鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「シロナガスクジラより大きいものっているの?」 ロバート・E・ウェルズ 評論社

地球上の生き物の中で一番大きいのはシロナガスクジラ、なのだそうです。

その事実を元に「シロナガスクジラが100匹入るビン」を積み上げたり、「エベレストを100個」重ねたりなど、私たちが想像できる(?)「でっかい」ものたちを使って、地球や宇宙がどんなに「でっかい」のか教えてくれます。

土佐町には「お話ボランティア」さんという人たちがいて、毎週水曜日の朝、小学校の各学年の教室に行って本を読む活動を続けています。

私もそのうちの一人なのですが、この絵本を今までに何度か読んだことがあります。高学年の子どもたちは「シロナガスクジラ」や「エベレスト」はもちろん、どうやら宇宙は想像がつかないほど広いらしいということもすでに知っているのですが、「太陽」や「赤い星アンタレス」や「銀河」の大きさを自分たちが知っているものと比べて考えると「わあ〜〜〜〜…」という顔に。想像が想像を超えていく、そんな表情になっていきます。

先日、ブラックホールの姿をとらえた写真が新聞の一面に大きく掲載されていましたが、広い宇宙の中にある地球という惑星に住んでいる私たち人間は、宇宙から見たらとても小さな存在なのでしょう。想像力を働かせ、空を抜け、地球を飛び出し、宇宙から今立っている場所を俯瞰的に見つめてみると、力んでいた肩の力がふわっと抜けるような、そんな気持ちになります。

宇宙は広い。その宇宙も自分が立っている地面とつながっているんだよ、ということを思い出させてくれる一冊です。

鳥山百合子

 

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この道でいいんだといつまでも確信がもてない道を通るのは、本当に久しぶりのことだった。道の右側を見下ろすと川、左側にはすぐ山が迫り、Uターンができない一本の山道。舗装されていない道はとにかくデコボコしていて、進むたびに車の底がガリガリ!とひどい音をたてる。水の溜まった轍に何度も突っ込み、右に左にぐらんぐらんと揺れる。

本当にたどり着けるのか…。
でも、とにかく行くしかない。
今日行きますね、と約束したのだから。

 

ガリガリいう音にいつのまにか慣れたころ、ふと思い出した。
「電線をたどって来たらいいきね」
確かそう言っていた。

運転席から見上げると、うっそうと立ち並ぶ杉林にまぎれるように一本の電柱が立ち、少し離れたところにまた一本立っていた。その間には一本の電線が通っている。

これだ!
この道でいいのかもしれない。

 

それから10分くらいたっただろうか。
遠くにそれらしき屋根が見えた時「あった!」と思わず声が出た。それまで薄暗い山の間の道を通って来たせいか、太陽に照らされてオレンジ色に光っているその屋根が眩しかった。
小さな橋を渡って、ここからは歩いて家に向かおうと車をとめた場所はじめじめとぬかるんでいる。イノシシが掘り荒らした跡があちらこちらにあって、つまずきながら歩く。吐く息は白くひんやりとしていて、深呼吸したくなるような澄んだ空気がそこにあった。

賀恒さんは、毎日この道のりを通っているのか…。
ひれ伏すような気持ちになりながら、屋根が見えた方へ向かって歩いた。

細い坂道を登っていくと、急に視界が拓けた。

ぐるりととり囲むように右も左も広大な斜面が続き、どこも綺麗に草が刈られている。立っている場所から360度見渡せるこの空間に、まるで空からスポットライトが当たっているかのよう。

あれはきっとゼンマイ畑なのだと思う。斜面の真ん中に小さなハゼが立ててあって、ほぼ乾きつつある小豆が干してある。畑には芽を出し、大きくなり始めた黄緑色の白菜や小さなチンゲンサイの苗が植えられていて、寒さや雨に負けないよう根元には藁がしいてある。

確かにここで暮らしている人がいる。

正面にある母家からラジオの音がする。そのラジオの音に私の足音が重なり、今までここにあっただろう静けさが急に人の気配を帯びたものに変わったのだと思う。台所で座っていた賀恒さんがもうこちらを向いていた。

賀恒さんは、いつものように笑顔で迎えてくれた。

ここは賀恒さんの芥川の家。

高峯神社の守り人 その2」に続く」

 

筒井賀恒 (東石原)

 

*賀恒さんに教えてもらった「高峯神社への道しるべ」についての記事です。

高峯神社への道 その1

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これは高峯神社の守り人、筒井賀恒さんと一緒に、高峯神社への道しるべを辿った記録です。
今日は地図上の「6」の場所にある石碑についてのお話です。

