土佐町の中でも山深い南川地区の女性陣を撮影させてもらいました。小林聖花さん、川村豊子さん、水野和佐美さん、山中順子さん、みんな南川で暮らしている方々です。
撮影したのは南川の河内神社。ここには夫婦杉と呼ばれる2本の巨大な御神木が、ここを尋ねる人を迎えてくれます。
夏を前にして濃くなってきた緑色の中での撮影でした。「空気を吸いに来るだけでも価値のある場所」と個人的には思っています。
著者名
記事タイトル
掲載開始日
土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)
注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。
“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。
念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。
土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。 (敬称略・撮れたときに不定期更新)
「俳句歳時記 夏」 角川書店編 角川ソフィア文庫
数年前、大先輩から句会に誘われました。全く素養がなく迷惑をかけるだけなのでと固辞したのですが断り切れず、仲間に入れていただきました。句集を読んだり句会で他の方の作品を拝聴するのはとても楽しいのですが、句作のほうは冷汗三斗。楽しいはずの句会が苦界になることもしばしばでした。
そんな中、ベテランの方が紹介くださったのが角川書店の俳句歳時記全4巻。藁にもすがる思いで買い求め、折あるごとに広げては「どうすればこんな句が読めるのだろう」と羨ましく思いながら、17文字の世界を遊びました。
市内を離れ句会への参加は難しくなってしまいましたが、せっかく素敵な地に住まうことになったのですから、ぼちぼちと勉強だけは続けていきたいと思っています。
古川佳代子
「思わず考えちゃう」 ヨシタケシンイチ 新潮社
今日は6月4日。高知県はコロナの影響も落ち着いて、いつもの生活に戻りつつあるけれど、次男家族の住む宝塚では、分散登校がやっとはじまったところで、集団登校もなし。1年生になったばかりの孫は学校まで送っていかなくてはならない。分散登校も週2日で3時間授業。仕事が休めない息子夫婦の育児の大半をカバーしてくれていた、嫁さんの父親が庭の剪定をしていて腰を痛めダウン。母親は介護に…。
1週間の滞在予定がのびて、嫁さんの本を物色。
絵本作家でイラストレーター。この本は、中年男性の言い訳とヘリクツと負け惜しみの数々だといってます。イラストいりでとても読みやすい。あるあると思ったり、そう考えればいいんだと思ったり、気軽に読みました。
「幸せとはするべきことがはっきりすること」「もう明日やるよ。すごくやるよ」と3回となえて寝る。何より気に入ったのが「世の中の悪口をいいながら、そこそこ幸せにくらしましたとさ」。
土佐町三面記事などもおり混ぜて…。
いいよねえーあこがれます。
川村房子
土佐町にはトキワ苑という特別養護老人ホームがあります。
「生涯、自分らしく」をモットーに、約80名の利用者さんが日々この施設で過ごしています。知り合いの利用者さんを訪ねると、職員の皆さんがいつも温かく迎えてくれます。高齢者が多い土佐町のような中山間の町にとって、とても重要な役割を担っている施設です。
このトキワ苑から、一昨年、昨年に引き続き、今年も職員さんが着るユニホームとしてポロシャツのご注文をいただきました。
今年の「土佐町オリジナルポロシャツ」である地蔵堂・阿吽の龍のデザインのものと、昨年、トキワ苑を利用されている当時81歳の小川和子さんが描いたアジサイのデザインのもの。
早速製作に入りました!
どんぐりの石川寿光さんと川井希保さんが一枚ずつ、手で印刷しています。
先日、近所のスーパーでアジサイのポロシャツを着ている人を見かけました。トキワ苑の職員さんから、トキワ苑を利用している方やご家族の方にも好評だと聞いて、とても嬉しく思っています。
また、昨年に引き続き、本山町の障がい者就労支援施設である「しゃくなげ荘」の職員さんからも、ポロシャツやTシャツ、そして「Caffeレストしゃくなげ」のポロシャツも先日ご注文をいただきました。完成するのを今か今かと待ちわびてくださっているとのこと。とても励みになっています。
一度作った版は作業場に保管してあるので、いつでも作ることができます。必要な時に再度注文をしてくださることは、とても嬉しいことです。
とさちょうものがたりのシルクスクリーン事業は「自分たちで作れるものは自分たちで作った方が良いのではないか?」という思いから始まりました。地域の人が作ったものを地域の人たちが使う。その風景を近くで見ることができるのは、仕事をする人たちにとって大きなモチベーションとなっています。
とさちょうものがたりでは、その小さな循環をとても大切に考えています。
「天使のにもつ」 いとうみく 童心社
中学生の職場体験を受け入れたことのある方もいらっしゃると思います。やる気が空回りする子もいれば、そんじょそこらの大人よりも役に立つ子もいて大助かりの時もあります。しかし、どんな場合も一番試されるのは受け入れる大人だということに変わりはありません。
