2020年7月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

川村房子

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「足みじかおじさん」 やなせたかし 新日本出版社

「足ながおじさん」じゃなくて「足みじかおじさん」て何?、と作者をみると、アンパンマンでおなじみのやなせたかしさん。

足みじかおじさんは無名。いつも逆行の中にいて年齢も正体も不明。黒いボーラハットを目深にかぶり、黒いアタッシュケースを片手に影のように現れて、困った人の悩みを聞いて、ごく初歩的な超能力で解決する。そしていつのまにかいなくなっている。

うすいうすい本で35編のショート物語。とても単純で短いメルヘンの世界。

私の専属でいてほしいなあ。自分も助けてもらいながらみんなに貸してやるのに。

川村房子

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読んでほしい

きゅうり長者

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7月のある日、私はきゅうり長者になった。カゴからはみ出るほど山盛りのきゅうり。同じ日に、二人の人からたくさんのきゅうりを受け取ったのだ。

その日、友人が自分で作ったといういぼいぼのきゅうりを持って来てくれた。受け取るとチクチクして痛く、こん棒のように太い。「さっき採ったばかり」と言う。このチクチクが新鮮な証拠だ。「乱切りにして生姜とにんにく、豚肉と一緒に炒めると美味しい」など食べ方の話をした。今日の夕ごはんはそれで決まりだと思っているところへ電話がかかって来た。

いつもお世話になっている栗木地区の近藤さんからだった。「きゅうり、いるかよ?」。
いつもいただいてばかりで申し訳ないな…と思いながらも、遠慮なくいただくことにする。

近藤さんは「他の人にも届けにいくからその人に預けておく、仕事帰りに取りに行ったらえい」と言う。

夕方、その人の家を訪ねると、袋いっぱいのきゅうりを手渡してくれた。近藤さんの顔が思い浮かぶ。

どうやって食べようか…。まずは丸かじり。次は塩もみ、漬物、梅干しとゴマとの和えもの、もずくと柚子酢で和えてもいいな…などなど考える。

お礼の電話をすると「いや〜、喜んでくれるのが嬉しいんよ。また欲しい時はいつでも言いなさい」。

思わず涙ぐんでしまう。

 

この季節は、みんなの畑できゅうりがたわわに実るのだろう。育てた人がたくさんのきゅうりを前にして、さてどうしようかと考える。その時に顔を思い浮かべてもらったことが、ただただ嬉しい。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「三つ子のこぶた」 中川李枝子 のら書店

まきお、はなこ、ぶんたという名前の三つ子のこぶたの毎日はとてもにぎやか。朝起きてごはんを食べて、遊んで、お昼ごはんを食べる。昼寝して、おやつを食べてまた遊ぶ。夜ごはんを食べて、お風呂に入って、寝る。その合間に喧嘩あり、涙あり、親は休む暇がない。食べたそばから「おかあちゃん、おやつまだ?」。

そう言われたお母ちゃんの気持ちが手に取るようにわかります。

私の息子も同じでした。まだ2〜3歳の頃、さっきおにぎりを食べたばかりなのに「おなかすいた…」。おやつに持ってきた蒸かし芋やらお菓子の存在を知っているからです。「あともう少ししたらね」と言うと「わかった!」と遊びに行く。律儀にも5分後くらいに戻ってきて「“もうちょっと”たったよー」と呼びに来る。お腹をぽっこりさせた幼い子がこちらを見ている姿がどこかいじらしくて「じゃあ一つだけね」と言ってあげる。本当に嬉しそうにガツガツ食べる。また遊んで、そして「おなかすいた…」。日々その繰り返しでした。

繰り返される毎日には忍耐が必要とされ、多くの葛藤がありました。でもその合間には、子どもにも大人にも発見や驚き、楽しみや悲しみ、そして、かけがえのない喜びも確かにあったのです。その時はわからなかったことが今はわかります。どんな時も一緒に成長してきたんだなと思います。私は子どもたちに育ててもらってきたんだな、と。

この本は3人の子どもたちが幼い頃、それぞれに読みました。「おやつまだ?」のところで笑うのも3人一緒でした。身に覚えがあるのでしょう。

子どもたちが小さかった頃のことを懐かしく思い出せる一冊です。

鳥山百合子

 

