鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「21世紀に生きる君たちへ」 司馬遼太郎 ドナルド・キーン監訳, ロバート・ミンツァー訳 朝日出版社

司馬遼太郎さんが子どもたちのために書いた「21世紀に生きる君たちへ」。国語の教科書にも掲載されています。

「君たち。君たちはつねに晴れ上がった空のように、たかだかと した心を持たねばならない。 同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつ つ歩かねばならない。私は、君たちの心の中の最も美しいもの を見続けながら、以上のことを書いた。 書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがや いているように感じた。」

何度も読み返しては司馬さんの人間観、価値観を感じ、いつもお会いしてみたかったと思うのです。

 

話は少し遡りますが「とさちょうものがたりZINE04 山峡のおぼろ」が出た後、神山義三さんという方がとさちょうものがたり編集部に電話をくださいました。

「『とさちょうものがたりZINE04』を、著者である窪内隆起さんから送ってもらった。友人たちにも手渡したいから購入したい。送ってもらえるだろうか?」ということでした。

お話を聞くと、今は亡き奥様が入院中、義三さんは枕元で「山峡のおぼろ」を一話ずつ読んであげていたとのこと。「『今日はここまで。また明日ここから読もうね』と毎日楽しみに少しずつ読み進めていたんです。でも、全部読み終わる前に、亡くなってしまいました」と話してくださいました。

その亡くなった奥様が、神山育子さんでした。育子さんは小学校の先生で、司馬さんの「21世紀に生きる君たちへ」を日本で初めて授業で取り組んだ先生として、2000年に愛媛県で行われた「えひめ菜の花忌シンポジウム」に招かれました。そこには窪内隆起さんも招かれていて、司馬文学を21世紀にどう受け継ぐか、議論をしたそうです。

それがご縁で、義三さんと育子さん、窪内さんは長年手紙や電話でやり取りするようになったとのこと。

枕元でお話を読む義三さんの声に耳を傾けながら、育子さんは、懐かしい窪内さんの顔も思い浮かべていたことでしょう。

その風景が見えるようで、涙がこぼれました。

司馬遼太郎さんの編集者だった窪内隆起さんが書いてくださった「山峡のおぼろ」が、神山さんご夫婦と私たち編集部との新たな出会いを運んできてくれました。

この本を開くたび、窪内さんや義三さんや育子さんのことを思っては、ご縁の不思議さと尊さを思います。

 

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今年の土佐町オリジナルポロシャツは「土佐町地蔵寺地区・地蔵堂の阿吽の大龍」!

おかげさまで町内の方だけではなく、町外の方からも多くのご注文をいただいています。本当にありがとうございます。

先日、地蔵寺地区のみなさんが「地蔵堂の龍のポロシャツを注文したい」と、わざわざとさちょうものがたりの作業場へ来てくれました。

「何色にしようか?」「ポロシャツではなくTシャツにしようか?」

賑やかに相談しながら決めている地蔵寺のみなさんのその姿は、私たち編集部にとって何よりうれしい光景でした。

左から:西村孝教さん・西村由美さん・明坂袈裟子さん

早速製作し、完成したことをご連絡すると、再び作業場を訪れてくれました。この日は、西村孝教さん、西村由美さん、明坂袈裟子さんが来てくださいました。みなさんのお顔から、楽しみに待っていてくれたことが伝わってきました。地蔵堂の龍は、本当に多くの人に愛されています。

私たち編集部にとって何よりの喜びは、町の方たちが喜んでくれる姿です。それが私たちの原動力です。

地蔵寺のみなさん、ありがとうございます!

