鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「はてしない物語」 ミヒャエル・エンデ著 岩波書店

この表紙の写真を見てください。あかがね色の布張りの表紙の真ん中に描かれているものは何でしょう?

そう、ヘビです!2匹のヘビがお互いのしっぽをかみ合って、ぐるりと円を描いています。
その円の中に描かれた題名が「はてしない物語」。

本の手触りも、手にした時の感じも最高です。なんて素晴らしい装丁なのでしょう。

このあかがね色の本そのものがこのお話の中に登場するのですが、そのことに気づいた時の驚きといったらありませんでした。お話と現実がつながったと言ったらいいでしょうか。

 

このウェブサイト「とさちょうものがたり」がまだ名前を持つまえのこと。サイト名を何にしようか、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませていた時に、ふと目に飛び込んできたのがこの本でした。

人はみな、ものがたりを持っているのです。
世界中のあちこちに、その人だけのものがたりが散りばめられています。

これからも土佐町のものがたりを大切に紡いでいきたいと思っています。

鳥山百合子

 

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これは高峯神社の守り人、筒井賀恒さんと一緒に、高峯神社への道しるべを辿った記録です。
今日は「地図上5」の場所にある石碑についてのお話です。

 

(「高峯神社への道 その4」はこちら」)

4つ目の石碑の先からは、植林された山の中へと道が続く。昔は今よりももっと道が細く、馬が一頭やっと通れるくらいだったそうだ。その道を昔の人は歩いて行き来していた。

賀恒さんは以前、安吉に住んでいた。
「安吉に住んじょったけんど、家がたった3軒しかなかった。買い物や散髪にいく時、歩いて一日がかりで石原へ行った。この道があったから、なんとか奥で生活しよったよ」

 

現在のこの道路が出来上がったのが、昭和24年のこと。

山の中を縫うように走る細い道。この道を今までどれだけの人が通ったのだろう。
その道を進んで行くと現れる、5つ目の道しるべ。

「従是  三宝山 二十丁」

道路の左側に道しるべはある。落ち葉と土に埋もれるように、大きな岩に寄りかかるようにして建っていた。

「これより 三宝山 二十丁」

丁は約109m、ここから高峯神社まであと2㎞ほどだ。

 

高峯神社の宮司さんである宮元千郷さん(写真左)もこの旅に同行してくださった。

 

峯石原林道という名前でこの道路は開発され、昔、このあたりは「猿・猪のお住まいどころ」と言われていたという。

それだけ山深い場所に、今も昔も人は暮らし続ける。

 

「安吉の集落までの道路ができてくるのが楽しみでよ。戦争中や戦後、食料のない時は配給制度で、米も一人あたりなんぼと決まった量しか買えんかった。馬方に頼んでよ、毎日ぎっちり荷物を積んで供給してくれた。今のマーケットみたいなもんよ」

この道の先にある黒丸、瀬戸、安吉、峯石原で暮らす当時40戸分の人たちの荷物を、馬一頭の背中で運んでいたそうだ。山奥で暮らす人たちは近くで田んぼを作れないため、稗(ひえ)や粟などの雑穀、キビなどを育てて生活していたという。

「高峯に行く道は、林道ができるまでは牛や馬で運んだり、天稟で背負うたりして…。今、楽な生活ができるような時代になったものよ。今までの生活を振り返ってよ、自分が自動車に乗って走れるなんて思いつかなかった」

 

曲がりくねった道の向こうから、馬がゆっくりと歩いてくる音が聞こえてくるようだ。今まで知らなかったことを知ると目の前の風景が違って見える。

(「高峯神社への道 その6」に続く)

 

 

(「高峯神社への道 その6」に続く)

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山の手しごと

智恵さんの畑

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「キャベツと白菜、畑にあるけど、持っていく?」

大根の塩漬けが終わったあと、智恵さんと一緒にもうひとつの畑へ向かいました。

 

 

わらでできている家のようなものは「わらぐろ」という名前の「冬野菜の囲い」なのだそうです。智恵さんの畑には他にもいくつか「わらぐろ」があり、冬の間、他の人の畑でもよく見られます。

このわらぐろの下には何があるのでしょう?

