鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「土佐の食卓」 土佐伝統食研究会 高知県農業改良普及協会

この表紙の緑色の茎、大きな葉。これは高知でよく使われている食材である「りゅうきゅう」です。大きいものでは、子どもの背丈ほどにもなります。

約10年前に高知に来てから、初めて知った山菜や野菜がたくさんありました。「りゅうきゅう」「ゼンマイ」、「いたどり」などなど。初めて手にした食材をどうやって料理したら良いのか?

そのまま食べたら物凄いえぐみのある「わらび」のアク抜き方法や、赤ちゃんのへその緒のように乾燥したゼンマイの戻し方…。それを知りたい時、何度もこの本にお世話になってきました。

食材だけではなく高知ならではの郷土料理も紹介されていて、土佐町の長野商店店主・長野静代さんも作っている「さばの姿ずし」をはじめ、高知県各地の料理の数々は、高知という土地がもつ食材の豊さを教えてくれました。

その土地の人たちがその土地にあるものを工夫して使い、美味しいものを作る。その営みを代々守り、引き継いできた人たちがいるからこそ今も残っている郷土料理。それは高知という土地のつよさであり、素晴らしい文化です。

10年前に感じた「高知に来てよかった!」という思いは、今も全く変わっていません。高知のもつ新しい側面を知るたび、高知を支えてきた人たちに出会うたび、その思いはますます強くなります。

いつか私も、この本を開かなくとも上手にゼンマイを戻し、リュウキュウの酢の物を作れるようになりたいものです。まだまだ時間がかかりそうですが、「さばの姿ずし」や「蒸し鯛」も必ずや挑戦したいと思います。

 

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以下の文章は、2020年12月18日に発行したとさちょうものがたりZine07「土佐町のかたち」の巻末に、あとがきとして掲載したものです。

 

「あなたと出会えた奇跡を記す」 文:鳥山百合子

 

岡林敏照さん・美智子さんというご夫妻がいる。

現在、敏照さんは91歳、美智子さんは87歳。敏照さんは土佐町の山間部の黒丸地区出身で、美智子さんは土佐町の隣の旧土佐山村(現高知市)生まれ。お二人は、1952年に結婚してからずっと黒丸地区に住んでいた。

敏照さんの生業は林業。まだチェーンソーなどない時代、鋸(のこ)と釿(ちょうな)で木を切り、斧で枝を打っていた。「山を切って、焼いて、稗を蒔く。そのあとは小豆、大豆、そして三又を植えたのよ。当時の人たちはそうやって生きてきた」。

牛を引きながら、歩いて3里(約12km)の石原地区へ買い物に行き、黒丸の人たちの配給米を牛の背に載せて帰ってきたという。敏照さんは「16歳の時に終戦を迎えて、戦争に行かずにすんだ。国のやり方ひとつで人の人生が変わってしまう。戦争だけはいかん」と言った。

現在は、病院に通うため、土佐町の中心部である田井地区にも家を構えている。週に3日ほど、車で1時間かけて黒丸の家に行き、畑仕事をするのが楽しみなのだそうだ。

「畑にいると生命力が蘇ってくる。姿は見えなくても、ここにわらびがあって、ウドがあって、って。自分の中に畑が入っているようなもの」と美智子さんは話す。

石川が岡林さんご夫妻の撮影(P50 )をする日、私も同行した。黒丸地区のアメガエリの滝のそばにある吊り橋のたもとで、お二人と待ち合わせをした。吊り橋は遊歩道をしばらく歩いたところにある。歩き始めてハッとした。道の草が刈られたばかりだったのだ。私は、ご高齢のお二人が歩く道の状態を確認していなかったことに気付いた。誰が草を刈ってくれたのか?その人の顔はすぐに思い浮かんだ。自分の至らなさを痛感しながら、お二人が待つ橋まで歩いた。雨上がりのあとの草は刈られてもみずみずしく、キラキラしていた。

 

間に立つ人

草を刈ってくれたのは、黒丸地区の地区長である仁井田亮一郎さんだった。私はいつも「亮さん」と呼んでいる。今までとさちょうものがたり編集部は、亮さんに大変お世話になってきた。お二人の撮影をしたいと相談すると、間に立ち、連絡を取ってくれた。亮さんは撮影の日に合わせて、お二人の足元が危なくないよう、草を刈ってくれていたのだった。

