鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「ぼくのぱん わたしのぱん」 神沢利子文, 林明子作 福音館書店

我が家の3人の子どもたちが何度も開いてきた「ぼくのぱん わたしのぱん」。読むたびに「パン作りたい〜」と子どもたちが何度声をあげたことか!

この本に出てくる3姉弟の真似をして、パン生地を机にたたきつけるはずが、勢い余ってパン生地は床に落下。でも実は、そういった思いがけないことが楽しい。

ボウルに入れて暖かい場所においた生地がちゃんと膨らむのか?さっき見に行ったのに、またすぐ見にいく。子どもたちのその後ろ姿がとても可愛かったことを、まるで昨日のことのように思い出します。

お腹を粉で真っ白にして、ドタバタドタバタ。作るのにあれだけ時間がかかったのに、食べるのはあっという間。自分たちで作ったパンは、何だか特別美味しくて子どもたちは大満足。その顔を見て私も大満足。

「また作ろうね」という約束をしながら、子どもたちはいつの間にかどんどん大きくなっていきました。

最近はもっぱらパン焼き器に頼りきりになってるので、また一緒に粉まみれになりたいなと思います。

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読んでほしい

春のしずく

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山々の中腹をつなぐように、うっすらとした雲がたなびく春の朝。

家の裏の小さな畑へ向かう。

1週間ほど前にいちごの苗を植えた。まだ小さな苗たちが小さな動物たちに掘り返されていないか、虫に食われていないかを確かめることが日課になっている。

いちごの苗と苗の間から、何かの草の芽が出ている。

昨日は姿がなかった草が今日はもうここにあるということに、いつも驚かされる。

その草を抜こうとしゃがみ込むと、頬にしっとりしたわずかな風を感じた。それまで気づかなかったが、辺りは、さっきまで夜が包み込んでいた水分で満たされているのだった。

 

いちごの隣の畝にすぎなが生えていた。すぎなは、ツクシの後に伸びてくる茎のことである。

数日前からすぎなの存在に気づいていたが、もう10センチくらいの高さになっていた。

すぎなは、土から一本、真っ直ぐ伸びる茎の途中に短い枝々をつけた格好をしている。

このままにしておくとどんどん増えるので抜いてしまおう、といったん手を伸ばしたが、その手が止まった。

淡い緑の枝々の先に、ころんと丸い、しずくが光っていた。それはまるで小さなクリスマスツリーのようだった。今にも小さな一滴が土の上に転がり出しそうで、しばらくそっと眺めていたのだが、しずくは当たり前のようにその場所で光り続けていた。

そうこうしているうちに、雲の間から太陽が顔を覗かせた。朝の光が、しずくを照らす。

今日も1日が始まる。

 

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山の手しごと

潔子さんのこんにゃく

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土佐町には「和田」という名の地区がある。標高500~600メートル。さめうらダムの近く、山がちで、和田の人たちは急な斜面に田畑を作って暮らしている。山道に沿って薪が蓄えられ、菜の花や水仙が咲く。そういった道端の風景は、深い山の中にも人の営みがあることを教えてくれる。

和田地区に、美味しいこんにゃくを作る人がいる。その人は和田潔子さん。潔子さんの作るこんにゃくは、そのまま薄く切って刺身にしたり、煮物にしても味がよくしみるので、わざわざ家まで買いに来る人もいるそうだ。

 

和田潔子さん

潔子さんのこんにゃく作りは、毎年11月から3月ごろまで。秋の取り入れが終わってから作り始め、ゼンマイやいたどりなど山菜の仕事が始まる前に終える。潔子さんは先代のおしゅうとめさんから作り方を習い、10年以上こんにゃくを作り続けている。

 

こんにゃく芋

これがこんにゃくの材料、こんにゃく芋。芋の収穫は10月。収穫したあと、2週間から20日ほど日に干すと水分が抜けて、しびにくくなる(腐りにくくなる)。

 

こんにゃく芋を釜に入れ、丸ごと3時間以上煮て、皮を剥ぐ。

「そのままだと痛い(熱い)け、水につけて剥ぐんよ」

手のひらにも指先にも、さつまいもを蒸したようなこんにゃくの香りが残る。

 

茹でたての芋の皮は、ぬるぬると、つるりと剥ける

 

すぐに使わないものは冷凍して保存しておく

 