主人公の斗羽風汰は中学2年生。5日間の職場体験先を「楽そう」とエンジェル保育園を体験施設に選びます。事前面接では思惑通りの職場だと思ったのですが、保育園児と向き合う仕事はそんな甘いものではありません。言葉遣いや仕事ぶりを保育士どころか園児たちにもダメだしされる風汰。それでも少しずつ風汰は命を預かる保育師の責任や、やりがいなどに気が付いていきます。
たった5日間のことですから風汰が大きく変わったり、目覚ましく成長するわけではありません。けれども小さな気づきはあり、それが今後の風汰の成長の大きな糧になるのではないかと感じられます。風汰から小さな変化を引き出したのは、受け入れ先の保育園の園長先生や保育士のたちのさりげない対応の数々です。 こういう大人に出会える子どもは幸せだなあと思いつつ、わが身を振りかえって反省したことでした…。
古川佳代子
飼い猫のイネオが何かを咥えて、僕の視線の端っこを通り過ぎた。
トカゲかな、いや影が大きかったから、ネズミかモグラか、、、とぼんやり考えたあと、ハッとして後を追いかけた。
彼の口から首を咬まれたヒヨコが力なくぶら下がっていた。
「イネオ!」と叫ぶと、すぐにヒヨコを離して、どこかへ行ってしまった。やってはいけないことをやってしまった、と感じ取ったのかもしれない。
地面に横たわった小さな身体はもう動かなかった。
誕生から二ヶ月半が経った二羽ひな鳥たちは、身体も大きくなって、もうヒヨコの面影はない(分類的には中雛と呼ぶみたいだ)。卵のときから子どもたちが世話をしていたので、人によく慣れ、巣箱から出しても逃げることはなかった。今まで入っていたダンボール製の小屋は狭くなってきたし、そろそろ外で飼おうかと家族で話していた。ただ、うちには猫がいるし、夜になると狸やハクビシンなどの獣も来るかもしれない。親鳥に虐められる可能性もあったので、鶏小屋の空間を半分に区切り、大きくなったひなたちの新しい住まいにして数日が経っていた。
きちんと仕切りをしたつもりだったが、どこかに隙間があって、そこから外に出たところを狙われてしまった。家族が目を離していたのは短い間だったが、不幸中の幸い、もう一羽は無事だったので、前の巣箱に戻した。
真っ先に走り寄って来た長女は、まだ温かい亡骸を抱きしめ、泣き続けていた。外の小屋で飼うことを提案し、仕切りを作ったのは僕なので、彼女に謝ったが、何を言っても耳に入っていない様子だった。
しばらくして学校から帰宅した長男に事の顛末を話すと、じっと黙ってしまった。死んでしまったひなは長男が特に可愛がっていた子だ。お別れをするか?と尋ねると、「見たくない」と言った。
自分たちが育てていた「いのち」が一瞬でどこかへ行ってしまった。いままでそこにあったものが消えてしまった。子どもたちが「死」を強く実感した出来事だったと思う。僕は、起こったことを彼らが受け入れるまで、待つことにした。
そのうち、長女と長男は、ふたりでお墓を作る場所を探しはじめた。どこにするのか迷っていたが、家の前にある花壇に埋めることになり、土を掛けた上に石を置き名前を書いた。
ヒヨコが生まれたときの話はこちら。
「よるのびょういん」 谷川俊太郎 作, 長野重一 写真 福音館書店
「あさから おなかが いたいといっていた ゆたか、よるになって たかいねつがでた。おとうさんは やきんで つとめさきの しんぶんしゃにいっている。おかあさんは 119ばんで きゅうきゅうしゃを よんだ。」
お母さんは慌てたように電話をかけ、その傍らで「ゆたか」がおでこにタオルを当てて寝ている。次はどうなるのか、臨場感溢れる言葉と写真が、次へ、次へとページを進めさせます。
ゆたかの手術が無事終わるのを、まだかまだかと待つお母さんの祈りが痛いほど伝わってきます。
「よるの びょういんは しずかだ。けれど そこには ねむらずに はたらくひとたちがいる。びょうしつを みまわる かんごふさん、ちかのぼいらーしつで よどおし おきている ぼいらーまん。おもいびょうきの ひとたちを よるも ひるも やすまずに みまもる しゅうちゅうちりょうしつ。」
私の子どもも入院したことがあります。付き添いながら不安で眠れずにいた時、見回りに来た看護師さんが「どうですか?」と病室に入ってくる。子どもの様子を見て、点滴を確認して、熱を計る。「うん、大丈夫ですね」。その一言にどんなに救われたか。
夜中に手術を終えて、朝を迎えたゆたかの言葉は「ねえ、まんがかってきて」。
お母さんの安堵感はどれほどだったでしょう。
鳥山百合子
今年もねむの花が咲き始めた。
ふわふわとした白い羽毛に紅色を加えたようなこの花は、まるで小さな花火のよう。季節が夏に移り変わりつつあるとき、毎日見ている風景に加わるこの色は、確かに1年間が巡ったのだということを私に教えてくれる。
近所のおばあちゃん、房子さんが言っていた。
「ねむの花が咲いたら、大豆の蒔きどきだよ」
おじいちゃんが亡くなってから、房子さんは口数が少なくなった。この時季、房子さんは大豆だけではなく小豆も植える。前の年に収穫したものを保存しておいて、それを今年の種にする。房子さんの作るおはぎの中にはあんこが入っているのだが、そのあんこも房子さんの小豆でできている。
この地の花や木々、空や風、山の色が「この季節がきましたよ」と教えてくれる。その「カレンダー」を、この地の人たちは身体の中に持っている。それを持っているかいないかで、目の前の風景も、世界の見え方も大きく違って見えてくる気がする。
房子さんは、ねむの花が咲いたことをもう知っているだろうか。