亮さんは、黒丸地区の人の健康状態や様子をよく知っていて、まるで自分の家族のことであるかのように話す。後日、美智子さんが言っていた。「亮一郎さんは、私らが田井に家を構えたあとも、たびたび家を訪ねてきては、 “元気かよ〜” と声をかけてくれる。なかなかできることじゃない。人間を大事にする人じゃ」。そして、「私らは集落のことはもうできん。亮一郎さんから(写真の撮影のことを)頼まれて、何か少しでも役に立てるのなら、と思って引き受けたのよ」と話してくれた。

 

重ねてきた歴史

撮影は、緑輝く瀬戸川を背景に行った。そこはお二人が毎日のように歩いていた場所だった。緊張していたのか初めはぎこちない笑顔だったが、石川が声をかけながら撮影するうちに、リラックスした表情を見せてくれるようになった。

撮影が終わり、車を置いた場所へ戻るために階段を上る。先頭は敏照さん、そのあとに美智子さんが続き、私はその後ろを歩いた。道の途中、敏照さんが幾度となく振り返り、美智子さんを見つめていた。そして、安心したように前を向き、また歩き出す。一瞬、時が止まったように思えた。慈しみに満ちたそのまなざしは、お二人が重ねてきた歴史を物語っていた。

岡林さんご夫妻の写真を見て、誰よりも喜んだのは亮さんだった。写真を手にして嬉しそうに笑い、「よかった」。そして、「ありがとう」と言った。亮さんと岡林さんご夫妻が積み重ねてきた信頼関係が存在しているからこそ、この一枚の写真が成り立っている。

石川は「撮影はその人の存在を認める行為」だと言う。今、あなたがここにいること。あなたと出会えたということ。あなたとの出会いはかけがえのないものであること。亮さんは、今まで大切に育んできた関係の一片を石川に預けてくれたのだった。

 

物語を記す

撮影から数ヶ月後、岡林さんご夫妻の田井のお家へ伺った。棚には家族の写真が飾られ、その真ん中には、石川が撮影した写真があった。

写真を見ながら敏照さんが言った。「黒丸の遊歩道は、黒丸の人たちが作ったんだ」。数十年前、町から頼まれた仕事だったそうだ。これまで何度となく歩いてきた道は、敏照さんをはじめ、黒丸の人たちが鍬で掘って作った道だったのだ。

一枚の写真の奥には、黒丸という山深い場所で生きてきたお二人の持っている物語があった。写真を撮ることは、その人の紡いできた物語を記し、引き継いでいくことでもある。

 

幸せな仕事

今まで、土佐町のこどもから人生の大先輩まで多くの方の撮影をさせていただいた。2018年7月に発刊した「とさちょうものがたりZINE02号」に友達の姿を見つけ、「僕もとさちょうものがたりに出たい!」と自らポストカードのモデルになってくれた子もいた。石川が土佐町で撮影を始めてからこれまでの間に、鬼籍に入った方もいる。生前から写真を額に入れて飾ってくれていたその人は、いつも座っていた場所で今も微笑んでいる。

あなたがここにいること。あなたがここで生きたこと。その証である一枚を喜んでくれる人がいる。

「幸せな仕事をさせてもらっている」

石川は常々そう話す。

 

誰もがたった一度のかけがえのない今を生きている。つい忘れてしまいがちだが、人生の持ち時間は限られていて、誰もが生と死の間にいる。

だからこそ、この広い世界の中で、あなたと出会えた奇跡を記す。一枚の写真には、その意味がある。

 

 

 

 

岡林敏照さん・美智子さんの写真はこちらです。

岡林敏照・美智子(黒丸)

 

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読んでほしい

おばあちゃんのお年玉

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近所に80代のおばあちゃんが住んでいる。色とりどりの毛糸で編んだマフラーをし、手にはパッチワークの鞄を持って、歩いて買い物に出かける姿をよく見かける。おばあちゃんは味噌や醤油を手作りし、小さな畑を上手に使って、美味しい野菜を作る。

