おんちゃんたちが子どもだった頃は、食べ物も少ない時代だった。
いつもおなかをすかせていた子どもたちは、ガキ大将を先頭に、川や山に入っては魚や鳥を捕まえていたという。小学生にもなるとナイフをいつも持ち歩いていたし、焚き火は日常茶飯事。「縄張り」のあちらこちらに塩、砂糖、マッチを隠しておいて、獲ったものはその場で調理して食べていた。
そして残ったものを、ガキ大将が一番ちっちゃな子にもちゃんと行き渡るように山分けして、それが各家庭の夕飯の食卓に並ぶのが日常だった。
子どもの遊びはタンパク源を確保することであり、それが彼らの仕事でもあった。だから、手ぶらで帰った日には、「へたくそ!」と親に叱られ、冬に家の中で寒さをしのいでいると、農作業から戻ってきたおじいちゃんに、「おとなが外で働きゆうのになんで子どもが家の中におるんじゃ!」と、また叱られた。
桜の季節にはヤツメウナギを網で捕まえ、冬の寒さがやわらぎ、植物が芽吹いてくる頃にはアメゴを釣り、田植えが終わった頃に鮎を突き、8月頃になるとゴリが卵をもっておいしくなるので、チェーンを引っ張って川底にいるゴリを網に追い込む「ゴリ押し」をした。寒くなってくると、子どもたちは山に入り、鳥を獲った。ツグミ、ヒヨ、ウグイス、メジロ…。山のあちらこちらにしかけた「こぶて」で、山鳥を獲っては、焼いて、みんなで食べていた。
当時はまだ貴重品だったが、空き缶さえあれば、二つに切り裂いて容器を作り、水を入れて下から火であぶり、塩と砂糖で味をつけて即席鍋をつくって食べた。
梅雨が過ぎた頃に獲れるウナギは、大人が買ってくれる貴重品。子どもたちにとって数少ない収入源だった。みっきーは、ウナギでお小遣いを稼いだ時のことを、今でもよく覚えている。
ウナギは「釣りつけ」で捕まえるが、小学生低学年ではなかなか難しい。あまり早い時間に釣りつけをしかけても、餌となるゴリをサワガニが先に食べしまうし、浅い所にしかけてもウナギは捕まらない。
みっきーがまだ小学校4年生にもなってない頃のことだ。早朝、前の日の夕方にしかけた釣りつけを見に行ったら、見たこともないような大きいウナギがかかっていた。
幼いみっきーは嬉しくて、帰り道にみんなに見せて回った。そしたら、近所のおばあちゃんが、まぁ太いの獲ったねぇ、売ってくれんかよ、と500円もくれたのだ。当時のみっきーのお小遣いは10円程度だったから、それはそれは大金だった。
隣の本山町で育ったタクジさんは、ウナギが取れたら必ず近所のパン屋さんに持って行った。学校に行く途中に釣りつけを見に行って、かかっていたら売りに行った。学校帰りには、同じパン屋さんで、パンの耳を揚げた「パンくず」を買って帰った。100円で袋いっぱい入っていたから、それを自転車のカゴに入れて、みんなで分けもって食べもって帰ったと言う。
(つづく)