石原地区に流れる「押ノ川(おすのかわ)」。
この写真は先日刊行した「とさちょうものがたりzine」8号の表紙にも使用したものです。
8号の著者である窪内隆起さんが少年の頃に、草鞋で駆け回ったであろう川。
隆起少年の影を追いながら撮影した夏の日の押ノ川でした。
著者名
記事タイトル
掲載開始日
図らずもTPP。あっちのTPPではありません。
土佐町在住の写真家、石川拓也がひと月に1枚のポストカードを作るプロジェクト。
2016年11月から始まり、たまに遅れたりもしながら、いちおう、今のところ、毎月1枚発表しています。
各ポストカードは土佐町役場の玄関と道の駅さめうらにて無料で配布しています。
相川・中尾地区の上田義和さん。土佐あか牛の畜産農家さんです。
義和さんとの出会いのきっかけは、鹿の角。
とさちょうものがたりが取り組んでいる「鹿の角ガチャ」が高知新聞に取り上げられた際に、記事を読んだ相川の澤田清敏さんから、「鹿の角をきっと持っている猟師さんに頼んであげる」と紹介がありました。
そうして鹿の角をいただいたご縁で、今度はあか牛の出産に立ち会わせてもらえることに。
母牛が赤ちゃんを産むその瞬間の、その模様はまた別の記事でご紹介するつもりでいますが、上田さんはとさちょうものがたりが一方的にお世話になっている「お師匠」の一人です。
ちなみに背景に写る牛舎全体を、義和さんご本人が自作されたそうで、その技術とバイタリティにもびっくりします。
石原の川を撮影中に出会った西川公明さん。
釣りをしている最中にお邪魔と思いながらも声をかけ、川のことや魚のことを教えていただきました。
石原出身の元新聞記者である窪内隆起さんの文章につける写真を撮影するため、「継ぎ竿(太さの違う竹を組み合わせて分解可能にした釣竿)」を探していたのです。
結論は、継ぎ竿ではなく、継ぎ竿にしていたような竹林をこの写真の対岸に見つけ、公明さんの手をお借りして撮影することができました。
こういう「お師匠」のような方がそこかしこにいらっしゃって、意図せずばったり出会ったりすることも、土佐町で仕事することの面白みになっています。
西石原の筒井良一郎さん、和子さんのご夫婦です。
実は編集部は良一郎さんにとてもお世話になっていて、土佐町ベンチプロジェクトのベンチを石原に設置した際だとか、最近では「山峡のおぼろ(著・窪内隆起)」のあるエッセイの写真に、モデルとして登場していただきました。
この写真はその撮影の後に撮った一枚です。
いつお会いしても快活で気持ちの良い方です。
谷種子さん。稲叢山の山麓に、20年以上もの長い年月、桜の木を植え続けている方です。
種子さんが植えたその桜の木が満開を迎える時に、どうしてもその前で写真を撮らせていただきたくて、急な話になってしまったのですが一緒に山まで行っていただきました。
撮影中も、おそらく遠方からやってきた家族が車を止め、しばしの間桜を見つめ、その前で写真を撮っていました。
長い時間をかけた種子さんの仕事が、こうしてたくさんの方々の目を楽しませています。
種子さんがここまで来た道のりをお聞きしましたが、種子さんの口から出てくる言葉は「楽しかった」「私がやりたかった」というものばかりで、そこには義務感や悲壮感はかけらもありません。
「自分がやりたいこと」がそのまま「周りが喜ぶこと」となっているところに、種子さんの膨大なエネルギーの源があるような気がしています。
「あれよ星屑」 山田参助 KADOKAWA
なんでこんなすごい漫画が描けるんだろう?