道端で会うとお互いに挨拶し、一言二言話すのだが、おばあちゃんは必ずいつも「子どもさんは元気?」と聞いてくれる。元気にしていますよ、と答えるたび「よかった、よかった。子どもさんの姿を見ると、元気になる」と目を細めてくれる。それはお世辞などではなく、ああ、本当にそう思ってくれているのだとよくわかる。おばあちゃんの声や丸い小さな背中が伝えてくるものは、言葉よりも強い。

年が明け、数日たった日のことだった。ガラガラと戸が開く音がして「いらっしゃいますか?」という声がした。玄関へ行くと、おばあちゃんが顔を覗かせていた。おばあちゃんは玄関に入ってきて、いつもと同じように「子どもさんは元気?」と私に聞いた。私も「元気ですよ、いつもありがとうございます」と応えた。「よかった」と言いながら、おばあちゃんはパッチワークのカバンから小さな袋を取り出した。

「これ、子どもさんに」

おばあちゃんが差し出したのは、お年玉だった。

子どもたちは一人ずつ、おばあちゃんからお年玉を受け取った。お年玉は3人分あった。おばあちゃんは、ちゃんと人数分を用意してくれたのだった。

「子どもさんの声がするのが、本当にうれしいのよ」

そう言うおばあちゃんの手から、あまい味噌の香りがした。遊びに来ていた孫に持たせようと、さっきまで袋に入れていたのだという。

私は、何だかどうしても、目頭が熱くなってしまうのだった。

コロナ禍のなか、年末年始も実家へ帰れず、出かけること自体もはばかられるような中で、心が凝り固まりそうになる時がある。世界中の人たちが同じ状況なのだ、となんとか心の置き所をやりくりする日々が続いている。おばあちゃんは、そんな私の心をふっと、ときほぐしてくれた。

お年玉は、今も子どもたちの机の横に大事に飾られている。

おばあちゃん、ありがとう。

 

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読んでほしい

なんちゃあない

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ほんの10分間ほどの出来事だった。

小学校2年生の娘が学校へ行くために家を出た。私は娘を見送ったあと、家の中へ戻った。そこにはぬくぬくとテレビを見ている長男がいた。「時間、大丈夫なの?」と声をかけると、彼はやれやれというように腰を上げ、準備を始めた。着替えて顔を洗い、ランドセルを背負って「いってきます」と、玄関の戸を開いたそのときだった。

「母さん、これ!」

彼の足元には、緑色の大きな山ができていた。近寄って見てみると、それは大量の「抜き菜」だった。大根やカブ、チンゲンサイ…。根にはまだ湿った土が絡み、葉には朝露が光っている。両手に抱えるのがやっとだった。

娘を見送り、長男が玄関を開けるまで、ほんの少しの間に届いた贈りもの。

一体誰が届けてくれたのか?

私は、思い浮かんだその人に電話をかけた。

その人は電話の向こうで「なんちゃあない!」と笑い、「朝、仕事に行く前に、家の前に置いたのよ」と言う。

山の人たちは朝からとても忙しい。牛の世話や田んぼの見回り、草刈り、ゆずの収穫。木を切り、猪をとるための罠も見に行かなければならない。そういったたくさんの仕事の合間に、わざわざ野菜を届けることが「なんちゃあない」わけはない。

「なんちゃあない」とは、土佐弁で「そんなことなんでもないよ!」「気にしないで!」という意味だ。山の人が言うその一言、器の深さが感じられるこの言葉に、私はいつもじんわりと痺れてしまう。

その人にとって「なんちゃあない」ことが、誰かの「特別」になることがある。その人のさりげない行動や、発した言葉。下を向いていたとき、うなだれているとき、今まで何度「なんちゃあない」に救われてきただろう。それは私自身に向けられた、確かなまなざしだったのだ。

その人は「カブは、一夜漬けにすると美味しいで」と言った。山の中をそっとかき分けると、いくつものカブがあった。泥を落とし、塩をふったその紅色は、はっとするほど鮮やかだった。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「くんちゃんとふゆのパーティー」 ドロシー・マリノ作, あらいゆうこ訳 ペンギン社

