鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「おつきさまこんばんは」 林明子 福音館書店

ページのあちこちが折れ、背表紙は今にも剥がれ落ちそう。裏表紙には鉛筆でぐちゃぐちゃっと描いたいたずら描きもある。もうボロボロのこの一冊は、我が家の3人のこどもたちが何度も何度も読んできたお気に入りの一冊です。

「おつきさまこんばんは」を開くと、色々な思い出が蘇ってきます。

夜になり、空が暗くなる。屋根の上がぼんやりと明るくなり、お月さまが顔を覗かせます。

「おつきさま こんばんは」

子どもたちが、ほわっと顔をくずし、にっこり笑うのがとてもかわいかった。

このあと雲が出てきて、お月さまが隠れてしまうのですが、その場面では子どもたちは困り顔に。まさにお月さまと一心同体。

そして雲が去り、またお月さまが顔を出す。

「あー よかった おつきさまがわらってる まんまるおつきさま こんばんは こんばんは」

優しげに、にっこりと笑っているお月さま。最後のこの場面が子どもたちも私も大好きで、みんなで笑顔になります。

ゴロンと横になって顔の上で絵本を広げた私の横で、少しでも近くへと身体を寄せて絵本を覗き込んでいた子どもたち。その子どもたちも大きくなり、もう押し合いへし合いはしません。

けれど先日、中学3年生の長女が、ふと本棚からこの本を取り出して「懐かしいー」と呟いているのを見た時は、ああ、一緒に読んできてよかった、と心から思いました。

きっと、もっと大きくなっても覚えてくれているんじゃないかな。

そんな風に思っています。

 

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読んでほしい

春の玄関先から

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春になると、山で働く人たちからいただく贈り物がある。

それは夕方、帰宅した玄関先にどさりと置いてあることがほとんどで、かなりの不意打ちをくらう。それは保育園の年長さんくらいの子どもの背丈があり、ずしりと重い。

4月27日の夕方にもそれはやってきた。

下を向いて歩きながら、やっと辿り着いた家の玄関先。

わ!

思わず声が出て、足が止まる。さっき採ってきたばかりですよという顔で、2〜3本が並んで玄関前に鎮座しているのはなかなかの風景だ。

誰が置いてくれたかは、いっぺんでわかった。

 

晩ごはんのおかず、決まる

その時、近所に住む知り合いのおばあちゃんが通りかかった。挨拶すると、おばあちゃんは玄関先を見て「今、美味しいわよね〜、タケノコ!」と言った。

「みんなたいてい、糠を入れて炊くけど、私は水で煮ちゃうの。それでも全然大丈夫。このへんのタケノコはあくが少ないから」

「ゆがいたタケノコをすって、メリケン粉を少し足して、スプーンでぽとんと落として、お団子みたいにあげると美味しいわよ〜。カラッとして!」

 

俄然やる気が出てきた。

水で煮ればいいなんて気軽だし、ちょうど冷蔵庫の中は空っぽで、今晩のおかずは何にしようか決めかねていたのだった。

 

タケノコの「解体作業」

そうと決めたら、まずはタケノコの「解体作業」から。

タケノコはとにかく大きく、剥いだ皮は山盛り、大量。そして剥ぐときに粉のようなものが落ちる。だから外でやるのがいい。

土佐町の山の人たちは、たいてい、かまどで大きな鍋にごんごん湯を沸かし、その中にタケノコと糠を入れて茹でる。でも私はそういう環境がないので、台所のガスで炊く。

まずはタケノコに包丁を入れる。見た目は鎧のようだが、気持ちよくざっくりと包丁で切れる。切ったそばから、タケノコの香りが台所中にひろがり、今年も出会えましたねという気持ちになる。

半分に切ってぱかっと開くと、幾重もの皮に包まれていたたまご色のタケノコが姿を現す。皮から剥ぎ取るようにして、筍を鍋に入れていく。一番大きな鍋の蓋が閉まらないほどタケノコを詰めて、煮る。途中、シューシューと煮汁が溢れるので、他の仕事をしていても鍋の音に耳を傾けている。