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ほのぼのと

制服とアヒル

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梅雨の季節になったら思い出すことがあります。

制服が夏服になった中学三年生の六月中旬の土曜日(学校は土曜日半日だった)、下校途中の橋(南泉地区へ帰るには、50㎝位の幅の木の板をつないで並べただけの危ない橋でした)を渡っていると、アヒルが川を泳いでいた。

私は何故かそのアヒルをつかまえたくなり、カバンを置いて制服のまま川へ入った。梅雨時なので水量は腰のあたりまであり、スカートはボッタリ濡れてしまい、重くて水の中を歩くのは大変だった。それでもアヒルを何とかつかまえたい私は、川下へと追い回していたけれど、ひとりでは所詮無理な挑戦だった。

しばらくアヒルと格闘していると、二年下の「ヒロくん」が、通りかかった。ヒロくんは普段からやさしい男の子で、私が制服のままアヒルとおっかけっこしているのを見かねて、制服のまま川に入って来てくれた。二人になったらこっちのものだ。

ヒロくんと私は、川上と川下から挟みうちでアヒルを捕まえることが出来た。

私は、アヒルを胸に抱いて、びっしょり濡れた制服のまま家へ帰った。

母にアヒルを見せて、捕まえた事を喜んで話すと「馬場の人が飼いよったアヒルが逃げたと言って探しよったき、返してきや」と、いともなげに言い放った。

私は「こんなになってまでして捕まえたのに」と言うと「アヒルをどうするつもり?」と聞かれた。

「エーッ」と、飼う?食べる?ただ、川にアヒルがおったき、つかまえただけよと思った。

 

馬場へアヒルを抱いて行ったら喜んでくれた。良いことしたね。

その後、制服のスカートを、アイロンをかけながら乾かして、寝敷きして大変だった。

教訓、「川で何か見つけても制服で入らない事」。

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私の一冊

古川佳代子

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「和菓子のほん」中山圭子 文, 阿部真由美 絵 福音館書店

その昔、マリー・アントワネットは飢えた人々に向かって「パンがないのなら、お菓子を食べればよいのに」といったとか。
そんな不遜なことを言うつもりはさらさらないけれど、ごはんがなくてもお菓子があればそれでよい、と思うくらいにはお菓子が大好きです。カスタードクリームたっぷりのシュークリーム、栗の風味がうれしいモンブラン。食べ応えのあるケーキもよいのですが、和菓子にはどこか別格の佇まいがあります。ほんの二口、三口で食べ終えてしまえる小ぶりなお菓子なのに、その繊細な形や色遣いとそれを引き立てる雅な名前。

日本ならではの和菓子の色や形、名前の美しさなどをあまさず伝えてくれるのがこの絵本です。四季折々の美味しそうな和菓子とあわせて日本語の響きもお楽しみください。

古川佳代子

 

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笹のいえ

キアゲハ

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ある日、長男が枝に付いたふたつのサナギを持って帰ってきた。学校で見つけて、家で蝶にさせたいと言う。サナギをじっくりと観察したのなんて、何十年振りだろう。見れば見るほど奇妙な形。無駄の無い機械的な曲線は何かの部品のような印象だ。なんの種類だろうね、うまく蝶が出てくると良いねと話をした。

容器に入れたサナギたちを、その辺に雑に置きっぱなしにしていた息子。僕も存在をすっかり忘れていた。何日かが過ぎ、いつまでも羽化しないサナギの扱いに、ついに困ったのだろう。「これどうしたらいい?」と僕に見せに来た。しかし、昆虫に疎い僕にもさっぱり分からない。枝に付いているサナギを支える糸は切れかかっていて、放っておいても羽化できるのか心配だっし、まだ生きているのかも不明だった。

手に取るとカラダをよじらせたので、生存が判明。ならば何とか誕生させたいと、色々調べたがこれだという情報に行き着かない。考えた結果、サナギのお腹の部分をセロテープで枝に固定し、花瓶に挿して、見守ることになった。前を通るたび状態をチェックし、お参りするように心の中で手を合わせて「無事出てきますように」とお祈りした。