今日はクリスマス。サンタさんからのプレゼントを心待ちにしていた子どもたちは、どんな顔をして朝を迎えたでしょうか。

これは、クリスマスが近くなると毎年読みたくなる一冊。こぐまのくんちゃんが「雪を見てみたいから、冬ごもりするのはもう少し待ってほしい」とお母さんにお願いします。お母さんはその言葉を聞いて、冬ごもりを先延ばしに。雪に覆われた森のなかで、森の動物たちが食べものがなくて困っていると知ったくんちゃんは、木に食べものを吊るしてあげます。その周りを飛び交う鳥たちのうれしそうなこと。羽を羽ばたかせている音が聞こえてきそうです。

この本は、以前幼稚園で仕事をしていた時、担任をしていたもうすぐ小学生になる学年の子どもたちに贈ったものです。「幼稚園に遊びにきたサンタさんがこの本をプレゼントしてくれた」という演出を他の先生と考えました。絵本を包んだ紙に色鉛筆で「Merry Chiriatmas!」と描いたこと、英語で書かれているその文字を見て「サンタさんが来てくれたんだ!」と信じていた子どもたちの姿を思い出します。今からもう20年前のことです(!!)。

ページを開くたび、くんちゃんの姿と子どもたちの姿が重なり、なんとも言えない懐かしさを感じます。ささやかなことかもしれませんが、私にとっては、今もはっきりと思い出せる大切な出来事です。

2020年のクリスマス。きっと、この日の先に、まだ見ぬ未来があるのだと思えます。それを信じ、大切な人たちやものごとを見つめていきたいと思っています。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「サンナカ」 me(歌う旅芸人 う〜み) う〜みの世界社

高知県観光特使であるう〜みさんが、今年9月に出版した本「サンナカ」。三人兄弟の真ん中「サンナカ」であるう〜みさんの幼い頃の思い出や家族への思い、サンナカであるがゆえの悩みや理不尽さ…。う〜みさんがこれまで感じてきた笑いあり涙ありの出来事を描いています。

この本の校正と編集を、とさちょうものがたり編集部の鳥山が担当させていただきました。

う〜みさんと初めてお会いしたとき、なんて温かい、気持ちのよい人だろうと感じたことをよく覚えています。不思議なことに、初めて会ったのに昨日も会っていたような気持ちになりました。う〜みさんが語る言葉に共感し、涙し、また明日も頑張ってみようと素直に思えたのでした。

う〜みさんからメールで送られてくる原稿にペンを入れ、お返しする。それを受けて、う〜みさんが書き直す。いつの間にか、やりとりした原稿の束は机の上に山積み重なっていました。原稿のやりとりの合間にZOOMを使って打ち合わせ。仕事以外の話に飛んで、あっという間に時間がたっていたこともしばしばでした。

原稿が完成したのちの製本作業は、高知大学教育学部付属特別支援学校の生徒さんが行いました。う〜みさんはこの学校の校歌を作ったのだそうです。作業をする日に、私も同行させていただきましたが、う〜みさんが人とのご縁を何よりも大切にしてきた人なんだということが伝わってきました。う〜みさんが「誰だったか覚えてるー?」と尋ねると「あ!う〜みさん!」と笑顔で答える生徒さんたち。お互いが再会した喜びに溢れていました。

出会えたことに感謝する。共にここにいることを喜ぶ。う〜みさんのその姿勢は「愛」そのものです。

全国各地の学校などで行ってきたコンサートでは、う〜みさんが子どもたちに必ず伝えてきたという言葉があるそうです。

「大丈夫、あなたはちゃんと愛されてる」

その一言があることで救われる人がいるかもしれない。その思いを胸にメッセージを伝え続けているう〜みさん。

う〜みさんとの出会いは、私にとって、とても大きなものとなりました。

う〜みさんの愛情詰まった一冊、とさちょうものがたりのネットショップでも販売しています。ぜひ!