部活から帰ってきた娘が、玄関を入って開口一番、言った。

「わ!いい匂い!タケノコ?」

 

 

 

おばあちゃんは「タケノコを擦る」と言っていたけど、何だか大変そうだったので、ゆがいたタケノコを小さく刻むことにした。米粉と卵、少し片栗粉と塩も加えて、油にぽとん、ぽとんと落としていく。

揚げているそばから、これは絶対美味しいな!と確信。やはりつまみ食いが止まらず、大皿に盛りつけたそれらは、かなり少なくなっていた。

 

小さなしあわせ

その日、東京に住む友人からメールが届いた。

「小さなしあわせ、嬉しいことが毎日ありますように!」

私のその日の「小さなしあわせ」は、タケノコだった。そのメールで初めて気がついた。

ある人が届けてくれたタケノコ。たまたま通りかかったおばあちゃんが教えてくれた作り方。友人からのメール。

それらの思いがけない出来事が、小さなしあわせを運んできてくれたのだった。

日々はさまざまな出来事で満ちている。その中にある小さなしあわせに気づく時、いつもそこに誰かの存在がある。私のエネルギーの源は「人」なのだとつくづく思う。

春の玄関先が、最近忘れがちだった大切なことを思い出させてくれた。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「はははのはなし」 加古里子 福音館書店

懐かしい!と声を上げる方も多いのではないでしょうか?

加古里子さんの本「はははのはなし」。

「歯は大事!虫歯にならないよう、栄養のあるものをよく食べて、運動をして、歯磨きをして、元気に大きくなろうね!」という子どもたちへのメッセージを、真面目に、ユーモアたっぷりに伝えてくれます。

「ちいさなかすが  はのまわりにのこります。こののこりかすをえさにして  ばいきんがふえます。ばいきんは  かたいはをとかす  さんをつくります。」

よく考えると恐ろしいことを、あっさりとわかりやすい言葉で伝える加古さん。この文章には、白い元気な歯がどんどん溶けて大きな穴があき、最後には半分になってしまう絵が添えられています。かなりリアルで、小さな子どもは震え上がること間違いなしです。

子どもたちにせがまれて何度も読んだこの本の一番の見せ所は、やはり最後のページ。

「こどものはは20ぽん おとなのはは32ほんあるのがふつうです。

だからこどものはは

はははははははははは

はははははははははは

おとなのはは

はははははははははははははははは

はははははははははははははははは

となりますね」

そして最後は

「それではみなさん  さようなら はっはっはっ。」

で終わります。

読んだ後の爽快感といったらありません。

加古さんが世界を見つめるまなざしはいつもあたたかく、子どもたちへの信頼に満ちている。

「おーい!子どもたち。世界は面白いよ!不思議なことでいっぱいだよ!」

そのメッセージを子どもたちはちゃんと受け止めています。子どもたちの顔を見ていたら、そのことがよくわかります。

 

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山の手しごと

山菜の女王 コシアブラ

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春は芽吹きの季節。

山の師匠である近藤雅伸さんに、山菜「コシアブラ」をいただきました。

透き通るような若緑色、ウドに似た、つんとした爽やかな香りがします。

近藤さんは「天ぷらやおひたしにしても美味しい」と教えてくれました。

調べてみると、コシアブラは「山菜の女王」と呼ばれているそう。昔、「コシアブラの木の樹脂(あぶら)を絞り、濾したものを漆(うるし)のように塗料として使われていたことから。“コシアブラ”と呼ばれるようになった」とのこと。

「山菜の女王」コシアブラは、一体どんな場所に育つのか?

