鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「サンナカ」 me(歌う旅芸人 う〜み) う〜みの世界社

高知県観光特使であるう〜みさんが、今年9月に出版した本「サンナカ」。三人兄弟の真ん中「サンナカ」であるう〜みさんの幼い頃の思い出や家族への思い、サンナカであるがゆえの悩みや理不尽さ…。う〜みさんがこれまで感じてきた笑いあり涙ありの出来事を描いています。

この本の校正と編集を、とさちょうものがたり編集部の鳥山が担当させていただきました。

う〜みさんと初めてお会いしたとき、なんて温かい、気持ちのよい人だろうと感じたことをよく覚えています。不思議なことに、初めて会ったのに昨日も会っていたような気持ちになりました。う〜みさんが語る言葉に共感し、涙し、また明日も頑張ってみようと素直に思えたのでした。

う〜みさんからメールで送られてくる原稿にペンを入れ、お返しする。それを受けて、う〜みさんが書き直す。いつの間にか、やりとりした原稿の束は机の上に山積み重なっていました。原稿のやりとりの合間にZOOMを使って打ち合わせ。仕事以外の話に飛んで、あっという間に時間がたっていたこともしばしばでした。

原稿が完成したのちの製本作業は、高知大学教育学部付属特別支援学校の生徒さんが行いました。う〜みさんはこの学校の校歌を作ったのだそうです。作業をする日に、私も同行させていただきましたが、う〜みさんが人とのご縁を何よりも大切にしてきた人なんだということが伝わってきました。う〜みさんが「誰だったか覚えてるー?」と尋ねると「あ!う〜みさん!」と笑顔で答える生徒さんたち。お互いが再会した喜びに溢れていました。

出会えたことに感謝する。共にここにいることを喜ぶ。う〜みさんのその姿勢は「愛」そのものです。

全国各地の学校などで行ってきたコンサートでは、う〜みさんが子どもたちに必ず伝えてきたという言葉があるそうです。

「大丈夫、あなたはちゃんと愛されてる」

その一言があることで救われる人がいるかもしれない。その思いを胸にメッセージを伝え続けているう〜みさん。

う〜みさんとの出会いは、私にとって、とても大きなものとなりました。

う〜みさんの愛情詰まった一冊、とさちょうものがたりのネットショップでも販売しています。ぜひ!

 

 

 

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お母さんの台所

しょうがのかき揚げづくり

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高知県はしょうがの名産地。

10月頃からしょうがの収穫が始まります。自宅の畑で育てている人も多く、毎年、近所の方から両手で抱えるような大きさのしょうがをいただきます。しょうがには殺菌作用や体を温めてくれる力があります。そのしょうがを使ってシロップを作るのが毎年の楽しみです。

11月のある日、土佐町溜井地区で農業を営む和田計美さんの元へ、畑仕事の手伝いへ行きました。

楽しみは、その労働の報酬として用意されているお昼ごはん!お米はもちろん、野菜から保存食まであらゆるものを手作りしている計美さんのごはんは、とびきり美味しい。この日いただいた「生姜のかき揚げ」の美味しさをどんな言葉で伝えたら良いのでしょう!

その作り方を教えてもらいました。

 

 

揚げると、しょうがの辛みは甘さに変わるのでしょうか?びっくりするほど甘い!パクパクといくつでも食べられます。

計美さんは、しょうがのかき揚げの他にも色々なおかずを用意してくれていました。たけのこの煮物、切り干し大根の煮物、大根の抜き菜としょうがとじゃこを和えたものも。畑から生まれるごはんは、身体の内側から元気になるような気がします。

毎日畑に立ち続ける計美さん。今もきっと、せっせと仕事をしていることでしょう。心に浮かぶその背中から「明日も頑張ろう」という力をもらっています。

 

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山の手しごと

ゆず絞り

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11月。山里の道ぞいや家の庭先にころんとした丸い「黄色」が加わります。その風景は、まるで隠れていた小さな星たちが姿を現したように見えます。

11月の初旬、土佐町の浪越美恵さんからお電話をいただきました。

「ゆずの玉、いる?」

玉?たま?タマ?玉って何だろう?

