2020年7月

図らずもTPP。あっちのTPPではありません。

土佐町在住の写真家、石川拓也がひと月に1枚のポストカードを作るプロジェクト。

2016年11月から始まり、たまに遅れたりもしながら、いちおう、今のところ、毎月1枚発表しています。

各ポストカードは土佐町役場の玄関と道の駅さめうらにて無料で配布しています。

写真:石川拓也 宛名面デザイン:品川美歩

土佐町ポストカードプロジェクト

2020 July

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左から:町田碧峰, 鳥山紬, 島﨑隼士, 石川寛大, 島﨑湊士

 

撮影場所は中島観音堂。

土佐町役場の若手職員が今春に挑戦した「中島観音堂クラウドファンディング」は、左上に見える通夜堂と左中の石灯籠の修復資金を募るためのものでした。

本当にたくさんの方々にご協力いただき、おかげさまで無事に修復は完了しました。この写真は修復後に撮影したものです。

本来であれば、7月25日に予定していた中島の夏祭りでの一コマの写真になるはずでしたが、コロナ禍のため今年の夏祭りは中止に。ではせめて提灯だけでも飾って(提灯の下に下がっているのは、CFのリターンのひとつであるネームタグです。支援者のお名前が刻まれています)写真を撮ろうということに相成りました。

このポストカードは、やはりCFのリターンのひとつでもあり、支援していただいた全ての方々にお礼のメッセージとともに送られます。

7/22現在、プロジェクトチームのメンバーがメッセージを丁寧に書いている最中ですので、支援していただいた方々は楽しみにしていてくださいね。

 

 

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私の一冊

石川拓也

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「デザイナーは喧嘩師であれ」 川崎和男 アスキー出版局

僕が下手に紹介文を書くよりも、この本の前書きにあたる「デザイナーは、喧嘩師でなければならない」という文章を、ここに全文引用したいと思ったのです。

ですがそれはこの項の趣旨ではないので、一部のみそのまま引用します。

子どもにとっては、喧嘩ほど、激している感情から知性的な自己中心性を取り戻すはっきりとした学習のチャンスなのではないかと私は思う。喧嘩こそ、自我の確立を助け、もともと肉体的に多少なりとも暴力性を秘めている人間の原初的行動を抑制して、話し合いや討論に変革させる動機付けになるはずだ。

ところが「暴力」ということばは拡大解釈され、「悪」という概念に単純に結びつき、喧嘩を抑制することにのみ使われるようになってしまった。結果は「話し合い」が正しいとかいうわけだ。

強要される話し合いというのは形式でしかない。現代の民主主義はこの形式が強要されている暴力と言ってもいい。

(中略)現代では、喧嘩のできない子どもが「いい子」として扱われる。この「いい子」を摩擦回避世代と呼ぶらしい。

そしてこの前書きの最後は、上の写真にあるように、

若者よ。喧嘩を恐れるな。

摩擦回避世代の者たちよ。一発殴ってやろうじゃないか。

という文で締められます。ストロングスタイル。すごい。

川崎和男は、日本を代表するプロダクトデザイナー。その美意識を結晶化するような仕事の数々と、クライアント相手でも喧嘩上等、場合によっては完成したデザインを引き上げてギャラも突き返すという姿勢で知られています。

現代の社会における暴力への嫌悪感、これはもちろん悪いことではない。むしろ戦争を筆頭にした数多くの暴力を経験してきた人類の叡智というものでもあるでしょう。その中には例えばガンジーの言う「非暴力主義」として現実社会において具現化した例も実際にあるわけです。キング牧師も然りですね。

 ただ、これを社会のすべてにおいて当てはめたときに、そこはかとない違和感を感じるのは、これを書いている私一人だけではないように思います。

例えばこの本の前書きに触れられているような子ども同士の喧嘩。または頑固じいさんが近所の悪ガキに落とすゲンコツ。こういったことも全て「許されざる暴力」でしょうか?その見極めはとても難しいものに思いますが、一つだけ言えることは「非暴力」と「摩擦回避」は似て非なるもの。

ガンジーもキング牧師も、「非暴力」を掲げながら、最大級の摩擦・インパクトを社会に与えた指導者たちです。言論・思想のぶつかり合いは辞さない、しかし手段としての暴力は否定する。

「暴力は悪いもの」という考え方が行き過ぎた末に、川崎和男が書いたように「とにかくぶつかることを避ける」という摩擦回避世代の出現がくるとしたら、「一発殴ってやろうじゃないか」という心意気には拍手を送ります。

 

