
南泉 | 森岡藍・知世
このポストカードには初登場の南泉。4月初旬に車を運転していて目に入った艶やかな桜の花に導かれるようにしてこの場所にたどり着きました。
今年は桜が早くて、町の桜はもう終わりかけています。山の上の方の桜はこれからでしょうか?
桜の前で遊びまわっているのは森岡藍ちゃんと知世ちゃんの姉妹です。
著者名
記事タイトル
掲載開始日
図らずもTPP。あっちのTPPではありません。
土佐町在住の写真家、石川拓也がひと月に1枚のポストカードを作るプロジェクト。
2016年11月から始まり、たまに遅れたりもしながら、いちおう、今のところ、毎月1枚発表しています。
各ポストカードは土佐町役場の玄関と道の駅さめうらにて無料で配布しています。
「ボンバ! 手塚治虫ダーク・アンソロジー」 手塚治虫 立東舎
言わずと知れた漫画の神様・手塚治虫。「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」、「火の鳥」や「アドルフに告ぐ」など数え切れないほどの名作傑作を残しました。
上に挙げた名作群のように、いわゆるヒューマニスト的印象が強い手塚治虫ですが、「黒手塚」と呼ばれる闇の面があることもファンの間ではよく知られています。
その「黒手塚」が現れた時に描かれた作品は、ある意味非常にダークで鬱展開、子どもにはあんまり見せられないような(色々な意味で)エグい描写でグイグイ突っ走ります。
作品としては「奇子」「ばるぼら」「人間昆虫記」や「火の鳥」シリーズのいくつか(望郷編)など。「黒手塚」もまた非常に多作です。
人間の心の暗部・猟奇的だったり欲望まみれだったりのダークサイドを描くことにおいてもやはり手塚先生は天才的で、物語のひとつひとつが妖しく暗い魅惑的な光を放っているようです。
副題に「ダーク・アンソロジー」ともあるように、この「ボンバ!」はそんな「黒手塚」の短編が3つ収録されています。「ボンバ!」「時計仕掛けのりんご」「ガラスの城の記録」。マンガ史における貴重な資料ですね。
その中でも個人的には「ガラスの城の記録」が秀逸だと感じていますが、鬱展開というかトラウマ展開というか狂気というか。
「冷凍保存して生き続ける選択をした一族」がベースの設定なんですが、その理由が「利子が増えるから」。黒手塚の狂気を感じつつも非常におもしろい。
そしてその「冷凍保存」設定は「火の鳥 望郷編」に受け継がれ、「ガラスの城の記録」をはるかに凌駕する黒手塚の完成形として昇華されることになります。
『墨攻』 森秀樹 酒見賢一(原作) 小学館
「墨守する」という言葉の語源にあたる「墨家」 は、古代中国に実在した思想集団です。
乱世の世にあって、儒家や法家などと並んで活躍した時代もあったようですが、歴史の中でいつしか消滅していきました。
その思想は古代にあってとても稀有で、「兼愛公利(けんあいこうり)」と「非攻(ひこう)」を軸にしていました。
「兼愛」は「広く愛する」、「公利」は「自己中心的にならずに互いの幸福を増幅する」という意味です。仏教の「利他」に近いのかもしれません。
もう一つの「非攻」は文字通りの「攻めること勿れ」。平和主義の非戦論です。
「非攻」という思想を軸にして、墨家には高度な守城技術や築城技術が伝承していたそうです。つまり、守りの技術。自分たちから敵を攻めることはしないが、攻められた時には徹底的に守り抜くという姿勢です。
このマンガは、墨家の一員である革離が、趙軍に攻められている梁城に単身乗り込み、趙の大軍を相手に梁城を守るために手を尽くすというストーリー。
日中韓合同で実写映画化もされたので、そちらをご存知の方が多いのかもしれません。
時は2020年の年末、所は大谷の鏡峰寺。
鏡峰寺では、朝晩6時にこの鐘を鳴らします。鳴らしているのは住職の吉永公明さん。
毎日休むことなく、地区の方々にゴーンゴーンと時をお知らせしています。
とさちょうものがたり編集部も近くにあるのでこの鐘の音は聞こえてきます。鏡峰寺の鐘がなっているのでもう6時、というのはいつの間にかぼくの体に染み込んでいるようです。
