石川拓也

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

石川拓也

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『「ありえない」をブームにする つながりの仕事術』 佐谷恭 著 有限会社ソーシャルキャピタル

どのレールを選ぼうか、と進路に悩んでいる若者にもぜひ読んでほしい一冊。「選びたいレールがないんだったら自分でレールを敷いてしまえ」というような著者の生き方は目からウロコが落ちるかもしれない。

著者の佐谷恭は、世界初のパクチー料理専門店「パクチーハウス東京」を作り、現在の日本のパクチーブームを巻き起こした張本人です。

「パクチーハウス東京」…この店名にピンと来た方は…そうです、土佐町の集落・黒丸で2017年夏に開催された「1日だけのパクチーフェス in 黒丸」をとさちょうものがたりと共同開催して、黒丸をパクチーまみれにしてくれたあのパクチーハウスです。

その佐谷さん、2018年3月に予約が殺到する人気店の状態のまま、パクチーハウス東京を閉店しました。その後に出した本書によると、パクチー料理専門店を開くと言った時も「狂っている」と言われ、人気店のまま閉じると決めた時も「狂っている」と言われたそうです。ウケる…笑

でもこれはもう仕方ない。佐谷恭という人の中で確固とある「仕事をする目的」が、一般社会から見るとおそらく理解不能なんだろうから。ただ自身の感覚に忠実で純粋なだけなんですけどね。

自身の感覚を貫いて、いわゆる「世間」を見事に押し切っちゃってる人はぼくの友人に何人かいますが、佐谷恭もそのうちの一人です。

その佐谷恭がパクチーハウス東京閉店後に書いた「仕事論」。評論家の机上の話ではなく、実際に行動し、今も行動し続ける人の言葉には体を張った説得力が備わっているものだと改めて感じます。

 

こちらは「1日だけのパクチーフェス in 黒丸」の模様です。

パクチーハウスがやってきた!

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土佐町のものさし

④ そもそもなんのため?

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この連載「土佐町のものさし」は、現在進行形の旅の記録。
時代とともに変化していく世界の価値観(=ものさし)の大きな流れの中で、土佐町の人々が、土佐町のためにこれから作っていく「土佐町のものさし」を探し求めて歩く旅の記録です。

 

以前からお知らせしていたように、現在土佐町では「土佐町が目指すべき幸福」の形を顕にすべく、その第一歩目とも言える住民幸福度アンケートの内容を作成中です。

土佐町役場の各課にも意見を求め、よりバランスの取れた、少しでも本質的な部分に迫れるようなアンケート内容にするための作業が進行中です。

土佐町独自のアンケートが仕上がり、実施を行うタイミングも徐々に近づいて来ています。アンケートというのはたいがい面倒くさいものだということを重々承知のうえで、土佐町の今後10年を作っていく上で大事なステップ、実施の際にはみなさまのご協力をぜひお願いいたします。

 

この欄では、これまでブータンのGNHを中心に紹介してきましたが、今回はそういった話からさらに一段、階段を下に降りたいと思います。

つまり、

そもそもなんのためにGNHをやるのか?

そもそもなんのために幸福度調査アンケートをやるのか?

この二つはほぼ同じ意味ですね。

 

当たり前のことですが、土佐町役場は他の自治体と同じく、様々な仕事を行なっています。

自治体として基本的に必要なことから、時代に合わせた新規事業まで、それはもう本当にいろんな種類の業務があるわけです。

根本的なことを敢えて言えば、そういった事業のそれぞれを、人手もかけて税金もかけてやる目的というのはなんでしょう?

表面的な目的のことを言っているのではありません。根本的なところまで降りていって考えれば、おそらく目的はひとつだけ。どんな種類の事業であっても、目的はたったのひとつなのです。

それは

町の住民の幸せのため

ということ。

言葉を変えれば、「より住民が幸せに住める町にすること」が税金を運用している役場の唯一の目的であるとも言えるでしょう。

以下は幸福度による国づくりを進めるブータンに伝わる法典の言葉です。

もし政府が人々の幸福を創造できないとしたら、政府が存在する目的はない

If the government cannot create happiness for its people, then there is no purpose for government to exist.” – Legal code of Bhutan (1729)

 

政府(役場)は全住民の幸せのためにある。このことに異論のある人は、そうそういないでしょう。(いたらぜひご一報を!)