(「高峯神社への道 その5」はこちら

道をさらに進み、6つ目の道しるべへと向かう。

午前中の早い時間のこの道は、立ち並ぶ杉の間からこぼれてくる光に満ちていて、いつも本当に美しいと思う。

 

 

道の途中、いつも車をとめて深呼吸する場所がある。昔の人も同じだったんじゃないかなと思うと何だか楽しく、この地で暮らしを重ねてきた人たちの気配を感じる。

 

左手にコンクリートの壁が見えて来たらこれが目印。6つ目の道しるべは倒れるようになりながら、なんとかここに建っている。

石碑の横にある細い道があって、これが昔の道なのだと賀恒さんは教えてくれた。

2つ目の石碑がある石原から山を越えて、道はずっとここへ来ちゅう」

 

 

「従是 三宝山 十丁」

 

「これより 三宝山へ 十丁 相川谷中」

「さっきより近うなったぜ。十丁は600間(けん)。自分らは小学生の時、尺貫法を習ってるのよ」

高峯神社まであと1キロちょっと、というところだろうか。

 

 

 

この石碑の向かいには、下からあがって来る山道がある。この道を「尾根伝いに降りていったら西石原のしもへ着く」のだそうだ。

「道路ができて、道路しか通らんけんどね。昔の道がちゃんとあったんですね」と賀恒さん。

昔の人は、よくこの道のりを歩いたなあと思う。ひとつひとつの石碑をたどりながら自分に言い聞かせるように、あともう少し、もう少し、と遠い遠い高峯神社までの道を歩いていたのだろう。

 

 

 

(「高峯神社への道 その7」へと続く)

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私の一冊

鳥山百合子

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「いもさいばん」 きむらゆういち文, たじまゆきひこ絵 講談社

約3年前に出版されたこの本は、高知県香美市の小松さんという女性の詩を元に作られました。高知新聞に掲載されたその記事を見て、高知市にある星ヶ丘アートビレッジで開かれていた「いもさいばん」の展覧会へ行って買い求めた本です。

丹精込めて育てたいもを誰かが盗んだと、おじいさんは罠を仕掛けたり見張ったり。ある日、うりぼうがいもをせっせと運んでいるのを発見。

「わしの畑のいもじゃ!」と言うじいさんに

「わしの畑?そんなこと誰が決めたの?」
「この地面も山も川も空も、人間だけのもんじゃねえ。」

「雨降って太陽浴びて育ったはずや。雨や太陽も人間が作ったって言うのけ?」「人間が畑なんか作ってひとりじめするのが間違ってる」と動物たちも負けてはいません。

でも、たぬきが叫びます。

「でも、僕は、このじいさんがすごく頑張ってたのをずっと見てた。畑を耕したり、水をやったり。だからこんなに立派なおいもができたんじゃないか」

さて、どろぼうは人間か、動物か?

うーーーん、とみんな考え込む。

それでお話は終わり。

土佐町小学校でのお話ボランティアでこの本を読んだことがあります。どの学年の子どもたちも、うーーーん、という顔になるのが面白い。

私もその答え、まだわかりません。

鳥山百合子

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「はてしない物語」 ミヒャエル・エンデ著 岩波書店

この表紙の写真を見てください。あかがね色の布張りの表紙の真ん中に描かれているものは何でしょう?

そう、ヘビです!2匹のヘビがお互いのしっぽをかみ合って、ぐるりと円を描いています。
その円の中に描かれた題名が「はてしない物語」。

本の手触りも、手にした時の感じも最高です。なんて素晴らしい装丁なのでしょう。

このあかがね色の本そのものがこのお話の中に登場するのですが、そのことに気づいた時の驚きといったらありませんでした。お話と現実がつながったと言ったらいいでしょうか。

 

このウェブサイト「とさちょうものがたり」がまだ名前を持つまえのこと。サイト名を何にしようか、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませていた時に、ふと目に飛び込んできたのがこの本でした。

人はみな、ものがたりを持っているのです。
世界中のあちこちに、その人だけのものがたりが散りばめられています。

これからも土佐町のものがたりを大切に紡いでいきたいと思っています。

鳥山百合子

 

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これは高峯神社の守り人、筒井賀恒さんと一緒に、高峯神社への道しるべを辿った記録です。
今日は「地図上5」の場所にある石碑についてのお話です。

 

(「高峯神社への道 その4」はこちら」)

4つ目の石碑の先からは、植林された山の中へと道が続く。昔は今よりももっと道が細く、馬が一頭やっと通れるくらいだったそうだ。その道を昔の人は歩いて行き来していた。

賀恒さんは以前、安吉に住んでいた。
「安吉に住んじょったけんど、家がたった3軒しかなかった。買い物や散髪にいく時、歩いて一日がかりで石原へ行った。この道があったから、なんとか奥で生活しよったよ」