 

「うちは今年のゆずをもう絞ったんやけど、まだたくさん残っているの。よかったらいるかしら?」

もちろん!

ということで、浪越さんのおうちに伺いました。

大正時代に建てられたというご自宅。台所の入り口に一歩足を踏み入れた瞬間から、もうその空間はゆずの香りでいっぱいになっていました。

 

絞るのは、ご主人の泰さんの仕事です。

 

半分に切ったゆずを入れ、ハンドルをおろします。ぎゅーっと絞った果汁をコップにためていきます。

「この道具はおばあちゃんが使いよった。30年といわんかな?30年以上使ってもびくともしない」

ハンドルや本体は分解することができ、全部を洗うことができます。

 

絞った果汁を濾しながら、瓶に入れて保存します。高知県では絞った果汁のことを「柚子酢(ゆのす)」といいます。

 

「めんつゆに柚子酢を入れると、美味しいポン酢ができるよ。安いし、自分好みの味ができる!」と泰さん。これからの季節、鍋や湯豆腐を作った時に重宝しそうです。

 

ざんざん洗うて洗うて、ゆるゆるがなくなるまでやって乾燥させた」というゆずの種。25度の焼酎につけると、化粧水ができます。美白効果があるそう!

柚子酢はお寿司やドレッシング、皮はジャムに。冬至にはゆずを入れたお風呂に入る。ゆずには無駄なものがひとつもない、まさに「玉」ごと使えます。

絞った果汁は瓶に入れ、涼しいところに保存します。

土佐町の多くの人たちは、毎年この時期に一年分のゆずを絞ります。一年間という暮らしのなかに、その季節ならでの仕事がある。それは、とてもゆたかなことです。

お土産にゆずの玉をどっさりいただきました。早速絞って、小さなペットボトルに入れ、何本か冷凍しました。「こうしておくと味が変わらずに一年間使える」と、以前別の方から教えてもらいました。使いたい時に解凍します.

 

冷凍庫に並んだ柚子酢を見るたび、浪越さんの顔を思い出します。そして今年一年、柚子酢は大丈夫だと思えるのです。その安心感たるや。なんて贅沢なのでしょう。

浪越さん、ありがとうございました!

 

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読んでほしい

柿とハクビシン

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一人で家にいる静けさのなか、不意に「ボトッ」という音がする緊張感といったらない。それが熟した柿が地面に落下した音だとわかるまで、少し時間を要した。我が家の裏庭には柿の木が2本あるのだ。

ある日、廊下の窓からふと外を見ると、薄い茶色の体をした動物が畑をうろうろしているのが見えた。狸かな?と思いながらその様子を伺っていると、その動物はどうも畑に落ちている柿を食べているようだ。窓からしばらく見ていたが、柿の木にその体が見え隠れして全貌がわからない。相手は柿に夢中になっている。気づかれないように近づいてみることにした。

サンダルを履いて裏庭にまわり、足音がしないように忍足で近づく。まるで泥棒のようだ。

茶色っぽいと思っていた体は意外なほど白く、毛がツンツンしているように見えた。その体のそばからピチャピチャと音がする。熟した柿はさぞかし美味しいのだろう。2メートル先から人間に覗かれているというのに全く気付いていない。こういうとき、「わっ!」と驚かせたくなるのはなぜだろう。そうしたいのを堪えて見ていると、近所に住む幹男さんがやってきた。

幹男さんはつかつかとそばまでやってきて、その動物をチラッと見て「ありゃあ、ハクビシンじゃ!」と言った。その声に驚いてその動物は逃げていった。「柿が大好物じゃけ、食べにきちょったんやろ」。そして「ハクビシンはうまいで!コリコリしてて!」と言う。

 

その二週間ほどあとで、また幹男さんに会った。「近所の人がハクビシンを捕まえた」と教えてくれた。「この前のハクビシンでしょうかね?」と聞くと「そりゃあわからん!」と言う。そういえば、ハクビシンの姿をあれから一度も見ていない。

幹男さんは「柿の数が減ってないか?」と私に聞いた。「数えてないです」と答えると、「数えてみや!柿が減ってたらまだハクビシンがいるということや」。

 