ただ、ここで問題になるのは「では全住民の幸せってなんなのサ?」という疑問。

そう、住民幸福度アンケートというのは、その疑問の解答を得るための手段なのです。「土佐町にとって、幸せとはこういうことだ」という土台をみんなで確認しましょう、そういう目的のもとやっていることなのです。意外性のないオチで、どうもすいません。

 

 

そうやって得た解答。「土佐町はこういうことを幸せだと思う」という解答を、今度は全ての事業や施策や行動に当てはめて考えてみる。

もしかしたら、やることが習慣化して目的を見失っているものがあるかもしれない。もしかしたら、やること自体が目的と化しているものもあるかもしれない。「住民をより幸せにする」という目的から外れて、お金(経済)の問題に終始しているものもあるかもしれない。

いったん表面的な部分から階段を降りて、より根本的な価値観を当てはめてみる。そのためのアンケート調査です。

 

 

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4001プロジェクト

池添博喜 (相川)

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土佐町に昔から伝わる民謡「土佐柴刈り唄」。相川の池添博喜さんは、この歌の伝承者です。農作業もひと段落した11月、池添さんにお願いして相川の棚田の風景の前で「土佐柴刈り唄」を実際に歌っていただきました。

その動画はまた改めて公開したいと思いますが、この写真もその時に撮影させていただいたものです。

朗々と歌い終わった池添さんの晴れ晴れとしたお顔が印象的でした。

余談になりますが、この時はお祭り用の赤いハッピで歌っていただいたのですが、地元相川に伝わる「土佐柴刈り唄」のために作られたという黒いハッピを探し中です。なにかご存知の方がいたらぜひご連絡ください!!

情報求ム!!!

 

 

 

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土佐町ポストカードプロジェクト

2018 Dec.

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大渕


 

冬の夜。ダムのほとりから見た大渕の写真です。空気はキンキンに冷えて体の芯から凍りつきそうな夜でしたが、その分この季節の夜空は澄みきって星空が本当に近く感じます。

星座には全く詳しくないものの、時間とともに回転していく星空を見ていると、自分とこの世界が大きな輪の中に生きていることを実感します。

文字通り、誰もが回転する循環の中にいるんですよね。

 

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私の一冊

石川拓也

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「みんなでつくる総合計画」 チーム佐川著 学芸出版社

 

「まず地域がするべきことは、住民みんなで未来を描くことだ」

日本の地方自治体は10年に一度、「10ヶ年総合計画」を作成します。この総合計画に則って、続く10年を町や市が一丸となって前進していく…。と言葉で言うのは容易いですが、それはなかなかな理想論。

現実では多くの自治体で、ある意味「総合計画のための総合計画」になってしまっていることは否めないようです。つまり、多くの人に読まれ現実的な行動や施策に影響を与えていくというよりは、「作ることが目的」になってしまっているということですね。

そういった総合計画業界(そんな業界ないですが)の状況の中、佐川町が挑戦したのは「本気で住民に読まれる総合計画」。そしてその後に続く行動のひとつひとつが町を作っていくことだ、というスタンスですね。

この本は高知県の佐川町が2年間をかけて「総合計画作り」に取り組んだ過程と結果を読みやすくまとめた一冊。

みんなが本気で読んで考える総合計画にするには、みんなが参加して作る。もちろんそれが王道なのですが、この「みんなが参加」ってけっこう難しいんですよね。予定合わせて人を集めるのも難しい。全員が同様の本気度を保つのも難しい。

僕のような写真という一人メディアを職業にしている人間からすると、この「みんなで作る」という行為の大変さは本当によくわかります。佐川町のコアメンバーの方々は地味な汗をたくさんかかれたんでしょうと脱帽する思いです。

さて、土佐町。

土佐町の10ヶ年総合計画(土佐町では振興計画と呼ぶそうです)は2019年度に作成、2020年度より開始です。もうそのための布石である「住民幸福度アンケート」の作成が始まっています。

「自分の町は自分で作る」そう考えるみなさんの積極的な参加がカギを握るタイミングが近づいてきています。

 

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4001プロジェクト

宮元千郷 (宮古野)

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先月「土佐町ポストカードプロジェクト」で撮影させていただいた宮司の宮元千郷さんです。12月初旬の高峯神社の神祭の際に、神事を終え一旦下まで降りてきていた宮元さんにお願いして撮影させていただきました。

登山道のように険しく長い参道を一緒に登ってこの場所まで戻っていただきました。感謝です。

宮元さんは土佐町の宮古野にご在住。代々、この近辺の神社を司る宮司の家系の方です。以前、高峯神社の記事を作る際にも大変お世話になりました。

ぜひ、以下の記事も併せてお読みください。

 