 

現在のこの道路が出来上がったのが、昭和24年のこと。

山の中を縫うように走る細い道。この道を今までどれだけの人が通ったのだろう。
その道を進んで行くと現れる、5つ目の道しるべ。

「従是  三宝山 二十丁」

道路の左側に道しるべはある。落ち葉と土に埋もれるように、大きな岩に寄りかかるようにして建っていた。

「これより 三宝山 二十丁」

丁は約109m、ここから高峯神社まであと2㎞ほどだ。

 

高峯神社の宮司さんである宮元千郷さん(写真左)もこの旅に同行してくださった。

 

峯石原林道という名前でこの道路は開発され、昔、このあたりは「猿・猪のお住まいどころ」と言われていたという。

それだけ山深い場所に、今も昔も人は暮らし続ける。

 

「安吉の集落までの道路ができてくるのが楽しみでよ。戦争中や戦後、食料のない時は配給制度で、米も一人あたりなんぼと決まった量しか買えんかった。馬方に頼んでよ、毎日ぎっちり荷物を積んで供給してくれた。今のマーケットみたいなもんよ」

この道の先にある黒丸、瀬戸、安吉、峯石原で暮らす当時40戸分の人たちの荷物を、馬一頭の背中で運んでいたそうだ。山奥で暮らす人たちは近くで田んぼを作れないため、稗(ひえ)や粟などの雑穀、キビなどを育てて生活していたという。

「高峯に行く道は、林道ができるまでは牛や馬で運んだり、天稟で背負うたりして…。今、楽な生活ができるような時代になったものよ。今までの生活を振り返ってよ、自分が自動車に乗って走れるなんて思いつかなかった」

 

曲がりくねった道の向こうから、馬がゆっくりと歩いてくる音が聞こえてくるようだ。今まで知らなかったことを知ると目の前の風景が違って見える。

(「高峯神社への道 その6」に続く)

 

 

(「高峯神社への道 その6」に続く)

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山の手しごと

智恵さんの畑

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「キャベツと白菜、畑にあるけど、持っていく?」

大根の塩漬けが終わったあと、智恵さんと一緒にもうひとつの畑へ向かいました。

 

 

わらでできている家のようなものは「わらぐろ」という名前の「冬野菜の囲い」なのだそうです。智恵さんの畑には他にもいくつか「わらぐろ」があり、冬の間、他の人の畑でもよく見られます。

このわらぐろの下には何があるのでしょう?

「里芋を貯蔵しちゅうが。寒さに耐えられるようにここへ囲うちゅうが。埋めてあるの。シビたりせず種芋を貯蔵しておいちょける」

収穫したまま寒い所に置いておくと、確かにシビて(痛んで)くる里芋。もったいないことをしたなあと、今まで何度も思ったことがあります。

「里芋は子どもとひっつけて保存しておく。親と離したらいかんが。離したらいかんぞね。春になったら子が芽を出してね、親は食べる。『ご苦労さん、子どもを守ってくれてありがとう』って言ってね」

 

キャベツも収穫。ロールキャベツにしていただきました。とっても柔らかくて甘い!

 

畑の奥にはたくさんのにんにくが育っていました。

「種が余ったきね、どこでもまいちょけと思って…。まきすぎたね」と笑いながら収穫する智恵さん。

にんにくの葉は豚肉と一緒に炒め、塩コショウするだけでとっても美味しい。

「収穫したあと、根っこを水につけちょいたら1週間くらいは大丈夫。ネギがわりに使ってもよし!鍋に入れてもよし!」

 

キャベツ、白菜、にんにく…。一輪車いっぱいに収穫!

 

畑の片隅にあったもみ殻。その中から頭を出しているのは…。

「りゅうきゅうよ。冷やいき、もみ殻であっためてやりゆう。根っこが痛まんように」

ああ、房子さんも、久代さんも、畑のりゅうきゅうに、もみ殻をかけていました。みんな同じです。

 

「生活の知恵よね。受け継いでいけたらいいけんどね。若い人はどうかね…。仕事で忙しいきねえ」

智恵さんはそう言いながら、キャベツや白菜をひとつずつ、新聞紙でくるりと巻いて持たせてくれました。

 

「畑に足音を聞かせてあげなさい」
以前、誰かに言われた言葉を思い出しました。

智恵さんの畑が智恵さんの足音を聞き、智恵さんとおしゃべりをし、応えていることが、じんわりと伝わってくるようでした。

 