4月11日、近藤さんの山へ連れて行ってもらいました。

 

山道から少し上がったところ、道なき道を進んでいく近藤さん。腰に下げたナタで枝葉を切り落としながら、歩きやすいように道を作ってくれます。

「すぐ後ろを通らんでね。枝が弾く場合があるき」。

 

コシアブラは、白い木肌をしているのが特徴。高さは20~ 30メートル、幹の太さは太いものでも10センチほど。コシアブラの木はあまり太くならないのだそうです。写真左の細い幹もコシアブラ。幹の途中から伸びる芽が、これから枝になっていくのだそう。

 

 

コシアブラの枝はとてもしなやか。釣り竿のように曲がります。手が届かない高い枝のコシアブラの新芽は、枝をぐっと曲げて採ります。

 

新芽の元を持って直角に折ると、あまり力を入れなくても、ぽきん、と採れます。

 

近藤さんはあっという間に木に登り、高い枝先のコシアブラを採ってくれました。

「自分の庭みたいなもんやきね」。日々山を歩き、山を見ては「あの場所にもコシアブラの木がある」、「あと4〜5日したら収穫どきだ」など、感じることがたくさんあるといいます。

 

あっという間にこんなに採れました!

艶々と、とても美しい春の緑です。

近藤さんと一緒に山を歩くうち、あちらにもこちらにも、白い木肌のコシアブラが生えていることに気付きました。今まで見えなかったものが見えるようになる不思議な感覚。少しだけ山と仲良くなれたような気持ちになります。

 

コシアブラの天ぷらを作る

収穫したてのコシアブラは、天ぷらに!

まず、はかまを外します。新芽の元は硬いので、包丁で少し削り取ります。

そして、米粉を水でといた衣をつけて、揚げます。

「長いこと揚げれんで!さっ、と!さっ、と!」

近藤さんがそう言っていたな…と思い出しながら、さっと揚げました。

 

コシアブラの天ぷらは、少しもっちりとしていて甘い!「美味しい、美味しい!」といくつも食べました。(食べすぎるとお腹を壊すようです)

生のコシアブラをかじると、しばらくえぐみが口の中に残ったのですが、天ぷらにすると甘くなる!不思議です。

 

 

山が一斉に芽吹く春。コシアブラをはじめ、イタドリ、ワラビ、ゼンマイ、たらの芽など、山の人たちは収穫や保存に大忙しの季節です。

「わしの体の半分は、山のもんでできてるからなあ」

と近藤さん。山で暮らす人たちは自然の恵みをいただいて、ずっと生きてきたのです。

 

 

 

 

 

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「どろんこハリー」 ジーン・ジオン文 ,  マーガレット・ブロイ・グレアム絵 , わたなべしげお訳 福音館書店

1964年に出版された「どろんこハリー」。子どもの頃に何度も読んだこの本を手にすると、懐かしい気持ちがこみ上げてきます。

この本は「ハリーは、くろいぶちのあるしろいいぬです。なんでもすきだけど、おふろにはいることだけは、だいきらいでした。あるひ、おふろにおゆをいれるおとがきこえてくると…」というお話で始まります。ハリーは体を洗うブラシをくわえて外へ逃げ出し、ブラシを裏庭に埋めてしまいます。

実は、この始まりの前には、お話のついていない絵が2つ描かれています。

表紙を開くと、まず一つ目、バスタブに足をかけ、ブラシをくわえるハリーがいます。次のページに二つ目、ブラシをくわえてお風呂場を飛び出していくハリー。その顔はいたずらっ子そのものです。

さあ、これからハリーは何をするのかな?この2つの絵が、見事に「どろんこハリー」の世界の入り口へと連れていってくれます。

小さな子どもはまだ文字が読めないので、絵を見ます。絵を読む、と言ってもいいかもしれません。子どもにとっては、誰かが読んでくれる音としてのお話だけではなく、絵そのものだけでも、れっきとした「お話」なのです。長い間読み継がれている絵本は、つくづく子どもの視線を忘れずに描かれているのだなあと思います。

埋めてしまうほど嫌だったブラシが、最後にハリーを助けてくれます。

「よかったね、ハリー」。

その気持ちで満たされて終わる「どろんこハリー」、今でも大好きな一冊です。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「宇宙兄弟 心のノート」 小山宙哉 講談社