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山峡のおぼろ

ヤリカタギ

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山の村で、雨の日に風が強くなると、大人たちから

「ヤリカタギが走りはじめた」

という言葉が出た。ヤリカタギは、「槍担ぎ」の方言である。

見ると、雨が風のぐあいで柱のようになり、それが何十本も連なっている。その柱の高さは何十メートルもあり、それが風に流され、山に沿ってすべるように動いている。相当な速さである。

小学校の高学年になると、「槍担ぎ」のことを言っているんだということが判り、色んな想像を当てはめて見た。

柱の集団が、槍を担いで戦場に駈ける武士の大軍のように見えた。だからいつ頃かは判らないが、ヤリカタギという言葉が出たのだろうと思った。

テレビもない時代だったので、当時の子供たちは、本や新聞の連載時代小説をよく読んだ。特に「立川文庫」は歴史上の豪傑を主人公とした小説シリーズで、みんなで回し読みをしたものである。

共にヤリカタギを見ながら、

「あれは関ヶ原の合戦に行く東軍じゃろか、西軍じゃろか」

とか、

「豊後戸次川の合戦で、薩摩軍と戦って討ち死にした長宗我部信親の軍が突撃しよるところじゃろ」

などと、想像を楽しんだ。

ヤリカタギが通りすぎると、裏の白い木の葉が風に揉まれて裏返しになり、山のあちこちで白い大きな固まりになって揺れた。何かが爆発したような様相であった。

それを見て、

「そりゃあ、撃ち合いが始まったぞ」

などと、また勝手な想像をこじつけて、大声ではしゃぎ合ったこともしばしばであった。

裏返しになった葉の白い集団は、さまざまに形を変えた。

風に流されて大きく波打つように見えたり、2本の木が風に揉まれた時は、まるで大きな白熊がじゃれ合ったり、取っ組み合いをしたり、風船がふくれたりしぼんだり、色んな連想を呼ぶ形になった。

こういう情景は、山育ちの友人たちと、今もよく話し合う。

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私の一冊

川村房子

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「エムエス  継続捜査ゼミ2」 今野敏 講談社

図書館でも人気があって、この作者の本が入ると予約待ちになることが結構ある。以前にもこの作者の感想を書いた事がある気がするけれど…。

警察を定年となり、友人の女子大学長に誘われて、準教授として教鞭をとっている小早川。

彼のもつゼミ「継続捜査ゼミ」には5人の女子大生。「冤罪」をテーマと決めた。そんな折も折、大学構内で傷害事件がおこり、傷害容疑で小早川が警察に任意同行された。身に覚えがないのに執拗に問い詰められ犯人扱いされる。その精神的苦痛は大きい。警察時代の自分をふりかえってみると、犯人逮捕に必死になっていた自分がいる。自由に動き回れない小早川にかわってゼミ生は、回りの人の協力を得ながら真相を追究し、容疑を晴らしていく。

女子学生が選んだ冤罪事件も考えさせられる内容だった。

娯楽小説には最適だと思っているけれど、寝る間を惜しんで読んでしまうからそうじゃないかも。

川村房子

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A4 48p フルカラー

 

とさちょうものがたり ZINE06

とさちょうものがたりの雑誌、「とさちょうものがたり ZINE」の6号が7月20日に発刊です!

今回は「とさちょうものづくり」と題した一冊。

・シルクスクリーン物語 ・土佐町ベンチプロジェクト ・中島観音堂クラウドファンディング

の3つの特集です。

 

・シルクスクリーン物語

2017年からとさちょうものがたりが取り組んでいる、シルクスクリーン印刷を使ったものづくり。

 

p6-7 とさちょうものがたり作業場の風景

 

この号では、これまで3年間作業場で製作してきた様々なTシャツやポロシャツのご紹介、それから土佐町の障がい者就労支援施設どんぐりの参加や大豊町のファーストの参加など、シルクスクリーン事業が現在のような形になったストーリーを可能な限り丁寧に誌面にしました。

 

・土佐町ベンチプロジェクト

土佐町の方々により豊かな時間を過ごしてほしい!と始まった「土佐町ベンチプロジェクト」。その経緯と顛末をご紹介しています。

p32-33  左:ベンチ製作後の土佐町の7人の職人さん 右:最初の設計をした川田康富さんとご家族

 

誌面では、最初のモデルを作って(2018年3月)から、40個のベンチを町のあちこちに設置する(2020年3月)までのストーリーを掲載しています。

末ページには「土佐町ベンチプロジェクト地図」。実際に設置した場所で、実際に町の方々に座っていただいている写真で町に設置した場所をお伝えしています。

 

・中島観音堂クラウドファンディング

06号のトリを飾るのは、つい先日実施された「中島観音堂クラウドファンディング(以下、CF)」のストーリー。

 

CFのページにも使った写真。中島地区の方々を観音堂の前で。

 

観音堂に対する地域の方々の思い、実際に挑戦した実行委員会メンバーの思い、それからもちろんCFの結果も。

リターンのひとつでもありました、ご支援いただいた方々のお名前を記載したページも設けました。

 

土佐町の方々には、7/20以降随時全戸配布される予定です。

ぜひ誌面で直接ご確認ください!

