鳥山百合子

メディアとお手紙

高知新聞 閑人調  14

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

芋つぼ

近所のおばあちゃんの畑には芋つぼがある。畑の脇に立つ三角屋根の戸を開くと、大人2人が入るくらいの深い穴が現れる。そこは岩で囲まれ、厚く敷き詰められたもみ殻の中にサツマイモを入れておくと、冬の間も傷むことなく保存できる。

しゃがんで滑るように穴へ入る。足元はふかふか、もみ殻の中に手を入れると「ぬくいろう」とおばあちゃん。かき分けると大小さまざまな芋が出てくる。探すのに夢中で不意に立ち上がると、屋根に頭をぶつけるので要注意。ネズミがかじった芋もあるけれど、その部分は除けばよい。

さあ帰ろう、と芋の入ったカゴを抱え、見上げた入り口向こうの空はまぶしかった。

家に戻って山の水で芋を洗い、湯をゴンゴン沸かした大釜でゆでる。皮をはいで薄く切り、わらを敷いたえびらの上に並べる。わらのおかげで裏面にも風が通り早く乾く。日の当たる特等席に並んだ黄金色の芋たちは何だか誇らしげで、ずっと眺めていたかった。

これは7年前の出来事だが、昨日のことのように思い出せる。願わくばもう一度、おばあちゃんと芋つぼに入り、あったあったと言いながら芋を探したい。続くと思われた日々は戻ってこない。だからこそ今日という日が尊く、まぶしい。

 

2024年1月25日の高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

今回は「芋つぼ」について。芋つぼは、冬の間、サツマイモやカボチャ、里芋などの芋類が傷むことがないよう保存する場所のこと。記事掲載後「懐かしい」「家にもあったよ」という声が届きました。もしかしたら、今も現役で使っているよ、というお家はあまりないのかもしれません。近所のおばあちゃんの芋つぼに入らせてもらったことは貴重な経験でした。

2024年のスタートは地震や事故など心痛む出来事が続きました。朝を迎え、日常を過ごせることは決して当たり前ではないのだと痛感しています。

「続くと思われた日々は戻ってこない。だからこそ今日という日が尊く、まぶしい」。

このことを忘れないように、この記事を書きました。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
読んでほしい

猪肉

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

猟師さんから猪肉をいただいた。

昨日猟に行ったそうで、大きな肉の塊を届けてくれた。一塊が入れられたスーパーの袋の内側にも外側にも血がついている。

銃で撃った猪は、共に猟をした仲間と平等に分けるそうだ。持ち帰った分をさらに知り合いに分ける。私はその内のひとつをいただいたという訳だ。

厚い脂身、薄紅色の肉。ところどころゴワゴワした白や黒色の硬い毛もついている。これは昨日まで山で生きていた体だ。

今晩、この肉は私の胃袋に入る。

一番美味しいと思う食べ方は薄く切り、塩胡椒して焼く。たったそれだけなのだが、食べれば身体内に注ぎ込まれるようなエネルギーを感じる。猪の肉は私の細胞をつくり、身体を支える一部となるのだ。

猟の期間は三月末まで。その間、捕らえられた猪はこの地で生きる人間の糧となる。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
読んでほしい

野焼き

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

12月から1月、土佐町では煙たなびく風景をよく目にします。

田にカヤ(ススキ)やカジを集めて火を放つ、野焼き。集められた何箇所かに火を入れると、すぐにパチパチと小さな音をたて、たちまち火が広がっていきます。オレンジ色の炎が高く立ち上がるのはほんの一瞬、しばらくすれば火も音も少しずつ静かになっていきます。

「田んぼの中の方へ草を入れちょいて、火を付ける。田の岸の際で火をつけたら、岸へ燃え移っていくから。燃やしている時は見ちょかんといかん」

野焼きをしていた人がそう教えてくれました。

「燃やさんと、田をトラクターでたたけない。巻き付くきね」

「昔は“秋肥”といって、稲刈りが終わったら、草を刈って田に入れていた。昔は稲刈りが終わったら、食み切り(*はみきり)でザクザク草を切って、田んぼに入れていた。肥料の代わりやね。今はそんなする人は、おらなあね」