 

 

 

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お母さんの台所

しょうがのかき揚げづくり

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高知県はしょうがの名産地。

10月頃からしょうがの収穫が始まります。自宅の畑で育てている人も多く、毎年、近所の方から両手で抱えるような大きさのしょうがをいただきます。しょうがには殺菌作用や体を温めてくれる力があります。そのしょうがを使ってシロップを作るのが毎年の楽しみです。

11月のある日、土佐町溜井地区で農業を営む和田計美さんの元へ、畑仕事の手伝いへ行きました。

楽しみは、その労働の報酬として用意されているお昼ごはん!お米はもちろん、野菜から保存食まであらゆるものを手作りしている計美さんのごはんは、とびきり美味しい。この日いただいた「生姜のかき揚げ」の美味しさをどんな言葉で伝えたら良いのでしょう!

その作り方を教えてもらいました。

 

 

揚げると、しょうがの辛みは甘さに変わるのでしょうか?びっくりするほど甘い!パクパクといくつでも食べられます。

計美さんは、しょうがのかき揚げの他にも色々なおかずを用意してくれていました。たけのこの煮物、切り干し大根の煮物、大根の抜き菜としょうがとじゃこを和えたものも。畑から生まれるごはんは、身体の内側から元気になるような気がします。

毎日畑に立ち続ける計美さん。今もきっと、せっせと仕事をしていることでしょう。心に浮かぶその背中から「明日も頑張ろう」という力をもらっています。

 

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山の手しごと

ゆず絞り

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11月。山里の道ぞいや家の庭先にころんとした丸い「黄色」が加わります。その風景は、まるで隠れていた小さな星たちが姿を現したように見えます。

11月の初旬、土佐町の浪越美恵さんからお電話をいただきました。

「ゆずの玉、いる?」

玉?たま?タマ?玉って何だろう?

 

「うちは今年のゆずをもう絞ったんやけど、まだたくさん残っているの。よかったらいるかしら?」

もちろん!

ということで、浪越さんのおうちに伺いました。

大正時代に建てられたというご自宅。台所の入り口に一歩足を踏み入れた瞬間から、もうその空間はゆずの香りでいっぱいになっていました。

 

絞るのは、ご主人の泰さんの仕事です。

 

半分に切ったゆずを入れ、ハンドルをおろします。ぎゅーっと絞った果汁をコップにためていきます。

「この道具はおばあちゃんが使いよった。30年といわんかな?30年以上使ってもびくともしない」

ハンドルや本体は分解することができ、全部を洗うことができます。

 

絞った果汁を濾しながら、瓶に入れて保存します。高知県では絞った果汁のことを「柚子酢(ゆのす)」といいます。

 

「めんつゆに柚子酢を入れると、美味しいポン酢ができるよ。安いし、自分好みの味ができる!」と泰さん。これからの季節、鍋や湯豆腐を作った時に重宝しそうです。

 

ざんざん洗うて洗うて、ゆるゆるがなくなるまでやって乾燥させた」というゆずの種。25度の焼酎につけると、化粧水ができます。美白効果があるそう!

柚子酢はお寿司やドレッシング、皮はジャムに。冬至にはゆずを入れたお風呂に入る。ゆずには無駄なものがひとつもない、まさに「玉」ごと使えます。

絞った果汁は瓶に入れ、涼しいところに保存します。

土佐町の多くの人たちは、毎年この時期に一年分のゆずを絞ります。一年間という暮らしのなかに、その季節ならでの仕事がある。それは、とてもゆたかなことです。

お土産にゆずの玉をどっさりいただきました。早速絞って、小さなペットボトルに入れ、何本か冷凍しました。「こうしておくと味が変わらずに一年間使える」と、以前別の方から教えてもらいました。使いたい時に解凍します.

 

冷凍庫に並んだ柚子酢を見るたび、浪越さんの顔を思い出します。そして今年一年、柚子酢は大丈夫だと思えるのです。その安心感たるや。なんて贅沢なのでしょう。

浪越さん、ありがとうございました!