2018 Nov.

土佐町の大神様 髙峯神社 前編

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私の一冊

石川拓也

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「美しい川」 高橋宣之 小学館

「水が透明であるという喜びを知っていますか」

尊敬すべき先輩写真家・高橋宣之さんの写真集です。

ご存知の方は特に高知には多いと思いますが、高橋さんは仁淀川を撮り続けている写真家。「仁淀ブルー」という言葉はこの人の仕事から生まれました。

この本も川の美しさを冷凍保存のように切り取った写真で構成されています。一枚一枚の写真の美しさもさることながら、「川を撮る」という場合の、視点のバリエーションの豊かさに驚かされます。

言ってみれば、あるときは虫の眼になり、あるときは魚の眼に、鳥の眼で撮られたものもあります。そう考えると、この本自体がひとつの生態系を成しているようにも感じます。

「川」とひと言で言った時に、これほど豊かな撮り方がひとりの写真家の内部で息づいている。そのこと自体が真似のできることじゃないよなぁ、とため息の出る思いです。

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4001プロジェクト

西村卓士 伊藤愛浬 式地惟織 

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先の記事と同じ日に撮影した、地蔵寺の河内神社の神祭からのひとコマです。この地蔵寺の河内神社(土佐町には河内神社がたくさんあります)は、上地蔵寺、中地蔵寺、下地蔵寺、平石の4つの地区が集まって神祭を執り行っています。

写真は前町長であり宮司の西村卓士さんと、巫女で舞踊を披露した地元の女の子3人。毎年、地元の小学生女子が巫女となり「浦安の舞」を披露するのだそうです。

 

神野龍樹 筒井悠太 式地悟志  

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4001プロジェクト

神野龍樹 筒井悠太 式地悟志  

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土佐町の住民全員を撮影しようというこの「4001プロジェクト」。
可能な限り、土佐町の方々の暮らしに寄り添う形で撮影したいと思っています。今回は、地蔵寺の河内神社で12月9日に開催された神祭のときの一枚。神祭りで活躍した地元の若衆4人です。

12月初旬のこの時期、土佐町の神社やお宮のあちこちで神祭が行われています。地蔵寺の河内神社でも執り行われ、男衆が神輿を担いで境内を一周、女の子が「浦安の舞」を披露し、最後に餅まきを盛大に行って終わります。

高峯神社の項でも書きましたが、昔から綿々と続くこの神祭は、農作業をひと段落した時期の地域の人々が、神社やお宮を通じてもう一度、土や水や樹木と関係を結び直す日。

五穀豊穣・家内安全・商売繁盛など、祈る対象は人それぞれなのでしょうが、無事に稲を収穫し終えた人々のホッと一息というような気持ちは、昔も今も変わらないのだろうなと思います。

 

西村卓士 伊藤愛浬 式地惟織 

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私の一冊

石川拓也

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「峠」 司馬遼太郎 新潮社

友人から勧められた一冊。 友人曰く、生前の司馬遼太郎さんが「もっとも思い入れの強い作品は?」と聞かれ答えたのが、「燃えよ剣」とこの「峠」だったのだそうです。

司馬さんの著作は結構読んでいたつもりでいたのですが、これはアンテナから漏れていました。ただ読んでみると非常に面白い。派手さはあまりないので、司馬さんの著作の中でも渋い方の作品ですね。

主人公は河井継之助(かわいつぎのすけ)。幕末期の越後長岡藩家老になった人物です。

家老になる以前に江戸に学び、長岡藩で唯一と言っていいほどに鋭敏に時流を嗅ぎ取っていた人物だそうです。

幕末の動乱の最中、その継之助が思い描いたものは、自身が率いる長岡藩を、まるでスイスのように「武装中立国」とすること。これは横浜で出会ったスイス人商人との交流の中で生まれたアイデアでしたが、継之助は実際に当時最新鋭であったガットリング砲を購入し、「武力による中立」を目指します。

歴史の結果を言ってしまうと、薩長軍でも幕軍でもないという存在は、当時の時流に飲み込まれ、継之助が思い描いた「中立」は叶わず、長岡藩は幕軍の一員として戦わざるをえなくなります。継之助のアイデアは結果的に上手くいかなかったわけですが、それでもその先見性と、理想を実現化する行動力には、「こんな人が日本にいたのか」と驚かされます。

2枚目の写真は、継之助が考えていた「知識」と「行動」についての一部。「行動」しなければ「知識」など何の役にも立たん、というようなセリフはこの「峠」の中でなんども繰り返し出てくる言葉です。

継之助の書簡などから司馬遼太郎が導き出した言葉であるのでしょうが、なんとなく司馬さん自身の言葉を継之助にアテ書きしているようにも感じられます。

 

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