芋とぬるま湯をミキサーにかけることで、キメの細かいこんにゃくができる

 

とろとろのこんにゃく芋を固まらせる役割を担うのは、この茶色の液体、灰汁。燃えた木の灰を水とまぜ、布で濾したもの。潔子さんのこんにゃくには灰汁も加える。浅木(広葉樹の雑木)である樫の木を燃やした灰で作っているそうだ。

「樫の木だと、ええ灰がとれる」

同じ灰でも樫の灰は重く、杉やヒノキの灰は軽い。杉やヒノキの灰汁でこんにゃくを作っても上手く固まらないという。

なんという不思議、自然の神秘。

 

「こんにゃくは火をたくさん焚くから、木がいくらあっても足りんよ」

こんにゃくを茹でるお湯を沸かすため、大釜の下にある焚口からせっせと薪をくべる。

木はいつも自分の暮らす山にある。こんにゃく作りは、そこに山があるから成り立っている。

 

 

灰汁を混ぜると、たちまちこんにゃくの香りが辺りに広がった。灰汁だけだと足りないので炭酸ナトリウムも加え、手で大きくぐるぐると混ぜると、すぐに固まってくる。

「この時が一番大変」と潔子さん。

 

固まったこんにゃくを隙間なく掬い取るようにお椀に入れ、手に取り、丸める。

傍らで、釜の湯がふつふついう音が聞こえる。薪がパチパチとはぜる。お湯がぽんぽん沸き出したら、こんにゃくを入れていく。

 

湯に入れる前、ひとつずつ手のひらの中で丁寧にかたちを整える潔子さん。まるで話をしながら、「いってらっしゃい」と送り出しているかのよう。丸めながら茹でていくので、後から茹でるものと時間差ができてしまう。そのため、先に茹で始めた方は一旦もろぶたにあげておく。

 

 

「こんにゃく同士が肩寄せ合って、煮えますよ」

潔子さんはそう言いながら、大きな木のしゃもじで釜の中をそっと回す。こんにゃくを茹でるのはだいたい30分ほど。

もういい頃合いだという時、「こんにゃくが音を鳴らす」という。

「ほら、音がする」

潔子さんからしゃもじを受け取り、こんにゃくを回すと、釜底から低く唸るような気配が。それは、台風の日に雨戸を閉め切った家の中で聞く、もうすぐ過ぎ去るだろう外を吹き荒れる風の音に似ていた。

茹で上がったこんにゃくをもろぶたへあげる。木製のもろぶたは、こんにゃくの水分をちょうどよく逃がしてくれる。掬い上げる網は、おばあちゃんの手作り。

 

潔子さんは出来立てのこんにゃくを手でちぎり、ニンニクを漬け込んだ味醂醤油をつけて食べさせてくれた。その美味しさは、もう、のけぞるほど!もうひとつ、もうひとつ、と手を伸ばすうち、いくつもあったこんにゃくを私はすっかり平らげてしまった。

「これは作っている人じゃないと食べれん。作ってる人の醍醐味!」と潔子さん。

この状態でゆっくりと冷まし、次の日に産直市に持っていって販売するそうだ。

 

 

潔子さんの家の前に広がる山がち

もし、対岸の山から潔子さんの家を見たら、火を焚く煙が日々たなびくのがわかるだろうか。

山の道々の田んぼや畑、誰かが植えただろう並ぶ広葉樹。濡れないようトタンで屋根をし、丁寧に積み上げられた薪。そして火を焚く煙は、そこに人の暮らしがあるという証。山の人たちは、身の回りのものを工夫して使い、自らの暮らしを切り拓いてきたのだ。

潔子さんは、お土産に出来立てのこんにゃくを持たせてくれた。袋に入れられたこんにゃくはずっしりと重く、ほかほかと温かかった。

 

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「すずめさんおはよう」 いまきみち作 福音館書店

土佐町ではウグイスの声が聞こえるようになりました。

うっすら桃色がかった桜の枝や、道々に揺れる菜の花が、山に春が来たことを教えてくれます。朝晩はまだ冷え込んでストーブをつけますが、緑や黄色、オレンジ、ピンク…。春の色が日々添えられていく風景は、道ゆく足取りを軽やかにしてくれます。