さらに数日が経ったある朝、外に出ると、朝露の付く草に一羽のキアゲハが留まっていた。

枝を確認すると二匹とも抜け殻だけになっていたので、きっと夜の間に羽化したのだろう。

長男に伝えると他の子どもたちも起きてきて、皆で蝶を囲んだ。黄色と黒をベースにした体色が草の緑に映える。卵から生まれたイモムシがサナギになって、色鮮やかな蝶になる。改めて考えてみれば、なんというドラマティックな完全変態。生まれてからこの世を去るまで大きさくらいしか変化しない人間からすると、なんて不思議な生き物だろうと思う。

触りたいと言う次男の手に、そっと載せるとしばらくじっとしていたが、間も無く羽ばたいて飛んで行ってしまった。

思いつきだったセロテープ作戦が成功して、ホッとした一日のはじまりだった。

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4001プロジェクト

岡林光・花奈・高石瞳・鳳雅 (平石)

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岡林光さんと高石瞳さんは平石地区の若いお母さんのお二人。

同じ年のお子さん、花奈ちゃんと鳳雅くんと一緒に4人で撮影させてもらいました。

撮影場所は平石の消防団屯所前です。

 

 

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私の一冊

川村房子

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「主夫のトモロー」 朱川湊人 NHK出版

キャリアを積んで一流インテリデザイナーを目指す妻をささえ、作家を志しながらも、家事と育児をこなすトモロー。社会の風は、まだまだ主夫に対して厳しい。

妻の美知子もキャリアは捨てがたいが、かわいい娘知里のことを思うと後ろ髪をひかれるが、理解ある夫に助けられ社会に戻っていく。

トモローは知里と一緒に、ママ友やパパ友いろいろな出会いの中で壁にぶちあたりながら奮闘し、「家族のかたち」をつくりあげていく。

文中にある「いくら夫婦だろうが、親だろうが話し合わなければ、分かりあうことなんかできっこないのだ。何もいわなくても分かってくれる…なんて都合のいい幻想で、そんなに察しがいい人ばかりなら、さぞや世界は平和だろう」。

ほんとにその通り。

いやー、私も昔は落ち着いて言葉にすることができず、怒って、泣いて、すねたなあ。いっぱい反省してます。

ユーモアがあって、愛があってやさしい家族小説です。

川村房子

 

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4001プロジェクト

岡林敏照・美智子(黒丸)

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岡林敏照さんと美智子さんのご夫婦。

現在では田井にお住いですが、長年山深い黒丸に住まわれていたお二人です。

お二人の「庭」とも言える黒丸のアメガエリの滝遊歩道にて撮影させていただきました。

現在でも度々黒丸を訪れ、話すお言葉の端々にはご自身の故郷を大切に思う気持ちが現れます。

新緑のアメガエリの滝、お二人にとって一番の背景で撮影できたように思います。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「宇宙兄弟 1巻」 小山宙哉 講談社

私の愛読書『宇宙兄弟』。

子どもの頃からの夢「宇宙飛行士」を先に叶えた弟・南波日々人と、諦めかけた夢を思い出し「宇宙飛行士」になるべく奮闘する兄・南波六太の物語です。上司に頭突きして職場をクビになった六太は、母親が応募したJAXAの書類審査を通り、次の一次審査へ。でも失敗した姿を弟に見られたくない、「俺程度の人間はふるい落とされるってわかってるから」と次へ進むことを自ら諦めようとします。ここで背中を押してくれるのが天文学者のシャロン。日々人と六太は幼い頃からシャロンと星を見つめ、共に楽器を演奏し、多くの良い時間を過ごしてきました。

久しぶりに一緒に演奏しようとシャロンに誘われて躊躇する六太。

「上手くなくてもいいし、間違ってもいいのよムッタ。まずは音を出して。音を出さなきゃ音楽は始まらないのよ」。

幼き日の六太は、シャロンの数ある楽器の中から「一番音が出にくいから」と“金ピカのトランペット”を敢えて選んで吹いていたのです。

「今のあなたにとって、一番金ピカなことは何?」

 シャロンのその言葉で「忘れたふりを続けていたせいか、本当に自分の大事な気持ちを忘れていた」ことに気付いた六太は、一次審査へと臨みます。

シャロンは、六太だけではなく私の背中も押してくれました。いつのまにかうつむいていた自分、そしてそんな自分の肩をポンポンと叩いてもらっているような気がするのです。言葉が誰かを励まし、誰かの日々の瞬間に希望を与える。言葉と物語の持つ力にあらためて気付かされます。

 

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