 

 

 

 

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私の一冊

石川拓也

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「チェーザレ 破壊の創造者」 惣領冬実 講談社

このコロナ禍で遠出がままならなかった時期に、以前から気になっていたマンガを大人買いして一気読みという休日を過ごしていました。

「チェーザレ」は1500年代に活躍した政治家チェーザレ・ボルジアの伝記マンガ。

小耳に挟んだところによると、西欧史の中でチェーザレ・ボルジアはどちらかというと悪役イメージを担わされていることが多いのだそうですが、この作品はそのチェーザレ像に新たな光を当て、とても奥深く魅力的な主人公として命を吹き込んでいます。

同時にルネッサンス期のイタリアを中心としたヨーロッパの政治宗教的な状況や、学生や庶民の文化習俗にいたるまで、説明過多にならず、且つその息遣いも聞こえてくるような距離感で展開されます。

紙面での建築物の再現も息を呑むほどの精密さで、システィーナ礼拝堂の内観などもストーリー上登場しますが、ミケランジェロが天井画を描く前の時期の礼拝堂を、想像力も交えながら精密に再現しています。ちなみに2枚目の写真はピサに実在したボルジア邸の内観。見事です。

歴史マンガの非常に面白いところは、教科書で「習う」「覚える」ものであった歴史の一要素を、登場人物の様々な感情に共感しながらその出来事や事件を「体験」できるものとして現前してくれること。

例えば「カノッサの屈辱」というキリスト教史の大事件が、この漫画に出てきます。ローマ皇帝ハインリヒ4世がローマ教皇グレゴリウス7世から信徒としての破門を言い渡される大事件です。

教科書で読むとそういう説明になってしまうのですが、マンガの中ではそれが皇帝も教皇も1人の感情豊かな人間として、怒り、悔しさ、怖れなどを抱えながら先の見えない未来を掴もうともがく様が伝わってきます。

そうすると「カノッサの屈辱」は、生々しい体験として読者の心に刻まれる。そこがマンガの強さでもあると思います。

 

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4001プロジェクト

明坂袈裟子・野村昌子・永野時子・中岡孝衛(地蔵寺)

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この写真の撮影場所は、地蔵寺の地蔵堂横。明坂袈裟子さん、野村昌子さん、永野時子さん、中岡孝衛さん。

4名のみなさんは地蔵寺の地元の方々。

野村昌子さんと中岡孝衛さんには「土佐町オリジナルポロシャツ」の記事でもご登場いただきました。

みなさんご近所で、みなさん仲良し。

地蔵寺という地域を体現しているような方々でもあります。

 

 

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私の一冊

古川佳代子

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 「フラミンゴボーイ」 マイケル・モーパーゴ 著, 杉田七重 訳 小学館

児童文学やYA小説を「小学生の読む本」とか「中高校生向けの本」と受け止めているかたは多いように思います。でもそれはちょっと残念な誤解です。小学生から、あるいは中学生くらいから「読みこなせる本ですよ」ということで、決して子どもだけを対象とした作品ではありません。

マイケル・モーパーゴは優れた児童文学・YA小説の書き手の一人です。第二次世界大戦下を生きのびる人々をテーマにした作品の多いモーパーゴですが、厳しい状況であっても決して失わない人類への信頼と希望を描ききる筆力に、毎回圧倒されます。 本書では第二次世界大戦のフランスを舞台に、ロマの少女と他者との意思の疎通が困難な少年、そして少年がこよなく愛するフラミンゴを主軸に据え、戦時下において最も迫害を受ける弱者の視線から、戦争の理不尽さが語られています。

古川佳代子

 

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土佐町のsanchikara

栽培イタドリという新たな取り組み

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高知のイタドリ文化

高知県では『イタドリ』を食べる文化があります。

全国でも一部の地域では食べられているそうですが、高知県民ではほとんどの方が食べた事があり、イタドリの食文化は浸透しています。

私も土佐町に移住する前までは見たこともなく、名前を聞いた事すらありませんでした。

もちろん食べた事もなく、こちらに来てから地元のお母さんが調理したイタドリを始めていただきました。

食べた瞬間『これは旨い!』と驚いたのを、今でも覚えています。

イタドリ自体は、生で食べると非常にすっぱいですが、一時加工をすると味はほとんどありません。

調理の方法は色々ありますが、油で炒めて醤油等で味付けする調理方法で食べる機会が多いです。

口に入れた瞬間のコリッとした独特の食感で、おかずとしてもお酒の肴としてもクセが少なくとても美味です。

 