「里芋を貯蔵しちゅうが。寒さに耐えられるようにここへ囲うちゅうが。埋めてあるの。シビたりせず種芋を貯蔵しておいちょける」

収穫したまま寒い所に置いておくと、確かにシビて(痛んで)くる里芋。もったいないことをしたなあと、今まで何度も思ったことがあります。

「里芋は子どもとひっつけて保存しておく。親と離したらいかんが。離したらいかんぞね。春になったら子が芽を出してね、親は食べる。『ご苦労さん、子どもを守ってくれてありがとう』って言ってね」

 

キャベツも収穫。ロールキャベツにしていただきました。とっても柔らかくて甘い!

 

畑の奥にはたくさんのにんにくが育っていました。

「種が余ったきね、どこでもまいちょけと思って…。まきすぎたね」と笑いながら収穫する智恵さん。

にんにくの葉は豚肉と一緒に炒め、塩コショウするだけでとっても美味しい。

「収穫したあと、根っこを水につけちょいたら1週間くらいは大丈夫。ネギがわりに使ってもよし!鍋に入れてもよし!」

 

キャベツ、白菜、にんにく…。一輪車いっぱいに収穫!

 

畑の片隅にあったもみ殻。その中から頭を出しているのは…。

「りゅうきゅうよ。冷やいき、もみ殻であっためてやりゆう。根っこが痛まんように」

ああ、房子さんも、久代さんも、畑のりゅうきゅうに、もみ殻をかけていました。みんな同じです。

 

「生活の知恵よね。受け継いでいけたらいいけんどね。若い人はどうかね…。仕事で忙しいきねえ」

智恵さんはそう言いながら、キャベツや白菜をひとつずつ、新聞紙でくるりと巻いて持たせてくれました。

 

「畑に足音を聞かせてあげなさい」
以前、誰かに言われた言葉を思い出しました。

智恵さんの畑が智恵さんの足音を聞き、智恵さんとおしゃべりをし、応えていることが、じんわりと伝わってくるようでした。

 

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「たべもの九十九」 高山なおみ 平凡社

高山なおみさんの本を何冊か持っている。

料理本にある「白菜の鍋蒸し煮(白菜とベーコンを順番に重ねて蒸し焼きにする)」や「トマト焼きごはん(豚肉とトマトを別に焼いて、同じお皿にごはんも盛って目玉焼きをのせて食べる)」や「春菊のチヂミ」は、今まで何回作ったのかわからないほどで、もう本を見なくても作ることができる。
ベーコンじゃなくて豚肉の時もあるし、春菊ともやしでチヂミを作っても美味しい。高山さんのレシピは、これはあくまでもひとつの作り方で、あなたが好きに自由に楽しく作ってね〜という感じが伝わってくるようで、だから好きなんだと思う。

「たべもの九十九」は、ひらがな50音順に並んだ食べ物のエピソードが書かれている。

中でも「そ:そうめん」のお話が好きだった。

子どもの頃、夏の日のお昼ごはんは大抵そうめんだった(気がする)。大きなガラスの器に真っ白な涼しげなそうめんと、缶詰のみかんが一緒に入っていたことを思い出す。みかんを弟たちと取り合ったっけ。

少し前の夏の日に、オクラを茹でて切ったもの(切ったら星みたいになって楽しい)や、きゅうりを細く切って塩もみしたもの、しょうがのすりおろし、のり、しその葉、モロヘイヤとおかかを混ぜてしょうゆをちょっぴり入れたのやらを色々と、そうめんの薬味にして食べた。
その日の風景は今もよく覚えていて、多分、これからも思い出すのだと思う。

ひとつひとつの食べものが、記憶の引き出しにしまわれていたお話を連れてくる。

 