 

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読んでほしい

「ここにいる」こと

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7月20日に発行した「とさちょうものがたりzine 06」。おかげさまで多くの方々から反響、感想などいただいております。

06号は「とさちょうものづくり」と題して、これまでの取り組みをご紹介した号になっています。今回の記事は、その06号に掲載したあとがき(著:鳥山百合子)です。

 

シルクスクリーンの作業にどんぐりのメンバーさんが来てくれるようになってから、確か1年ほど過ぎた頃だったと思う。近所のスーパーで偶然、希保ちゃんに会った。希保ちゃんこと川井希保さんは、シルクスクリーンが始まった時からずっと作業をしてくれている。希保ちゃんが「鳥山さん!」と駆け寄って来てくれたのだった。

ぼんやり買い物をしていた私の目の前に現れた希保ちゃんは、目が覚めるような笑顔で立っていた。

「希保ちゃん!びっくりした!買い物?」とたわいのない話をしたように思う。またね、と手を振って別れた。 希保ちゃんの背中を見送りながら、じんわりと湧いてくるような思いで満たされた。少し恥ずかしがり屋の希保ちゃんが自分から声をかけて来てくれた。

その日、私は何度もそのことを思い返していた。

シルクスクリーンに来てくれているもう一人、石川寿光さんが、シルクスクリーンで印刷したポロシャツを着ている人を見かけたと声を弾ませて話してくれたことがあった。それまで必要なこと以外はあまり話さなかった寿光さんが、そういう姿を見せてくれたことは本当に嬉しかった。

それから少しずつ、寿光さんは自分のことや家族のことを話すようにもなっていった。

 

シルクスクリーン事業は、寿光さんがいるからこそ成り立っていると言っていい。印刷する生地によってインクの載り方が違うため、刷る回数や力加減を変え、先々の注文を把握して効率良い段取りを考えて仕事を進める。試行錯誤する中でより良い方法を見つけていったのは寿光さん本人だ。 丁寧に物事を進める希保ちゃんと、すでに職人のような寿光さんを私はとても頼りにしている。

私たちは最初からこのような関係ではなかった。誰でもきっとそうであるように、初めはお互いへの遠慮から来る距離感が私たちの間にはあった。順風満帆でもなかった。

時間が経ったが故の慣れのようなものから誤解が生じ、どうしたら良いのかお互いに頭を悩ませたこともあった。私たちは共に仕事をしていく中で、相手がどんな人であるのかを時間と会話を重ねながら少しずつ確かめていったように思う。振り返ればそれはとても大切な道のりであったし、その道は今も続いている。

どこかで会ったら笑って手を振り合える今の関係を、私はとても大切に思っている。

 

「仕事は、現場を1㎝でも2㎝でも動かせたかどうか」。

どこかで耳にしたこの言葉を手帳に書き留めてある。

とさちょうものがたりが作る現場は小さいかもしれないが「シルクスクリーンの仕事をするようになって貯金ができるようになった」「自分が行ける場所があることはとても楽しい」という言葉を共に働く人たちからもらって、それが原動力となっている。

この小さな現場が、誰かの日常を少しでも彩ることができるような場所であれたらと思う。

 

 

職人さんとの出会い

「土佐町ベンチプロジェクト」では、7人の職人さんたちの「誰のために、何のために作っているのか」という軸ある一貫した姿に圧倒される思いだった。

普段は個人で仕事を請け負うことがほとんどという職人さんたちは、自分の仕事の中に譲れないものを持っていた。「土佐町の建具職人は俺しかおらんき」と話していた山中さんは「思いが強すぎて疲れる」ほど建具へのこだわりを。大工の小笠原さんと森岡さんは「鉋だけは負けん」と言い合うほどの熱を。

職人さんたちは日々自分との勝負を重ね、互いに切磋琢磨しているのだった。自分の実力で食べていくということはこういうことなのか。7人のチームを作ってくれた池添さんは「みんなでやることで繋がりができていく」と言っていたが、その繋がりは、それぞれ自らの磨き上げがあった上でのことなのだった。

全てのベンチが完成した後、小笠原さんが「今回、色々な人と仕事できたのが嬉しくてね。こんなの初めてだった。みんなのおかげ」と話してくれた。

職人さんとの出会いは私にとって一つの分岐点だった。それくらい良い経験をさせていただいた。

ベンチを見るたび、座るたび、私は何度でもこの地で生きる職人さんたちの姿を思い浮かべるだろう。

 

 

 

人たる所以

中島観音堂クラウドファンディング(以下CF)では、この場所を大切に守り続けてきた先人たちの存在をあらためて知ることとなった。

修繕のために多くの人たちが寄せてくださった寄付は、想像を上回る金額となった。お金という形だけでなく、メッセージが添えられ、手紙が届き、励ましの電話もあった。この場所を心の拠り所としている地元の人たちや、距離を超えて気持ちを表そうとする人たちの存在に心打たれた。