燃えた草は灰となって田の土を肥やし、次の年の稲を育む土壌となります。

「雨がぽろぽろするような日に火を付ける。風がビュービュー吹く時にやったら、岸にでもうつったらもう大変よね」

ふと顔を上げると、遠く山間の田からも煙が上がっているのが見えました。

毎年、毎年、繰り返されてきた営み。一年という時間が巡っていくことを感じさせてくれる風景です。

 

 

*食み切り…固定された受刃と持ち手のついた包丁の間に藁や草を挟んで切る道具。牛や馬などの餌を「食み(はみ)」と言い、その餌を切ることに使われていたため、そう呼ばれる。ペーパーカッターのような形状。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
メディアとお手紙

高知新聞 閑人調  13

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

同郷

11月、京都国立博物館前で信号待ちをしていた時のこと。後部座席の息子が隣に停車した車に手を振っていた。「どうしたの?」と言いながら見ると、60代くらいのご夫婦が親しげにこちらを見ていた。その表情につられるように私も窓を開けてあいさつすると、お二人はますます笑顔に。

運転席の男性が一言、「妻は仁淀川町の出身です!」。

え!こんな所で高知出身の方と出会うとは!

「私たち、土佐町から来てるんです」と答えると、助手席の女性が身を乗り出すように「近いですね!来年5月に帰ります!」。

次の瞬間、信号は青に。「また!」と互いに手を振り、走り去る京都ナンバー。

多分お二人は停車する際に、隣が高知ナンバーだと気付いたのだろう。同郷と知り、もうそれだけで親しみを込めた視線を送ってくれたのだった。

「高知」。この言葉には強力な引力があると思われる。同郷というだけで声をかけずにはいられない。声をかけられたら応えずにはいられない。時には握手を交わすような勢いさえある。気持ちが伝わってくるようなその人間らしさが、とてもいいなと思う。

わずか30秒ほどの出来事。お二人の優しいまなざしを今も忘れられないでいる。

(風)

 

2023年12月12日、高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

前月に訪れた京都での出来事を書きました。高知ナンバーを見ただけで、親しみを持ってくれる。話しかけてくれる。そして、それに応える私。こういった出来事が生まれてしまうのがなんとも高知の人らしい。京都にいるのに、強烈に高知を感じた出来事でした。

なんというか、こういった何気ないやりとりに救われるような気持ちにもなりました。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
山の手しごと

お正月飾りを作る

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

12月、土佐町の川田絹子さんがお正月の玄関飾りの作り方を教えてくれました。

今年で4回目となる開催。毎年楽しみに参加する人が増えているそうです。編集部の私(鳥山)もその一人。

 

川田絹子さん

絹子さんはお正月飾りだけでなく、折り紙作品やシュロの葉で作るバッタなど何でも手作り、田んぼも畑もやるスーパーお母さん。

お正月飾りは、「お正月飾りのチラシを見て、“家にも藁があるがやない。家にあるもんでできるな”と思って、作り始めた」と話してくれました。

 

早速スタート!

まずは絹子さんの実演から。参加者の方に説明しながら、軽やかで鮮やかな手さばきを見せてくれます。

 

まずは、藁が柔らかくなるように藁をねじることから始めます。そうすることでピンとまっすぐだった藁がしなやかになって、扱いやすくなります。そして束ねた藁を3つに分ける。

これは絹子さんの田んぼで収穫したもち米の藁です。もち米の藁は長く、飾りを作るときにちょうど良いそうです。

 

綯う

絹子さんの鮮やかな手さばきをご覧ください!手を水で濡らし、3つに分けた藁束の内の2つを「手のひらの中で転がすように」、綯っていきます。

最後まで綯えたら、ワイヤーなどで留めます。

 

藁束を分けた内の残りの一つを手のひらで撚りながら、先ほど綯った縄の「谷」に入れていきます。「谷」とは、綯った縄目と縄目の間のこと。「入れていく」という感覚が私にはどうしてもわからず…!絹子さんに全部やってもらいました笑

こうすることで、一本の縄になります。

 

「こうやろうかねえ?」隣の人同士、話しながら作ります

 

綯った縄からピンピン出ている藁をカットします

 

一人一人に丁寧に教えてくれる絹子さん

 

綯った縄を輪っかにして、ワイヤーで留めます。絹子さんが持ってきてくれた稲穂を添えました

 

お正月らしい飾りをプラスして、なんとも華やかな玄関飾りが出来ました!