2月のある日、大きな封筒が届きました。差出人は、絵本作家のいまきみちさん。同じく絵本作家の西村繁男さんとご夫婦で、以前土佐町に来てくださいました

いまきさんが「新しい絵本ができました」と送ってくださったのです。

春になると、すずめやウグイス、ひよどり、色々な鳥の鳴き声が聞こえてきます。畑を耕した次の日の朝、何やら畑の方が騒がしいと窓から覗くと、お腹に茶色と白の模様のあるむっくりした鳥や何羽ものシジュウカラが耕したばかりの畝を行ったり来たり。きっと土の中から出てきた虫たちを捕まえにきたのでしょう。へっぴり腰で畑を耕す私の姿をどこかで見ていたのか?鳥たちの感性に驚かされます。

いまきさんが住む土地も鳥が羽ばたき、花のみつを吸い、また眠りにつく。人といきものが共に生きる場所なのでしょう。いまきさんの優しいまなざしを感じる一冊です。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「土佐の食卓」 土佐伝統食研究会 高知県農業改良普及協会

この表紙の緑色の茎、大きな葉。これは高知でよく使われている食材である「りゅうきゅう」です。大きいものでは、子どもの背丈ほどにもなります。

約10年前に高知に来てから、初めて知った山菜や野菜がたくさんありました。「りゅうきゅう」「ゼンマイ」、「いたどり」などなど。初めて手にした食材をどうやって料理したら良いのか?

そのまま食べたら物凄いえぐみのある「わらび」のアク抜き方法や、赤ちゃんのへその緒のように乾燥したゼンマイの戻し方…。それを知りたい時、何度もこの本にお世話になってきました。

食材だけではなく高知ならではの郷土料理も紹介されていて、土佐町の長野商店店主・長野静代さんも作っている「さばの姿ずし」をはじめ、高知県各地の料理の数々は、高知という土地がもつ食材の豊さを教えてくれました。

その土地の人たちがその土地にあるものを工夫して使い、美味しいものを作る。その営みを代々守り、引き継いできた人たちがいるからこそ今も残っている郷土料理。それは高知という土地のつよさであり、素晴らしい文化です。

10年前に感じた「高知に来てよかった!」という思いは、今も全く変わっていません。高知のもつ新しい側面を知るたび、高知を支えてきた人たちに出会うたび、その思いはますます強くなります。

いつか私も、この本を開かなくとも上手にゼンマイを戻し、リュウキュウの酢の物を作れるようになりたいものです。まだまだ時間がかかりそうですが、「さばの姿ずし」や「蒸し鯛」も必ずや挑戦したいと思います。

 

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以下の文章は、2020年12月18日に発行したとさちょうものがたりZine07「土佐町のかたち」の巻末に、あとがきとして掲載したものです。

 

「あなたと出会えた奇跡を記す」 文:鳥山百合子

 

岡林敏照さん・美智子さんというご夫妻がいる。

現在、敏照さんは91歳、美智子さんは87歳。敏照さんは土佐町の山間部の黒丸地区出身で、美智子さんは土佐町の隣の旧土佐山村(現高知市)生まれ。お二人は、1952年に結婚してからずっと黒丸地区に住んでいた。

敏照さんの生業は林業。まだチェーンソーなどない時代、鋸(のこ)と釿(ちょうな)で木を切り、斧で枝を打っていた。「山を切って、焼いて、稗を蒔く。そのあとは小豆、大豆、そして三又を植えたのよ。当時の人たちはそうやって生きてきた」。

牛を引きながら、歩いて3里(約12km)の石原地区へ買い物に行き、黒丸の人たちの配給米を牛の背に載せて帰ってきたという。敏照さんは「16歳の時に終戦を迎えて、戦争に行かずにすんだ。国のやり方ひとつで人の人生が変わってしまう。戦争だけはいかん」と言った。

現在は、病院に通うため、土佐町の中心部である田井地区にも家を構えている。週に3日ほど、車で1時間かけて黒丸の家に行き、畑仕事をするのが楽しみなのだそうだ。

「畑にいると生命力が蘇ってくる。姿は見えなくても、ここにわらびがあって、ウドがあって、って。自分の中に畑が入っているようなもの」と美智子さんは話す。

石川が岡林さんご夫妻の撮影(P50 )をする日、私も同行した。黒丸地区のアメガエリの滝のそばにある吊り橋のたもとで、お二人と待ち合わせをした。吊り橋は遊歩道をしばらく歩いたところにある。歩き始めてハッとした。道の草が刈られたばかりだったのだ。私は、ご高齢のお二人が歩く道の状態を確認していなかったことに気付いた。誰が草を刈ってくれたのか?その人の顔はすぐに思い浮かんだ。自分の至らなさを痛感しながら、お二人が待つ橋まで歩いた。雨上がりのあとの草は刈られてもみずみずしく、キラキラしていた。