CFの期間中は、新型コロナウィルスの影響で外出もままならず、人と会うことが憚られる日々でもあった。

その中で気付いたことがあった。

実際に顔を合わせて話をし、空間や行動を共にすることで人はどんなに癒され、励まされているか。声や視線や仕草、その人の体温を感じられることがどんなに尊いことか。その熱量や愛情で人は動かされる。その人がその場所にいることには揺るぎない意味があるのだ。

「日常」は決して当たり前のことではなかった。

 

どんなに文明が発達し、便利になったとしても、きっとその本質は変わらない。それが、人間が人間たる所以なのではないだろうか。

私は多くの人たちによって支えられ、生かされている。

この地を守り継いできた先人たちの存在と、心に浮かぶ大切な人たちのまなざしを確かに感じながら、今日もこの地に立っている。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「ふるさとの丘と川」 大原富枝 飛鳥出版室

土佐町の隣町である本山町出身の作家・大原富枝さんが、ふるさとを描いたエッセイと随筆がまとめられている一冊です。

この中に「十七夜」というお話があります。「十七夜」とは、土佐町にある中島観音堂の「中島観音夏の大祭」のこと。昔からそう呼ばれ、親しまれてきたその名を題として、大原さんは次のように書いています。

「盆の十七夜は吉野川を距(へだ)てた隣村の、古い由緒のある観音さまの年に一度の夜祭りで、草相撲があり、露店がたくさん出て賑わうのである。
そのころ吉野川には上流にも下流にも橋はなかった。渡しが二か所あって、十七夜には上流の方の渡しを渡ってゆく。娯楽の少ない時代なので、夜祭りには若い男女や子供たちだけでなく、近村中の者がとっておきの他所ゆきを着て集まるので、驚くばかりの人出になった。
渡し場は足もとが危ないので十七夜はたちまち月の出るのを待って渡る。渡し舟は岸に沿ってずっと上流まで漕ぎのぼってから、流れの早い真中に出て流されながらいっ気に向こう岸につく。幼い私はこわくて身体を固くしていた。
観音さまの境内でみかん箱の上にあがった村の青年が、政談だったか恋愛論だったか演説をぶっているのを、私はびっくりして口をあけて見上げていた。」

この本は、大原富枝文学館にお勤めの大石美香さんが貸してくださいました。
大石さんは、中島観音堂で撮影された土佐町のポストカードの写真を見て、「大原富枝さんの随筆に『十七夜』というのがあって、こちらの観音様のお祭りが出てきます」と連絡をくれました。ひとりずつ、ひとつずつに思えていた人とものごとが、まるで最初からそうなることが決まっていたかのように繋がっていく様はいつも私を驚かせ、この世の不思議さと尊さを教えてくれます。

まだ吉野川にかかる橋がなかった時代、中島観音堂の石階段に揺れる提灯のやわらかな灯りを大原さんも見つめていたことでしょう。昔の風景の一片を知ることは、昔と今がたしかに繋がっているのだということをあらためて思い出させてくれます。

 

2020 July

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私の一冊

鳥山百合子

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「繕う暮らし」 ミスミノリコ 主婦と生活社

靴下やズボンの穴、どこかで引っ掛けてしまって裂けたシャツやエプロン。いつか縫おうと取っておいても次から次へ溜まっていくばかり…。「そういったものをチクチク縫うことで、ちょっと楽しいものにしませんか?」と伝えてくれているこの本を開くと、時々やる気が出てきます。針と糸を手にする時間はなかなかいいものです。当たり前ですが、縫ったら縫ったぶんだけ、縫い目ができていくのがうれしい。

まだ息子が保育園か小学校の低学年だった頃、「一体どうしたらこんなに穴が開くのか?!」と首をかしげるほど、何度もズボンの膝やおしりに穴を開けて帰ってきました。「縫わないといけないズボン」が次々重なっていくのを見て見ないふりをしながら時間を過ごすのは、結構モヤモヤするものです。