 

参加者の皆さんで記念写真

「山や庭にある松や南天、ウラジロやユズリハを付けてもいいですよ」と絹子さん。

それらは全て土佐町の山にあるものです。大きな町では買わないと手に入らないものが、この町にはすぐそばにあります。

お正月飾りを作り、新しい年を迎える心がまえも整いました。

2024年が全ての人にとって、より良い年となりますように。

皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

(前編はこちら

98歳

この日、二軒目のお宅へ。10月末に98歳を迎えた窪内節さんのお家です。窪内さんは90歳まで裏山にハシゴをかけて鎌で草刈りをし、95歳まで畑仕事をしていたそうです。

窪内さんは40年以上毎日書いているという日記を見せてくれました。まずは日付とお天気。その日にしたことや思ったことも丁寧に記してあります。
「新聞を毎日読んで、日記を書く。そしてごはんを食べる。それが私の仕事です」

 

窪内さんは50代の時、個室に入院している人の付き添いの仕事をしていたそうです。畳一枚分くらいのスペースを与えられ、寝泊まりしながら約10年生活したそう。

「この仕事をして毎月給料をもらえるのがうれしかった」
何度もそう話していました。

パーキンソン病と認知症の方の付き添いでは「歯がない人にはすり鉢ですりつぶして食べさせましたよ。お刺身が好きな人には毎日お刺身を食べさせて。話をよくしてやらないといけないから、よく話もしました」

「それが心の栄養ですものね」と県立大学の小林さん。うんうん、とうなずく窪内さん。

「頑張って100歳まで生きなきゃと思って。晩ごはんを食べたらホッとします」と静かに笑っていました。

同じ敷地内にある隣の家には娘さんが住んでいて、食事を作ったり、畑仕事をしたり。「よくしてもらっています」と話されていました。

 

帰り際、娘の谷川禮子さんと話す竜野さん

娘さんである谷川禮子さんと山下さんは同級生。山下さんは谷川さんに、今日最初に訪れ留守だった家の人の様子を聞いていました。

やはり入院されているとのこと。どうしているのかがわかって少し安心したようでした。地域のつながりとその関係の細やかさが見える一コマでした。

 

 

「お医者さんが必要なんです」

かねてから山下さんは、高齢になっても地域で暮らし続け、人生の最後を自宅で迎えられる地域にしたいという思いがあったそうです。

人生の最後を自宅で迎えるためには、まず在宅訪問をする医師がいることが必要です。

やりとりを見守る山下秀雄さん(左)

在宅医療に対応している医師と連携がとれていれば、自宅で息を引き取った後、速やかに「死亡診断書」を書いてもらうことができるのだそう。(死亡診断書は葬儀や火葬など、さまざまな手続きを進めるために必要なものです)

もし連携が取れておらず自宅で亡くなった場合、警察を呼び、検視を受ける必要が出てきます。検視の目的は、死亡した背景に事件性があるかの確認になるため、自殺や他殺、死亡した経緯に関係なく実施することになります。

「穏やかに人生の最後を迎えるためには、お医者さんが必要なんです」

山下さんがそう話されていたことが印象的でした。

 

地域で暮らし続けるために

地域で暮らし続け、自宅で人生の最後を迎えたい。それは多くの人が願うことだと思います。

それを実現するために必要なことは何でしょうか。

必要な医療や福祉のサービスにはどのような種類・内容があり、何を利用できるのか。サービスを利用するための相談はどこへ行ったらいいのか。

自宅で人生の最後を迎えるためには、長期的に介護できる家族がいるかどうかも重要だと竜野さんは話していました。そうなると介護する家族のサポートも必要です。

どう生きて、どんな最期を迎えたいのか。それは各個人の自身への問いであり、家族の間での問いでもあるのだと思います。普段から考え、話をしていく必要性を感じました。

 

自分の人生を生きること。生き抜くこと。それは一体どんなことなのか。答えはひとつではなく、人それぞれにそれぞれの答えがあることなのだと思います。初めて同行させていただいた石原高齢者訪問で、何だか大きな宿題をいただいた気持ちです。

また次回も同行させていただけたらと思っています。

 

 

撮影:竜野健司さん

訪問を終え、石原集落活動センターへ戻ると、竜野健司さんが用意してくれたお昼ごはんが。訪問した皆でいただきました。ごちそうさまでした!