私の愛する漫画、「宇宙兄弟」。現在39巻まで発売されていて、私は全巻持っている。その39冊に加え、この「心のノート」、さらに「心のノート2」もあり、合計41冊が私の本棚の一番いいところに並んでいる。

「宇宙兄弟」は南波六太と日々人という兄弟が、紆余曲折を経て、宇宙飛行士という幼い頃からの夢を叶える。宇宙という憧れの舞台に立つまで、そして、その舞台に立ってからも生じる多くの試練や葛藤。日々の喜びや仲間たちへの信頼…。六太と日々人だけではなく、あらゆる登場人物の心のひだが丁寧に描かれ、39巻全てにグッとくるようなシーンと言葉が散りばめられている。「うん、わかるわかる…」と涙ぐんでしまったことは数知れない。

さて、この「心のノート」。「宇宙兄弟」第1巻から37巻までに描かれている名場面・名言、“心のノートにメモしておきたくなる”言葉たちが収められている。

何が素晴らしいかというと、37巻分の名シーンが一冊にまとめられているので、本編全巻読み返さずとも感動の名場面にすぐに再会できるということだ。「あのセリフをもう一度読みたい!」という時、すぐに探せてとても便利であるし、探していたセリフの前後のページもつい読んでしまい、忘れていた名場面をもう一度味わえるという醍醐味がある。

この「心のノート」には、1巻から16巻までの名言100個が収められている(「心のノート2」は17巻から37巻までの名言100個)。100個全てを紹介したいくらいだが、それも大変なので、1つだけ紹介したい。

天文学者であり、六太と日々人の良き理解者であるシャロンが、どちらを選択したらよいかを迷う六太にかけた言葉だ。

『迷った時はね「どっちが正しいか」なんて考えちゃダメよ 日が暮れちゃうわ 「どっちが楽しいか」で決めなさい』。

人は迷った時、悩んだ時、余計な力が入って、つい難しく考え過ぎてしまう。本当は単純な物事を複雑にしてしまう。そんな時、ちょっと深呼吸して、シャロンのこの言葉を思い出す。

もちろん「どっちが楽しいか」だけで決められないこともある。でも、この言葉は幾度となく私の肩の力を抜き、自分の本当の気持ちに気づかせてくれた。

「心のノート」を開いてその名言だけを読むつもりだったはずが、その前後の話の詳しい確認をしたくなり、やはり本編を読み返してしまうことになる。「宇宙兄弟」は、やはり素晴らしい。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「ぼくのぱん わたしのぱん」 神沢利子文, 林明子作 福音館書店

我が家の3人の子どもたちが何度も開いてきた「ぼくのぱん わたしのぱん」。読むたびに「パン作りたい〜」と子どもたちが何度声をあげたことか!

この本に出てくる3姉弟の真似をして、パン生地を机にたたきつけるはずが、勢い余ってパン生地は床に落下。でも実は、そういった思いがけないことが楽しい。

ボウルに入れて暖かい場所においた生地がちゃんと膨らむのか?さっき見に行ったのに、またすぐ見にいく。子どもたちのその後ろ姿がとても可愛かったことを、まるで昨日のことのように思い出します。

お腹を粉で真っ白にして、ドタバタドタバタ。作るのにあれだけ時間がかかったのに、食べるのはあっという間。自分たちで作ったパンは、何だか特別美味しくて子どもたちは大満足。その顔を見て私も大満足。

「また作ろうね」という約束をしながら、子どもたちはいつの間にかどんどん大きくなっていきました。

最近はもっぱらパン焼き器に頼りきりになってるので、また一緒に粉まみれになりたいなと思います。

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読んでほしい

春のしずく

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山々の中腹をつなぐように、うっすらとした雲がたなびく春の朝。