ある日、やっと重い腰を上げてチクチク縫い出すと、息子が本当に嬉しそうに「母さん、縫ってくれるんだ!」とせっせとお茶を運んできてくれたことを思い出します。

布を当て色々な色の糸で縫ったズボンを息子はたいそう気に入って、洗濯して乾いたところからすぐに履いていました。

そのズボンはもうとっくに小さくなってしまったけれど、大事に取ってあります。私にとって、そして、多分息子にとっても、特別なズボンとなりました。

鳥山百合子

 

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読んでほしい

きゅうり長者

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7月のある日、私はきゅうり長者になった。カゴからはみ出るほど山盛りのきゅうり。同じ日に、二人の人からたくさんのきゅうりを受け取ったのだ。

その日、友人が自分で作ったといういぼいぼのきゅうりを持って来てくれた。受け取るとチクチクして痛く、こん棒のように太い。「さっき採ったばかり」と言う。このチクチクが新鮮な証拠だ。「乱切りにして生姜とにんにく、豚肉と一緒に炒めると美味しい」など食べ方の話をした。今日の夕ごはんはそれで決まりだと思っているところへ電話がかかって来た。

いつもお世話になっている栗木地区の近藤さんからだった。「きゅうり、いるかよ?」。
いつもいただいてばかりで申し訳ないな…と思いながらも、遠慮なくいただくことにする。

近藤さんは「他の人にも届けにいくからその人に預けておく、仕事帰りに取りに行ったらえい」と言う。

夕方、その人の家を訪ねると、袋いっぱいのきゅうりを手渡してくれた。近藤さんの顔が思い浮かぶ。

どうやって食べようか…。まずは丸かじり。次は塩もみ、漬物、梅干しとゴマとの和えもの、もずくと柚子酢で和えてもいいな…などなど考える。

お礼の電話をすると「いや〜、喜んでくれるのが嬉しいんよ。また欲しい時はいつでも言いなさい」。

思わず涙ぐんでしまう。

 

この季節は、みんなの畑できゅうりがたわわに実るのだろう。育てた人がたくさんのきゅうりを前にして、さてどうしようかと考える。その時に顔を思い浮かべてもらったことが、ただただ嬉しい。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「三つ子のこぶた」 中川李枝子 のら書店

まきお、はなこ、ぶんたという名前の三つ子のこぶたの毎日はとてもにぎやか。朝起きてごはんを食べて、遊んで、お昼ごはんを食べる。昼寝して、おやつを食べてまた遊ぶ。夜ごはんを食べて、お風呂に入って、寝る。その合間に喧嘩あり、涙あり、親は休む暇がない。食べたそばから「おかあちゃん、おやつまだ?」。

そう言われたお母ちゃんの気持ちが手に取るようにわかります。

私の息子も同じでした。まだ2〜3歳の頃、さっきおにぎりを食べたばかりなのに「おなかすいた…」。おやつに持ってきた蒸かし芋やらお菓子の存在を知っているからです。「あともう少ししたらね」と言うと「わかった!」と遊びに行く。律儀にも5分後くらいに戻ってきて「“もうちょっと”たったよー」と呼びに来る。お腹をぽっこりさせた幼い子がこちらを見ている姿がどこかいじらしくて「じゃあ一つだけね」と言ってあげる。本当に嬉しそうにガツガツ食べる。また遊んで、そして「おなかすいた…」。日々その繰り返しでした。

繰り返される毎日には忍耐が必要とされ、多くの葛藤がありました。でもその合間には、子どもにも大人にも発見や驚き、楽しみや悲しみ、そして、かけがえのない喜びも確かにあったのです。その時はわからなかったことが今はわかります。どんな時も一緒に成長してきたんだなと思います。私は子どもたちに育ててもらってきたんだな、と。