高山さんは書いていた。

「(中略)20代のはじめ。あの頃の私に、手をふって教えてあげたい。「おーい、未来にはたいへんなこともいろいろあるけども、楽しいことがたくさん待っているし、三度三度食べるごはんのおいしさも、ちゃんとわかるようになるよ。だから、だいじょうぶだよ」

その気持ち、わかるような気がする。

鳥山百合子

 

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それから毎日ふたを開けては「今日はどうなっているかな?」と確かめるのが楽しみでした。水は毎日少しずつ増えていき、大根が全部浸った時、よかった!とホッとしました。きっとお漬物を作っているお母さんたちも、日々様子が変わっていくのを同じような気持ちで見ているのではないでしょうか。

智恵さんに教えてもらった酢漬け大根はとてもとても美味しかったです。

智恵さんは「味も硬さもその人の好み、好きなようにやったらいいのよ」と話してくれました。そして「ちょっと辛かったなあと思ったら、また次に漬ける時に少しお塩を減らしたり、もうちょっと甘い方がいいなあと思ったらザラメやみりんを増やしたり、工夫するのも楽しいのよ」とも。

「また来年も一緒に漬けましょうね、その時は、大根もうちのを使っていいから!」と智恵さん。

智恵さん、また来年も一緒に「酢漬け大根」を作りましょう!

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読んでほしい

高峯神社への道 その4

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これは高峯神社の守り人、筒井賀恒さんと一緒に、高峯神社への道しるべを辿った記録です。
今日は「地図上4」の場所にある石碑についてのお話です。

 

(「高峯神社への道 その3」はこちら

 

3つ目の石碑からさらに坂道をのぼっていく。山の中を抜けていくくねくねした坂道の途中には、ここに一軒、ここにも一軒、とぽつんぽつんと道沿いに家が建っている。人が暮らしている家には洗濯物が干され、花が咲き、当たり前かもしれないが人の気配がする。竹やぶや杉林の間からこぼれてくる光の間を抜けると、道の左側にコンクリート塀が現れる。

その塀の片隅に4つ目の石碑はある。

「従是 三宝山」

4つ目の道しるべは、右は瀬戸方面へ、左は陣ヶ森へ向かう道との分岐点にある。

「従是(これより)三宝山」

この石碑は二つに割れてしまい、下の部分が行方不明になっているのだそうだ。

 

ちなみに左の道を選ぶと、陣ヶ森へたどり着く。

陣ヶ森の存在は、何ものにも代え難い。今この瞬間も、この場所にはこの風景が広がっている。

 

この石碑から先は、車一台通るのがやっとという道に入っていく。賀恒さんによると、この道は「馬道」というそうで、昔は馬一頭がやっと通れるくらいの道だったそうだ。馬道の先に暮らす山の人たちが、馬の背中にお米や生活用品、時には焼いた炭をのせて運んでいたという。

 

(「高峯神社への道 その5」へ続く)

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「しりとり」 安野光雅 作・絵 福音館書店

すもも、ものほしざお、おかめ、めかくし、しらさぎ、ぎょうじ、じんちょうげ、げた、たいこ…。

一番最初のページで選んだ絵としりとりができる絵を次のページから選んでいきます。

その絵はどこにあるかな…?と探しながらページをめくり、なんて優しい美しい絵だろうと、ほおっとため息がもれます。

こどもの生活のなかにあるものと「ことば」がつながる瞬間。

それはきっと、世界がちょっとずつ広がっていくようなことなんじゃないかなと思います。

こどもたちと世界の出会いが、どうかよきものでありますように。

安野さんの願いが伝わってくるようです。

鳥山百合子

 

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ある日、土佐町のスーパーの産直市で大根のお漬物を買いました。
半分に切られた真っ白な大根、柚子の皮、昆布が入っていて、その美味しかったこと!