『イタドリ』を広めたい

山の多い土佐町でも、春先になると山の斜面や畔などに自生のイタドリがたくさんはえています。

そのイタドリを年中食べられるようにするために、地元では塩漬けにして保存するのが一般的です。

こんな埋もれた食材をもっと全国に広めたいと、県外の商談会や出張で営業を続けていましたが、各農家さんにより塩漬けの濃度が違ったり大きさが違ったりして、しっかりとした規格が定まっておらず販売まで繋がりませんでした。

購入・使用する側からすると、塩抜きをする手間の問題や調理法・食べ方を知らない等、しっかりとした規格を統一する事、調理方法や食べ方を認知してもらう事が、販売するまでにクリアしなければならない大きな問題でした。

こんなにおいしいのになかなか販売に繋がらないとなっていた、今からちょうど4年前。

高知県としても、イタドリの県外出荷を進めていこうという取り組みがある事を知りました。

県内でも先進的に取り組みをしていたのは、土佐町の南に位置する高知市土佐山の鏡地区。

情報をキャッチした私は、さっそく地元のJAの方と一緒に視察に向かいました。

そこでは、自生では様々な亜種が存在するイタドリの苗を選別して統一した苗を育苗して、耕作放棄地や休耕田を利用してイタドリの栽培を行っていました。

また県外にも出荷できるようにしっかりと規格を統一し、トレサビリティーも強化して、栽培、加工、出荷を行っていました。

同じような耕作放棄地が増えている問題を抱えている土佐町でもなんとか普及できないかとJAさんはじめ、土佐町役場、高知県庁の方、栽培を考えている農家さん、イタドリを加工できるお母さん方に声をかけていき、多くの人の協力があり、土佐町でも3年前より栽培を始めるに至りました。

それから3年、栽培の仕方や加工の仕方など、毎年毎年、失敗、改善と悪銭苦闘しながらも、昨年度より少しずつ加工した栽培イタドリの出荷を始めております。

 

イタドリよ広がれ

一つの商品が新しくできるまでの道のりは、こんなにも大変なのかと今現在も感じています。

しかしそこには、多くの人が関わり、協力して下さり、一歩ずつ広がりをみせ、だんだんと形になっています。

今年からは新たに一般の方にも手軽に食べて頂けるように、そのイタドリを使った加工品の開発も土佐町石原地区のお母さん達と県内のホテルさんと一緒に進めております。

土佐町、れいほく地域の一つの産品に育てあげるにはまだ道の途中ですが、イタドリがいつか全国の人に知られ、たくさん食される事を目標にしています。

今後も生産者さんを増やしながら、『イタドリ』をメジャーにし、県内でも有数の生産地になる事を夢見て、皆さんと引き続き取り組んでいきます。

高知県に来た際や都市部でも食べる機会がある際は、是非高知県のソウルフード、『イタドリ』を食べてみてください。

 

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土佐町ストーリーズ

仏ヶ森とボウドウ寺床(芥川)

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芥川から吾北村川窪に越える峠である。三宝荒神の最初の鎮座地(神の霊がその地にしずまること)である。

この地方の豪族が、この峠にあった河内神社に集まって会談しようとしたが、定刻を過ぎてもなかなか集まらない。立腹した土佐町側の豪族が、河内神社の御神体を奪い分けて帰ってしまった。だから土佐町側には河内神社が多いと伝えるところである。

三宝山由来記によると、土佐市宇佐浦の海中に光を発するものがあって、貞友という強力の武士が弓矢を構えると、それは龍神となって玉を舞い上げ、玉は仏ヶ森まで飛行して来たと言う。

仏ヶ森に至る道筋近く、仏ヶ森から約1500メートル芥川寄りにボウドウ谷があり、そこに寺床と称する所がある。谷川に沿うて石垣を設けて平坦地として、山手には石像を据えていたような形跡がある。仏ヶ森に飛来した玉体を追うてやって来た貞友なる武士が弓矢を構えると、それはたちまちに大神の姿となり、我を射れば返し矢でお前を殺そうと告げる。

それを聞いた貞友は大神に矢を放ったことを侘びて出家し貞友法師と名乗り、大神を祭るべく寺一宇を建立、これを宝峠寺と称したという。

その後、寺は消失し本尊などは吾北村清水の寺堂に移されたと言われている。一説にその寺堂は十王寺であると言われるが定かなことは分からない。

町史

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