久々にそう思わせてくれた漫画です。こんなに悲しくて切なくて、エグくて輝いている漫画を描ける人間に、叶うことならなってみたいと思います。
物語は戦後の混乱期から始まり、中国戦線から復員してきた黒田門松と、「班長殿」と呼ばれる川島徳太郎を中心に進んでいきます。
男も女も子供も老人も、悲しみと敗北感を抱えながら今日を生きることに必死で、だからこそ命が輝くような、そんな物語。
冒頭に班長殿は「黒田 俺はな あのとき死んだほうが良かったと思っとる」と言って酒浸りの生活を送っているのですが、物語が進むにつれその鬱屈の正体が判明していきます。
戦後と戦中(二人の中国戦線時代)が交錯し、時には異常な極限状態の中で、人間性を失うことを強要される(もしくは人間性を失った方が楽になれる)ような現実を眼の前にして、さあお前ならどうするかとヒリヒリする問いを投げかけられているような気がします。
その闇の部分が漆黒の深い闇として描かれている分、戦後の少々コミカルでエロも入った部分が光として輝く。
大人の漫画として、なぜ今まで読んでなかったんだろうと悔しくなりました。
とさちょうものがたり編集部に全7巻置いてありますので、ご興味のある方は読んでみてください。
「望郷太郎」 山田芳裕 講談社
「Dr. Stone」 稲垣理一郎(原作)Boichi(作画) 集英社
「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」 ルイス・ダートネル 河出書房新社
「ゼロからトースターを作ってみた結果」トーマス・トウェイツ 新潮社
まったく関係のなさそうな4冊を、なぜ一つにまとめて紹介しているのか?
表現手法はそれぞれユニークに異なってはいるものの、その表現の底辺に流れる欲求やスピリットの部分で、共有しているものが多いと思い、敢えて4つまとめての紹介にしました。
その共通項は何か?
答えは「この科学文明社会がフラット(もしくはペシャンコ)になった世界」の視点。
「望郷太郎」は大寒波で、「Dr. Stone」は石化光線、「この世界が消えたあとの〜」は今後そういった状況を想定して、「ゼロからトースターを〜」は、原材料からトースター1個を作るという実験。
このうちのどれもが間違いなくおもしろくて、今後それぞれ各論で紹介したいと考えていますが、こういった共通項を主題に持つ本や物語が、現在の世の中で人気を集めている理由は何か?
そこに文明病を患う現代人全員の、本能に近い部分にある欲求がかいま見えるような気がします。
前回、土佐町とも縁が深い歴史上の人物「野中兼山」の人生を駆け足で説明しました。
実際には兼山という人は土佐藩家老であったので、その影響は現在の高知県全域に及んでいます。
記事の中で、兼山の功績を極端にはしょった形で
の3つに絞りました。今回はこのうちの「2. 堰・用水路の建設」に関係の深い話です。
野中兼山が作った堰や用水路は、高知県のいたるところで目にしますが(山田堰などが有名ですね)、土佐町にもいくつかあります。
この時代に堰と用水路が整備されたことで、土佐藩の農業収穫量が飛躍的に改善したのだそう。
兼山政治には陽と陰、両方見聞きしますが、このこと自体はまさに「国の礎」を作ったと言って良いと思います。
土佐町の床鍋という地区に「新井堰」があります。
新井堰からスタートして東に伸びる用水路が「新井筋」。
今回はこの新井筋を実際に歩いてみました。
スタート地点は「新井堰」。兼山の時代以降、さらに整備が進み、現在はコンクリート製の堰になっています。
出発! 行けるところまでは自転車で、その後は徒歩で行けるところまで。
すぐに水路は道路を渡り左側へ。
床鍋から駒野へ入ります。
動画中に難しかったのは、画面左上に表示した地区名のタイミング。
正確にどこが地区と地区の境目か把握するのが難しく、不正確な部分があるかもしれません。この部分、もし間違いを見つけたらお知らせいただければありがたいと思います。
皆さまの知恵をお借りしたいところです。
上ノ土居。
ここは自転車で走っていてとても気持ちの良いところ
土佐町役場前
大谷近辺。画面左を走る水路が、画面右手の田んぼに水を供給しているのがわかります。
この新井筋が完成したことで、それまで田んぼには向かなかった土地で稲作をできるようになりました。
土佐町史には、土佐町に伝わる「元禄六年 森村地検帳」により、新井筋が開通したことで森村の水田が25%増加したことがわかると記されています。
ちなみに元禄六年は1693年です。
ここは右手に国道が通っているところ。国道側から見覚えのある方も多いかもしれません。
「用水路を作る」と一言で言っても、重機も存在しない時代に、それは大変な重労働であったでしょう。
考えてみれば、用水路がきちんと作動するためには、スタート地点の新井堰から、ゴールの早明浦ダムまで、ずっときれいな下り坂である必要がありますよね。
そうでないと途中で水が止まったり溜まったりしてしまいます。水路建設時には、ろうそくの光を用いてこの高低を測量していたという話も聞きました。
そうやってやっとの思いで作られたこの水路を、その後何世代にもわたって綿々と守り続けている地元の方々がいて、そうして今のこの状態が守られているということがわかります。
中島に到着!観音堂にぶつかるんですね。
一旦は見失いました。
あった!