家の裏の小さな畑へ向かう。

1週間ほど前にいちごの苗を植えた。まだ小さな苗たちが小さな動物たちに掘り返されていないか、虫に食われていないかを確かめることが日課になっている。

いちごの苗と苗の間から、何かの草の芽が出ている。

昨日は姿がなかった草が今日はもうここにあるということに、いつも驚かされる。

その草を抜こうとしゃがみ込むと、頬にしっとりしたわずかな風を感じた。それまで気づかなかったが、辺りは、さっきまで夜が包み込んでいた水分で満たされているのだった。

 

いちごの隣の畝にすぎなが生えていた。すぎなは、ツクシの後に伸びてくる茎のことである。

数日前からすぎなの存在に気づいていたが、もう10センチくらいの高さになっていた。

すぎなは、土から一本、真っ直ぐ伸びる茎の途中に短い枝々をつけた格好をしている。

このままにしておくとどんどん増えるので抜いてしまおう、といったん手を伸ばしたが、その手が止まった。

淡い緑の枝々の先に、ころんと丸い、しずくが光っていた。それはまるで小さなクリスマスツリーのようだった。今にも小さな一滴が土の上に転がり出しそうで、しばらくそっと眺めていたのだが、しずくは当たり前のようにその場所で光り続けていた。

そうこうしているうちに、雲の間から太陽が顔を覗かせた。朝の光が、しずくを照らす。

今日も1日が始まる。

 

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山の手しごと

潔子さんのこんにゃく

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土佐町には「和田」という名の地区がある。標高500~600メートル。さめうらダムの近く、山がちで、和田の人たちは急な斜面に田畑を作って暮らしている。山道に沿って薪が蓄えられ、菜の花や水仙が咲く。そういった道端の風景は、深い山の中にも人の営みがあることを教えてくれる。

和田地区に、美味しいこんにゃくを作る人がいる。その人は和田潔子さん。潔子さんの作るこんにゃくは、そのまま薄く切って刺身にしたり、煮物にしても味がよくしみるので、わざわざ家まで買いに来る人もいるそうだ。

 

和田潔子さん

潔子さんのこんにゃく作りは、毎年11月から3月ごろまで。秋の取り入れが終わってから作り始め、ゼンマイやいたどりなど山菜の仕事が始まる前に終える。潔子さんは先代のおしゅうとめさんから作り方を習い、10年以上こんにゃくを作り続けている。

 

こんにゃく芋

これがこんにゃくの材料、こんにゃく芋。芋の収穫は10月。収穫したあと、2週間から20日ほど日に干すと水分が抜けて、しびにくくなる(腐りにくくなる)。

 

こんにゃく芋を釜に入れ、丸ごと3時間以上煮て、皮を剥ぐ。

「そのままだと痛い(熱い)け、水につけて剥ぐんよ」

手のひらにも指先にも、さつまいもを蒸したようなこんにゃくの香りが残る。

 

茹でたての芋の皮は、ぬるぬると、つるりと剥ける

 

すぐに使わないものは冷凍して保存しておく

 

芋とぬるま湯をミキサーにかけることで、キメの細かいこんにゃくができる

 

とろとろのこんにゃく芋を固まらせる役割を担うのは、この茶色の液体、灰汁。燃えた木の灰を水とまぜ、布で濾したもの。潔子さんのこんにゃくには灰汁も加える。浅木(広葉樹の雑木)である樫の木を燃やした灰で作っているそうだ。

「樫の木だと、ええ灰がとれる」

同じ灰でも樫の灰は重く、杉やヒノキの灰は軽い。杉やヒノキの灰汁でこんにゃくを作っても上手く固まらないという。

なんという不思議、自然の神秘。

 

「こんにゃくは火をたくさん焚くから、木がいくらあっても足りんよ」

こんにゃくを茹でるお湯を沸かすため、大釜の下にある焚口からせっせと薪をくべる。

木はいつも自分の暮らす山にある。こんにゃく作りは、そこに山があるから成り立っている。

 

 

灰汁を混ぜると、たちまちこんにゃくの香りが辺りに広がった。灰汁だけだと足りないので炭酸ナトリウムも加え、手で大きくぐるぐると混ぜると、すぐに固まってくる。

「この時が一番大変」と潔子さん。

 