 

間に立つ人

草を刈ってくれたのは、黒丸地区の地区長である仁井田亮一郎さんだった。私はいつも「亮さん」と呼んでいる。今までとさちょうものがたり編集部は、亮さんに大変お世話になってきた。お二人の撮影をしたいと相談すると、間に立ち、連絡を取ってくれた。亮さんは撮影の日に合わせて、お二人の足元が危なくないよう、草を刈ってくれていたのだった。

亮さんは、黒丸地区の人の健康状態や様子をよく知っていて、まるで自分の家族のことであるかのように話す。後日、美智子さんが言っていた。「亮一郎さんは、私らが田井に家を構えたあとも、たびたび家を訪ねてきては、 “元気かよ〜” と声をかけてくれる。なかなかできることじゃない。人間を大事にする人じゃ」。そして、「私らは集落のことはもうできん。亮一郎さんから(写真の撮影のことを)頼まれて、何か少しでも役に立てるのなら、と思って引き受けたのよ」と話してくれた。

 

重ねてきた歴史

撮影は、緑輝く瀬戸川を背景に行った。そこはお二人が毎日のように歩いていた場所だった。緊張していたのか初めはぎこちない笑顔だったが、石川が声をかけながら撮影するうちに、リラックスした表情を見せてくれるようになった。

撮影が終わり、車を置いた場所へ戻るために階段を上る。先頭は敏照さん、そのあとに美智子さんが続き、私はその後ろを歩いた。道の途中、敏照さんが幾度となく振り返り、美智子さんを見つめていた。そして、安心したように前を向き、また歩き出す。一瞬、時が止まったように思えた。慈しみに満ちたそのまなざしは、お二人が重ねてきた歴史を物語っていた。

岡林さんご夫妻の写真を見て、誰よりも喜んだのは亮さんだった。写真を手にして嬉しそうに笑い、「よかった」。そして、「ありがとう」と言った。亮さんと岡林さんご夫妻が積み重ねてきた信頼関係が存在しているからこそ、この一枚の写真が成り立っている。

石川は「撮影はその人の存在を認める行為」だと言う。今、あなたがここにいること。あなたと出会えたということ。あなたとの出会いはかけがえのないものであること。亮さんは、今まで大切に育んできた関係の一片を石川に預けてくれたのだった。

 

物語を記す

撮影から数ヶ月後、岡林さんご夫妻の田井のお家へ伺った。棚には家族の写真が飾られ、その真ん中には、石川が撮影した写真があった。

写真を見ながら敏照さんが言った。「黒丸の遊歩道は、黒丸の人たちが作ったんだ」。数十年前、町から頼まれた仕事だったそうだ。これまで何度となく歩いてきた道は、敏照さんをはじめ、黒丸の人たちが鍬で掘って作った道だったのだ。

一枚の写真の奥には、黒丸という山深い場所で生きてきたお二人の持っている物語があった。写真を撮ることは、その人の紡いできた物語を記し、引き継いでいくことでもある。

 

幸せな仕事

今まで、土佐町のこどもから人生の大先輩まで多くの方の撮影をさせていただいた。2018年7月に発刊した「とさちょうものがたりZINE02号」に友達の姿を見つけ、「僕もとさちょうものがたりに出たい!」と自らポストカードのモデルになってくれた子もいた。石川が土佐町で撮影を始めてからこれまでの間に、鬼籍に入った方もいる。生前から写真を額に入れて飾ってくれていたその人は、いつも座っていた場所で今も微笑んでいる。

あなたがここにいること。あなたがここで生きたこと。その証である一枚を喜んでくれる人がいる。

「幸せな仕事をさせてもらっている」

石川は常々そう話す。

 

誰もがたった一度のかけがえのない今を生きている。つい忘れてしまいがちだが、人生の持ち時間は限られていて、誰もが生と死の間にいる。

だからこそ、この広い世界の中で、あなたと出会えた奇跡を記す。一枚の写真には、その意味がある。

 