ここはラストスパート。
ここでも一旦は水路を見失うのですが、早明浦ダムの下方にゴール地点を探しに行きます。この後は動画で確認してください。
このゴール地点の後は、地蔵寺川に合流し、吉野川に合流し、徳島県を通り、徳島市で紀伊水道に流れ込みます。
「日本三大暴れ川」のひとつにも数えられる吉野川(土佐町ではその支流である地蔵寺川)の水流を、いかにして抑えこみ人間のために働いてもらうか、それが古来からのこの地の大きなテーマだったそうです。
その大きなテーマにひとつの解答を与えたのが、1636年に土佐藩家老に就任した野中兼山の仕事でした。
「野中兼山」という名前は、決して教科書の中の偉人のものではなく、現在の土佐町の暮らしの土台に直結するものだということを実感した時間でもありました。
「スマホ脳」 アンデシュ・ハンセン 新潮社
前回の続きです。この本は一貫してスマホ(とタブレット)の危険性を訴えているわけですが、その理由を人類の本能レベルからひも解いていることが説得力を強くしています。
人類が種として生き延びるために身につけてきた肉体的精神的システムの数々が、現代の社会の構造と「ミスマッチ」を起こしている。そしてそのミスマッチが様々な病を引き起こしているという主張です。
例えば。常に食料供給が不安定な状態の中で生存することに特化してきた人類は、食べ物を目にした時点で「お腹いっぱい、食べられるだけ食べろ」という指令が脳から出るようになっているわけです。
それはドーパミンという脳内物質を大量に分泌するというやり方でなされます。
次に食べ物が見つかるのはいつになるかもわからないような環境においては、いつだって体内に可能な限りのカロリーを蓄積していた方が生存の可能性が高まります。
「お腹いっぱい、食べられるだけ食べろ」という、ドーパミンを使った指令は、その環境下においては生存の可能性を高めるための仕組みであって、実際にその仕組みでもって人類はこれまで生き延びてきたのです。
しかし現在。人類の歴史の中でも、かつてなかったほどに食料や物質が豊富に手に入る時代。
コンビニやレストラン、スーパーに行けばありとあらゆる食べ物が安定して供給されるような社会を、人類は作り上げてきて、それはもちろん一つの大きな成功といえるのでしょう。
しかし、ここに「変わっていない脳」と環境とのミスマッチが起こる。
脳は相変わらず「お腹いっぱい、食べられるだけ食べろ」という指令を出す。いつだって食べ物が豊富に手に入る時代に、その指令通りに行動すれば、それは結果として様々な病を引き起こすことになります。肥満、2型糖尿病、高血圧。。。
「脳の仕組み」と「現代社会の構造」が、こういったミスマッチを引き起こしているところに問題がある、「人間は現代社会に適応するようには進化していない」というのがこの本の主張の土台です。
また次回にもう少し続きます。