固まったこんにゃくを隙間なく掬い取るようにお椀に入れ、手に取り、丸める。

傍らで、釜の湯がふつふついう音が聞こえる。薪がパチパチとはぜる。お湯がぽんぽん沸き出したら、こんにゃくを入れていく。

 

湯に入れる前、ひとつずつ手のひらの中で丁寧にかたちを整える潔子さん。まるで話をしながら、「いってらっしゃい」と送り出しているかのよう。丸めながら茹でていくので、後から茹でるものと時間差ができてしまう。そのため、先に茹で始めた方は一旦もろぶたにあげておく。

 

 

「こんにゃく同士が肩寄せ合って、煮えますよ」

潔子さんはそう言いながら、大きな木のしゃもじで釜の中をそっと回す。こんにゃくを茹でるのはだいたい30分ほど。

もういい頃合いだという時、「こんにゃくが音を鳴らす」という。

「ほら、音がする」

潔子さんからしゃもじを受け取り、こんにゃくを回すと、釜底から低く唸るような気配が。それは、台風の日に雨戸を閉め切った家の中で聞く、もうすぐ過ぎ去るだろう外を吹き荒れる風の音に似ていた。

茹で上がったこんにゃくをもろぶたへあげる。木製のもろぶたは、こんにゃくの水分をちょうどよく逃がしてくれる。掬い上げる網は、おばあちゃんの手作り。

 

潔子さんは出来立てのこんにゃくを手でちぎり、ニンニクを漬け込んだ味醂醤油をつけて食べさせてくれた。その美味しさは、もう、のけぞるほど!もうひとつ、もうひとつ、と手を伸ばすうち、いくつもあったこんにゃくを私はすっかり平らげてしまった。

「これは作っている人じゃないと食べれん。作ってる人の醍醐味!」と潔子さん。

この状態でゆっくりと冷まし、次の日に産直市に持っていって販売するそうだ。

 

 

潔子さんの家の前に広がる山がち

もし、対岸の山から潔子さんの家を見たら、火を焚く煙が日々たなびくのがわかるだろうか。

山の道々の田んぼや畑、誰かが植えただろう並ぶ広葉樹。濡れないようトタンで屋根をし、丁寧に積み上げられた薪。そして火を焚く煙は、そこに人の暮らしがあるという証。山の人たちは、身の回りのものを工夫して使い、自らの暮らしを切り拓いてきたのだ。

潔子さんは、お土産に出来立てのこんにゃくを持たせてくれた。袋に入れられたこんにゃくはずっしりと重く、ほかほかと温かかった。

 

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「すずめさんおはよう」 いまきみち作 福音館書店

土佐町ではウグイスの声が聞こえるようになりました。

うっすら桃色がかった桜の枝や、道々に揺れる菜の花が、山に春が来たことを教えてくれます。朝晩はまだ冷え込んでストーブをつけますが、緑や黄色、オレンジ、ピンク…。春の色が日々添えられていく風景は、道ゆく足取りを軽やかにしてくれます。

2月のある日、大きな封筒が届きました。差出人は、絵本作家のいまきみちさん。同じく絵本作家の西村繁男さんとご夫婦で、以前土佐町に来てくださいました

いまきさんが「新しい絵本ができました」と送ってくださったのです。

春になると、すずめやウグイス、ひよどり、色々な鳥の鳴き声が聞こえてきます。畑を耕した次の日の朝、何やら畑の方が騒がしいと窓から覗くと、お腹に茶色と白の模様のあるむっくりした鳥や何羽ものシジュウカラが耕したばかりの畝を行ったり来たり。きっと土の中から出てきた虫たちを捕まえにきたのでしょう。へっぴり腰で畑を耕す私の姿をどこかで見ていたのか?鳥たちの感性に驚かされます。

いまきさんが住む土地も鳥が羽ばたき、花のみつを吸い、また眠りにつく。人といきものが共に生きる場所なのでしょう。いまきさんの優しいまなざしを感じる一冊です。

 

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