家に帰って、柿の木を見てみた。木の高いところにある柿には手が届かないからそのまま熟してボトボト落ちてしまう。そもそも、柿の数が減っているのかどうかを考えたことがなかった。言われてみて初めて、そういえば減ってるかもしれないなと思ったくらいだ。私はそういう目で柿を見たことがなかった。

 

先日、柿を収穫した。甘くてとても美味しい柿だった。

美味しい柿がある場所を見つけて夢中で食べていたハクビシンは、今どこにいるのだろうか。また畑に来て、お腹がいっぱいになるまで食べてほしい。まだいくつも木になっている柿を見るたび、そう思っている。

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私の一冊

鳥山百合子

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「世界を変える美しい本」 草刈大介,大久保美夏(ブルーシープ), 松岡希代子, 高木佳子(板橋区立美術館) ブルーシープ株式会社

2018年に板橋区立美術館で開催された、インドの出版社・タラブックスの展覧会で買い求めた一冊です。

タラブックスはインド・チェンナイにある出版社で、本の紙を作るところからシルクスクリーンでの印刷、製本までを地元の職人さんたちが手で行い、一冊ずつ手作りで本を作っています。今や世界的に有名な出版社ですが、タラブックスは組織として「小さくあり続けること」を貫いています。

小さくあり続けるのはなぜか?

それはまず、小さくあることで組織全体の状況を把握でき、やりたいことをやりたい時に立ち上げられることを挙げています。また、「売れるから・売れればいい」という仕事の仕方ではなく、ひとつの仕事を前にした時に「これをやりたいのか。これはいいことなのか」で意思決定ができるということ。そして、働いている人の環境と生活を守り、顔の見える人間関係の中で仕事をするためだといいます。その姿勢にとても共感します。

反対に、小さくあることのマイナス点は「ビジネスの点で賢く立ち回れない。他の人たちがやっているようなお金の稼ぎ方がよくわからない」とのこと。そのことも共感します。(もっと勉強したいと思います。)

この本を開くと、インドのアーティストが描いた絵が言語や国境を越え、何かを訴えかけてきます。言葉を使わないコミュニケーションや意思の疎通がそこにはあります。それを感じるのは、人間が共通して持っている何かがあるからなのでしょう。その共通する何かの姿をもっと知りたいと思います。

コロナ禍がおさまったらインドへ行って、タラブックスを訪れたい。その思いを胸に、目の前のことをひとつずつ重ねていきたいと思っています。

 

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読んでほしい

松茸がやってきた

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ある日、私は松茸を受け取った。

私は未だかつて本物を手にしたことはなく、驚きと嬉しさと共に、どう扱っていいものか考えあぐねた。まずは、以前どこかで見たようにそれらしく編み籠に入れてみようと考えた。家にあった籠を引っ張り出して、うやうやしくそっと入れた。籠に入った松茸は、いかにも松茸らしい風格を醸し出していた。

次に私がしたことは、松茸の籠の置き場所を探して家の中をウロウロすることであった。やはり家の入り口である玄関がいいだろうか。いやいや、日が当たる場所でせっかくの松茸が乾燥してしまってはいけない。それでは玄関横にある本棚の前はどうだろう。そこは本やら荷物やらが積み重ねてあるから、せっかくの松茸が荷物と共に埋もれてしまう。そうなったら最後、子どもたちはその存在に全く気づかず、その前を通り過ぎてしまうだろう。学校から帰ってきたら「松茸だ!どうしたの?」と私に聞いてほしい。その様子を思い浮かべるだけで口元が緩んでしまう。

しかし大変残念なことに、子どもたちは本物を目の前にしてもそれが松茸であることがわからないだろう。いまだかつて食卓に上がったことはないし、どこか旅行に行って「山の幸御膳」たるものを注文し、ほんのおまけ程度に松茸がついてきたことはあったかもしれない。が、そのときには元の形は跡形もなく、小さく切られてしまっているのだ。山で生えていたままの本物が目の前にある今こそ、これが松茸なのだということをぜひとも実感させたい。そんなことを色々考えながら、籠を抱えて部屋から部屋を行ったり来たりした。