この本は3人の子どもたちが幼い頃、それぞれに読みました。「おやつまだ?」のところで笑うのも3人一緒でした。身に覚えがあるのでしょう。

子どもたちが小さかった頃のことを懐かしく思い出せる一冊です。

鳥山百合子

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「宇宙兄弟 1巻」 小山宙哉 講談社

私の愛読書『宇宙兄弟』。

子どもの頃からの夢「宇宙飛行士」を先に叶えた弟・南波日々人と、諦めかけた夢を思い出し「宇宙飛行士」になるべく奮闘する兄・南波六太の物語です。上司に頭突きして職場をクビになった六太は、母親が応募したJAXAの書類審査を通り、次の一次審査へ。でも失敗した姿を弟に見られたくない、「俺程度の人間はふるい落とされるってわかってるから」と次へ進むことを自ら諦めようとします。ここで背中を押してくれるのが天文学者のシャロン。日々人と六太は幼い頃からシャロンと星を見つめ、共に楽器を演奏し、多くの良い時間を過ごしてきました。

久しぶりに一緒に演奏しようとシャロンに誘われて躊躇する六太。

「上手くなくてもいいし、間違ってもいいのよムッタ。まずは音を出して。音を出さなきゃ音楽は始まらないのよ」。

幼き日の六太は、シャロンの数ある楽器の中から「一番音が出にくいから」と“金ピカのトランペット”を敢えて選んで吹いていたのです。

「今のあなたにとって、一番金ピカなことは何?」

 シャロンのその言葉で「忘れたふりを続けていたせいか、本当に自分の大事な気持ちを忘れていた」ことに気付いた六太は、一次審査へと臨みます。

シャロンは、六太だけではなく私の背中も押してくれました。いつのまにかうつむいていた自分、そしてそんな自分の肩をポンポンと叩いてもらっているような気がするのです。言葉が誰かを励まし、誰かの日々の瞬間に希望を与える。言葉と物語の持つ力にあらためて気付かされます。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「よるのびょういん」 谷川俊太郎 作, 長野重一 写真 福音館書店

「あさから おなかが いたいといっていた ゆたか、よるになって たかいねつがでた。おとうさんは やきんで つとめさきの しんぶんしゃにいっている。おかあさんは 119ばんで きゅうきゅうしゃを よんだ。」

お母さんは慌てたように電話をかけ、その傍らで「ゆたか」がおでこにタオルを当てて寝ている。次はどうなるのか、臨場感溢れる言葉と写真が、次へ、次へとページを進めさせます。

ゆたかの手術が無事終わるのを、まだかまだかと待つお母さんの祈りが痛いほど伝わってきます。

「よるの びょういんは しずかだ。けれど そこには ねむらずに はたらくひとたちがいる。びょうしつを みまわる かんごふさん、ちかのぼいらーしつで よどおし おきている ぼいらーまん。おもいびょうきの ひとたちを よるも ひるも やすまずに みまもる しゅうちゅうちりょうしつ。」

私の子どもも入院したことがあります。付き添いながら不安で眠れずにいた時、見回りに来た看護師さんが「どうですか?」と病室に入ってくる。子どもの様子を見て、点滴を確認して、熱を計る。「うん、大丈夫ですね」。その一言にどんなに救われたか。

夜中に手術を終えて、朝を迎えたゆたかの言葉は「ねえ、まんがかってきて」。

お母さんの安堵感はどれほどだったでしょう。

鳥山百合子

 

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読んでほしい

ねむの花が咲いたよ

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今年もねむの花が咲き始めた。
ふわふわとした白い羽毛に紅色を加えたようなこの花は、まるで小さな花火のよう。季節が夏に移り変わりつつあるとき、毎日見ている風景に加わるこの色は、確かに1年間が巡ったのだということを私に教えてくれる。

近所のおばあちゃん、房子さんが言っていた。
「ねむの花が咲いたら、大豆の蒔きどきだよ」

おじいちゃんが亡くなってから、房子さんは口数が少なくなった。この時季、房子さんは大豆だけではなく小豆も植える。前の年に収穫したものを保存しておいて、それを今年の種にする。房子さんの作るおはぎの中にはあんこが入っているのだが、そのあんこも房子さんの小豆でできている。

 

この地の花や木々、空や風、山の色が「この季節がきましたよ」と教えてくれる。その「カレンダー」を、この地の人たちは身体の中に持っている。それを持っているかいないかで、目の前の風景も、世界の見え方も大きく違って見えてくる気がする。

房子さんは、ねむの花が咲いたことをもう知っているだろうか。

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