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

2023年11月、土佐町石原地区で「石原高齢者訪問」が行われました。

これは、土佐町石原地区(東石原・西石原・峯石原 ・有間)に住む高齢者のお家に伺い、会って近況を聞いたりする活動で、集落活動センターいしはらの里の事業の一つになっています。

土佐町の田井内科と早明浦病院に勤める土佐町在住の医師・竜野真維さんが、できるだけ多くの住民の方と知り合いたいと毎月1回この訪問を続けています。

この日は県立大学看護学部の小林秀行さん、高知大学の医学生や地域おこし協力隊の方も一緒に回りました。

訪問の前に、いしはらの里協議会 会長の山下秀雄さんと竜野さんが訪問活動について説明してくれました。(撮影:竜野健司さん)

 

土佐町・峯石原へ

約6年前、当時石原の集落支援員だった山下秀雄さんが「高齢者の方の暮らしを見てみませんか」と竜野さんに声をかけ、この訪問活動は始まりました。

訪問にはいつも山下さんか、同じく集落支援員の中町和正さんが同行しています。「山下さんや中町さん、地域の民生委員さんがいつも一緒に来てくれるから、こうやってお家を回れるんです」と竜野さん。

この日は午前中だけの訪問日で、峯石原地区の訪問に行くことに。

くねくねした山道をのぼって一軒目の家へ。いつも季節ごとの色とりどりの花が咲いているお家です。山下さんが玄関先から声をかけました。
「おはよう。おるかよ〜?」
返事は聞こえず、誰も出てきません。ポストにはたまった郵便物が見え、しばらくの間留守にしているようでした。「もしかしたら入院しているのかもしれない。ちょっと聞いてみよう」と山下さん。これから行く他の家の人に聞いてみようという訳です。

 

標高700メートルの場所で

次に向かったのは、標高700メートルの場所にあるお宅。西川正子さんのお家へ向かう途中の坂から、見事な雲海が見えました。

山下さんが「おるかよ〜」と言いながら庭へ入っていきます。
「竜野先生が来てくれたよ〜」
家の玄関前のすぐ下は斜面になっており、畑にブロッコリーや葉物野菜が育っています。玄関前の通路には手すりが付けてありました。

しばらくすると、
「はーい、まあまあ、ありがとう」
家の中から声が聞こえてきました。ガラガラと玄関が開き「まあまあ、久しぶりねえ」と元気そうな声が。

「お元気ですか?体調はどうですか?」と竜野さんが声をかけると、「自分のことは自分でそれなりにごちごちよ。坂をおりたりとかできんけんど。2月で80歳!元気な、もう!」とにっこり。

 

高知大学の学生さんが、西川さんの血圧を測り始めました。西川さんご自身も看護師だったそうで、学生さんの手元をじっと見ながらアドバイスもされています。

「玄関前に柵をつけたんやね」と山下さん。
「そうそう、そうすると安心して歩けるきね」

何気ない会話からその人の日々の様子が伝わってきます。

「春にきた時は、ぜんまいがたくさん干してあったんですよ」と竜野さん。南側を向いた屋根付きの干し台にはカゴがずらりと並んでいます。軒下には収穫した玉ねぎが下がり、プランターには立派な大根や葉物野菜が。きっと、畑まで降りていくのはしんどいので、玄関近くにプランターを置き、野菜を育てているのでしょう。

帰り際、西川さんは訪問した6人全員に缶コーヒーを手渡してくれました。私は西川さんから一番離れた場所にいましたが、玄関先から顔を出し、私の方を見て「もらったかね?」。