結局、毎日食事をする木の机に置いた。横を通りかかる時、いつもチラリと見てしまう。籠の隣には新聞や学校からの手紙も一緒に置いてあるので、これではありがたみも失せるというものだ。机の上を片付けて堂々と真ん中に置いた。松茸とはこうあるべきだと大変満足したのであった。

さて、この松茸がどのようにして我が家へやってきたのか。そのことをお話したいと思う。

 

松茸は山にあるもの

10月のある日、いつもお世話になっている土佐町の近藤雅伸さんから電話がかかってきた。
「あ〜〜、近藤やけども」。近藤さんの声は今日も大きい。でもいつもと何かが違った。いつもと何か違うことを言いたい時は、電話口からでもその空気は伝わるものだ。

「松茸、いるかよ?」
「え?」
「え?じゃない、まつたけ」
「え!松茸?松茸ですか?」

何かの聞き間違いだと思い、私は何度も尋ねた。
何度聞いても、近藤さんは「まつたけ」と言っているのだった。

松茸は、近藤さんの山で収穫したのだそうだ。そろそろ時季かなと思って、山の中のとある場所へ行ってみたら、いくつもの松茸が円を描くように生えていたという。
近藤さんをはじめ山で暮らす人は、自分たちの「場所」を持っている。松茸はもちろん香茸というきのこも同じ時季に収穫できるのだが、それぞれの人にとってのとっておきの場所がある。自分の子どもにさえその場所を教えていない人も多いと聞く。山の秘密、自分だけの秘密。なんとゆたかなことだろう。コンクリートの上ではそうはいかない。

松茸は毎年同じ場所に生えるとは限らないそうだ。松茸の菌が松の木の根っこにくっついて松茸ができるという。生命の神秘。自然の恵みをいただいて人間は生きているのだ。
近藤さんにそう話すと「自分にとっては、松茸は特別なものというよりも、あるものを食べるという感覚」なのだという。「自分の足を使って山へ入ったら松茸がそこにあって、取って食べたらうまい。そう思うだけ」。
それは、山と共に暮らしてきた人だからこその言葉だ。

 

香り松茸、味しめじ

先日、テレビで「サザエさん」を見ていたら松茸をテーマにしたお話があった。松茸が食べたいというカツオにサザエさんは「“香り松茸、味しめじ”という言葉があるのよ」と諭すように話していた。松茸の香りは素晴らしいけど、味はしめじの方がいいのよとサザエさんは言いたいらしい。私はしめじの炊き込みご飯が好きでよく作るのだが、しめじの香りだって負けてはいないと思う。決して負け惜しみではない。

私の数少ない松茸に関する思い出は、中国産のものをスーパーで見かけたり、小袋に入った「松茸の味のお吸い物」の粉をお湯に溶かして飲んだことがあるくらいだったが(ちなみにお吸い物は美味しい)、そんな私にもついに松茸を調理する日が来た。是が非でも、その香りがしめじよりも勝るのか確かめたい。

近藤さんによると、石づきの部分をナイフで鉛筆を削るようにそぎ、あとは好きな大きさに切るらしい。松茸だからといって特別扱いはせず、あくまでもいつも通り、自由に調理していいのだ。

 

松茸ごはんを作る

まずは王道である「松茸ごはん」から。新聞に包み、冷蔵庫の野菜室の一番いい場所に入れておいた松茸をまな板の上に並べる。何だか緊張してしまう。さっき読んだばかりの作り方を何度も復習した。
キッチンペーパーでそっと汚れを落とし、近藤さんに言われた通り、鉛筆を削るように松茸の石づきを削った。
土のついたその部分を一回か二回、そっとそいだ。もうそれだけで驚いた。それは初めての香りだった。これが松茸か!