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「たべもの九十九」 高山なおみ 平凡社

高山なおみさんの本を何冊か持っている。

料理本にある「白菜の鍋蒸し煮(白菜とベーコンを順番に重ねて蒸し焼きにする)」や「トマト焼きごはん(豚肉とトマトを別に焼いて、同じお皿にごはんも盛って目玉焼きをのせて食べる)」や「春菊のチヂミ」は、今まで何回作ったのかわからないほどで、もう本を見なくても作ることができる。
ベーコンじゃなくて豚肉の時もあるし、春菊ともやしでチヂミを作っても美味しい。高山さんのレシピは、これはあくまでもひとつの作り方で、あなたが好きに自由に楽しく作ってね〜という感じが伝わってくるようで、だから好きなんだと思う。

「たべもの九十九」は、ひらがな50音順に並んだ食べ物のエピソードが書かれている。

中でも「そ:そうめん」のお話が好きだった。

子どもの頃、夏の日のお昼ごはんは大抵そうめんだった(気がする)。大きなガラスの器に真っ白な涼しげなそうめんと、缶詰のみかんが一緒に入っていたことを思い出す。みかんを弟たちと取り合ったっけ。

少し前の夏の日に、オクラを茹でて切ったもの(切ったら星みたいになって楽しい)や、きゅうりを細く切って塩もみしたもの、しょうがのすりおろし、のり、しその葉、モロヘイヤとおかかを混ぜてしょうゆをちょっぴり入れたのやらを色々と、そうめんの薬味にして食べた。
その日の風景は今もよく覚えていて、多分、これからも思い出すのだと思う。

ひとつひとつの食べものが、記憶の引き出しにしまわれていたお話を連れてくる。

 

高山さんは書いていた。

「(中略)20代のはじめ。あの頃の私に、手をふって教えてあげたい。「おーい、未来にはたいへんなこともいろいろあるけども、楽しいことがたくさん待っているし、三度三度食べるごはんのおいしさも、ちゃんとわかるようになるよ。だから、だいじょうぶだよ」

その気持ち、わかるような気がする。

鳥山百合子

 

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それから毎日ふたを開けては「今日はどうなっているかな?」と確かめるのが楽しみでした。水は毎日少しずつ増えていき、大根が全部浸った時、よかった!とホッとしました。きっとお漬物を作っているお母さんたちも、日々様子が変わっていくのを同じような気持ちで見ているのではないでしょうか。

智恵さんに教えてもらった酢漬け大根はとてもとても美味しかったです。

智恵さんは「味も硬さもその人の好み、好きなようにやったらいいのよ」と話してくれました。そして「ちょっと辛かったなあと思ったら、また次に漬ける時に少しお塩を減らしたり、もうちょっと甘い方がいいなあと思ったらザラメやみりんを増やしたり、工夫するのも楽しいのよ」とも。

「また来年も一緒に漬けましょうね、その時は、大根もうちのを使っていいから!」と智恵さん。

智恵さん、また来年も一緒に「酢漬け大根」を作りましょう!

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読んでほしい

高峯神社への道 その4

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これは高峯神社の守り人、筒井賀恒さんと一緒に、高峯神社への道しるべを辿った記録です。
今日は「地図上4」の場所にある石碑についてのお話です。

 

(「高峯神社への道 その3」はこちら

 

3つ目の石碑からさらに坂道をのぼっていく。山の中を抜けていくくねくねした坂道の途中には、ここに一軒、ここにも一軒、とぽつんぽつんと道沿いに家が建っている。人が暮らしている家には洗濯物が干され、花が咲き、当たり前かもしれないが人の気配がする。竹やぶや杉林の間からこぼれてくる光の間を抜けると、道の左側にコンクリート塀が現れる。

その塀の片隅に4つ目の石碑はある。

「従是 三宝山」

4つ目の道しるべは、右は瀬戸方面へ、左は陣ヶ森へ向かう道との分岐点にある。

「従是(これより)三宝山」

この石碑は二つに割れてしまい、下の部分が行方不明になっているのだそうだ。

 

ちなみに左の道を選ぶと、陣ヶ森へたどり着く。

陣ヶ森の存在は、何ものにも代え難い。今この瞬間も、この場所にはこの風景が広がっている。

 

この石碑から先は、車一台通るのがやっとという道に入っていく。賀恒さんによると、この道は「馬道」というそうで、昔は馬一頭がやっと通れるくらいの道だったそうだ。馬道の先に暮らす山の人たちが、馬の背中にお米や生活用品、時には焼いた炭をのせて運んでいたという。

 

(「高峯神社への道 その5」へ続く)

 

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