心が優しい子じゃねえ
三代さんは土佐町能地地区で生まれた。土佐町の中心地から車で20分ほど、ゼンマイやイタドリなど山菜が多く採れる地域だ。「みんなでイタドリとかを採った時、訪ねてきた人に “持っていきや” ってあげるじゃない?誰かが家に来るたび、おばあちゃんやお母さんがそうしていて。でも、ある人にあげんかったことがあった。意地悪したとかそんなんやなくて、その人の分がなかったんやと思う。そしたら、その人がかわいそうだからって、私がその人のところにあげに行ったんやって。そしたら、“三代は心が優しい子じゃねえ” って、おばあちゃんに言われたんやって」
当時4歳だった三代さんに、父親がそう話してくれたそうだ。
イタドリを誰かにあげたことも、おばあちゃんにそう言われたことも覚えていない。ただ、父親から聞いた話はずっと覚えていた。おばあちゃんが「三代は心が優しい子じゃねえ」と褒めてくれたこと。4歳の時から今までの70年間、その言葉は心の中に在り続けた。
「記念館に来た人がポツンと一人でいたら、私の心が痛くなる。だから、その人の隣に座って話をしようと。それは心がけてる」
「何か一つでも褒められるということが、生きる指針になるのかもしれんね。誰かの一言って大きいよね」三代さんはそう言っていた。
「振り返ってみたら、林業会社を営んでいた時も、日本の木を売っていかないといけないということで設計士さんとつながりをもっていて。土佐町に招いて山に連れて行って木を見てもらって、というツアーをしていた。BBQをしたり、来てよかったなと思ってもらえるような、くつろいでもらえるようなしつらえをする。そういうことが苦じゃなかった。生まれ持った性分なんやろうね」

記念館が開館してから、もうすぐ13年。苦情が寄せられたり、お叱りを受けたりということはない。「基本的にこの仕事が好きなんやろうね。皆さんが幸せそうな顔をしてくれてるのがうれしい」と話す。
三代さんがこの場所を運営する上で心掛けていることがある。「この場所でイベントや展覧会をやりたいと言ってくれる人が幸せであること、来てくださるお客様も幸せであること、お手伝いさせてもらうスタッフも幸せであること。三方よしであるかどうか。みんなが幸せやないと、イベントは成功せんと思うちゅうがね。人間はつながっちょって幸せなんだと思う」
でも時には、しんどいなということも起こる。それは生きていたら当然のことで、仕事でも生活でも然り。
「でも私は地獄を見てるから。少々のことがあってもね、と思う」
娘の病気
少し時間を遡る。2009(平成21)年、三代さんが57歳の時、娘の智恵さん(当時37)が倒れた。智恵さんは大学生の頃から身体の調子が優れない状態が続いていた。結婚して子供を授かってもそれは続いた。我慢強く、病院に行こうと言ってもなかなか行きたがらない。
そんなある日、どこかぶつけたわけでもないのに腰の骨を骨折した。
こんなところを骨折するのはおかしいと、外科の先生が調べてくれた。クッシング病だった。難病指定されている病気で、脳下垂体にできた腫瘍が原因で高血圧や骨粗鬆症、倦怠感などの症状が現れる。治療法は腫瘍を取り除くことが基本で、智恵さんは手術を受けた。手術して綺麗に取り切れたと思っていた。が、腫瘍は少し残っていて増殖していた。もう一度手術をするために東京の病院へ行こうとしていた10日前、倒れたのだった。脳幹出血。脳内神経が全て麻痺した状態になった。「目は開けて、声は聞こえているみたいだけれど、反応が返ってこないので…実際はどうなのか分からない」。智恵さんは今も病院に入院している。
三代さんは入院している娘さんの看病をしながら、会社の仕事をこなす日々が続いた。その頃、家の庭に風呂桶を置き、中に山水を引いて金魚を飼っていた。「風呂桶の中は山水が流れ込むから、いつも水の流れがあって。金魚はひたすら泳ぎゆう。それがまるで私の姿だな…と思ったことがあった」
水を止めてあげたらいいのかな、でも山水を止めたら死んでしまうかもしれない。そう思いつつ、忙しくてそのままにしていた。金魚はひたすら泳ぎ続けた。
(三代さんの力こぶ その4 に続く)