 

 

 

岡林敏照さん・美智子さんの写真はこちらです。

岡林敏照・美智子(黒丸)

 

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読んでほしい

おばあちゃんのお年玉

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近所に80代のおばあちゃんが住んでいる。色とりどりの毛糸で編んだマフラーをし、手にはパッチワークの鞄を持って、歩いて買い物に出かける姿をよく見かける。おばあちゃんは味噌や醤油を手作りし、小さな畑を上手に使って、美味しい野菜を作る。

道端で会うとお互いに挨拶し、一言二言話すのだが、おばあちゃんは必ずいつも「子どもさんは元気?」と聞いてくれる。元気にしていますよ、と答えるたび「よかった、よかった。子どもさんの姿を見ると、元気になる」と目を細めてくれる。それはお世辞などではなく、ああ、本当にそう思ってくれているのだとよくわかる。おばあちゃんの声や丸い小さな背中が伝えてくるものは、言葉よりも強い。

年が明け、数日たった日のことだった。ガラガラと戸が開く音がして「いらっしゃいますか?」という声がした。玄関へ行くと、おばあちゃんが顔を覗かせていた。おばあちゃんは玄関に入ってきて、いつもと同じように「子どもさんは元気?」と私に聞いた。私も「元気ですよ、いつもありがとうございます」と応えた。「よかった」と言いながら、おばあちゃんはパッチワークのカバンから小さな袋を取り出した。

「これ、子どもさんに」

おばあちゃんが差し出したのは、お年玉だった。

子どもたちは一人ずつ、おばあちゃんからお年玉を受け取った。お年玉は3人分あった。おばあちゃんは、ちゃんと人数分を用意してくれたのだった。

「子どもさんの声がするのが、本当にうれしいのよ」

そう言うおばあちゃんの手から、あまい味噌の香りがした。遊びに来ていた孫に持たせようと、さっきまで袋に入れていたのだという。

私は、何だかどうしても、目頭が熱くなってしまうのだった。

コロナ禍のなか、年末年始も実家へ帰れず、出かけること自体もはばかられるような中で、心が凝り固まりそうになる時がある。世界中の人たちが同じ状況なのだ、となんとか心の置き所をやりくりする日々が続いている。おばあちゃんは、そんな私の心をふっと、ときほぐしてくれた。

お年玉は、今も子どもたちの机の横に大事に飾られている。

おばあちゃん、ありがとう。

 

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読んでほしい

なんちゃあない

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ほんの10分間ほどの出来事だった。

小学校2年生の娘が学校へ行くために家を出た。私は娘を見送ったあと、家の中へ戻った。そこにはぬくぬくとテレビを見ている長男がいた。「時間、大丈夫なの?」と声をかけると、彼はやれやれというように腰を上げ、準備を始めた。着替えて顔を洗い、ランドセルを背負って「いってきます」と、玄関の戸を開いたそのときだった。

「母さん、これ!」

彼の足元には、緑色の大きな山ができていた。近寄って見てみると、それは大量の「抜き菜」だった。大根やカブ、チンゲンサイ…。根にはまだ湿った土が絡み、葉には朝露が光っている。両手に抱えるのがやっとだった。

娘を見送り、長男が玄関を開けるまで、ほんの少しの間に届いた贈りもの。

一体誰が届けてくれたのか?

私は、思い浮かんだその人に電話をかけた。

その人は電話の向こうで「なんちゃあない!」と笑い、「朝、仕事に行く前に、家の前に置いたのよ」と言う。

山の人たちは朝からとても忙しい。牛の世話や田んぼの見回り、草刈り、ゆずの収穫。木を切り、猪をとるための罠も見に行かなければならない。そういったたくさんの仕事の合間に、わざわざ野菜を届けることが「なんちゃあない」わけはない。

「なんちゃあない」とは、土佐弁で「そんなことなんでもないよ!」「気にしないで!」という意味だ。山の人が言うその一言、器の深さが感じられるこの言葉に、私はいつもじんわりと痺れてしまう。

その人にとって「なんちゃあない」ことが、誰かの「特別」になることがある。その人のさりげない行動や、発した言葉。下を向いていたとき、うなだれているとき、今まで何度「なんちゃあない」に救われてきただろう。それは私自身に向けられた、確かなまなざしだったのだ。

