
カモメホーム洗濯機

パッキン部

形状はシンプル

登録商標

歴民館のN氏と委員会のT氏による調査
博物館・資料館で働くことの意義を問われたら、間違い無く「新しいモノとの出会い」と答えると思う。
筆者が歴民館に勤めていた26年間、実に多くの「モノ=資料」と出会ったが、時代や人物の印象をガラリと変えてしまうような出会いが幾度となくあった。
例えば、和紙を張り固めて作られた甲冑との出会いもその一つだ。とある旧家から持ち込まれたもので、最初はまがい物かと思ったが、黒漆を塗った二枚胴の裏側に、製作した職人の名前と幕末の年号が朱漆で書かれていたことから、軽量化を計るため試験的に製作された珍品であることが分かった。
幕末の土佐藩にとって、藩兵の武装の軽量化は、洋式兵術を導入するうえで必須の課題だったのだろう。こんな形でその痕跡を見ることができたのは本当に驚きだった。
この資料との出会いにより、「甲冑と言えば、鉄と皮革で作られるもの」という私の既成概念がひっくり返ることになった訳だが、これこそが資料と向き合う時の醍醐味なのだろう。
そう言えば、最近民具資料館にも面白い資料が入ってきた。
それは、教育委員会の新人・T氏が持ってきた、町民からの寄贈品リストのうち、真っ先に私の目に止まったものだった。
ピカピカに輝く球形(冒頭写真)をした謎の物体で、正直まったく用途が分からなかった。早速、歴民館の元同僚・N氏(1)に見に来てもらった結果、その物体が洗濯機であることが分かった。
この資料の正体は「カモメホーム洗濯機」という。電化する以前の「手回し洗濯機」で、昭和32年頃、群馬県の林製作所から発売されたもの。(2)
球体内部の洗濯槽に汚れた衣類などを入れ、洗剤を溶かした熱湯を注ぎ、蓋を閉めゴムパッキンで密閉度を上げたうえでハンドルを回す。そうすると内部の気圧が高まるので、衣類の汚れが落ちる。湯を入れ替えて回転させれば「すすぎ」もできる優れものだ。
見た目が、当時話題になっていたソ連の「スプートニク1号」(3)に似ていることから、「スプートニク型」と呼ばれていたというのはご愛嬌。
残念なことに、同時期に生産・販売が開始されていた大手家電メーカーによる電気洗濯機に押され、昭和38年に生産は中止された。
注目したいのは、タライに洗濯板を載せ、石鹸粉でゴシゴシ洗濯していた段階から一気に電気洗濯機に移行したのではなく、人力と非電化機械の組み合わせによる洗濯の省力化が計られていた時代があったということだ(昭和38年生まれの筆者にとってこれは盲点だった)。
そして、その時代の波はこの土佐町にも確実に届いていた。T氏の聞き取りによれば、寄贈者が小学5年生の頃から自宅で使われていたものだそうで、昭和30年代の暮らしの変化を如実に物語ってくれる資料と言えるだろう。
災害の多い我が国において、電気を使わずに洗濯ができるこの製品は、大いに見直されるべき価値のある資料。
是非、小学校の授業などで活用してほしいものだ。
註
(1)筆者が民具資料館でボランティア活動を始めた当初から、高知県立歴史民俗資料館の民俗部門を中心に、物心両面にわたりご支援をいただいている。
(2)「豊富郷土資料館ブログ」(山梨県中央市)春日部市教育委員会ブログ(埼玉県)参照。
(3)ソビエト連邦が昭和32年(1957)に打ち上げた世界初の人工衛星。アルミニウム製の球体をしていた。