「はい、いただいてます」というと「そうかそうか、よかった」と言って顔を引っ込め、玄関先に座っていました。

足が痛いだろうに私が見えるよう立ち上がり、玄関の戸から上半身をのぞかせ、こちらを見る姿。ポケットに入れた缶コーヒーが、何度もそのやりとりを思い出させました。何気ないそのふるまいから、その人となりが伝わってくるのでした。

 

 

特別扱い

竜野さんが研修医だった頃のこと。山奥の僻地にある診療所で、地域に腰を据えて診察する自治医大の先生に出会い、その時から地域医療をやりたいと思ってきたそう。

「病院勤務の場合、患者さんと医師としての付き合いになるけれど、地域に住む医師となると住民同士としての付き合いになる。患者さんを病気になって初めて知るのではなく、その人が地域で生活している姿を知った上での診療がしたかったんです」

「みんなを特別扱いできたらいいな、と思って」と竜野さん。

医師と患者という関係以前に、人間同士としての関係を築きたい。互いの存在を大切に思い合えるような関係を土台とし、その人にとって必要な医療を提供したい。

相手が自分にとって「特別」になるのは、相手のことを好きになるから。好きだから相手を大切にしたい。医師と患者でありながら同じ住民、同じ人間である。その上で、医師として自分にできることとは?

「特別扱いできたら」。竜野さんの考える地域医療の在り方が伝わってくるような言葉でした。

向き合う人の目を見つめて優しく丁寧に話し、その人のお話に耳を傾ける竜野さん。行く先々で地域の方が「竜野先生」と呼ぶ声を聞き、その声色から竜野さんがどれだけ地域の方から信頼されているかが伝わってきました。

 

(「石原高齢者訪問 2023年11月 後編 」へ続く)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
メディアとお手紙

高知新聞 閑人調  12

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

風が見える

10月、土佐町の山々の田は稲刈りの季節を迎える。お米を育てる人にとっては忙しく、1年間の苦労が収穫の喜びに変わる時だ。

土佐町は米どころ。町内には見事な棚田の風景を一望できる場所がある。

くねくねした細い道の周辺に点在する家々を見ながら、上へ、上へ。途中には、土佐あかうしを育てる家があったり、芽を出したばかりの大根や白菜の小さな苗が育つ畑がある。きれいに刈られた道端には白や桃色のコスモスが咲き、さらさらと稲穂が揺れる音がする。

その先にたどり着く、黄金色の大海原。大きい田、小さい田、さまざまな形の面が幾重もの金色の層をつくり、遠くには四国山脈が連なる。

この場所は、いつも気持ちの良い風が吹いている。稲穂を波立たせ、あちこちの田を揺らしながら通り抜けていく。風は見えるのだと初めて知った。

「この風が米をおいしくしてくれる」とお米を育てる人が教えてくれたことがある。棚田を前に、この地を耕してきた人たちの姿を思う。その人たちもきっと同じ風を見ていたに違いない。

天気に恵まれ、皆が無事に稲刈りを終えられますように。そしてゆたかな実りがありますように。

(風)

 

2023年10月13日、高知新聞に掲載された記事です。

土佐町は美味しいお米が育つ米どころ。そう言えるのも、朝晩の寒暖差ときれいな山水があり、お米を作る人たちがいるからです。

棚田の前に立つと、あちらへ、こちらへと、風が通り抜けていくのが見えます。稲穂が揺れているところが風の通り道。その風景を見るたび、近所のおじいちゃんが「この風が米を美味しくしてくれるんじゃ」と話してくれたことを思い出します。小さな悩みや迷いも吹っ飛んでいきます。

先日、今年の新米をいただきました。ツヤツヤ、ピカピカ、神々しいごはん。炊き上がった湯気もごちそう、一気に3杯はいけます。

美味しいお米を日々食べられることに感謝。ありがとうございます。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
読んでほしい

御旅所

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

10月最後の日曜日、土佐町の上ノ土居地区で地域内の草刈りが行われました。地区内の3つの班の内、2つの班が「御旅所(おたびしょ)」を担当しました。

御旅所は、神社から出たお神輿が休憩する場所のことです。約3kmほど離れた白髪神社から出たお神輿が、この御旅所によくやって来たそうです。お神輿を担いでいた子どもたちもこの場所で休憩。そしてまた白髪神社へ戻っていく。以前はよく行われていたといいます。