誰が作っているものなのかな?と名前を見てみると(産直市で売られているものはシールに生産者さんのお名前が書かれています)「沢田智恵」。
いつもお世話になっている智恵さんが作ったものでした!

すぐに連絡し「智恵さんが作ったお漬物がとっても美味しかったので、ぜひ作り方を教えてください」とお願いすると、「まあまあ、私のでよかったら!」と言ってくださいました。

1月28日と2月1日の2日間、智恵さんのお家にうかがって作り方を教えていただきました。

「大根を抜くところからやりましょう」と話していたのですが、約束していた日の前日は、なんと、雪。智恵さんは天気予報をみて、事前に大根を畑から収穫しておいてくれました。

 

 

 

 

この日、1月28日はまだ雪が残る冷やい日でした。塩漬けした大根は外の軒下に置いておきます。「寒かったらね、味が狂わない。(外は)冷蔵庫みたいになるから」と智恵さん。

そして「塩漬けしてだいたい4~5日おいてから、本漬けするのよ」とのこと。

 

智恵さんが話していた通り、この日の夕方には大根はほぼ水につかっていました。

カレンダーを見ながら「本漬け」する日を決め、この日は帰りました。

 

「本漬け」の様子は「沢田智恵さんの酢漬け大根づくり 2日目(本漬け)」でお伝えします!

 

 

*智恵さんはご主人の健次さんと共に、あか牛を育てています。

沢田健次・智恵(高須)

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「ドミニック」 ウィリアム・スタイグ 評論社

大好きなウィリアム・スタイグの一冊。
「ドミニック」はいつも何かやりたくてムズムズしている一匹の犬。ある日、気持ちを抑えきれなくなって冒険に出かけます。最初の分かれ道に立っていたワニの魔女に「自分の運命を知りたいとは思わないかえ?」と聞かれます。この魔女は『現在とおんなじくらいはっきり、未来も見える』ワニなのです。

ドミニックは「もちろん、ぼく、自分がどうなるんだろうと思いますよ。でもなにが起こるのか、それがいつ起きるのか、自分で見つけだすほうが、ずっとすてきだと思うんです。ぼく、びっくりするほうが好きなんです」と言い、冒険の道を選びます。

自分はひとりしかいないので、分かれ道に立った時にどちらかひとつの道を選ぶことしかできません。選んだ後に、もうひとつの道を選んだら今どうなっていたかなと考えることもあるでしょう。でも、どちらを選んでも自分自身の選択であることに変わりがないのです。前を向いて自分の選んだ道を歩いていくドミニックの姿は、何度読んでもグッときます。

鳥山百合子

 

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これは高峯神社の守り人、筒井賀恒さんと一緒に、高峯神社への道しるべを辿った記録です。
今日は「地図上3」の場所にある石碑についてのお話です。

 

(「高峯神社への道 その2」はこちら

 

2つ目の石碑を後にし、国道439号線から県道6号線へ入る。「瀬戸渓谷へ」と書かれた看板の方へと曲がり、くねくねとした一本道をとにかくまっすぐ進んでいくと、道の右側に3つ目の道しるべがある。

 

「従是 三宝山 四十丁」

 

「あ、ここ、ここ!」

道しるべは石垣に寄りかかるようにして建っている。道しるべの横は石段になっていて、山の上へと続く道の入口だけが見える。先は草だらけで見えない。2つめの道しるべからここへ道がつながっているのだそうだ。

 

「従是(これより)三宝山 四十丁 相川谷中」

 

「相川」とは、土佐町の米どころ。ここから車で30分はかかる。賀恒さんによると、相川の人たちがお金を出し合ってこの石碑を建てたのだそうだ。相川の人たちも高峯神社を大事に思っていたのだ。
丁は約109mなので、ここから高峯神社まであと4㎞ほどということか。

 

 

 

石碑の向かいには、こんな風景が望める。昔の人もきっと同じ山々を見つめていたにちがいない。

高峯神社はまだまだ遠い。

 

(「高峯神社への道 その4」へ続く)

 

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