昆布だしにお酒、醤油、塩を加え、給水していた新米の上に松茸をのせ、炊飯器で炊いた。炊飯器からシュッシュッシュと湯気が出始めたころ、家中が松茸の香りでいっぱいになった。確かにしめじよりも勝っているかもしれない。この香りを一人で吸い込んでいることが何だかとても贅沢に思えた。

 

その日の夕食は、松茸ごはん、松茸と豆腐と三つ葉のお吸い物。松茸ごはんを息子が大変気に入って何杯もお変わりし、長女はお吸い物の入った鍋を空っぽにした。

次の日の朝、ほんの少し残っていた松茸ご飯を「もうこれで終わりか…」としみじみと味わって食べていた息子。また明日も食べたいと言っていたがそれは無理というものだろう。せめてしめじごはんを炊いてやろうと思う。

季節ごとの山の恵をいただく日々。
自ら収穫したものを惜しげもなくお裾分けしてくれる人がいる。
自然と人の懐の深さに触れることで、私はどんなに救われてきたことだろう。

近藤さんは「喜んで食べてもらえたらうれしいんよ」といつも言ってくれる。私はいただくばかりで、いまだに何も返せずにいる。

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読んでほしい

稲刈りの季節

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土佐町は稲刈りの時期を迎えています。

町のなかには稲を刈るコンバインの音が響き、米袋をいくつも積んだ軽トラックが走っています。風に揺れていた黄金色の稲穂が刈られ、静かになった田は、確実に季節が移り変わっていることを教えてくれます。

この時期、道端で知人に会うと話題になるのは空模様のこと。「(稲刈りは)もうすぐかよ?」が挨拶がわりです。稲刈り仕事は、何と言ってもお天気勝負。良い天気が続き、稲が「よい感じ」に乾いた頃を狙って予定を立てます。

「明日、稲刈りするけ」と、弾んだ声で教えてくれた人がいました。ところが前夜に雨音が。

どうするのかな?と思っていたら「いたずらな雨にやられたにゃあ」と、その人は笑って言いました。

「自然は思い通りにはいかんにゃあ」。

稲刈りは次の日以降に持ち越しです。

 

稲刈りは大きな喜びのときでもあります。家族や親戚一同が田に集まり、落穂を拾いながら刈り取った稲藁を立て、共に仕事をしながら収穫の喜びを味わう。これが先祖代々重ねてきた営みなのだと思いながら、その風景を見つめました。

自然と何とか折り合いをつけ、自然と共に生きているこの地の人たちの足元は、しなやかな強さで満ちています。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「宇宙兄弟 心のノート2」 小山宙哉 講談社

漫画「宇宙兄弟」の名言がまとめられている「心のノート2」。どのページも納得の名言ばかりですが、私にとっての特別な言葉があります。

主人公ムッタと日々人が幼い頃、二人の興味を宇宙へと導いた天文学者・金子シャロンの言葉です。

「人は何のために生きているのか」。幼い日のムッタの疑問に対するシャロンの答えは、『そんなつもりはなくても、人はね、誰かに“生きる勇気”を与えるために生きてるのよ。誰かに、勇気をもらいながら』。

私は今、自分でも言葉にできないようなもやもやした何かが胸の内にあるのを感じています。コロナウィルスの影響で行動が制限されていることも大きな影響を与えていると思いますが、いつまでこの現状が続くのか、先の見えない道のりにどこか疲れを感じている。それは私だけではなく、日本中、世界中の人たちが同じ問題を抱えているのだとわかっていながら、不安や疲れから言葉がきつくなり、今までだったら気にならないことが気に障り、ケンカや揉め事になることもありました。その度に、こんなはずじゃなかったのにとため息をつく。そんなことをしばらく繰り返していました。

でもある日、ふと顔を上げて見渡すと、周りには大切な人たちがいました。今までもいたはずなのに、私がちゃんと見ていなかったのです。ダメな時はダメだと叱ってくれる人がいました。何かできることはある?と声をかけてくれる人がいました。いつでもどんな時でも笑顔で迎えてくれる人がいました。

その人たちの存在に私はどれだけ支えられてきたか、前を向く「勇気」をもらっていたか。その人たちがいる環境をいつの間にか当然のように思ってしまっていましたが、それは決して当たり前のことではなかったのです。

人は、さりげない一言や行動を与え合いながら生きています。ふとした言葉やまなざしが誰かを救うことだってあるし、誰かを傷つけ苦しめることもある。「その人がそこにいる」ことには、思っている以上に大きな力があります。人が環境をつくっているのです。