御旅所はいわば、神さまの休憩所。写真中央左、水路の上にかかっている小さな橋を渡り、上ったところに御旅所はあります。

 

橋を渡り、きれいに草を刈られた坂道を上っていくと…

 

2本の大きな木に挟まれるように、コンクリートの石碑のようなものが建っています。

 

これが御旅所です。「白髪神社御旅所」と書かれています。近所の人が「この手前と奥に渡すように、お神輿を置いた」と教えてくれました。

担いできたお神輿を置いて、ほっと一息。子どもたちや地域の人たちのワイワイした声が聞こえてくるようでした。

 

白髪神社は上ノ土居地区の氏神さまです。

白髪神社は、明治時代まで森郷として、郷内28箇所の総天暦28箇所の総氏神でした。現在の森地区は、区画整備により7集落で形成され、鎮座する宮古野地区をはじめ地蔵寺川上に伝い、南泉・東境・南境・大谷・中村・上ノ土居地区の総氏神とされています。

昨年6月、白髪神社の行事「輪抜けさま」に参加していた各地区の総代さんの中に、上ノ土居地区の方がいました。年間を通して行われる白髪神社での行事にも、上ノ土居地区をはじめ各地区の総代さんが参加されています。

御旅所の存在を知り、地域と白髪神社との強い結びつきをあらためて感じたのでした。

 

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
メディアとお手紙

高知新聞 閑人調  11

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。
このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

ハチミツ

「もしもし、今家におるろうか?」。

9月のある朝、知り合いの猟師さんから電話がかかってきた。玄関の呼び鈴が鳴りドアを開けると、日焼けした猟師さんが立っていた。

差し出してくれたのは、大きな瓶に入ったハチミツ。「今年はミツがたくさん取れたけえ」。山にいくつか巣箱を構えていて「今年は去年よりミツバチが多かった」と言う。ありがたくいただいた。

以前、別の猟師さんにハチミツを取るところを見せてもらった。巣箱に近づくと、足裏から響くようなうなりがブンブンひっきりなしに聞こえる。

刺されないよう帽子に防虫ネットをつけて顔を覆い、長袖長ズボン、厚手のゴム手袋をして巣箱を慎重に動かす。巣箱の屋根を取ると、中には見事な黄金色、六角形が規則正しく組み合わされた層が連なり、ミツバチがびっしりしがみついていた。

その層をざるでこすとポタポタとミツが落ちる。ミツバチのために少し層を残しておくのだと教えてくれた。

瓶のハチミツは、ミツバチの営みとそれを知る人の知恵の結晶。ひとさじいただくと、じんわりと身体が喜んでいるのが分かる。この土地のハチミツ、何というぜいたく。猟師さん、ありがとうございます。

(風)

 

2023年9月26日、高知新聞の「閑人調」というコラムに掲載された記事です。今回は、知り合いの猟師さんが届けてくれたハチミツについて。

9月のある日、猟師さんからハチミツの大瓶をいただきました。とろりとしたハチミツが詰まった瓶はズシリと重く、受け取った瞬間よろめいてしまったほど。いくつか構えていた巣箱に今年はたくさんミツバチが入り、ハチミツがたくさん取れたといいます。

ビタミンやミネラルなど豊富な栄養素が多く含まれ、殺菌効果も高いハチミツ。風邪ひいたかな?という時にひと匙なめると効果抜群!暖かくしてぐっすり眠ったら、かなりの確率で次の日には良くなります。

古代エジプト文明の壁画にもハチミツを採取する姿が描かれていたり、「日本書紀」にもハチミツに関する記述があるそう。きっとその時代の人間もハチミツの効能を知っていたに違いありません。

猟師さんにいただいたハチミツは、もったいなくてなかなか蓋を開けられず。しばらく飾っておいたのですが、いよいよ耐えられなくなってひと匙いただきました。

じんわりと身体に染み込んでいくハチミツ。土佐町で取れたハチミツをいただくなんて、最高のぜいたくです。猟師さん、大事にいただきます。ありがとうございました。

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone