土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。
未知の世界、高知市へ
昭和11年4月初め、私は11歳、4年生。兄は小学校卒業。妹は小学校入学、弟は4歳でした。
生まれ育った土佐郡相川の小さなあばら屋から、未知の世界、高知市へ。
両親の考えで、子供たちには何にも分からず。二度と帰ってはこないのか、少し不安のまま、高知行きの衣装、履いたことのなかったゴム靴、黒いスカート(ヒラヒラするのが嬉しかった)。持てるだけの荷物を持って、家の上の郡道に出た。周囲を見回して、サヨナラをした。
今まで考えたことのなかった寂しい気持ちがして涙が出てきたが、兄には見られたくなくて、そっと隠れて涙を拭いた。
高知まで八里と聞かされていたが、足には自信があった。幼い弟は山道は母に負われ、歩けるところは喜んで歩き、赤良木のトンネルを抜け、お昼前には土佐山の小さな食堂で一休み。
何年も使っていたおひつには、朝食の残りごはんが入っていて、そのおひつは、高知に住み着いてからも何年も使っていて、懐かしい思い出いっぱいのおひつでした。
椎野の峯までは道幅も広くて、坂道も少なくて、思ったよりも早くて「もうちょっとで椎野じゃ。高知が見えるぞ」という父の声に、兄、妹と3人で荷物をぎっちり抱えて走った。
峯近くなると、道幅も広く、車の通ったタイヤの跡もあった。
とうとう峠に着いた。
「ウワー」
3人で万歳をした。
初めて見る高知の街、85年過ぎた今でも蘇ります。小学校4年生の春のことでした。
それから85年過ぎて、現在95歳。
過去の思い出に、嬉しいことよりも悲しいことの多かった人生を振り返る毎日です。