今、日本中、世界中の人たちが皆、経験したことのない渦中にいます。大変な状況のなかですが、少しでも「生きる勇気」を与え合えるような言葉を、行動を、まなざしを互いに伝え合えたらと思います。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「在来植物 高知嶺北F 」 山中直秋

いつもお世話になっている山中直秋さんが作った本「在来植物 高知嶺北F」。

山中さんが、高知県嶺北地域の野山に根を張る在来植物を探して道々を歩き、コツコツと撮影した写真が全5冊にまとめられています。これはそのうちの4冊目、8月から9月編です。ちょうど今の季節にいいなあと思い、こちらを購入しました。

ページを開くと「星みたいな形のあの黄色い花は、“ヒメキンミズヒキ”という名前だったのか!」とか「地面を這うように葉を巡らせていたのは、“スベリヒユ”っていうのか!」と、まるで大発見をしたような、懐かしい友達に会ったような気持ちになります。

これだけの植物と出会うために、山中さんは一体どれだけの時間を費やしてきたのでしょう。

いつも庭先から、新しく見つけた植物のことや今取り組んでいることを話してくれる山中さん。それはそれは楽しそうで、私は元気をもっています。

山中さん、素敵な本をありがとうございます!

 

*山中さんのこの本は、土佐町の青木幹勇記念館で購入することができます。
(青木幹勇記念館:〒781-3401 高知県土佐郡土佐町土居437 TEL.0887-82-1600)

 

 

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読んでほしい

三足の下駄

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今から50年ほど前に建てられたという家を片付けている。

瓦屋根で、和室が南に2つ、北に2つ並ぶ平家の家である。この家には大きなものから小さなものまで、山ほどの荷物が残っていた。洋服ダンスや布団、衣装ケースやマッサージチェア。人のことは言えないが、人が生きていく上でこんなにも荷物が必要なのかと思うほどだった。

納屋には皿鉢やお餅を並べるもろぶた、野菜を干すえびらや火鉢があり、納屋の隣にある壁には畑を耕す鍬や草刈り鎌がかけられている。

片付けていると、その人がどんな暮らしをしていたのかが感じられるものに出会う。

 

この家に住んでいたのは、最後にはおばあちゃん一人だったそうだ。お風呂や廊下、玄関には手すりが取り付けられている。手作りなのだろう、台所の作りつけの戸棚の扉の内側には「昭和47年○○製作」と黒いマジックで書いてある。「○○」はおそらく、大工だったという連れ合いさんの名前だろう。それはひとつやふたつではなく、茶箪笥の引き出しや玄関の靴箱の扉にも書いてあった。作った年と名前が書いてあるだけなのだが、その文字はそれ以上のことを語りかけてくる。

家の中には明かりが2つ付いた6畳の部屋がある。どんな部屋でも大抵そうであるように、ひとつは天井の真ん中についている。もうひとつは、縁側に面したその部屋の天井の隅についていて、紐を引っ張ると電気がつくようになっている。なぜひとつの部屋に明かりがふたつもあるのだろう。

その謎は、息子さんと話しているときに解けた。

おばあちゃんは洋裁の仕事をしていたのだ。和室の天井の隅から下がる灯りの元に座って、いつも仕事をしていたそうだ。なるほど、庭に面した縁側の隅には鉄製の足踏みミシンが置いてあったし、近くには小さな文机があって引き出しには色とりどりのマチ針や糸がしまわれていた。頼まれて着物を仕立てたりもしていたそうだ。

手元を照らしながらちくちくと針を進めていただろうおばあちゃんが、すぐそこにいるようだった。生きているうちにお会いしてみたかった。

 

靴箱を片付けていたら、奥から下駄が三足出てきた。それは女性用の下駄で、桐でできていてとても軽い。鼻緒の色は紅色やオレンジ、紫がかった桃色で、はっとするほど可愛らしい。きっとおばあちゃんが履いていたのだろう。

近所の人が言っていた。

「おばあちゃんは料理がとても上手な人で、よくおかずを持ってきてくれた。とてもようしてもらった」

おばあちゃんは、もしかしたらこの下駄を履いて近所を訪ねていたのかもしれない。

この下駄を、今度は私が履かせてもらおうと思っている。

 

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