 

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読んでほしい

柿とハクビシン

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一人で家にいる静けさのなか、不意に「ボトッ」という音がする緊張感といったらない。それが熟した柿が地面に落下した音だとわかるまで、少し時間を要した。我が家の裏庭には柿の木が2本あるのだ。

ある日、廊下の窓からふと外を見ると、薄い茶色の体をした動物が畑をうろうろしているのが見えた。狸かな?と思いながらその様子を伺っていると、その動物はどうも畑に落ちている柿を食べているようだ。窓からしばらく見ていたが、柿の木にその体が見え隠れして全貌がわからない。相手は柿に夢中になっている。気づかれないように近づいてみることにした。

サンダルを履いて裏庭にまわり、足音がしないように忍足で近づく。まるで泥棒のようだ。

茶色っぽいと思っていた体は意外なほど白く、毛がツンツンしているように見えた。その体のそばからピチャピチャと音がする。熟した柿はさぞかし美味しいのだろう。2メートル先から人間に覗かれているというのに全く気付いていない。こういうとき、「わっ!」と驚かせたくなるのはなぜだろう。そうしたいのを堪えて見ていると、近所に住む幹男さんがやってきた。

幹男さんはつかつかとそばまでやってきて、その動物をチラッと見て「ありゃあ、ハクビシンじゃ!」と言った。その声に驚いてその動物は逃げていった。「柿が大好物じゃけ、食べにきちょったんやろ」。そして「ハクビシンはうまいで!コリコリしてて!」と言う。

 

その二週間ほどあとで、また幹男さんに会った。「近所の人がハクビシンを捕まえた」と教えてくれた。「この前のハクビシンでしょうかね?」と聞くと「そりゃあわからん!」と言う。そういえば、ハクビシンの姿をあれから一度も見ていない。

幹男さんは「柿の数が減ってないか?」と私に聞いた。「数えてないです」と答えると、「数えてみや!柿が減ってたらまだハクビシンがいるということや」。

 

家に帰って、柿の木を見てみた。木の高いところにある柿には手が届かないからそのまま熟してボトボト落ちてしまう。そもそも、柿の数が減っているのかどうかを考えたことがなかった。言われてみて初めて、そういえば減ってるかもしれないなと思ったくらいだ。私はそういう目で柿を見たことがなかった。

 

先日、柿を収穫した。甘くてとても美味しい柿だった。

美味しい柿がある場所を見つけて夢中で食べていたハクビシンは、今どこにいるのだろうか。また畑に来て、お腹がいっぱいになるまで食べてほしい。まだいくつも木になっている柿を見るたび、そう思っている。

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私の一冊

鳥山百合子

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「世界を変える美しい本」 草刈大介,大久保美夏(ブルーシープ), 松岡希代子, 高木佳子(板橋区立美術館) ブルーシープ株式会社

2018年に板橋区立美術館で開催された、インドの出版社・タラブックスの展覧会で買い求めた一冊です。

タラブックスはインド・チェンナイにある出版社で、本の紙を作るところからシルクスクリーンでの印刷、製本までを地元の職人さんたちが手で行い、一冊ずつ手作りで本を作っています。今や世界的に有名な出版社ですが、タラブックスは組織として「小さくあり続けること」を貫いています。

小さくあり続けるのはなぜか?

それはまず、小さくあることで組織全体の状況を把握でき、やりたいことをやりたい時に立ち上げられることを挙げています。また、「売れるから・売れればいい」という仕事の仕方ではなく、ひとつの仕事を前にした時に「これをやりたいのか。これはいいことなのか」で意思決定ができるということ。そして、働いている人の環境と生活を守り、顔の見える人間関係の中で仕事をするためだといいます。その姿勢にとても共感します。

反対に、小さくあることのマイナス点は「ビジネスの点で賢く立ち回れない。他の人たちがやっているようなお金の稼ぎ方がよくわからない」とのこと。そのことも共感します。(もっと勉強したいと思います。)

この本を開くと、インドのアーティストが描いた絵が言語や国境を越え、何かを訴えかけてきます。言葉を使わないコミュニケーションや意思の疎通がそこにはあります。それを感じるのは、人間が共通して持っている何かがあるからなのでしょう。その共通する何かの姿をもっと知りたいと思います。

コロナ禍がおさまったらインドへ行って、タラブックスを訪れたい。その思いを胸に、目の前のことをひとつずつ重ねていきたいと思っています。

 

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