その人は「カブは、一夜漬けにすると美味しいで」と言った。山の中をそっとかき分けると、いくつものカブがあった。泥を落とし、塩をふったその紅色は、はっとするほど鮮やかだった。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「くんちゃんとふゆのパーティー」 ドロシー・マリノ作, あらいゆうこ訳 ペンギン社

今日はクリスマス。サンタさんからのプレゼントを心待ちにしていた子どもたちは、どんな顔をして朝を迎えたでしょうか。

これは、クリスマスが近くなると毎年読みたくなる一冊。こぐまのくんちゃんが「雪を見てみたいから、冬ごもりするのはもう少し待ってほしい」とお母さんにお願いします。お母さんはその言葉を聞いて、冬ごもりを先延ばしに。雪に覆われた森のなかで、森の動物たちが食べものがなくて困っていると知ったくんちゃんは、木に食べものを吊るしてあげます。その周りを飛び交う鳥たちのうれしそうなこと。羽を羽ばたかせている音が聞こえてきそうです。

この本は、以前幼稚園で仕事をしていた時、担任をしていたもうすぐ小学生になる学年の子どもたちに贈ったものです。「幼稚園に遊びにきたサンタさんがこの本をプレゼントしてくれた」という演出を他の先生と考えました。絵本を包んだ紙に色鉛筆で「Merry Chiriatmas!」と描いたこと、英語で書かれているその文字を見て「サンタさんが来てくれたんだ!」と信じていた子どもたちの姿を思い出します。今からもう20年前のことです(!!)。

ページを開くたび、くんちゃんの姿と子どもたちの姿が重なり、なんとも言えない懐かしさを感じます。ささやかなことかもしれませんが、私にとっては、今もはっきりと思い出せる大切な出来事です。

2020年のクリスマス。きっと、この日の先に、まだ見ぬ未来があるのだと思えます。それを信じ、大切な人たちやものごとを見つめていきたいと思っています。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「サンナカ」 me(歌う旅芸人 う〜み) う〜みの世界社

高知県観光特使であるう〜みさんが、今年9月に出版した本「サンナカ」。三人兄弟の真ん中「サンナカ」であるう〜みさんの幼い頃の思い出や家族への思い、サンナカであるがゆえの悩みや理不尽さ…。う〜みさんがこれまで感じてきた笑いあり涙ありの出来事を描いています。

この本の校正と編集を、とさちょうものがたり編集部の鳥山が担当させていただきました。

う〜みさんと初めてお会いしたとき、なんて温かい、気持ちのよい人だろうと感じたことをよく覚えています。不思議なことに、初めて会ったのに昨日も会っていたような気持ちになりました。う〜みさんが語る言葉に共感し、涙し、また明日も頑張ってみようと素直に思えたのでした。

う〜みさんからメールで送られてくる原稿にペンを入れ、お返しする。それを受けて、う〜みさんが書き直す。いつの間にか、やりとりした原稿の束は机の上に山積み重なっていました。原稿のやりとりの合間にZOOMを使って打ち合わせ。仕事以外の話に飛んで、あっという間に時間がたっていたこともしばしばでした。

原稿が完成したのちの製本作業は、高知大学教育学部付属特別支援学校の生徒さんが行いました。う〜みさんはこの学校の校歌を作ったのだそうです。作業をする日に、私も同行させていただきましたが、う〜みさんが人とのご縁を何よりも大切にしてきた人なんだということが伝わってきました。う〜みさんが「誰だったか覚えてるー?」と尋ねると「あ!う〜みさん!」と笑顔で答える生徒さんたち。お互いが再会した喜びに溢れていました。

出会えたことに感謝する。共にここにいることを喜ぶ。う〜みさんのその姿勢は「愛」そのものです。

全国各地の学校などで行ってきたコンサートでは、う〜みさんが子どもたちに必ず伝えてきたという言葉があるそうです。

「大丈夫、あなたはちゃんと愛されてる」

その一言があることで救われる人がいるかもしれない。その思いを胸にメッセージを伝え続けているう〜みさん。

う〜みさんとの出会いは、私にとって、とても大きなものとなりました。

う〜みさんの愛情詰まった一冊、とさちょうものがたりのネットショップでも販売しています。ぜひ!

 

 

 

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