘などを切らないように確認しながら、切断していく。薪はコンテナや棚に積み、中途半端になった木っ端も別の入れ物に入れて、焚き付けに使う。おが屑はコンポストトイレで利用する。

そんな地道な作業を、軽トラ一杯くらいほどしていると、あっという間に時間が過ぎていく。

他にもやることがあるのだから、もっと合理的で短時間で済む方法をとか、いやいや、そもそも、もっと楽な近代的な暮らし方を、などと作業しながら、頭の中でいろんなことを考える。が、実はこんなチマチマした作業が僕は好きなのだ。

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私の一冊

鳥山百合子

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「絵本作家のアトリエ 1」 福音館書店母の友編集部 福音館書店

絵本作家の方々のアトリエを訪問してのインタビューはとても面白く、一気に読みました。

「しょうぼうじどうしゃじぷた」の絵を描いた山本忠敬さん、「ぐりとぐら」の山脇百合子さん、「スーホの白い馬」の赤羽末吉さん、「だるまちゃんとてんぐちゃん」の加古里子さん、「はるかぜとぷう」の小野かおるさん…。

子どもの頃から親しんで来た絵本をつくった方たちのアトリエにある色鉛筆はビンに差し込まれ、絵の具は木の箱の中に無造作に置かれ、机には消印の押されたハガキや手帳やノートが所狭しと積まれていて、飾らず素のままです。今さっきまでここで絵を描いていたことが伝わってきて「絵本作家」というどこか遠いところにいるような気がしていた方たちが身近に感じられるような気がしますし、それと同時に、この場所でコツコツと描き続けてきたことへの尊敬の念が湧いてきます。

描き続けるということには大変なご苦労もあることでしょう。一筆一筆にその方の生き方をも込められているように思います。

今まで親しんできた絵本がまた少し違った風に見えてきます。

鳥山百合子

 

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湖畔マラソン大会Tシャツ

参加ランナーのみなさま、たくさんのご注文をいただきましてありがとうございます。

おかげさまで140枚近くのご注文をいただくことができました。

11月11日の大会当日に向けて、とさちょうものがたりの作業場では記念Tシャツの製作が始まっています。正確に言うと昨日始まりました。

 

午前中は大豊町のファーストさん、午後は土佐町のどんぐりさん。

着実に一枚ずつ仕上げていってます。

ランナーのみなさまには大会当日にお渡しいたしますので、楽しみにしていてくださいね!

 

さめうらの郷 湖畔マラソン記念Tシャツ2019

 

 

 

 

 

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私の一冊

西野内小代

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「何をしてもうまくいく人のシンプルな習慣」 ジム・ドノヴァン訳  ディスカヴァー・トゥエンティワン

希望する人生への道を切り開くためのhow to 本です。

プラスとマイナスの考え方が同時に存在する事を常に念頭に置き、自分の人生にとって肯定的な方向へと誘導する決断を意識する。

前向きな姿勢を崩すことなく、言葉にし、実践する。

企業経営者のみならず、個人の生き方にも参考となる指南書です。

西野内小代

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読んでほしい

選書会

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毎年、土佐町小中学校では「選書会」が行われています。

体育館いっぱいにずらりと並べられた本の中から子どもたちが自分の好きな本を選び、そのなかから、多くの子どもたちに選ばれた本、先生が選んだ本が、毎年100冊ほど土佐町小中学校の図書館の本棚に加わります。

土佐町は「読書の町」。
これは15年ほど前から毎年続けられている、土佐町独自の取り組みです。

まず小学校低学年、その後に高学年、そして午後は中学生が自分の好きな本を選びます。

さあ、どの本を選ぼうかな?

 

たくさんの絵本や図鑑などの中から、自分のベスト3を選びます。

 

本に夢中になっている子どもの背中はいいものです。

 

「これいいね!」と友達同士で相談しながら選ぶ子も。

 

体育館いっぱいの本を運んできてくれたのは、高知市にある絵本専門店「コッコ・サン」。この日は、代表の森本 智香さんが来てくださっていました。

「本を日本中に売ってね!」と言った子の言葉に思わず笑顔の森本さん。

森本さんは子どもたちに絵本を読んでくださったあと、言いました。

「自分の好きな本を探してね。自分で選ぶことが大事なのよ」

 

そして、
「本を子どもたちにどう手渡すか。子どもたちにただ与えればいいということではなく、周りの大人が本を読んで、楽しんでいる姿を見せられたらいいですね」とも話してくれました。

今の時代、大人も子どもも読書離れしていると言われていますが、時間を忘れたように夢中になって本のページをめくる子どもたちの姿を見ていたら、子どもたちにとってやっぱり本は楽しいものなのだなとあらためて感じます。

 

子どもたちが選んだ本は、約1ヶ月ほどで学校の図書館の本棚に並びます。
その日を心待ちにしている子どもたちです!

 

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私の一冊

石川拓也

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「仮想通貨3.0」  マルク・カルプレス 講談社

 

記憶にも新しい2011年に起きたマウントゴックス事件。

マウントゴックスは、著者であるマルク・カルプレスが当時社長を勤め、世界最大級のビットコイン取引所としてその世界では名を馳せていました。(ただ他に取引所がなかったということもあったみたいです)

そのマウントゴックスのシステムが何者かにハッキングされ、仮想通貨の一種であるビットコインが一瞬にして消滅・行方をくらましたことで大騒ぎになりました。

記者会見で頭を下げるマルク・カルプレスの姿をご記憶の方も多いのではないでしょうか。

この本は、その後8年かかりやっと事実的な無罪を勝ち得たカルプレス元社長が、その視点から描いた事件の全貌とビットコイン・ブロックチェーンの話です。

ビットコイン?ブロックチェーン?なにそれおいしいの?という人(僕がそうでしたが‥)にもわかるように、ビットコインとはなんぞや?というところからスタートしますので、非常にサクサクと面白く読めちゃいます。

特にビットコインを支える「ブロックチェーン」に関して、本にも書かれていることですが、これは劇的に今後の人類の未来に影響を与えていくような技術であること、ビットコインとはブロックチェーンを使用して流通している仮想通貨であって、ブロックチェーン自体は仮想通貨のためだけの技術ではないこと等々、よく耳にする単語の意味がやっとわかったというすっきり感と、その後予想される未来の来るべき変化にちょっとした高揚感を覚えながら読みました。

中央集権型ではない(つまり国家が管理しない)新たなお金の出現は、有史以来もしかしたら初めて人類がお金に縛られなくなる世の中が出現する可能性をはらんでいます。もし本当にそんな世の中が出現したら、それは人類が月面を踏んだ一歩と同等かそれ以上に大きい一歩だと思いませんか?

その世の中を見たいな〜でも寿命間に合わなそうだな〜なんて思いながら、その変化には楽しみしかありません。

本を読んだあとにはやはりブロックチェーンという単語自体がよく目につくようになって、自宅に導入を検討している「みんな電力」(誰が作ってるか顔が見える電力を販売している会社)なんかも、そのベースになる技術はブロックチェーンなのだそうです。

 

 

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