土佐町に来て5年足らずのぼくがそうなので、もっと長く住んでいる地区の方々にとってはさらに生活必需的な音になっているのでしょう。
こういう種類の「音」の価値をどう言葉にしたらいいのか、ボキャブラリーの足りなさを痛感しますが、「体に染み込む」音である、ということは間違いないようです。
年末のある晴れた日に、和田雫ちゃんと虎哲くんの姉弟に鐘を突いてもらって撮影しました。
「へうげもの」 山田芳裕 講談社
「へうげもの」と書いて「ひょうげもの」 と読みます。「ひょうげる」という言葉の意味は「ふざける」とか「おどける」。現在でいう「ひょうきん」(これはこれで古いですが)に近いでしょうか。
ときは戦国。織田信長、豊臣秀吉に仕えた武将・古田織部を主人公として描いた歴史マンガです。
戦国時代の漫画といえばほとんどが「戦(いくさ)」や「武」をテーマにしたものですが、「へうげもの」は茶道や茶器、美術や建築など、戦国時代に花開いた「美」や「数奇」を中心に物語が展開していきます。
「へうげもの」(=ふざける者)は主人公である古田織部を表す言葉です。作中で躍動する古田織部の肩の抜けたふざけっぷりの人柄を指していながら、同時に「美」や「数奇」の方向性を指す言葉でもあります。
つまりそこには対比として飾り気のないストイックな美を愛した千利休がいて、古田織部は利休の弟子でありながら、もう少しヘンテコで不細工なモノ(=へうげもの)を好んだというのです。後世ではそれを文字通り「織部好み」と称します。
史実と創造が交差しながら濃密な物語が編まれていくので、とてもこの項では紹介しきれないのですが、楽しく読めると同時に深く勉強にもなるマンガです。
「ハイキュー!!」 古舘春一 集英社
バレーボール漫画の金字塔(と勝手に呼んでいます)、「ハイキュー!!」。
とても読み応えのある名作でした。
漫画であれ小説であれ作るということは、何か(主題)を通して「人間を描く」という行為。
その筆の深さや語り口のオリジナリティを競っていると言い換えてもいいかもしれません。
「ハイキュー!!」は高校バレー部の人間関係を舞台に、そこでぶつかり合い成長していく高校生たちがイキイキと描かれていて、40代の大人には非常に眩しく目がくらみます。心から高校の部活に戻りたくなります。
「どういう過去があって今ここにいるか」という、登場人物ひとりひとりの内面描写や人物設定などがとても丁寧でしっかり描かれていて、改めて優れた漫画家のゼロからストーリーを創造する力には頭が下がります。
個人的にはハイテンションで突き進むキャラより、「考えること」を武器にしてローテンションで戦うキャラが好きで、それが故で2枚目のページを撮影しています。
『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』 松岡正剛 講談社
この国の”深い魅力”は本当に理解されているのだろうか?
日本人の文化や心や精神性が、なぜ今のような形になっているのか。そういうことがずっと気になっています。
なぜ古代(や中世)から長く続く行事や習俗がこのような様式になっているのか? 紐解いていくとそこには起源や理由が、もちろんですがあるわけです。
そういったことを知ることは即ち「我々はどこから来たのか」という疑問に対しての答えを求めることであり、ひいては「我々はどこへいくのか」という問いに対しての答えを考えることでもあると思うのです。
博覧強記で知られる松岡正剛氏のこの著書は、タイトル通り「日本文化の核心」に深く潜っていきながら、驚異的にわかりやすい。
例えば日本文化を語る上で重要な「わび」。これはもともとは文字通り「詫び」、謝ることから来ていると喝破しています。
客を迎える主人が、「このような粗末なもてなししかできなくてごめんなさいね」と詫びる。
その主人の客を慮る気持ちこそが美しい、そう考えた中世の日本人の精神性が結晶化した言葉であり概念なのだということです。こんなにわかりやすい「わび」の説明は初めて読みました。
そんな例が最初から最後まで続々と出てくる一冊です。